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人生に疲れた俺の異世界サバイバル記  作者: Khanhtran
第1巻:月光の下の狼の遠吠え
3/10

人類の最初の火…?

新しい隠れ家を確保したタシギは、インデックスの指示に従い、回復のための軽い訓練を始める。

しかし、呼吸を整え、ゆっくりと体を動かすその最中――森の闇の奥から、何かが静かに彼を見つめていることに気付くのだった。注: この章はかなり長くなる可能性があります。

外では、雨が北へ静かに撤退する軍隊のように去っていた。空は白い雲の帯をのぞかせ、日差しはまだ人の心を解かすほど暖かくはないが、雨の夜のあとで万物を賑やかにするには十分だった。タシギは狭い岩穴から四つん這いで這い出る。冷たい泥が足首をなでる。歩くたび、打撲で斑になった筋肉が小さく裂ける音を引きずった。彼は歯を食いしばり、もつれた紐を結び直すみたいに、目の前の作業へ集中する。


「生き延びるには、まず食べ物だな」彼は呟き、もう一度 Index を起動する。


すぐさま薄いガラスの幕が現れ、文字が一行ずつ降ってくる。彼は視線を森の縁へ走らせた。低木から大木まで濡れ、まだ水が残り、苔は洗いたてのフェルトみたいに見える。


「照会:食料源」


Index:「スキャン中…… 周囲で確認できる食料は以下。根菜、ベリー(…)、昆虫の幼虫(加熱で安全)、木生キノコ(…——要鑑別)…… 採取は降雨直後、葉が濡れているうちが望ましい(粉塵が少なく、胞子の識別が容易)。」


「まいったな……」タシギはつぶやく。食べ物を集めるには、まず入れるものが要る——そのことを彼はきれいに忘れていた。


気を取り直し、彼は近くの叢へ向かう。葉が大きく、濃い緑で厚みがある。Index の指示に従って、傷のない葉を選ぶ。葉柄もしっかりしている。


年がら年中オフィスに詰めていた者の手つきで、Index のステップをぎこちなくなぞる。まず左右の縁を内側へ折り、平たい漏斗の形にする。それから葉柄を曲げ、さきほど折った二枚を貫いて留める。瞬きする間に、素朴だがしっかりした「葉袋」がタシギの手の中にできあがった。頼りなく見えるが、今の彼に作れる最良の道具だ。


再び歩き出す。羽根のような葉を手でかき分けるたび、雨水が首筋へ流れ込む。低い潅木の一群に、葉脈に沿ってビーズのような赤い点々がついている。安物の偽物のような派手さで、だからこそ余計に怪しい。


「照会:この赤い実」——タシギは言い、指でそれを示す。


Index:「実……(現段階では未同定)。生食不可。長時間の浸水——煮沸——換水を繰り返したのち使用。胃痙攣の恐れ。」


「却下」彼は呟く。安っぽい美しさは子どもの頃に食べたイチゴ味のグミを思い出させ、馬鹿げた郷愁を誘ったが、決断に一秒もかからなかった。慎重に森の奥へ進み、視線で地面を掃く。数分後、泥が柔らかくなった一角に出る。指で押したみたいに、ふくらんだ跡があちこちにある。タシギは小枝で几帳面に掘り返し、やがて太い塊を掘り当てる。灰がかった茶の皮、髭のような根がいっぱい。


「照会:この根?」


Index:「『……』の根。十分に加熱すれば可食。生食:口腔の痒み・腹痛の恐れ。」


「よし」彼は折って、葉の上に置く。さらに数歩進むと、岩の根元に銀色の粘液が残っている。カタツムリ。親指大のやつが、思案する僧侶みたいにのろのろと進む。


「照会:この貝?」


Index:「……(薄殻の軟体)。粘液を落とし、沸騰後に可食。内臓は避ける。寄生体に留意リスク……。」


「これはあとで……」タシギは、空腹の腹と相談する。貝は好きではない。だが空腹は人を操るのがうまい。


やがて、黒光りする朽木の根元で、硬貨を積んだみたいに段になったキノコを見つける。色は薄茶から灰。縁は紙のように薄い。


「照会:このキノコ?」


Index:「木生……。現段階での食用は非推奨(鑑別困難)。ただし火口材として利用可:乾燥・叩いて薄片化・樹皮繊維と混合。」


「火口か……」彼は呟く。脳内のボタンがカチリと上がる——火。今すぐではないにせよ、必ず必要になる。彼は少し折り取り、体温で温めるためにシャツの下へ差し込む。


さらに、きらめく綿毛のような草を見つける。空中で止まった煙みたいに柔らかい。彼はやさしく集め、葉で束ねて小さな束にする。


Index:「草綿……。着火用の『巣』に最適(発火しやすい)。食用不可。」


「知ってるよ……」彼はほんの小さく笑う。ブラウザゲームで素材集めをしていた頃の気分に少し似ている。違うのは、報酬が「飢え死にしないこと」だ。


腐りかけの切り株を掘って、象牙色の幼虫も追加する——木屑から太ったピーナツみたいにむちむち出てくる。匂いは良くない。だが頭のなかでは Index の一行が回る。「良質なタンパク——十分に加熱——脂を絞る」。脂。妙に官能的に響く。


半時間しゃがみっぱなしののち、戦利品は「少なくない」と言っていい:見慣れない根が三本、浸け置き必須の実ひとつまみ、カタツムリ五匹、幼虫ひと握り、草綿、火口キノコ、岩の割れ目から削り取った透明な樹脂少量——Index は「樹脂……(接着・防湿)」と呼ぶやつだ。


彼は立ち止まり、肩で息をする。裂け目は義務を思い出したように痛みを主張する。ここまでだ。手のひら二つ分はあろう大葉を選び、明瞭な葉脈の上に荷を置き、巻いて、腸の乾物みたいに粘る森の繊維で結ぶ。葉袋がもうひとつ生まれた。歪だが実用的。


岩壁のほうへ戻ると、太陽は一段と高くなっていた。刺すような寒さではなく、昼の礼儀作法みたいに薄い冷え。岩壁はある方向へくねり、半ば自然の道をつくる。タシギは葉袋を胸に抱え、壁づたいに歩き、左右へ目を走らせながら危険の気配を探す。


「照会:周囲に脅威は?」

Index:

「——泥上の爪跡……——オオカミ、あるいは……の可能性。

——乾いた糞——1〜2日前。大型動物の新しい臭いや掻き跡はなし。」


「今は……大丈夫そうだ」彼は思い、落ち着いて歩を進める。数十分ののち、岩壁の裂け目のように口を開いた洞穴を見つける。濡れたシダが縁を隠している。内側は暗い。だが臭気も糞の匂いもない。あるのは石の冷たい匂いだけ。


Index でひと通り確認し、危険がないと分かると、タシギは少し浮き立って中を確かめる。深くはないが、張り出した天蓋のおかげで乾いた隅があり、床はわずかに傾いて雨水が自然の溝へ流れる。十四歳の身体には、ここはまぎれもなく天然の宮殿だ! しばらく耳を澄ます。風切りも、蝶の羽音も、這うものの気配もない。Index への信頼が少し増す。


「まず入口を隠しておくか」


タシギは数本のシダを引き、洞口の縁に挟んで正面からの見通しを落とす。泥に樹脂を混ぜ、光って見える箇所を塗りつぶす——ぞっとするほど手にまとわりつくが、効果は抜群だ。Index はときおり短く指示を差し込む。


「泥と潰した葉で“人の匂い”を落とすこと。」

「乾いた枝で風の向きをずらす“幕”をつくること。」

「自分だけに分かる印を小石で。入口を見失わないために。」


ほんの数手間で、「あ、洞穴だ」だった口が「うーん……ちょっと茂った藪かな」に変わる。完璧ではないが、ここは深い森。何もかもが彼の工作に味方してくれる。


終わると、タシギは岩の縁に腰を下ろし、葉袋を脇に置いた。外光が細かい粉塵を雪みたいに舞わせる。背を預け、長く息を吐き、きょう初めて「即応」じゃないことを考えるのを自分に許す。


生き物も、木々も、土の匂いも——見知らぬのに、どこか完全には見知らぬでない。YouTube のトレッキング動画とは違う。誰かが博物図鑑のページを破って重ね貼りし、ゲームの未解放領域みたいに「……」を残した、そんな感じ。


「ここは本当に異世界なんだな」彼は石に向かって小さく言う。現実主義な中年の魂は、荒唐無稽を拒む。だが他の説明はどれも弱すぎる。


異世界なら——昼休みに読んだウェブ小説を思い出す——人間は魔法とか「何かの能力」を持つことが多い。いっそ直球で聞いてみるか?


「照会:強くなる方法」


Index:「現状、取りうる道は二つ:体術/魔力。詳細は現段階では非公開。」


「非公開」という二文字が、カスタマーサポートの塩対応みたいに立っている。タシギは自嘲する。よし。打ちのめされた少年の体には体術のほうが理にかなう。魔力? 字が多すぎる。詠唱、魔法陣、ルール、禁則。彼は ISO の手順書ですらうんざりしていたのだ。


「照会:体術の道を選ぶ」

Index:「目標:持久力と基礎体力の向上。1日目——目的:身体の活性化、循環維持、持久の起動。

—— 不整地ラン 5km・軽負荷携行。

—— 腕立て 5×20、腹筋 5×25、スクワット 5×20。

—— ロープ登り/低い岩壁登攀 3回。

—— 10kg 負荷での徒歩 2km。

—— 栄養:狩猟肉、山菜、濾過した沢水。

—— 睡眠最低 6 時間・交代見張り。」


「ちょっと無茶だな」彼は言う。「軍の回復プログラムみたいだ」。徴兵登録のとき、数週間、腕立てと周回走で足腰を抜かしたことがある。残ったのは、少しの呼吸のコツと、痙攣したときに両手で膝を絞るやり方。


「まずは軽い準備運動だ。回復してから本格的に。でないと、この傷だらけで痩せた身体じゃ、間違いなく潰れる」


呼吸から始める。四拍で吸い——瓶へ水を注ぐように、四拍で止め——鳥を閉じ込めるように、四拍で吐き——風船の空気を抜くように、さらに四拍で止め——思考を走らせないように。これは軍隊式の 4-4-4-4 呼吸だ。五分、何度も繰り返すうち、頭の濁りが少し減った。痛みはまだ刺すが、体の奥にいた「猫」は爪を引っ込める。


次にストレッチ。タシギは壁に手を当て、右肩を開く。左肩は小さなナイフで抗議する。可動域を落として繰り返す。壁に背を預け、膝を胸に引き寄せ、保持。腰を倒し、回し、関節が和平交渉するような「コトコト」という感触を聞く。首を前後左右、ゆっくり回す。すべて「労災」にならないよう、細心の注意で。


すると、新しい問題。軽く動いただけで腹が鳴る。葉袋を開ける。火がないなら、全部が無意味だ。とくにこの見知らぬ森では。赤い実をつまみ、迷い、Index に聞く。


「——生食は非推奨。」


「分かってる」彼はもう一度置く。透明な樹脂を舐めることだけ自分に許す——美味くはないが、理にかなったことをした気になれる。水は岩の縁から。ひと口ごとに、薄い金属味——腕時計を舌で触ったみたいな味がある。


残りの時間は寝床作り。乾いた葉を引き寄せ、小枝を折って層にし、火口キノコはさらに乾くようシャツの下へ入れておく。樹脂で草綿の縁を樹皮片に薄く貼りつけ、「巣」をつくる。誰かが座って潰した綿菓子みたいに見える。


時間は砂の上を歩く人みたいに進む——速くも遅くもなく、思慮の足跡だけ残す。光は淡い黄から卵黄色へ。ステータスの血条を見れば、新しい数字が跳ねている。


HP:67%


目覚めてから十一時間。そして大問題が扉を叩く時間——火だ。


火がなければ、世界は白黒写真だ。料理なし、暖かさなし、獣や虫を追う煙もなし。Index は画面からライターを出してはくれない。不親切なゲームのように、ヒントだけが出る。


「可能な発火源:摩擦・集光・打撃・化学。」


タシギは洞口へ手を伸ばし、空を見る。水レンズ? できるかもしれないが、太陽は傾いている。時間が足りない。火打石は? Index は丁寧に取り消す。「適切な素材、近傍で未検出」。つまり探しに行け。彼は、今は行きたくない。


「よし、じゃあ摩擦だ」


破格といえば破格——多くの人が連想する「火打石」とは違うという意味で——だが、実際には最も古く、汚れて、汗まみれになる方法だ。


深く息を吸い、胸に残る冷えを追い出す。脳内で項目を並べ、Index と一緒に自分だけのサバイバル計画表を描く。


—— まずは台板。乾いていて、ほどよく柔らかい木……最初のよわい熱を抱いてくれるもの。

—— 次にスピンドル。真っ直ぐで、前腕の長さ。先端は木を裂かない程度に丸く。

—— 三つ目は弓。半腕ほどの弾性のある枝と、摩擦の歌を奏でる紐。

—— 四つ目はベアリングブロック。滑らかな石か堅木。樹脂や脂で潤滑。

—— 最後に火口と巣。乾いた草綿、朽木のキノコ、叩いた樹皮繊維。生まれたばかりの子のように火種を包むもの。


メモを終えると、森の縁をたどり、軽くて年輪の粗い木を探す。歩くたび、視線を向けるたび、Index の「小学校の先生」が頭の中で手取り足取りやってくる。


「立ち枯れを探して。地面に触れていない枝は乾いている。爪で押して跡がつくくらいが適正。」


言われた通り、斜面に刺さる紫褐色の枝を見つけ、乾いて脆いそれを手で折る。軽やかな「パキン」は米菓を割る音に似ていた。石片で削って薄板にする。厚さは指ほど。最初の部品ができた。スピンドルには、より真っ直ぐな枝を。太さは人差し指ほど。下端は鈍い円錐、上端は少し尖らせる。


弓と紐——オフィス人間なら、備品棚の結束バンドを思い出すところだ。ここでは、奇妙にしなやかな樹皮を裂いて三条にし、撚って一本にする。手に豆を作って、ようやく頼れそうな紐ができた。少したるませ、スピンドルが一巻きできる余裕を残す。


ベアリングブロックは簡単。自然の窪みがある丸い小石。そこへ樹脂を擦り付ける。


いちばん面倒なのは火口。乾かしておいたキノコを叩いて薄くし、樹皮繊維を裂き、草綿と混ぜ、拳大の巣にまとめる。湿気から遠ざけて置く。


すべてが手の届くところに揃った。タシギはしゃがみ、台板にナイフ代わりの石で小さなくぼみを刻む。スピンドルを据え、紐を一巻き。左手で弓を押さえ、右手で反対側の端を握る。ベアリングブロックを上から押さえ、力をかける。


「始める」


弓が往復する。スピンドルが回る。起き抜けの人間みたいに最初はもたつく。摩擦が上がる。木の焦げる匂いがわずかに鼻に来る。左肩のことは考えないよう、彼はリズムを保つ。こめかみに汗が滲む。鉛筆線みたいな薄い灰色の煙が現れる。


「焦るな」彼は自分に言う。喜びが目に走る。「ぬか喜びはするな」


一分。二分。右腕が震え始める。手を替えて続ける。煙が増え、黒い粉がくぼみの底に溜まり、さっき切った切り欠きの縁に集まって濃くなる。Index は何も言わない。けれど、こちらを見ている気配だけがある。タシギの一挙手一投足を、黙って見守っているような。


腰の痛みが点滅する。弓のテンポが崩れ、紐が外れる。彼は悪態を飲み込み、表情を整えて掛け直し、続ける。さらに一分。黒粉は熱を帯びる。ちょうどいいところで止め、スピンドルを外す。黒粉はまだ煙っている——形は定かでないが、熱と仄かな赤を含んでいる。


爆弾処理のように遅い動きで、黒粉を火口——叩いたキノコ、樹皮繊維、草綿——へ移す。巣を口元の高さへ持ち上げ、手のひらで風をさえぎり、息を吹きかける。


タシギは長く息を吐いた——いや、赤子をあやすように、長く、軽く、一定に。煙が増える。ホタルの目のような赤い点が一瞬光る。もう少しだけ強く吹く。草綿は色を変える。淡黄から茶、そして紫がかった煙色へ。小さな「ポン」という音——いや、火が上がった。爪先ほどの小ささだが、火は火だ。


彼は笑いそうになる。オフィスの数年間、彼が笑うといえば、せいぜい顧客への礼儀正しい笑みだった。今の笑いは滑稽だ。吐血のようでもあり、泣き出しそうでもある。燃え始めた巣を細枝の山へ差し込み、爪楊枝みたいに細い乾枝を足す。火は木に噛みつき、舐め上がる。空腹の猫がミルクを見つけたみたいに。


煙が洞内で渦を巻く。彼はシダの幕で空気をいなし、煙を外へ送る。同時に、天井近くに薄く溜まるように調整する——Index の助言だ。「薄い煙は虫を避け、人の匂いを和らげる。」


火が安定すると、次は台所。鍋? ない。フライパン? ない。三本の枝で三脚をつくり、空の葉袋を少し離れた位置に吊って風除けにする。根は灰の中へ埋める。幼虫は小枝へ刺して炙る。カタツムリは火の近くの浅い凹みに入れて粘液を出させ、雨水で何度かゆすいだのち、また戻す。生臭さは徐々に脂の香りへ変わる。彼の胃は洞から顔を出した爬虫類みたいに反応する。


幼虫から始める。少し焼き過ぎて皮が裂け、脂がパチパチ弾ける。タシギは待てずにかぶりつく。最初に来るのは煙の風味、そのあとに濃いコク、そして少しの森の辛み。不正解の感覚は、脂と一緒に溶ける。「……悪くないな」彼は言う。「夜十時のカップ麺よりずっといい」


不思議な根も皮が割れ、蒸気を噴いた。皮を裂くと、粉っぽい香り——ジャガイモに似て、もっと素朴。カタツムリは……勇気が要る。白濁した身を取り出し、暗い内臓は捨て、さらにもう一度炙る。味は傑作とは言えない。が、Index が言う通り「タンパク」だし、疲れ切った体は頷いた。


彼はゆっくり食べる。そうでなければ、欲が暴走するのを抑えられないから。腹が温まり、脳の震えが止む。外では、夜の合唱が始まる。コオロギ、バネみたいな鳴き声の何か、風が爪で葉を撫でる音。遥か遠くで、長く細い遠吠えが、暗い空に糸のように張られる。彼は洞口の隙間から空を見上げる。薄刃のような若月が雲を裂く。


「夢見るなよ」自分に言い聞かせる。だが遠吠えは夢じゃない。タシギは自分を宥める。音は遠い。多分大丈夫。洞口は偽装してある。煙は風に引かれている。そして、自分には火がある。


火は、この新しい世界において、権能だ。


彼は手をかざす。生の感触が、黒砂糖の欠片みたいに甘く、はっきりとしたものになって指先へ戻る。


食べたあと、彼は訓練計画を見直す。軍仕様を、そのまま思春期の痩せた身体へ課すのはさすがに酷だ。タシギは小石で洞の壁に文字を刻みながら、舌打ちをこらえる。


「こんなに難しいのに、映画だと主人公はスッと刻むんだよな……」


数十分の悪戦苦闘の末、大きな文字が並ぶ。


「7日間:

2日 回復——呼吸・ストレッチ・軽い歩行・柔らかい食事。

2日 強化——歩行延長・腕立て。

3日 持久——短い登坂歩行・浅いスクワット・壁腕立て。」


「訓練するなら、食と水の線をまず固めるべき。となると、道具だ」彼は考える。道具、つまり鍋、水袋、罠、まともな紐、ほんものの刃物。それぞれが枝道だ。石で刻む時間の無駄を教訓に、今度は木炭で、小学生みたいな大きな字の箇条書きを描く。


—— 火:確保。

—— 水:煮沸用の器が必要。

—— 食料:・幼虫・貝/赤い実は十分に浸す——他も探索。

—— 居所:仮の洞/偽装/寝床の嵩上げ。

—— 道具:より良い紐・より良い刃・煮沸器・簡易罠。

—— 危険:オオカミ/未同定の生物。


次は鍋だ。見渡す。ここらの石は層状に割れやすく、真っ赤に焼いて水をかけるような芸当には向かない。無理をすれば破裂する。Index は控えめに提案する。


「大きな樹皮で仮の椀を作り、真っ赤に焼いた石で湯を沸かす。あるいは粘土を探して椀を成形——乾燥——焼成。」


粘土は遠い計画に聞こえる。だが樹皮ならすぐに試せる。葉袋を見やり、巨大な樹皮椀を想像する。これは明日に回そう。


タシギは薪をくべる。火は炭火になって、追いかけっこを終えた獣の寝息みたいに規則正しく呼吸する。温気が洞に流れ込み、虫が退く。若い葉を二、三枚むしって歯の掃除代わりに噛む——少しの苦味。そして硬い葉の寝床に横たわり、いちばん乾いている布切れで胸を覆う。


ステータスは視界の端にぶら下がったまま。


HP:68%

備考:保温。休息。激しい運動を控える。


「まるで医者みたいだな」彼は目を細めて言う。


……


眠気は、殴り倒すようには来ない。交渉みたいに来る。彼はそれを迎え入れるが、扉は半開きにして、意識の一部を夜勤の警備みたいに残す。風向きが変わって火がパチパチ言えば、目を開けて枝を足す。どこかで木喰い虫が「コト」と鳴けば、首を傾げて五つ数えて終わり。遠吠えは、時に近く、時に遠く、彼の耳に掛けられたり外れたりする。現実か、想像が自分の聞きたいものへ線を引いたのか、分からない。


彼は目を閉じる。今度の夢は、時計やエクセルではなく、簡単なグラフ。小さく、ぎこちなく、それでも上がっていく一本の線。37 → 49 → 67 → 68……。一直線に生きてきた人間には無意味でも、パーセントで生き延びる者には意味がある。


……


また夜中に目を覚ます。悪夢のせいではなく、鼻先の冷えのせいで。火が落ちかけている。彼はそっと火口と細枝を足し、やさしく吹く。炭が再び光る。Index の言う通り、弓紐に樹脂を薄く塗る。湿りに強く、持ちが良くなる。この紐は、もしまた雨が来たとき、彼と闇の間にある唯一の線かもしれない。


彼は火から学ぶ。太枝は火を窒息させる。細枝は一気に燃えて消える。井戸のように——太い枝を芯に、細い枝を立てかけて「空気の穴」を残す——と、火は長持ちし、煙も少ない。世間は知っていることかもしれない。彼は今学び、同時に「世界の歯車」にすぎないという感覚を少しずつ忘れていく。


翌朝(あるいは深夜の終わり? 分かりづらい)、陽がまだ上らぬうちに、計画の端を見直す——偽装の第2ラウンド。冷めた灰に泥を混ぜ、よく触る岩の縁に塗る。Index が言った「皮脂臭の無効化」のためだ。潰した葉を入口に撒き、昨夜の踏み跡の筋を少しずらし、別の細道にすげ替える。


一息ついて、Index にもう一つ訊くことを決める——夜明けの光を見て以来、頭の片隅を離れない件。魔力だ。


「照会:もし魔力の道を行くなら——詠唱なしで今すぐできることはあるか?」



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