第十一話 カディスの宿
カディスの宿は、この聖都の中でもかなり古い歴史を持つ宿である。
値段は安いが質はこの都一と言ってよく、客のプライバシーを守ることで有名だ。
しかし、特に目立った特徴のひとつとして、“身元のはっきりとした者”のみを泊まらせるのである。
宿泊客の安全のため──というのが宿側の主張であり、また泊まる客の大半もそう思っている。
しかし、一部の人間はこの宿のもう一つの役割を知っている。身元うんぬんはそのためのものである。
一部──聖騎士団の上層部はこう呼んでいる。“落ち合い所”と。
ミゼリアが父の形見のネックレスを見せると、カディスの宿の主は一瞬泣きそうな顔をして、しかしすぐに接客用の笑顔を見せた。この辺り、さすがはプロである。
「知り合いですか?」
部屋に通され──六人全員を収容してもなお広い立派な部屋だ──荷物を置いて一息をついた時、タリスが尋ねた。
ミゼリアは頷き、目を細めた。
「昔はよく、ここを待ち合わせ場所にしてたんです」
誰との、とは言わなかった。ミゼリアは続けて、夜になるでしょうから少し休みましょう、と言った。
実際ここに来るまで、気を張りっぱなしでまともに休めなかった。
宿に泊まれなかったわけではない。ただ、ここに来るまで安心して休むことができなかったのである。
聖都だからといって安心できるわけではないが、少なくとも今までより安全と言える。
実際、リリアナは旅をしてから一番リラックスした様子だった。
三十分だけ、と言ってリリアナは衝立に囲われたベッドに横になった。
衝立の傍に侍るエインは、座ること無くミゼリアに向き直る。
「さて。ここまで来て、おまえのつてを使うのはいいが、どういうルートを行くつもりだ?」
「まず、隣接しているブリュド国の土地の中で一番安全と考えられるシャルト領を経由します」
シャルト領。ミズル領と同じく神の名を授けられたこの土地は、役割もまた同じだった。
すなわち、神に仕え、奉り、守ること。ただノドバーレイと違い、その背景にはブリュド王家との強い繋がりがある。
ミズル領とシャルト領は昔から往き来があり、交流も長く深い。それにミズル領は半ば独立した土地である。国側に悟られず国外に出るにはこの地の協力が不可欠であり、その中で一番安全なのがシャルト領行きだ。
エインは納得した様子で頷き、しかし疑問を口にした。
「その考えは問題無い。しかし、ミズル領は本当の意味で独立しているのか? 六年前のことで、力が弱まっているのは確かだろう。王国側のてこ入れは無いのか?」
「全く無いとは言い切れませんが、ほぼ無いと見ていいと思います」
「根拠は?」
「上層が、ほとんど代わっていないからです」
ミゼリアは言った。
「タリス殿に確認しました。宗主ディアルナを筆頭に、幹部と呼べる面々に変更は無いそうです。聖騎士団も同様です。もっとも、こちらは幾つか繰り上げがありましたが」
「聖騎士団か……あの騎士団長、顔見知りなんだよな。信用できるのか?」
「彼の心に変わりが無ければ」
ミゼリアは微笑んだ。
「本当は、正面から堂々と行ってもよかったのですが、そうすれば目立たずにはおれません。もし国側に接触が発覚した場合、ミズル領は戦火を免れないでしょう」
「……現国王は、この領さえも攻撃すると?」
「六年前のことを考えれば、確実に」
ミゼリアを強引に王都に引っ張ったことを考えても、目的のために強引な手段を取ることもいとわないだろう。
「それに、そもそも私達はノドバーレイ側にばれずにブリュドに渡りたいのですから、正面きって名乗りたくはなかったのです。多少不自然な接触になってしまいましたが、こればかりはしかたありません」
「ま、それはな」
エインは肩をすくめた。
ミゼリアのやり方は多少無理はあったが、あれ以外のやり方があったかと言われれば難しいところである。
相手は聖騎士団長。正面から面会を求めてもあしらわれてしまうし、ひそかに密書などを渡しても怪しまれるだけ。だからミゼリアが顔を隠した状態で直接接触するしかなかったし、その方法があのやり方しかなかった。
「正直、賭けに近かったのですが……上がほぼ変わっていないのなら、聖都と、聖都のコネクションは信用できます」
ミゼリアがミズル地方を離れる前、ミディールは副団長だった。聖騎士団長は父・ズウェルが兼ねていたから、そのまま跡を継いだのだろう。
「勿論、手の者が入り込んでいる可能性を考えて、可能な限り姿は隠して行動しなければなりませんが」
「ふむ」
エインは腕を組み、黙り込んだ。
「その……何か不満があったでしょうか」
「うん? ……いや、そんなことない」
エインは苦笑を浮かべた。
「おまえの意見には全面的に同意だ。……むしろ、感謝しているぐらいだ。今の俺に、リリアナ様に今後のことを口出す権利は無いからな」
エインはハディウスの戦いで主・サーティスを守れなかった。勿論、その理由は想定外の事態ゆえのことである。しかし、主を守れず自分だけ生き延びたという事実は変えられない。
それはザフィロも同じだったが、この場合、上官であり、サーティスにより近かったエインの方が責任が重い。
合流した時、リリアナにもそれを咎められた。彼女の本心はどうあれ、立場上咎めないわけにはいかなかった。
リリアナは顛末の報告をエインから全て聞かされ、一拍置いて彼の頬を力いっぱいひっぱたいた。
片や戦闘訓練などしたことの無い貴族令嬢、片や戦闘のプロたる騎士である。当然小揺るぎもしなかったが、その行為と、続いた言葉はエインに重くのしかかった。
──今回のことは、これで不問とするわ。でも、二度は無いわよ。
リリアナは、泣いていなかった。父の姿が無い時点で覚悟は決めていたにしても、事実として突き付けられた時点で、崩れ落ちてしまってもおかしくなかったのに、彼女は毅然とした態度で──上位者としての態度で、エインに対峙した。
怒鳴ってしまってもおかしくはなかった。怒り狂って、エインを罵倒しても、残された者として間違ってなかっただろうに。
許されたと素直に受け止めるには、エインは己の行いを理解し過ぎていた。
それから現在に至るまで、エインがリリアナの方針に何かしら意見を言うことは無く、その役割はミゼリアが担うことになっていた。
「俺はしばらく、あの方に何も言えん。引き続き、頼む」
「ご命令とあらば。正式な騎士ではないゆえ、至らぬところが多いかと思いますが──あの、ところで」
話は終わったと判断し、ミゼリアはずっと気になっていたことを口にした。
「レオード様は、どうしてずっと頭を抱えてらっしゃるのでしょうか?」
「……さあ」
レオード以外の視線が、レオード本人へ注がれる。
レオードはなぜか、ミディールの名を聞いてからずっと頭を抱えて冷や汗をかいていた。
ぶつぶつと何やら呟いているようだが、その内容はなぜ、どうして、というもので、全く要領を得ない。そこまで動揺している理由も不明である。
「……ほっとこうぜ。ろくなもん出てきそうにないし、聖騎士団長が来たら嫌でも解るだろ」
ザフィロの言葉に、ミゼリア達は視線を合わせて頷き合った。
全員、嫌な予感しかしなかったが。
───
深夜。たいていの者は寝静まっているだろう時間に、“彼”は訪れた。
控えめなノックに入室を許可すると、彼──ミディールは一行の前に姿を現す。
日中に着ていた白銀の鎧ではなく、質素な服に外套をまとった彼は、しかし、その立ち姿だけで人目を惹く存在感があった。
リリアナのように華やかなわけではなく、生来の品と凜とした雰囲気で相手を魅了する立ち居振る舞いは、どちらかというとミゼリアに通じるものである。
「お初にお目にかかります。ミズル女神に仕えし聖騎士団の団長、ミディールと申します」
ミディールは外套をさばいて膝を着き、頭を下げた。
服は質素なものにも関わらず、彼を騎士だとしらしめ──それ以上に上流階級の存在だと思わせる、そんな無駄の無い動きだった。
「初めまして、ミディール様。リュグス家当主、サーティスが第一子、リリアナと申します」
一方のリリアナも、普段の奔放な姿とは違う、貴族としての仮面を付けて、部屋で一番豪奢な椅子に座っていた。服は手持ちで一番上等のものであるが、それでも平民のそれだ。にも関わらず、それを感じさせない華美な存在感を放っていた。
「部下を使って強引にお呼び立てしまい、まことに申しわけありません。お忙しい中お応えいただき、感謝いたしますわ」
「とんでもない。感謝するのはこちらです。おかげで、懐かしい方にお会いすることができました」
顔を上げたミディールは、微笑んでいた。整ったその顔がミゼリアに向けられたとたん、蕩けるような、泣いてしまいそうな笑顔に変わる。
「……お久しゅうございます、ミゼリア様。お元気そうで、本当によかった……!」
「はい……ミディも、貴方がいてくれて、本当によかった……」
ミゼリアもまた、大きな銀玉の瞳を潤ませた。声も自然と震えてしまう。
旧知のふたりは、しばし無言で互いを見つめ、相手の無事な姿をその目に焼き付けていた。




