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白銀の剣  作者: 沙伊


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第十五話 公爵夫人の行方

「……ふっ……あはははははは!」

 突然笑い出したディアルナに驚いたのは、リリアナとエインだけだった。

 ミゼリアはひそかにため息をつき、ミディールは変わらず微笑んでいる。侍女などしれっと新しい紅茶を淹れていた。

「ふっ、く、ふふふ……あー、笑った。久しぶりかも、こんなに笑ったの」

「は、はあ……」

 さしものリリアナも、ただ戸惑うしか無かった。先ほどまでの緊張も、すっかり抜けてしまった。

 その様子を見て、ディアルナは嬉しそうに頷く。

「うんうん、そうしてる方が可愛いわ。ミディの話だと、とっても楽しい性格らしいし、断然そっちのが好きね」

「……それが、素ですか?」

 リリアナはおそるおそる尋ねた。ディアルナは返事代わりに、にんまり微笑む。

 リリアナはがっくり肩を落とした。

「何よ、いつも通りいけばよかったじゃない……」

「いいわけないでしょう」

 エインがぼそりと呟いた。聞こえないふりをして、リリアナは新しく淹れられた紅茶を飲む。先ほどより濃い紅茶が、なんだかありがたかった。

「ふふ、さっきのやり取りも楽しかったわあ。まさか学園計画のこと、サーティス様からうかがっていたなんてね」

「ええ……父が強く推し進めていた事業ですから」

 そして同時に、国内全てに学園を作るつもりだったことも、リリアナは知っている。

 サーティスは、ディアルナから提案された学園という施設に強い期待を抱いていた。この事業が、ノドバーレイを更なる発展へ向かわせると確信していた。だからこそ、リリアナにも詳細を話したのだ。

 計画そのものは長期となる。もしもの時は、リリアナが引き継げるように。

 もっとも、これらはリリアナの想像でしかない。例え合っていたとしても、これほど早く引き継ぐことになるとは思っていなかっただろう。

「学園の話が出た時点で、ある程度の保障はするつもりだったけど、私の予想を上回るものを提示してもらったのだもの、応えなければ不誠実というものね」

「じゃあ……!」

「我が名にかけて、貴女に最大限の助力を約束しましょう」

 リリアナはガッツポーズをしそうになって、慌てて止めた。ミゼリアとエインの視線が痛かったからだ。

 それでも、気持ちが抑えられない。にやけないようにするのに必死だ。ここからがある意味本番だというのに──どころか、なんとかスタートラインに立ったところなのに、これではいけない。

「ありがとうございます」

 ひとまずそれだけ言って、さっそくですが、と気持ちを切り替えるために尋ねた。

「母が現在どうしているか、お聞かせ願いますか」

 詳しいことはディアルナに、とミディールは言った。

 つまり、母の身に何か重大なことが起きているということである。

 ディアルナは笑みを引っ込め、ため息をついた。

「エルジェート様はねえ……アルトリウス王をおとしめる口実にされたのよ」

「口実?」

「ブリュドの王弟殿下曰く、アルトリウス王とエルジェート様は不倫の関係だそうよ」

「……は? 何それ、ありえない」

 リリアナの口から漏れたのは、驚きでもなく絶望でもなく、ひたすらあきれ返った声だった。

 リリアナの両親──サーティスとエルジェートは、貴族としては非常に珍しい恋愛婚である。お互い社交の場で一目惚れし、公爵家と子爵家という身分差も乗り越えて結ばれた。

 実の娘すらも生ぬるく見守るほどに仲むつまじいというのに、エルジェートが不倫など──

「エインが浮気したっていう方が、まだ信憑性あるわー」

「何で私の名前が出てくるんですか!? したこともないし、する予定もありませんがっ」

 エインが思わずといった風に抗議の声を上げた。当然である。隣で、ミゼリアがやや引きつった苦笑を浮かべていた。

 ディアルナはまあまあとなだめるが、口元がひくついていた。後ろのミディールなど口元を抑えて顔をそらしている。泰然自若としているのは、侍女ただひとりである。

「……ミゼリア、おまえがリリアナ様とうまく付き合える理由が解った。似たような面々と幼少期から接していたら、嫌でも対応方法が身に付くな」

「い、嫌ではないですけど、あの、あ、あはは……」

「……んん」

 リリアナは軽く咳払いすると、気を取り直して確認した。

「つまり、お母様はアルトリウス王を王位から引きずり下ろすために利用された、というわけですね」

 王弟にとって、エルジェートは非常に都合がよかったのだろう。

 公爵夫人、他国の貴族女性、既婚者──どの要素を取っても、否、全ての要素が、あまりに都合がよすぎる。

 偶然とは思えないほどに。

「…………」

 その時ふと、ミゼリアの眉がひそめられたのを、正面に向き直っていたリリアナは気付かなかった。気付いたのは隣にいたエインと、正面からそれを見ていたディアルナとミディールだけである。

「実際、エルジェート様とアルトリウス王の間に接触があったのは事実。勿論、私的なものではなく、公的なもの。しかし、その事実が歪められ、なおかつありもしない密会の話まで出ている始末よ。捨て置くのはまずいを通りこして危険ね」

「……つまり、お母様だけを平和的に連れ出すのは不可能ってことですか」

 リリアナは呟いた。

 巻き込まれるどころか、渦中も渦中、根源そのものにいるエルジェートをブリュドから連れ出すには、この問題を解決するしかない。放置したまま国外に出れば、外交にも悪い影響を及ぼすだろう。少なくとも、間違いなくリュグス家の未来は終わる。

 しかし実質部外者な上に追われる身のリリアナ達にできることはあるのだろうか。

「ま、今後のことは後で考えましょう」

 ディアルナはぱん、と手を叩き、にっこり微笑んだ。

「ひとまず、今日はもうお帰りなさい。話を詰めるのは明日にしましょう」

「……そうですね」

 慣れない交渉で、何だか疲れてしまった。抜けてしまった気もいまいち戻らない。一度帰って仕切り直した方がいいだろう。

「では、お言葉に甘えて、失礼させていただきます。また明日、お邪魔させていただきますわ」

「ええ、ぜひ。あ、でも、その前にひとつ」

 ディアルナの繊手が、ミゼリアに向けられた。

「そちらの可愛い騎士さんをお借りしても?」

「え?」

 ミゼリアが戸惑いの声を上げた。振り向かずとも彼女が困惑した表情を浮かべているのが解って、リリアナは微笑む。

「勿論。むしろこちらからお願いしようと思っていたところですわ」

「ふえ? リ、リリアナ様、あのっ」

 慌てふためくミゼリアを無視し、リリアナは立ち上がる。

「エイン、帰りましょう。ミゼリアはここに残ること。命令よ」

「……はっ」

「そんな……いえ、は、はい」

 一瞬の間を置いて迷いなく返事をしたエインと対照的に、ミゼリアは歯切れが悪かった。

 長い付き合いのリリアナには解る。彼女は心底困っている。困ってだけ、いる。

 悪感情があるわけでも、恥じ入っているわけでもない。現状にどう対処すればいいのか解らず、ただ困惑しているだけ。

 対処法など初めから無いし、する必要も無いというのに。

「では、私はこれでお暇させていただきますわ。我が騎士をよろしくお願いします」

 リリアナは優雅にお辞儀をした。誰がどう見ても、見事なカーテシ―だった。


    ───


 ひとり取り残され、ミゼリアは呆然とした。

 扉をまじまじと眺めてみても、リリアナとエインが戻ってくる様子は無い。遠ざかる気配はあるが。

 ミゼリアはおずおずと振り返った。

 母ディアルナはにこにこと微笑んでいる。ミディールも同様だ。侍女はいつの間にかミゼリアの分の紅茶を淹れていた。

 ──この侍女もミゼリアにとって古馴染みなのだが、昔からどんな状況でもしれっと仕事をこなす女性だった。

 変わらない母と、その周囲の人達。六年前に一度失った光景。

「どうしてずっと立ったままなの?」

 ディアルナは言った。六年前と同じ、とても優しい微笑みだ。

「座りなさい。紅茶が冷めてしまうわ」

「……はい」

 ミゼリアはふらふらと砂を踏む心地でディアルナに従った。

 ミゼリアが座ったのを確認して、ディアルナはミディールと侍女を下がらせた。

 残ったのはミゼリアとディアルナ、ふたりの間に置かれたふたつのティーカップだけである。

 ミゼリアは何も言えない。言葉が見付からない。

 会いたくなかったわけではない。むしろ再会を望んでいた。

 しかし、こうして実際に向き合ってみて、感じるのは不安だけだ。

 言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあるはずなのに、どれもこれも形にならない。

 吐息が喉に詰まるような感覚に、ミゼリアはあえぎそうになるのを必死に耐えた。

 そんな娘の様子を察したのか否か、ディアルナは優しく声をかけた。

「ミゼリア」

「っ……」

「無事で、よかった」

 その瞬間、ミゼリアは考えていた全てを忘れた。

 何を言おうか、何を言うべきか、ぐるぐると回っていた言葉は吹き飛んで、濁流のような感情が胸を占拠する。

 声も無く見つめるミゼリアをディアルナは静かに見返す。それは六年前と全く変わらないもので。

「おかあさま……!」

 ようやく絞り出した声は、震えていた。おまけにかすれていて聞き取りにくく、そもそも口にしたのは母を呼ぶことだけ。

 しかし、ディアルナは正しくその声を聞き取っていた。

「辛かったわね。苦しかったわね。ごめんね、一緒にいられなくてごめんね。ひとりにして、ごめんね」

 ディアルナはミゼリアの傍に歩み寄り、抱き締めた。

 温かい体温。花のような優しい香り。何もかもが六年前そのもので、あまりに記憶通りで、ミゼリアはいつの間にか大声を上げて泣いていた。

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