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白銀の剣  作者: 沙伊


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第十八話 令嬢の覚悟

 リリアナはディアルナのことを、慈愛と厳しさ、茶目っ気で構成されていると思っていた。

 それは間違っていないだろうし、その印象は今も変わらない。

 ただ、思う。彼女にとって、優しさは武器でもあるのだろうと。

「はい、お疲れ様でした。さすがリリアナ様、私が教えることなんて、ほとんど無いわねぇ」

 頬に手を添え、ディアルナはおっとり微笑んだ。

 その笑みだけを見れば、その美しくもたおやかな姿に自然と癒されただろう。

 だがリリアナには、その笑みに癒される余裕は無かった。むしろ全く逆の感情を味わった。

「作法の訓練でここまで疲れたの、いつ以来かしら……」

 吐き出すように呟いて、リリアナは椅子に沈み込んだ。

 リリアナとディアルナの会談の翌日、再び向かい合った両者の間で、今後のことで細かな話し合いがされた。

 主な取り決めはブリュド入国に関して。堂々と入国はできないが、正式な手続きをしていないのものちのち面倒になる、ということで、五日後に出発する使節団に、リリアナ達も参加することになった。

 この使節団は定期的にミズル領と、隣接するブリュド国の領、シャルト領との間で交わされているものだ。

 シャルト領のあり方や成り立ちは、ミズル領とほぼ同じである。違いと言えば、領主がシャルト神信仰のNo.2であること──シャルト神信仰の宗主はブリュド国王だ──と、政治に密接に関わっていることだ。

 この使節団に参加することでリリアナ達は正式な手順を踏んで入国することができ、更に領主を足がかりにブリュドの政治的な問題に関与することができる。ミズル領がノドバーレイの政治に関与しない独立した領であること、逆にシャルト領が政治に深く食い込んだ領であるからこそ取れる手段であった。

 すでにシャルト領へ詳細を書いた親書は送っている。後はその日を待つだけである。だが五日過ぎるまで無為に過ごすつもりは、リリアナには無かった。少しでも自分にできることを増やすために、ディアルナに交渉術の手ほどきを請うたのだ。

 ディアルナはそれに快く応じてくれた。

「とはいえ、秘訣だけを教えても、それを応用するのは難しいでしょう」

「それは、まあ」

「ですから、リリアナ様の得意分野で交渉を有利にできるように、まず基礎を磨きましょう」

「私の得意分野ということは」

「ええ。まずは社交での立ち居振る舞いから始めましょう」

 リリアナは貴族令嬢として、当然社交場での礼儀作法は幼い頃から学んでいたし、とっくに社交デビューは済ませてあるから、経験はそれなりに重ねている。だから、最初は今更だと考えていたのだが──

 ディアルナの社交レッスンは、今まで受けたどの授業、どの社交場よりも厳しかった。

 今まで行ってきたそれら全てが生ぬるく感じるほど、厳しかった。

 やっていることは基礎中の基礎だ。社交場に出る者は皆できるような、むしろできて当たり前の技術である。

 それらをたおやかな笑顔で、悪魔のような厳しさで指導するのだ。

 大抵の者が見逃すような小さな粗をことこまかに指摘し、直るまで同じ動きをくり返させる。

 それをみっちり一時間。その間、休憩など一切無かった。

 結局、リリアナができたのは正しい角度の礼と、美しい椅子の座り方のみである。

 椅子から倒れてしまわないのは、その訓練の賜物だ。そうでなければ、床に寝転んでしまいたかった。

「大丈夫ですか?」

 隣で立つミゼリアが、心配そうに声をかけた。淹れたての紅茶が入ったカップとソーサーを差し出している。メイドもかくやという自然さだった。

 それは嬉しい。嬉しい、のだが。

 ──何でこの娘、同じ量こなしてけろっとしてるの?

 リリアナのじとっとした目が、ミゼリアに向けられた。なぜそんな目を向けられるのか解らないのだろう、ミゼリアは戸惑いの表情を浮かべる。

 聖騎士団の訓練に参加しているエインとザフィロとは別れ、ミゼリアはリリアナの護衛としてこの場にいた。だが、ミゼリアもただ護衛をこなすだけのつもりは無かったらしい。ディアルナの社交レッスンに参加したのだ。

 進み具合はリリアナに合わせていたので、同じことをこなしていた。勿論、厳しさも同等である。

「ど、どうされましたか?」

「どうしたもこうしたも……何で貴女、しれっとしてるのよぉ……」

「はあ、それは私も、騎士の端くれですから。正式な叙勲は受けておりませんが、訓練量は正騎士と同等と自負しております。それゆえ、リリアナ様より体力はありますので」

「あっ、そう……」

 リリアナは気抜けした返事しかできなかった。

 戦闘訓練こそしたことないものの、リリアナも体力には自信があった。

 昔から自然の中を走り回ったり、木によじ登ったりと、身体を動かすことは得意だった。夜会でのダンスも体力が必要になるし、作法の実技訓練にも体力を消耗するのだ。日常的にそれらの訓練を受けていれば、ひ弱な貴族令嬢だってある程度の体力は身に着く。

 リリアナの体力は貴族令嬢としては有り余っているくらいなのだが、それはともかく、否、だからこそ、リリアナが疲れ切っているということが、どれだけ訓練が厳しいかを物語っている。

 なのに、ミゼリアが平気そうにしているのが信じられなかった。

「ミゼリアは慣れているからねぇ」

 ディアルナは苦笑を漏らした。

「ミゼリアは昔から、こういう基礎をひたすら叩き込む訓練をやっていたから。マナーだけじゃなくて、乗馬や護身術とか、ね」

「基礎は万事に通ずる──ミズル様の教えですので」

 ミゼリアは控え目に微笑んだ。

 なるほど、と、リリアナは納得する。

 ミゼリアの所作ひとつひとつに気品があるのは、勿論本人の資質もあるのだろうが、何より幼少期から培われた訓練の賜物なのだろう。

 動きが正確で無駄が無いゆえに、非常に美しいのだ。

 ──ただ今は、それだけが理由ではないでしょうけど。

 リリアナはカップを受け取りながら、ミゼリアを見上げる。

「どうかいたしましたか?」

「うん? 別にどうも。あ、おいしいわね、これ」

 リリアナは肩をすくめて紅茶をすすった。

 今こうして立っているミゼリアが、なぜだかより一層美しく見えたなどと、どうも照れくさくて言えなかったのだ。

 今までのミゼリアも充分美しかった。特にここ最近の数日は憂いを帯びた瞳が印象的で、ふと見せる儚げな表情が繊細な顔立ちを引き立てていた。

 ガラス細工のような姿は、はっとするほど美しく、だが今にも壊れそうで、どこか危うげだった。

 だが今は、繊細な顔立ちも儚げな雰囲気もそのままなのに、眼差しが違う。

 そこにあったのはガラス細工の反射ではない。リリアナにとっては見慣れた、否、それ以上に強い白銀の輝きだった。

 リリアナの知らないところで何があったのかは解らない。だが少なくとも、ミゼリアを前に進ませるだけのものがあったのだろう。

「ふむ……」

 リリアナはひとつ頷くと、ディアルナに顔を向けた。

「ディアルナ様」

「あら、なあに?」

「ミゼリアとふたりっきりでお話したいのですけれど、よろしいでしょうか」

「お話?」

 ディアルナはちらりとミゼリアを見遣った。ミゼリアは特に動揺するのでもなく、なりゆきを見守っている。

 ディアルナはくすりと笑った。

「いいわよ。終わったら声をかけてちょうだい。特訓を再開しますから」

 反射的に遠慮します、と言いかけたリリアナは誤魔化すために曖昧に微笑んだ。

 ディアルナはにまにまと笑いながら、軽やかに退室した。

 今更ながら、年齢を感じさせない人物である。本当に彼女は幾つなのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、リリアナはミゼリアに向き直った。

「ミゼリア」

「はい」

「全部、話しなさい」

「……リリアナ様」

「貴女が何かを隠しているのは解っているの。それが私に話しにくいと思っているのも、何となく察してる」

 リリアナはミゼリアの表情をうかがった。

 動揺している気配は無い。表情が若干固いが、瞳をそらしたり、気まずげな雰囲気を出すことも無い。

 リリアナはふと、旅に出る前夜のことを思い出した。

 あの時も互いに決意と決断を迫られ、選択した。その時の思いが今も揺らいでいないかと問われれば、素直に頷くことは難しい。

 あの時とは、状況もやるべきことも違う。それを前にして、同じ気持ちでいられると胸を張れるほど、リリアナは自分が強いとは思っていなかった。

 たとえ今は変わらずとも、ミゼリアの語ることを聞いて、ぶれてしまわないとは言い切れないのだ。

 リリアナは一度だけ深呼吸した。聞きたくない、と自分の耳を塞ぐ自分自身の幻影を打ち払って、口を開く。

「けれど、私は貴女の主よ。私は部下のことを知る権利と、義務がある。それが私──いいえ、リュグス家に大なり小なり関わっているのなら、なおさら。もし……っ」

 リリアナは詰まりかけた言葉を何とか吐き出した。

「……もし、それが私にとって絶望でしかなかったとしても、私は知らなければならない」

「……それが、どんな理不尽でもですか?」

「そうよ」

 リリアナは頷いた。

「私は貴族よ。貴族とは、人の上に立つ高貴な存在──じゃあないわ。何人もの命を背負い、守り、時に自分の身を張る存在よ。我らは剣にして盾。たとえ物理的に非力でも、その責務を果たせないわけじゃない。そして私がその責務を果たすために、知ることは必要なことなの」

「……」

「今私が背負っているのは片手で数えられるだけ。だって、ほとんど失ってしまったのだもの。いっそ放棄してしまった方が楽かもね。でも、私はそうしないわ」

 それは責任感からか? ──否。

 それは自責ゆえか? ──否。

「私は貴族としての私に誇りを持っているの。こんなことで投げ捨てるなんて馬鹿馬鹿しいわ。こんなことで諦められないわ。諦めてたまるもんですか。私を諦めさせたいなら息の根を止めなさいって感じ。だから、聞く。逃げずに、聞くわ」

「……リリアナ様はそう簡単に命を落としそうにありませんけど」

 なかなか失礼なことを言い放ったミゼリアは長々と息を吐いた。

「そう、ですね。そうでした。リリアナ様、貴女はそういうお方でした」

「そういうお方って、どういう意味よ」

「言葉通りの意味です」

 ミゼリアはしばし瞑目していたが、ふと身体の力を抜いた。

「リリアナ様」

「うん?」

「最初にこれだけは言わせてください。貴女のことですから、必要無いとおっしゃられるのでしょうが……それでも、これは私なりのけじめですので」

 首を傾げるリリアナに、ミゼリアは一瞬泣き出しそうな顔をして言った。

「申しわけありませんでした」

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