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五十年。それはとても長く、彼女の心を緩やかに蝕んでいくには十分すぎた。己を正気だと信じ込まなければいけないほどに。
五十年前、彼女はこの国の侯爵家の長女として生を受け、この国の王子と婚約していた。
薄く明るい茶色の髪に緑の瞳の美しい少女だった彼女は、婚約していた王子とは相思相愛の仲で、将来は良い国母となると期待されていた。
しかしそれはある日を境に崩れ去る。
五十年前のあの日、今回の騒動と似た事件が起こった。騒動の中心は元平民の少女。
伯爵家の庶子で、平民の母親が亡くなり伯爵家に引きとられた当時十七歳の令嬢だった。
彼女は可憐な見た目と天真爛漫な性格で、数多の貴族令息を虜にしていき、その手腕は見事としかいえないものだった。
そしてその魔の手は、婚約していた王子にも伸ばされる。
当時王子は王太子の立場を得ていた。当然責任は重く、責務に押しつぶされそうになることも多かった。その僅かな隙間を令嬢は狙い、見事に王子を陥落させてしまったのだ。
そしてそれを諌めようとした彼女は、逆手を取られ自分たちを引き裂く悪役として断罪されてしまう。ただ諌めていただけなのに。
悪役に仕立てられた彼女に救いの手を差し伸べてくれる者はおらず、彼女はある魔法をかけられ修道院へと送られることとなった。
それから三年。事態は急展開する。
それは王太子妃となった庶子の伯爵令嬢が第一王女を出産したことが発端。その赤子は王家の特徴の紫の瞳を持たなかったのだ。
それどころか、両親のどちらにも似ていなかった。そして父親が判明する。
赤子の父親は王太子補佐官。そしてかつて王太子妃の恋人の一人だった男だった。
しかも令嬢時代から今まで、密かに関係を続けていたということが判明したのである。そればかりか、王太子妃が愛用していた香にはある成分が含まれていることも判った。
その香には纏う人間を魅力的に見せる幻覚作用があるらしく、長時間吸い込むとその人物の事しか考えられなくなるらしい。
つまり彼女は計画的に男たちに近づき、地位も権力もある王子に狙いを定め、残りは浮気相手として秘密裏につき合っていたのだ。
そのことを知った王家、とりわけ王太子だった王子は絶望と同時に激高した。
その矛先は王太子妃と浮気相手、そして産まれてきたばかりの王女に向けられた。
王太子妃の実家は取り潰し。浮気相手の家も爵位が下がるなりした。王女は孤児として修道院へ預けたのちに、平民の夫婦の元で育てられることとなった。
そして元凶の王太子妃は、地位をはく奪の上、王家を謀った末の賠償金が払えないことで借金奴隷として娼館へと売られることが決定した。
しかし話はそこで終わらなかった。
元婚約者の令嬢を修道院から引き取ろうとした。そこである事実が判明する。
元令嬢は修道院へは来ていなかったのだ。それどころか、断罪以降の足取りが全くなかった。
修道院でひっそり過ごしているとばかり思っていた王子は、必死に最愛だった令嬢を探しだし、そして見つけた。ある娼館に最上級娼婦として。
皮肉なことに、その娼館は元王太子妃の庶子が売られる予定の店だった。
どういった経緯で娼館に行くことになったのか分からなかったが、おそらく件の庶子が関係していたのだろう。
再会した元令嬢は王子を見るなり錯乱し、そしてバルコニーから身投げしてしまう。
幸い下にいた人間に抱きとめられ大事には至らなかったが、王子には何もかもが衝撃でそして過去の自分を呪うほど恨んだ。
恨んで恨んで、そこで思い出してしまう。令嬢にかけた魔法を。
この国には稀に魔法を使える人間が生れてくる。しかし魔法は万能ではなく、制約付きのものが多い。
そして王子はその魔法を使える数少ない人間であり、彼がかけた魔法はその者の時を止めるもの。そして一度その門を潜ったら二度と外に出られないもの。
制約は一度魔法かけられたならば解除は不可能。
当時、王子の中に残っていた想い。美しいままでいて欲しいという思いが、無意識に時を止める魔法をかけていた。
修道院にいれば心穏やかに過ごせる。そこで美しいままで時を過ごして欲しいと言う願いが合わさった結果、彼女は当時の姿のままで娼婦として過ごしていた。
王子は慟哭し、そしてある決意をする。
王太子の地位を辞し、王位継承権を放棄。そしてある娼館へ行くことを。最愛の女性の傍にいることを。
王家は考えを変えるよう説得したが、王子は頑として譲らなかった。そして王家側が折れ、その願いは叶えられる。
以降、王子は最愛の女性が愛おしそうに呼んでくれていた愛称である「リー」を名前として使い、娼館にいる。
王子は――――私はゆっくりと壊れていく彼女の傍でこれからもずっと。娼館の主となった彼女と共に。




