【 回想 】
それは先日の事だ。
動物園から帰ってきた七塚先輩は余韻が残っていたのかワクワク気分が抜けず終始ご機嫌だった。
ベッドに座る七塚先輩はレッサーパンダのぬいぐるみを抱きしめ幸せそうな笑顔で頬ずりしていた。
お土産コーナーに立ち寄った際、七塚先輩はこのぬいぐるみを見つけると子供の様に瞳を輝かせ、その眼差しを僕に向けては『桐崎君、これ買ってくれる?』なんてことを言って来た。だから、僕は聞いた
「命令、ですか?」
「違うわ、お願いよ」
七塚先輩はニコリと笑いながらそう言った。
『命令』と『お願い』
二つの何が違うんだろう?似ている様で違う。
わからないけれど七塚先輩に『お願い』された僕は、なけなしのお金を出してぬいぐるみを買ってあげたわけだ。女の子からこんな形で物を買ってと頼まれて買ってあげるのは恐らくこれが初めてだろう。
『ありがとう、大事にするわ』そう言った七塚先輩の言葉がこそばゆくて今でも頭に残る。
思いのほか値が高く出費は大きかったけれど。おかげで家賃代はギリギリ。
でも、七塚先輩が喜んでくれたみたいだから僕はそれでいいと思った。けれど翌日、朝から七塚先輩は機嫌が悪かった。別に僕が何をしたわけでもないのだけれど、機嫌が悪かった。
あんなにはしゃいでいた姿はどこにいったのだろうと思ってしまう程に態度が違う。
いつもの様に『おはよう♪』と笑顔で言うこともない。
いつもの様に『御飯できたよ♪』と言いながら笑顔でペットフードを持って来ることもない。
いつもの様に『着替えないの?』とお構いなしに着替えることもない。
いつもの様に『着けよっか♪』と嬉しそうな笑顔で僕に首輪を着けることもない。
いつもの様に……
そう思うということは、こんなおかしな日常が僕にとっては常識となってしまっていたのかもしれない。
学校へ向う途中七塚先輩は何故か笑顔で僕に『ありがとう』と言ってきた。
いつもは言わない様なそんな言葉、言われた意味も分からず僕は『はい』と相槌を打つことしか出来なかったが、その日七塚先輩は学校が終わってもアパートに帰ることはなく、翌日の学校にも登校してこなかった。
☆
一人には慣れている。
嫌われることだって慣れている。
全部慣れているはずなのに、どうして落ち着かないんだろう?
何でこんなにも一人で居ることが落ち着かないのだろうか?
学校から帰った僕はアパートで一人そんな事を考える。
別に元々は一人暮らしだったわけだから、これが普通なんだろう。けれど、一人の部屋がこんなにも広いと感じたのは初めてだ。
(僕は何を思っているんだ?)
いつも帰ればベッドに座りながら『おかえり』と僕を笑顔で迎えてくれる七塚先輩の姿は無く、あるのは空っぽで何もないシンプルなパイプベッドだけ。
キッチンに視線を向ければ『お腹空いた?』と問い返してくれる姿がある様な気がする。
でも、そんな姿はどこにもない。昨日まではあんな嬉しそうにはしゃいでいたのに
「ん?」
僕はベッドに視線を向けると、あるものが眼に止まった
(……これって?)
視線の先にあったのはベッドの片隅にさびしそうにポツンと置いてあるレッサーパンダのぬいぐるみだった。
僕はぬいぐるみを拾い上げる
「僕が買ってあげたやつじゃ…… ん?」
そう思う僕だが何かが違う
ぬいぐるみを回すように良く見ると、七塚先輩に買ってあげた物と首輪の色が違った。
七塚先輩に渡したぬいぐるみの色は『赤』ここに置いてあるパンダが着けている首輪の色は『青』だった。
七塚先輩が僕に着ける為と言い買った首輪の色と同じ。
ぬいぐるみを持ちながら僕は疑問に思っていた。
(一つしか買っていなかったはずじゃ? でも、僕が買った物じゃないし)
「もしかして…… 七塚先輩が?」
いつ、どうして、こんなものを買っていたのかわからない。
ぬいぐるみを見つめると七塚先輩の笑顔が浮かんでしまうのは何故なんだろう?
周りを見渡すがもう一つの七塚先輩に上げたパンダのぬいぐるみはどこにも無い。
(七塚先輩のぬいぐるみが無い?)
そこで僕は気付く
朝まではそこにあったはずの、ぬいぐるみがどこにも無いということは僕が帰ってくる前に七塚先輩は一度、このアパートへ取りに戻っていたんだ。ついさっき、ここに来ていたんだ。
そう思っただけで、僕の中には急に寂しさと悔しさが同時に押し寄せてくる。
どうやら僕は、自分でも気付かない内に七塚先輩の姿を探していたようだ。