第十話 聖都の騎士
がたん、がたん、と音を立てて馬車が揺れている。振動そのものは大したことは無いが、音ばかりはどうしようもない。
その音に混じって、時折馬のいななきが聞こえてくる。鼻を震わせる頻度にリリアナが言った。
「馬、あんまり機嫌よくなさそうね」
「へぇ、すみません」
申し訳なさそうに返事をしたのは、馬車の持ち主である商人、モルグだった。
モルグもまた、タリスと同じ“手足”で、普段は衣服と装飾品を中心とした品物を扱っている。大手ではないが、その筋では品質のよさで有名らしい。
ミゼリア、リリアナ、タリスの三人。それに加えてザフィロ、エイン、そしてレコキウスの将軍レオードは、モルグの手を借りてミズル地方を目指していた。
なぜミズル地方を目指すのか。それは地理と出国に理由があった。
ミズル地方は隣国ブリュドとの国境に面している。ほかにも国境に面した領はあるが、お尋ね者とも言える一行が通るには障害が多すぎた。
その点、ミズル地方は味方となる可能性が高い。少なくとも一行を売るようなことはしないだろう。
なにせミズル地方はミゼリアの故郷であり、ミズル領を治めるのはミゼリアの母なのだから。
上記のような理由をミゼリアから説明されて一番驚いたのは、当然と言うべきかレオードだった。
レオードは先のハディウスで起きた乱戦をザフィロ、エインと共に脱出し、ここまで逃れてきたらしい。自軍はほぼ壊滅、レコキウスに戻ろうにも直接の国境にひとりで行くのはあまりに危険、慣れない土地をひとり動き回るのも自殺行為──ならばとザフィロとエインに付いてきたらしい。
なぜ一緒に行動していたのかという疑問は解けたが、なし崩しとはいえ大胆なのか勝手なのかよく解らない結論に、ミゼリアとタリスは脱力した。
リリアナだけはなるほどと感心して手を打っていたが。
当然のようにミズル領にも付いてくることになり、結果としてミゼリアの素性を語ることになったのである。最終的に知ることになるなら、早いうちに話すことで秘匿に対する不信感を無くそうというミゼリアの判断だった。
実際説明もかなり楽になったので、この選択は間違いではなかったのだろう。
そうして六人になった旅連れであるが、当然の問題が発生した。
六人というのは、数そのものは多くないが、集まれば当然目立つ。
この旅の前提として、まず人目を引くことは避けなければならない。三人の時はさほど苦労はしなかった──ひときわ目立つミゼリアとリリアナの容姿はフードでなんとかなっていたし、三人という数はそこまで目立つことはなかったのだ。
だがその倍、六人旅となれば話は違ってくる。
六人となると少人数の商隊か下級貴族のお忍びのどちらかとなるが、馬車も大した荷物も無いのに商隊にも貴族一行にも見えない。
もし装うとしたら貴族一行が一番やりやすいが、そちらだとかなりまずい状況になる。
貴族というのは、大小関係無く格式や体面などに気を遣わねばならない存在である。
たとえお忍びであったとしてもほかの貴族の領を通る以上、そこの貴族にあいさつしなければならない。しなければ礼儀知らずと言われ、気の短い貴族なら不審者と判断されて処されてしまうこともある。
だがリリアナは、その貴族の通例を無視しなければならない。そもそも領主に気取られること自体論外である。
ならばどうするかと悩んだ一行の中、ミゼリアだけはごく普通の調子で問うた。
「タリス殿、“手足”の中には行商を行う者はいないのですか?」
ミゼリアの質問は、彼女にとってはむしろ確認に近かった。
主にとって利益となる情報を集める“手足”。種類にもよるが、効率よく、質の高い情報を集めるには商人という職業は最適だった。
ましてやリュグス家は代々交易事業を行ってきた一族。商いを情報収集に使うのは自然なことのはずである。
問われたタリスは二、三度瞬きをした後、頷いた。
「はい、確かにいます。……ああ、なるほど、そういうことですか」
タリスは考えるように僅かにうつむいた。
ミゼリアは、“手足”を使って行商に変装し、ミズル領まで行こうと考えたのである。それなら多人数でも問題無いし、ひとりでも本物の商人がいれば装うのに不安は無い。武装していても、護衛で通すことができる。
その後のタリスの行動は早かった。近くを拠点に商いをしているモルグに話を付け、馬車での旅となったわけである。
その馬車を引く馬の機嫌がかんばしくない、とリリアナは言ったのだ。
持ち主であるモルグは、豊かな髭の生えた丸顔に大げさなほどの落ち込んだ表情をしてみせ、頭を下げた。対し、リリアナは苦笑を浮かべる。
「責めちゃいないわよ。この天気じゃしかたがないわ」
見上げた空は、灰色をしていた。正確には、灰色の雲に覆われていた。今にも大粒の雨が降りそうである。
出発してから十日、遠回りしたり幾つか危ない橋は渡ったものの、一行はすでにミズル領に入っている。目的地である聖都ヴァルキアは目前だ。
急かすつもりはないが、雨が降るなら本降りになる前に聖都に入るべきかもしれない。ミゼリアは幌の隙間から外を眺め、ぼんやりと考えていた。
腕の中には、黒衣の男が置いていった剣がある。鞘代わりに革布を巻いていた。モルグの扱う商品に武装は含まれていないため、鞘を用意できなかったのだ。道中で買ってもよかったが、残り少ない路銀をそんなことに使いたくなかった。
一番いいのは、剣を捨ててしまうことなのは解っている。
リリアナ達は何も言わないが──ザフィロだけは猛反発していた──なぜ自分では扱えない重い剣を持ち続けるのか疑問に思っていることだろう。ミゼリア自身、なぜ捨てられないのかと首を傾げている。
本当は──解っている。ミゼリアが剣を捨てられないのは、黒衣の男に対する情を捨てられないせいだ。
十日前のあの日、黒衣の男が敵であることがはっきりとした。もともと疑惑はあったが、それが確定してしまったのである。
それがミゼリアにどれだけの衝撃だったか、本人も未だ処理できないほどだ。ミゼリアが思っていたより、彼女の黒衣の男に対する気持ちの比重は大きかったのである。
剣を捨てないのは、黒衣の男と再会した時、彼に剣を返すためだ。そうすれば、少しでも彼と話せるのではないか、と考えてしまった。
あまりに愚かしい考えだった。特別な部分など何も無い剣などとっくに代わりのものを用意しているだろうし、敵対者と話すことなど持ち合わせているはずがない。
あの夜別れた時点で、黒衣の男との友好的な対話の機会は失われてしまったのだ。
諦めるべきなのは解っている。彼とはもう、敵対する未来しか無い。
なのに、どうして。
──どうして私は、彼を信じたいと思っているのでしょう。
あまりに愚か。
あまりに無意味。
黒衣の男に信じるに足る要素は一切無いのだから。
制御しがたい気持ちを持て余して、ミゼリアはため息をついた。
その様子を複雑な表情でザフィロが見ていることなど、気付きもしないで。
───
幸い雨に降られることはなく、一行は無事聖都にたどり着くことができた。
聖都は高い城壁に囲まれた円形の街だ。中心にミズル女神を祀る聖堂が建てられ、それを囲うように内から住宅地、市場、宿泊施設や外からの物品の交易施設と大まかに三重構造となっている。
三重構造、とはいえ、間に壁があるわけではなく、その境界は明確に引かれているわけではない。ただ、その区分は都市の設計当初からあったという。
この構造は王都と同様のものである。というより、王都が聖都を手本に造られたのだ。
重厚な鉄門を抜けてまず、一行は荷物――商品を片付けることにした。
モルグの商い相手は中流以上の平民、あるいは下級貴族だ。
商人であるモルグの連れとして共に行動してきた一行だが、その取引まで一緒にするわけにはいかない。
「そういうわけで、私はここでお別れです」
「そう……残念ね」
「いえいえ。リリアナ様のお役に立てましたし、この上寂しがってもらえるなんて、望外の喜びですなあ」
モルグは人好きのする笑みを浮かべた後、ふと表情を改めた。
「リリアナ様、私は商人です。商人は利益のために動く生き物です。それは私も変わりゃしません」
「……承知してるわ」
「今回リリアナ様をお助けしたのは、“手足”であるからと同時に、利益がある、と踏んだからです」
モルグは声をひそめた。
「リリアナ様の目的、成功すれば莫大な利益になりやしょう。勿論、そのための資金や必要なものは可能な限り融通します。しかし、不利益だと判断した場合――元を取る形で手を引きます。ご了承ください」
「……解った。せいぜいお金になる行動を示してみせるわ」
リリアナが重々しく頷くと、モルグは嬉しそうな顔で別れを告げ、取引先へと向かっていった。
それを見送ったリリアナは、ミゼリアを振り返る。
「それで? ここまで連れてきたのだもの、この後のことも考えているのよね?」
「はい。ひとまず、都の中心に参りましょう」
ミゼリアはフードを被り直した。
ミゼリアが聖都で過ごしていたのは六年前までだ。それにミズル領を守護する騎士が常駐する城──六年前、あの血の惨劇が起きたミジェーラ城と頻繁に往き来していた。ミゼリアの顔を覚えている者は、そう多くないかもしれない。
しかし、それはあくまで予想。ミゼリアがそう思っているだけで、覚えている者が一定以上いる可能性がある。
そうでなくとも、ミゼリアの髪と瞳は非常に目立つ。この色だけで“ディアルナの娘”だとばれる恐れがあった。それは本意ではない。少なくとも、今は。
人目を避ける必要があるのは、この聖都内でも変わりないのだから。
「まずは、聖騎士団の宿舎近くに行きましょう。そこである人と接触します」
「接触、ねぇ」
「接触というより、待ち伏せに近いかもしれません」
ほとんど行き当たりばったりだが、彼と接触するにはこれしかない。
「待ち伏せか……しかし、誰を待ち伏せるつもりだ?」
エインが厳しい顔をミゼリアに向けた。睨むような形相だが、彼の場合これがデフォルトである。
「信頼の置ける騎士に、ひとりあてがあります」
ミゼリアは目を細める。
“彼”が変わりないのなら、今もまだここにいはずだ。
───
聖騎士団とは、神に仕え、神の教えを戒めとした、神を守るための騎士達である。
ノドバーレイを含む周辺国家は同一の神話を信仰する多神教である。ノドバーレイで特に信仰されているのはミズル女神であるが、そのほかにも最高神ニズファウス、騎士神でミズル女神と双子だと言われるシャルト神、死と夜を司るタロース神、勝利と戦士を重んじるアースラ神など、多くの神が信仰され、大小幾つもの神殿が建てられており、大きな神殿では守護のための騎士が常駐していることが多い。
特に大きな神殿は、騎士団がいるのが当たり前となっている。小さな神殿では大抵、神官が騎士を兼ねているが、騎士団がある神殿ではその役割が明確に分けられている。すなわち、戦闘を専門に訓練した立派な戦力である。
ましてや都市ひとつ──それどころか領地ひとつを護る騎士団となると、その数は数百から千以上になった。
特にミズル女神を含む戦事を司る神に仕える聖騎士団となると、充分な脅威となり得る。
ミズル女神に仕える聖騎士団は、六年前の悲劇により大幅な人員減少と入れ替えを余儀なくされ、全体的な戦力は六年前以前より下がってしまったが、彼らが高い実力と確かな信仰心を持った一団であることには変わりない。
その聖騎士団の騎士舎に、五人の聖騎士を引き連れた男が入ろうとしていた。
まばゆい金髪にすっと通った鼻筋、若々しい面立ちは白皙の美貌と呼ぶにふさわしい。長身で細身だが、引き締まった身体を白銀の甲冑に包み、涼しげな碧眼をまっすぐ前に向ける姿は、大衆が想像する理想の騎士そのものだった。
その聖騎士の足下に、果物が転がってきた。ひとつではない。色とりどりの果物を落としたらしいその人物は、慌てた様子でそれらを追いかけていた。
「申しわけありません」
外套のフードを目深に被ったその人物は、声からして年若い女性のようだった。服装を見るにおそらく旅人、手に底の抜けた紙袋を持ったまま、連れの青年と共に果物をかき集めている。
「大丈夫ですか?」
一方の聖騎士も、足下まで転がった果物を拾い上げ、旅人に差し出す。ついでに手近に落ちている果物を拾うのも忘れない。
旅人ふたりは恐縮したように身をすくめ、部下達は慌てた。
「ミ、ミディール様、そのようなことっ」
「私は彼らの手伝いをしているだけだ。おかしなことは何も無い」
周囲の果物を拾い終わった聖騎士──ミディールはそう返し、フードの旅人に声をかけた。
「お嬢さん、代わりの袋はお持ちですか?」
「……持っていません」
フードの旅人は心底困ったような声を上げた。
間近で見ると、まだ少女と言っていい年齢のようだった。
フードで顔立ちは判然としないが、僅かに見える華奢で白い顎、桃色に色付いた唇、滑らかな頬。おそらくは相当の美少女であろう。
ミディールは感嘆を押しとどめ、部下を振り返った。
「代わりの袋を見繕ってきてくれ。なるべく早く」
「そうおっしゃると思いましたので、もう行かせました」
そう答えたのは、ミディールの副官である。年嵩の彼の言う通り、確かにひとり足りない。
ミディールは満足げに頷くと、旅人に微笑みかけた。
「少々お待ちください。今代わりのものをお持ちしますので」
「ありがとうございます」
旅人は控えめに微笑んだ。綺麗な弧を描く桃色の唇は、ただそれだけで品があり、笑みを儚くも愛らしく彩っている。
不思議な印象の旅人だった。何より不思議なのは、それがとても懐かしく感じることだった。
まさか、と身を乗り出しかけたミディールの視界に、旅人の瞳が映った。
丁寧に磨かれたかのごとき銀玉の煌めきにミディールが目を見開くより早く、旅人が彼にしか聞こえないような声をかけた。
「あいかわらず優しいのですね、ミディは」
その言葉にミディールの瞳が揺れたことに気付いたのは、彼自身と旅人だけだろう。
ミディールが何か言う前に、部下が戻ってきた。
「袋、持ってきました。これで大丈夫ですか?」
「──ああ、ありがとう」
受け取った袋に持っていた果物を入れながら、ミディールは旅人に尋ねる。
「宿は決めているのですか?」
「いいえ。決める前に、大聖堂を見ておきたくて」
少女は視線を上げた。
宿舎と大聖堂は目と鼻の先にある。見上げれば自然、大聖堂を仰ぎ見る形になった。
「そうですか。でしたらカディスの宿に行ってみてください。値段は安いですが、食事もおいしくて防犯対策もしっかりしてます。まあ聖都で犯罪を起こす者など、いるわけありませんが」
ふたりのやり取りはどこまでも穏やかである。部下達はいつものことと慣れているのか表情も変えず、旅人の連れの青年だけが渋い顔になっていた。
「カディスの宿ですね。行ってみます」
「ええ。では、貴女がたに、ミズル女神の導きがあらんことを」
「ありがとうございます」
最後に綺麗に頭を下げて、旅人は青年を連れて立ち去っていった。
その後ろ姿は粗末な外套をまとっているのが不自然なほど洗練されていて、貴族の令嬢を見送るような気分を彼らに思い起こさせた。




