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奇跡

作者: 火渡ユウ

 綺麗な景色を見ると、彼と一緒に見られたら……って思う。でも、私はそれが叶わないことを熟知している。なぜなら、彼のすべてを知る代わりに、彼に会う資格を失ったから。


 通勤途中で、携帯の電源を入れれば、ロック画面に彼が映る。それを解除すれば、彼の笑顔が背景に映る。会社に行くのが嫌でも、私の一日は明るい気分で始まる。

 会社のデスクには、パソコンとマグカップ、そして彼の写真を立て掛けている。仕事で疲れたときや、息詰まったときは、休憩しながら彼を見つめる。すると、自然と笑顔がこぼれた。

 帰宅すれば、机の上に飾った彼の写真が、笑顔で迎えてくれる。彼につられて、私も笑顔になる。


 彼を見られるだけで、幸せ。そう思うことによって、心の底にある寂しさには、気付かないようにしていた。

 でも、それが一気に溢れ出す出来事が起きた。


 12月の上旬、帰宅するために最寄り駅で電車から降りた。外に出ると、冷たい空気が肌に触れる。そろそろ雪が降る、と天気予報士が言っていたことを思い出す。初雪を彼と一緒に見られたら、と考えながら、夜空を見上げた。


 人がおらず、真っ暗な狭い自転車置き場で、鍵を解除しようと手を伸ばした。そのとき、肩を軽く叩かれた。会社や地元にも友達がいない私を、誰が叩くのだろうか。振り返ったら、見知らぬ40代の男性が立っていた。


「君は僕の運命の人です! 付き合ってください!」


 怖い、そう思った。同時に、助けて、と願った。


「ご、ごめんなさい、運命の人は他の人にしてください……」


 なるべく相手を刺激しないように、やんわりと断った。周りに人はいなかったので、大声をあげても誰も来ないと思った。いや、声を上げる勇気がなかった。


「それなら、僕のメールアドレスを教えるから!」


 ごめんなさい、ごめんなさい、そう何度も断り続けて、ようやく男は走り去って行った。私はそこで、力が抜けてサドルに手をかけた。本当に、怖かった。もし男が凶器を持っていたら、私は死んでいたかもしれない。考えば考える程、最悪な方向へ向かっていく。


 彼が何かに怯えるなら、私が守りたい。彼がつらいときは、私が支えたい。そう考えたことはあるけれど、彼に守ってほしい、支えてほしいって、こんなに強く願うことはなかった。大好きな彼に会えなくてもいい。私は独りでも生きていける、と信じていたから。

 だが少なくとも、今は無理だった。彼が映る携帯を胸にぐっと握りしめて、助けて、と願った。そんなことをしても、結果はわかってる。私の願いは届かず、叶わない。


 家に帰ったら、鍵を二重に閉めた。肩の気持ち悪い触感を消す為、すぐに風呂に入る。頭の中から消そうとしても、それは無謀なことだった。思い出すだけでも、怖かった。

 風呂から上がって、机の前に座った。彼はいつもと変わらない笑顔で、私を迎えてくれる。たったそれだけなのに、我慢していたものが鉄砲水のように溢れ出て、涙が出た。

 人恋しくて、孤独であることが心細かった。寂しさと切なさ、それに苦痛が加わって、胸が強く締め付けられた。


 私は、彼の名前、血液型、誕生日、好きなことや嫌いなこと、彼の居場所も知っている。彼を知ることに比例して、彼への想いは強くなっていった。でも、私が彼を想おうが、彼が私を知ることはない。同じ景色を見ることもなければ、傍にいることもできない。この想いを拒まれることはないけれど、叶うこともない。

 そんな生活で良かった。片想いでも、死ぬまで想い続けると決めた。決めたはずなのに……。


 翌日、私は出社した。誰もいない部屋に「いってきます」と告げて、家を出た。自転車を使わず、早歩きで駅に向かった。

 携帯電話の画面に映る彼を見られれば、幸せな気分に浸れるはずだった。今は、寂しさを強く感じる。こんな現実を生きるのは、苦しい。


 今日は、一日が長く感じた。暗くなる前に帰ろうと、私は退社した。そのとき、男性の上司が駆けつけて来て、一緒に帰ろうと言ってくれた。いつもなら、断っていただろう。でも、あの恐怖に勝つことはできなくて、その誘いに応じた。そして、上司との帰りはストーカーを気にせずに歩くことができた。話が途切れないよう、上司が気を遣って話し続けてくれたからかもしれない。そうして、私の家まで送ってくれた上司に、24日に出かけようと誘われた。

 その意味を何となく感じ取り、私は曖昧な返事をしながら、別れた。


 12月24日は、クリスマス。いつもは彼を想いながら、一人でフライドチキンを食べたり、彼と一緒ならどう過ごそうかと考えたりして過ごしていた。

 はっきり断ればよかったのに、それができなかった。あの出来事のせいで、孤独は寂しいことだと知ってしまった。どうすればいいのかわからず、とりあえず、誘いに応じることを決めた。


 その日は、思ったよりも早く来た。おしゃれな噴水の前で待ち合わせ、家族連れや恋人たちで賑わう都会を歩いたり、高級なレストランで食事を楽しんだりした。その後、家まで送ってくれた彼が、私の後ろ手を引いて、告白してくれた。ずっと前から好きだ、と。

 もしかしたら、と考えていたことが現実になってしまった。私は何も言えないまま、黙るしかなかった。今日は、楽しく過ごせた。それは事実だけれど、どこかで心寂しさを感じた。会社の上司で、頼りがいがあって、気遣いができる人であることは十分知っている。でも相手は、好きな人(カレ)じゃない。


「返事は、また今度でいいよ。じゃあ、俺は――」

「ごめんなさい」


 考える期間を延ばしても、良いことはない。それに、結果は同じだったはず。やっぱり、付き合うなら彼じゃなきゃダメだ。それが無理なことを熟知しているけれど、心が求めるのは上司じゃない。彼だ。

 上司が笑みを浮かべて、わかったと言ってくれた。そして上司は、踵を返した。


 申し訳ない気持ちは残っている。それでも、この決断に後悔はしていない。私は玄関の鍵を開けて、すぐに閉めた。靴を脱いで部屋に入れば、大好きな彼の笑顔が私を迎えてくれた。

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