(短編)雪の檻 ─ 3,000文字
深々と雪の降る寒い月夜、小高い丘の上にある豪邸の中で男と女はソファーで肩を寄せ合っていた。
男の名は小森隆。
女の名は小森雪。
二人はこの豪邸に住む新婚の夫婦であった。
「今日も雪が降り積もってるわね」
「今日と言うか結婚してからずっとだな」
「この雪、何時になったら止むのかしら?」
「さあ、何時になったら止むんだろうな」
「これじゃ車が出せないから外には出れないわね」
隆がソファーから立ち上がり大きな羽目殺しの窓のガラス越しに外を見ると、庭には1m弱ほどの雪が降り積もり、その先には丘の下の雪に埋もれた天の川のような街の明かりがチラチラと輝いて見えた。
「まあ、どんなに雪が降っても出かける必要が無いから困らないだろ? 僕の仕事も在宅で済む仕事だし」
「確かにあなたの仕事は家から出ないでネットだけで済むし、食品も雑貨もネットで注文すれば次の日には届く時代ですから出掛けられなくても困らないですけど」
「僕が君の横に居るだけじゃ不満かな?」
「いいえ、あなただけで十分ですよ」
二人はソファーの上で肩を抱き合い、口ずけを交わす。
口ずけが終わり隆が壁掛け時計の時間を見ると午後8時になっていた。
「もう8時か。そろそろ夕飯にするか」
「そうですね。エミリー食事お願い」
その声を聞いた若い女の子が部屋のドアを開け広いリビングの中に入ってきた。
透き通るような白い肌で真っ黒なロングヘアと瞳を持つゴスロリ風のメイド服を着たメイドさんだった。
「少々お待ちください。すぐに作ります」
そう言うとすぐにドアから出て行く。
3分もせずにステンレスの車輪付きワゴンに夕飯を載せて戻って来た。
エミリーと呼ばれるメイドは、手馴れた手付きでリビング隅のテーブルに食事を並べ、頭を軽く下げながら言った。
「旦那様。お食事のご用意が出来ました」
「いつも済まない。ありがとう」
エミリーはその言葉を聞くと部屋の角で直立不動で立った。
食事は小牛の赤ワイン煮とサラダ、そしてパンだけだ。
どれも一流シェフが作ったんじゃないかと思うほど美味しい。
これをエミリー一人で毎日作っているのだ。
新婚当初はもっと食事の品数が多かったのだが、この雪の中にずっと閉じ込められてるせいか運動不足がたたってジム室の機械トレーニングだけでは体重が増えてしまったので妻の雪の提案で食事の量を減らしてもらう事にした。
食事だけではない。
この豪邸の掃除や洗濯等の家事全てを一人でこなしているとても優秀なメイドロボットだ。
食事が済んで席を立ってソファーに戻ると、皿の片付け途中にエミリーが停止してしまった。
「どうしたんだ?」
「故障ですかね?」
雪が心配そうにエミリーを見たが、何処が故障してるのか解らなかった。
隆が背中のパネルを開けてディスプレイコンソールを調べてみると、どうやらバッテリーの残量警告が0を示してスリープモードに入ってしまっているようだ。
「故障じゃ無いみたいだ。電池が切れてるだけだな」
「最近雪ばっかりで日差しが弱かったから充電出来ずにバッテリーが切れてしまったんですね」
「とりあえず窓際に運んで置いて、日差しが差し込むのを待つしかないか」
隆はエミリーを抱きかかえると食事を持ってきたワゴンの上に載せエミリーを窓際に運んだ。
「エミリーが居なくなってしまったんだが、食事や家事はどうするかな」
「そうね、掃除は我慢するとして食事はどうしましょうか?」
「ネットで注文するしかないな。まあこの雪の中でも明日の昼には届くだろう」
隆はリモコンを操作してコンソールを呼び出すと手馴れた手付きで食事とエミリーの充電用照明を注文した。注文を確定する寸前、部屋の照明が落ちた。部屋の中が漆黒の闇で覆いつくされる。
「きゃー!」
「落ち着け! 単なる停電だ。大丈夫だ。俺が居る」
「でもあなた。真っ暗で怖いです」
「大丈夫。窓から輝く街の光が差し込んで……」
窓の外も漆黒の闇であった。
輝いていた街の光が見えない。
雪雲を通して差し込んでた月夜も見当たらない。
「参ったな。外も停電のようで真っ暗だ」
「あなた怖い」
「大丈夫。俺が居るから」
隆は雪の肩をぎゅっと抱きしめ、二人は漆黒の闇の中ソファーの上で肩を抱き合った。
でも、体は温まることは無くむしろ寒さが襲ってくる。
「寒い」
「空調も止まってしまったようだな。まるで氷の中に居るようだ」
「どんどん寒くなるわね。私たち凍え死んじゃうの?」
「だいじょうぶ。朝になったら雪が降っていても薄日が差し込むから気温は上がる。心配するな」
「でも、朝までだいぶ有るわよ」
「寝室に戻ってベットの中で布団に包まっていれば大丈夫さ」
部屋を出ようとすると、ドアの電源が落ちたせいでロックされて開かなかった。
「ドアも閉じられてるのかよ!」
「寒い」
真っ暗闇の中でも、雪の体が寒さのせいで体中鳥肌が立っているのが解る。
特に背中や腕がかなり冷たくなってきてる。
このままこの部屋に居たら雪が凍え死んでしまう。
移動するなら早い方がいい。
隆は決断をした。
「仕方ない、窓ガラスを割って庭を経由して寝室に戻ろう」
「はい……」
雪の声には寒さのせいか生気が無かった。
隆はエミリーを載せているワゴンからエミリーを降ろすと、窓ガラスに思いっきり叩きつけた。
ガラスは大きな音を立てて割れた。
「よし! 窓が割れたぞ! 外に出るぞ!」
隆は雪を背負った。
雪の体はかなり冷たくなり、隆の何も着てない背中にひんやりとした雪の胸の感触が伝わる。
寒さで急激に体力を消耗している雪を背負い、窓の外に出る。
「!?」
だが、出れなかった。
窓の外に出ようとしたら、何か壁のようなものにぶち当たって出れない。
窓ガラスのあった場所には壁のようなものがあり、隆が外に出るのを拒んでいた。
「どうなってるんだよ! 何で出れないんだよ! 何があるんだよ!」
漆黒の闇の中では何が起こっているのか解らない。
「明かりさえあれば……」
足に何か当たった。
電源不足でスリープモードになったエミリーだ。
「スリープモードならまだ電源は残ってるはずだ。電源をショートさせれば火ぐらい起せるかもしれない!」
闇の中で手探りでエミリーの背中のパネルを開け、コンソールらしき物を足の裏で滅茶苦茶に踏み潰す。
何か尖った物を踏みつけたのか、激痛とぬめっとした血の感触が足の裏を襲う。
でも、そんな事を気にしてるわけにはいかない。
隆は構わずコンソールを踏み潰し続けた。
──バキ!
大きな音と共に何かが割れる音が漆黒の部屋に響いた。
どうやらエミリーのコンソールが割れたようだ。
隆は割れたコンソールを取り除くと、内部のケーブルを引っ張り出しショートさせた。
バチバチと大きな音と共にショートしたバッテリーに火がつきエミリーの内部が燃え上がり、炎が辺りを照らした。
「なんだこれは!」
窓だと思ってた部分にはなにやら液晶ディスプレイの残骸のようなものがはめ込まれていた。
「に、庭は何処に行ったんだ? この部屋は一体どうなってる! まさか俺はディスプレイに表示された庭の映像を庭と思い込んでたのか?」
すぐにエミリーの中で燻ぶっていた炎が消え、辺りは再び漆黒の闇で覆いつくされた。
──翌日
「あちゃー! この部屋の動物も凍え死んでますよ!」
「まいったなー! 昨日の停電で殆ど全滅じゃないか。どうするんだよ」
「これが原因で冬のボーナス無しとか無いですよね?」
「そんな事有ったら、労組が大暴れするぞ。まあ、このぐらいの事でこの絶滅種動物園が潰れることは無いから安心して作業を進めろ。3日も有ればマスター標本からDNA複製して営業再開さ。さー早く死骸を片付けるんだ!」
「ういーっす!」
職員は8本の触手をくねらせながら、氷点下80℃の檻の中で死骸となった人間を可燃物ゴミの袋に詰めた。