第二十話 令嬢と婚約者
「リリアナ様、少々お時間よろしいでしょうか」
夕方、宿に戻ったリリアナをエインが待ち構えていた。
疲れてる、という言葉をリリアナは飲み込む。エインがいつも以上に真剣な眼差しをしていたからだ。多少の言い訳をしたところで避けられないだろう。
「……いいわ。ミゼリア、先に部屋に戻っていなさい」
「はい」
ミゼリアはリリアナ、エインへと順番に頭を下げると、ふたりから離れた。顔色が悪いのが気になるが、それでも今までよりすっきりした顔をしているので、まあ大丈夫だろう。
「廊下でいいの? それとも空き部屋借りる?」
「すでに部屋を借りておりますので、そちらへ。紅茶もご用意しております。茶菓子もすぐにご用意できますが」
「いえ、結構よ」
──相変わらず気の回る男。
リリアナはそう思い、ふと、彼とまともに話すのが久しぶりであることに気が付いた。
エインと合流した時、彼は主を守り切れずに敗走した騎士だった。
父を守れなかったエインに対する怒りは勿論あった。だが例え怒りは無くとも、彼を咎めないわけにはいかなかった。
エインは父に仕える騎士であり、そして同時にリリアナの婚約者である。父・サーティスを守るのは、エインの義務だ。
それを果たせなかった彼を、リリアナは無条件に許すわけにはいかなかった。また、許すつもりも無かった。
エインに対する情はある。だがそれよりも、サーティスに対する愛情が大きい。サーティスを救えなかったエインを恨む気持ちを無視できないのだ。
部屋に入り、リリアナがソファーに座ると同時に、湯の入ったポットを持ったエインが入ってきた。
エインが手際よく紅茶を淹れるのを眺めながら、それで、とリリアナから切り出す。
「話って何よ」
「……確認させていただきたいのです」
カップをリリアナの前に置き、エインはリリアナに向き直った。
「貴女は国王を──ひいてはこの国を憎んでいますか?」
「……は?」
リリアナはカップを取ろうとした手を止めた。
「……どういうことかしら」
「言葉通りの意味です」
エインは淡々と言った。
「貴女が私を恨んでいるのは解っています。ですが、ノドバーレイという国に対してどう思っているのか解りませんでしたので」
「……それはおまえに関係あるのかしら」
「ええ、おおいに」
じっとりと睨み付けても、エインは全くゆるぎもしなかった。
「貴女が国をどう思っているかによって、私の身の振る舞い方も変わりますので」
「答えようによっては、裏切るとでも?」
「いいえ、私のすべきことが変わるだけです」
「……そう」
リリアナはようやくカップに口を付けた。自身の婚約者の忠誠心を改めて感じながら。
忠誠心。そう、忠誠心だ。婚約者同士という関係のふたりだが、そこに情はあっても愛情は無く、実質的には主従の間柄である。
そもそも政略的な婚約なのだ。公爵家長子としての責務を負うリリアナにとって、結婚相手を探すだけでも政治バランスを考えなければならない。恋愛婚だった両親を見ていると馬鹿馬鹿しく思えるが、両親が結婚できたのは気が遠くなるような努力の結果である。
そういう意味では、エインは理想的だった。
エインはブリュドの侯爵家の遠縁で、爵位こそ持たないが由緒ある家系の末席であることは、条件の幾つかに適っていたのである。
エインの家は五十年前にノドバーレイに移っているが、問題があって国を出たというわけではなく、リュグス家の立場を大きく左右することは無い。その上、ブリュドの貴族により太いパイプもできる。
将来的にはリリアナの補佐兼護衛として相応の知勇を得てもらう目的で正騎士、そして隊長職に取り立てられたのだが──
「私の恨みつらみが、おまえの行動にどう影響するというの? 私が国を滅ぼせと言ったら、滅ぼすというのかしら」
「そこに大義があるなら、そうしましょう。しかし、それが憎悪からくるのであれば、私はそれを止めねばなりません」
「……止める? 止めるですって? おまえが?」
リリアナはエインを睨み付けた。
「おまえに私を止める権利があると思っているの? 自分が何を守れなかったか、理解して言っているの?」
「理解しているからこそ、言っているのです」
エインは表情を変えることなく言った。
「私は確かに失態を犯しました。それも、取り返しの付かない大きな失態を。だからこそ、貴女に間違った選択をさせるわけにはいかないのです」
言ってから、ところで、とエインは首を傾げた。
「それ、いつまで続けるつもりですか?」
「……もう止めるわ。疲れるわね、これ」
リリアナはぐったりと椅子にもたれかかった。
「貴方を恨んでいるのは事実なんだけどね。恨み続けたいわけじゃないわ。エネルギーがいるもの」
「エネルギー、ですか」
「ええ」
リリアナはぐい、と紅茶をあおった。
「ひとつのことに感情を注ぐ──それは本気の時、誰でもすることよ。でも、感情を注ぎ続けるというのは言葉以上に困難なの。だってどんな感情でも、それが激しければ激しいほど、持続が難しいから。集中して、それだけを思い続けて……それを考えるだけで頭がくらくらするわ」
空になったカップに、エインが新たに紅茶を注ぐ。それに礼を言ってから、リリアナは目を細めた。
「それだけに集中して、ほかには目もくれない。いえ、必要なもの以外を切り捨てることの方が多いのかしら。余計なウェイトは、やっぱり邪魔だもの」
「邪魔ですか。……便利な言葉ですね」
一体何を思ってそう言ったのだろう。エインの言葉に同意しつつ、リリアナはカップの水面を見つめた。
「私には無理だわ。だって捨てられないものが多すぎるもの。捨ててはいけないものが、多いのよ」
リリアナは苦笑した。
それが悪いことだとは思わない。むしろ胸を張ることさえできる。
自分にはそれだけ大切な、守るべきものがあるのだと。
「と、いうわけで、それが答え。私は国を恨む気持ちはあるけれど、恨み続ける気は無いわ。割に合わないしね」
「……恨みや憎しみを割に合わないからで片付けるのは、貴女ぐらいなものでしょうね」
「でしょうね。で、何でこんなこと訊いてきたの? 理由なんて無いなんて言わせないわよ。そもそも私のやることに、貴方はひとまず口を出すつもりは無かったんじゃないの?」
「……そのつもりでした。ですが今日、聖騎士団の訓練に参加した時」
「何かあったの?」
「そうではありません。ただ、ザフィロが妙にすっきりした顔をしていて」
エインはその様子を思い出したのか、肩をすくめた。
「どうもミゼリアとの間に何かあったらしいのですが、その様子を見ているうちに、私も片付けるべき心のもやもやを片付けておこうと思い立ちまして」
彼にしては珍しい、単なる思い付きでこの場を設けたらしい。さすがに呆れてしまう。
「ああ、そう……貴方にも、そういう発想があったのね。それで、ご感想は?」
「思った以上でした。貴女が貴女でよかった」
そう言ってエインは微笑んだ。今まで見たことの無い種類の笑みに、リリアナは面喰らう。
「……ふん、そう。それはよかったわ。ここから先、半端なあり様じゃ足下をすくわれることになるでしょう。その回答をもって、ここから先に臨みなさい」
「勿論です」
頭を下げたエインを見て、リリアナは内心安堵した。
ミゼリアから衝撃的な話を聞かされ、その影響も抜けきらない──どころかまだ飲みきれていない中で、エインとの間にあったわだかまりがひとつ決着がついたことは、リリアナにとって喜ばしいことだった。
エインにも言った通り、半端な状態ではこの先には進めない。何しろ問題は山積みなのだから。それこそ考えただけで気が遠くなりそうなぐらいには。
だからせめて、彼との溝が少し浅くなったことは朗報以外の何ものでもなかった。
リリアナはまだ知らない。いや、舞台裏にいる人間以外は誰も知らないだろう。事態の混迷は、更に深くなっているのだと。
リュグス家新当主が王家から発表されたのは、翌々日のことだった。




