第十九話 災厄の魔女
リリアナに全て話したミゼリアは、長々と息を吐いた。
話している間は緊張で震えそうになる喉を叱咤していたが、話し終えてしまえば後はリリアナの反応次第だと、虚脱感に身を任せることができた。
答えは確かに怖い。だが返答があると解れば、それに対する覚悟ができる。覚悟ができてしまえば、後は受け止めるだけだった。
ミゼリアは一度深呼吸して、リリアナを見た。
見て、首を傾げた。
「……? リリアナ様?」
リリアナは、固まっていた。
内容が内容だけに受け入れるのには時間がかかるだろうことは予想していたし、固まってしまうのも無理は無いと思うが、まさか呆れと驚愕をない交ぜにした顔をされるとは思わなかった。その表情に、むしろミゼリアの方が戸惑ってしまう。
「リ、リリアナ様、大丈夫ですか?」
「……ちょっと、待って」
リリアナは頭を抱えて手を突き出した。
「今、整理しているところだから。というか、処理しきれないから……」
「それは、勿論待ちますが……」
ミゼリアはうんうん唸っているリリアナのために、新しい紅茶の準備をした。
紅茶を淹れた後も、リリアナは悩んでいる様子だった。受け止め切るのは大変だろうし、もしかしたら今日だけでは結論は出ないかもしれない。
ミゼリアは今更ながら、話してよかったのかと不安になった。
真実を選んだのはリリアナだが、話をしたのはミゼリア自身である。話さないという選択肢を選ばなかったことに後悔は無いが、もしかしたら今ではなかったのでは、とは考えてしまう。
今日はもう帰って休んでいただいた方がいいかもしれないと考えていた時、リリアナはがばりと顔を上げた。
「ねぇ、ミゼリア」
「はい」
「貴女、このことを一時は自分の胸の内に収めておくつもりだったのよね?」
「……はい」
ザフィロと話すまでは、そう思っていた。だがそうして秘めておいたところで、事態は何も好転しないのだ。
この先に進むためには──全てを終わらせるためには、他者の協力は必要になってくる。そして協力を必要とするなら、真実を話さないわけにはいかない。
だが、自分が全ての発端であり、自分を狙う全ての元凶がすでに多くの命を奪い、そしてこれからも奪い続けるという事実を語るのは、ミゼリアにとってあまりにも重い。
それでも、覚悟は決まった。たとえそれが決裂のきっかけになるのだとしても、せめてリリアナには打ち明けようと。
これはリリアナに無関係な話ではない。いずれ知らなければならないことなのだから。
「……これは、ちょっと……」
リリアナは頭痛をこらえるように頭を抱えた。
「ちょおおっと、ひとりで抱えるにはハード過ぎないかしら?」
「確かに、ひとりで対処できる範疇ではありません。このように重大なことを私の一存で済ませてしまおうとしたことは、あまりに愚かと言えるでしょう。重ね重ね申しわけありません」
「……いや、そこじゃなくて、ね」
リリアナはため息をついた。
「あー、もう。そこはいいわ。もうひとつ」
「はい」
「それを聞いて、私が保身のために王に貴女を差し出すとは思わなかったの?」
「ありえません」
ミゼリアはきっぱり言った。
「貴女は奔放な方ですが、貴族としての責務を十二分に理解されていらっしゃいます。そんな貴女が、守るべき民や臣下を無碍にする現国王のやり方に反発しないわけがありません。ましてや保身のために臣下を売るなど、貴女が最も嫌いな行いでしょう」
「……信頼は嬉しいけどね」
リリアナは天井を仰いだ。
「はーあ。何だかなあ……怒るに怒れないっていうか、ミゼリアらしくて毒気が抜けるっていうか」
「リリアナ様?」
「もう、いいわ」
リリアナは立ち上がった。
「ミゼリア。貴女の話を、私は信じるわ。信じた上で訊くけど、対抗策はあるの?」
「……現状は、全く」
ミゼリアは申し訳ない気持ちで首を振った。
「……そっか。そりゃそうよね」
「はい。せめて国の中枢における勢力図を把握するか、いっそ直接接触することができれば、話は違ってくるのでしょうが」
「そうね……でもディアルナ様のお話と今までのことを考えれば、貴女を狙う黒幕の一端は見えてくるわね」
リリアナは顔をしかめた。
「黒幕は“魔女”エドヴィナスの信奉者でしょう」
“魔女”エドヴィナス。その存在を語るには、かつてこの地で起きた大きな戦のことも語らねばならない。
かつてノドバーレイ、ブリュド、レコキウスの三国と隣接する国が存在した。
アイルルージュというその国は、冥界と夜の支配者であるタロース神を信奉していたが、それに似合わず芸術が盛んだった。死者を慰めるのは芸術であるという教えがあったからである。
だが百五十年前、当時の王がある女を妃に迎えたことで滅亡の道を踏み出すことになる。
その女は、アイルルージュだけでなく四国を見渡してもふたりといないと言われるほどの美女であり、高い魔術素養を持った神官でもあった。貴族出身ではないが高い教養を備えており、並の貴族令嬢では相手にもならなかったという。
だが国王との結婚は、決して歓迎されたものではなかった。
まず神官は本来、伴侶を持たずに一生を終える。破門されれば別だが、破門などよっぽどのことが無い限りあるわけがない。
だが、女はそのよっぽどのことをやらかした。婚姻の直前に、女は冥界神の神殿から除籍されてしまった。
結婚のために除籍されたのではない。幾ら国王に求婚されたとはいえ、それでも受けること自体が問題なのだし、そもそも除籍自体、結婚が決まる以前から話に上がっていたことなのだ。
女は、評判が悪かった。それどころではない。悪評と言えるほどのものを、女は持っていた。
美貌を使って複数の男を籠絡して関係を持つ、質素が基本の神殿内できらびやかに自身を飾り立てる、華やかで露出の高い服装で街を練り歩く、民衆からの布施を使い込んで病的に浪費を続ける──おおよそ多くの人間が思い浮かべる悪女の所業を、女は誰にはばかることなくくり返した。国民が反対するのも当然だと言えた。
一方彼女を強く支持する者も多勢いた。
女が神官として高い能力を持っていることも、理由のひとつだった。
素行はともかく、神秘を操る実力は当代随一で、周辺諸国にさえ並ぶ者がいないほどだった。資料の一部には、何の準備も無く大魔術を行ったという記述もある。
また彼女の作る薬はそれまでのものよりも効果が高く、その技術を使って生み出した化粧品は国中の女性が目の色を変えて欲しがるほどだった。
更に女は人を魅了する術も身に付けていた。前述の能力に加え、彼女は人の目を惹く仕種と巧みな話術で関わる人々を自身の信者にしていったのである。
こうして賛否のあった結婚だったが、女のやることは王妃となっても変わらなかった。
女は国庫を自分を磨くために浪費し、王家伝来の宝を私物化、毎夜パーティーを開いて毎日違うドレスと装飾品で着飾った自分を見せつけた。
それを批難しようものならすぐさま処刑し、時に自身の魔術で始末することもあったという。王は彼女の言いなりで、民の声に耳を傾けることもなかった。
アイルルージュは当然衰退し始めた。民の心は離れだし、心ある官僚達はあらゆる理由で国を去った。
周辺諸国の状況もよくなかった。当時、ノドバーレイとレコキウスは一触即発で、戦争まで秒読みだった。ブリュドは二国をなんとか取り持とうと奔走しながらも、いざという時のために戦支度に忙殺されていた。
他国の救いは望めない、それどころか戦争に巻き込まれるかもしれない。そうなれば真っ先に倒れるのは元から疲弊しているアイルルージュだ。
民の不安が広がる中、ついにノドバーレイとレコキウス間の戦争が始まり、ブリュドがノドバーレイを支持、レコキウス支配下の国も参戦し、アイルルージュが巻き込まれるのも時間の問題だと思われた。
そんな時、女は言ったという。
「なんて、楽しそう」
女のそんな一言で、アイルルージュが他国全てを敵に回すなどと、誰が想像できただろうか。
アイルルージュは周辺諸国に宣戦布告も無く襲撃、更に女の信奉者達を他国に送り込んで国内に混乱をばらまいた。
これにより、四国を中心とした戦争は混迷を極めた。
最終的にノドバーレイ、レコキウス、ブリュド三国が和平条約を結び、その後アイルルージュ包囲戦が開始したことで終結へと向かった。
アイルルージュ側は一ヶ月も満たずに投降。投降の証は、王と王妃の首だった。最終的に、王と、戦争を混乱させた原因たる女は、国民の手で殺されたのである。
王の方は惨めな最期だった程度のことしか伝わっていないが、女の方はその凄惨な死に様が幾つもの歴史書に詳しく書かれている。
いわく、多くの同胞と多くの敵対者を道連れにした挙げ句全身をあまたの刃で貫かれ、自身と周囲を鮮血で真っ赤に染め上げて息絶えたのだと。
女の人生そのものは、そこで途絶えた。だが女は、最期の最期にこんな言葉を残した。
「私は死なない。肉体は滅んでも、私という存在は不滅よ」
その言葉を裏付けるように、生き残った信奉者達は女を崇め、そのあり方を広く伝えるようになった。さながら神の託宣者のように。
否、彼らは自身のことを真実神に仕える神官と考えていたのだ。何しろ女の死後、信奉者達は本格的に女を神として扱うようになったのだから。
人間が死後、神に近しい存在として奉られる例が無いわけではない。だが神そのものとして信仰を集めるなど、長い歴史の中ででも希有なことである。少なくとも千年二千年遡らなければならない。それが多くの人間を破滅させた存在となると、皆無となるのではあるまいか。
産まれた異例の新宗教は、甚大な被害をもたらした戦犯を奉っていることで多くの批判を浴びた。
にも関わらず、アイルルージュ国内、それどころか周辺国にまで信仰の範囲を広げ、信者の数を増やしていった。
彼らは各地で混乱と争乱を招き、自身の信仰を至上とするあまり他神教徒を虐殺する者までいた。
特に深刻だったのは中心地であるアイルルージュで、国内の貴族が特に傾倒した結果、支配体系が瓦解するまでに至ってしまった。
その渦中にいたのはある貴族女性で、彼女は自らをかの傾国の女の生まれ変わりだと称し、信徒を扇動し、各国に更なる混沌をもたらした。
このまま全ての国がまともに機能しなくなるまで続くと思われた暗黒の時代は、唐突に終わりを告げた。
アイルルージュの王都が、突如崩壊したのである。
原因は今なお不明で、一説には大がかりな魔術式を失敗した結果とされているが、それが正解か否かは解っていない。確かなのは、王都が一夜にして滅んだということと、それによってアイルルージュもまた滅亡を迎えたこと、王都があった場所は今も人の住めない死の土地になっていること──この三つの事実のみである。
こうして悲劇的な末路を遂げたアイルルージュだが、滅亡の原因となった魔女の信仰は、沈静化こそしたものの、その後も密かに広まり続けていた。
そこでノドバーレイ、レコキウス、ブリュドの三国は話し合い、魔女信仰撲滅のために幾つかの盟約を結んだ。こうして事態は収束に向かったのである。
だが魔女信仰は今なお収まっていない。表立っていないだけで、かの魔女の信奉者は各国のどこかにひそんでいるのだ。
その魔女の名はエドヴィナス。不遜にも美の女神の名を与えられた悪女である。
「常軌を逸した所業の数々が不穏だけど、少なくともエドヴィナス信仰の人間の仕業なのは確かよね。あんまりこういう言い方したくないけど、邪教徒って、ああいうののことを言うのかしらね」
「そう、ですね」
リリアナのうんざりした言葉に、ミゼリアは気乗りしない声音で同意した。
レコキウスが戦争をしかけた理由も、この信仰をノドバーレイ王が許容し、どころか自ら信徒に成り下がったという信じがたい話がもたらされたからであり、その裏も取れたがゆえにハディウスの戦いが行われたのである。レコキウス軍総司令だったレオードが明かした事実ゆえに、ミゼリアも疑ってはいないのだが──
「……ミゼリア、気に入らないことがあるなら言ってもいいのよ?」
リリアナが言った。気遣わしげなその声に、ミゼリアは慌てて首を振る。
「いいえ。……ただ」
「ただ?」
「ここまで大規模なことをする者が、はたして一信徒なのかと」
「それは、確かにそうね。少なくとも複数人──もしかしたら十人二十人どころじゃないかもね」
ミゼリアの言葉に、リリアナは眉をひそめた。
「でも、それでどうするの? 目的は変わらないけど、何か対策を立てた方がいいかしら」
「現状では何とも。今の私達では対策を立てようがありませんから、まずは第一の目的を達成するべきでしょう。母の悪霊という言い方が気になりますが……」
言いかけ、ミゼリアは脳裏によぎった予感に身を震わせた。
それは、あまりにも荒唐無稽な発想だった。誰しもが馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす、もはや妄想の領域だった。
それでもミゼリアは自分の頭をよぎった可能性に恐怖を覚えずにはいられなかった。
「ミゼリア? どうかした?」
「い、いえ」
ミゼリアは首を振った。
酷い考えだと思う。だがミゼリアはその妄想を妄想と捨て置くことはできなかった。
その悪霊は魔女エドヴィナス自身ではないかなど、そんなことありえないのに。




