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Episode8. 花の地にて星を運ぶ者

 身体の重さに反して意識は何処までも軽く、肉体から解離していく。アステールは、ふわふわとした意識の中を漂っていた。

 重力に逆らう瞼は他人のもののようだ。身体の何処にも力が入らず、幼き女王を離さないようにと抱えていたはずの腕は無造作に投げ出され、ただ覆い被さっている。

 結局、この弱虫な自分では太刀打ちできなかったのだ。依然として里の子どもは飽き足りないのか、襤褸(ぼろ)切れの様に倒れ込んだアステールを見ても去ろうとはしない。


(……【運び手】が作用してるから、かな)


 随分と感情を剥き出しにして苛立ちをぶつける姿にただ漠然と思い至る。それもすぐに霧散し、意識が霞んでいく。

 もう眠ってしまっても良いだろうか。そんな余裕もないだろうに、ゆらゆらと眠気に誘われる。滲んだ視界が暗転し、意識を呑み込もうとした時であった。


「――! 俺を呼べ!」


 耳に心地良い声が、まるで暗闇に光が差すように、膜の張られた意識に凛と響いた。


(……ユージン)


 呼んだところで、どうせ助けになど来ない。今までだって、誰一人として助けてくれたことはなかったのだから。期待するだけ無駄なことは、痛いほど理解している。


(……そうだっけ? 彼は、彼だけは……)


 出会ってから間もない、人智の及ばない謎の生物。本来であれば関わり合うことも、存在を知ることもなかったはずの交わることのない存在。

 侵略だなんて訳の分からない夢を掲げて、この世界の敵かもしれないのに。縁を繋げたいと、心の内側にその存在を受け入れてしまった。——期待して、しまった。


「アステール……!!!」


 嗚呼、呼ばれている。応えなければ。


「……ゆ…………ジン」


 ドクン、と心臓が跳ねる。胸の中心が熱を発し、どこかへと流れ込んでいく。流れ出た金色の輝きが真っ直ぐに線を描く。

 その流れを辿るように顔を上げると、地面に手を付き、蒼く輝くユージンの姿があった。


「繋がった……! 【運び手】よ、汝の主君たるVZ Ceti——ユージンが命じる。【呼び声】の元へ、流動し、我を運べ!」


 欠片の主が紡いだ言の葉に応えるかのように、地面が脈動する。アステールの周囲のみがまるで生きているかの如く動き出す。ぐらりと突然傾いた足場に、里の子どもの親玉がすぐ側で膝を突いた。他の子どもも次々に体勢を崩していく。


「な、何だこれ……!? 何なんだよ……!」

「地震……? おい、黒の少年! こいつぁどうなっていやがるんだ……?」


 尻餅を着いた子どもが、訳も分からずに叫んだ。それと同じ感想を口走るメリサに、容赦なくユージンが吐き捨てる。


「おじさん、着いてこられないなら置いてくよ」

「置いて行くったって俺は目が見えないって……!」


 メリサがユージンに向かって吠えようとして、続く言葉を失った。その目は確かに、里の子どもらの位置を捉えていたのだ。


(これ……ユージンの)


 手の付いた場所から蔦を地面の中へと通しているのか、アステールのすぐ側から見慣れた蔦が出現する。その蔦が里の子どもを直接締め上げ、動きを封じていた。


「なんだ……? 妙な蒼い光が五つ……」

「……ッ、やはり、星を通さずに力を使うのはキツい……か。おじさん、視えてるだろ! 早くしろ!」

「あ、ああ……アコニト、悪いが」

「……えぇ」


 ユージンの表情が苦し気に歪む。

 メリサは荒んだ声に促され、慌ててアコニトに槍の穂先を向けた。その先端へ、祈るように瞼を伏せたアコニトが指を這わせる。

 穂先が指先に触れ、薄く傷を付ける。流れ出た透明の液体に濡れ、穂先が艶めいた。


「……できたわ」


 発せられた声は不安が残るのか、擦れている。だが、穂先を拭き取る様子はない。

 向けられた瞳を合図に、メリサは不思議な蒼い光に向かって駆け出した。近寄ると、子どもの甲高い声が徐々に近付いてくる。まずは一人目と、執拗に攻撃していた子どもに狙いを定めた。

 人の目では追えないほどの速さに、子どもは声を発する間もなく、掠り傷を受けた。頬を掠めた風にほんの少し羽音が通り過ぎた程度。にもかかわらず、斬られたと自覚するより先に身体が痺れていく。


「うぁ……ぁぁ……」


 理解もできずに生じた身体の変化に、子どもの目が恐怖に濡れる。蔦は毒を受けた子どもの身体を離し、動けない身体が砂埃を立てて地面に落ちた。一人、また一人とアステールと同様に地面に倒れていく。


「あと一人……だが」


 残るは、アステールの側で捕らえられている子どものみ。

 だが、ユージンは瞳を冷たく光らせ、メリサは気を動転させた。残り一つあるはずの暗闇を纏った光がない。否、不自然に千切られたように弱弱しい光が地面に横たわっている。

 それもそのはず、ナイフを持った子どもはその刃で蔦を切り、拘束から逃れていた。再び捕らえるよりも早く、その足元に散らばっていた蜂蜜色の髪が引っ張られ、首を持ち上げられる。

 無理やり上を向けられた首筋に、冷たい感触が押し当てられた。


「此奴がどうなってもいいのか……!」


 震えているのか、冷たい物質がアステールの首筋に触れては離れていく。今まさに手元が狂って皮を破っても可笑しくはない状況に、アステールはぞわりと毛が逆立つのを感じた。

 思わず伏せた空色の双眸に、場違いな程穏やかな呼気を浮かべる幼子が映る。


(眠ってる……)


 その姿にほっと気が緩んだものの、すぐさま刃がぷつりと皮膚に当たった感覚に息を呑んだ。その拍子に、情けなくも目を見開いて助けを求めようとする。恐怖と安堵が綯い交ぜになった情けない表情が、正面にいるユージンにははっきりと見えていることだろう。

 反対に、アステールからも肌を真っ黒に染めたユージンの姿が、滲む視界の間からやけに鮮明に見えた。闇に浮かぶ銀の瞳が、輝きを増している。


(……綺麗だ)


 こんな状況だというのに、アステールは喉元に感じる恐怖も忘れてその星の輝きに魅入られた。もっとよく見たいと、目に張る膜を流すように目を閉じる。

 だが、再び開いたときにはもうユージンの姿はそこになかった。


「……ガッ、ァ」


 ふっ、と急に首が軽くなる。アステールを捕らえていたはずの親玉の手はいつの間にか消えており、気付けばアステールの視線の先でその背中を叩きつけていた。瞬きをした途端、今度はその姿が誰かの後姿によって隠される。

 見上げると、割れた背の隙間から闇を封じたような靄と蔦が溢れ出ている情景が目に飛び込んできた。ゆらりと立ち込める気配は生物の温かみを感じさせない。


「何なんだよ……何でお前……何なんだよ!」


 姿を隠すこともしないユージンに、親玉が恐怖を感じるままに叫ぶ。軽くトンと地面を足先で踏みつけると、闇を纏った身体は宙に浮くような軽やかさで飛んだ。一瞬も目を離していられない夜が、しなやかに親玉の目の前に降り立つ。


「来、来るな……! 化け物が……!」


 取り乱す親玉の額を、ユージンが言葉もなく指先で軽く叩く。ほんの少し、頭が後ろに傾く程度の力だ。

 それでも、星の欠片で増幅した恐怖の感情は重く圧し掛かったのだろう。なんてこともない力に、恐怖は許容できる範囲を超え、親玉は呆気なく気を失った。


「……俺は、あんたらが大嫌いな侵略者だよ」


 夜の気配は消え去った。振り向いたユージンはすっかりと靄も蔦も仕舞い、人の姿をしている。

 だというのに、出会った当初よりも得体の知れない何者かであった。だが、途切れ往く意識の中でアステールは確かに、目に焼き付いて離れない星を「英雄のようだ」と感じた。



 ***



 ——抗わなくたって構わない。俺は、此奴が傷付く姿が妙に……落ち着かないんだ。

 ——それは、…………。



「ん……あれ、」


 いつの間に眠っていたのだろうか。アステールは辺りを見渡すと、籠の中で寝ていたことに気が付いた。揺り篭の縁は葉で覆われており、これでは外の様子を伺うこともできない。

 身体を起こそうとすると、軋んだ音と関節の痛みにアステールは顔を歪めた。随分と寝ていたようだ。

 諦めて己の身体を見下ろすと、身体中に透明の液体が塗られていた。すんと鼻を近づけると、ほんのりと鼻通りの良い清涼な緑と淡い蜜の香りがする。


(これ、傷薬……? でも、おばばの家にある傷薬とは全然違うような……)

「起きたか」


 葉の向こうから声を掛けられる。擦れる音が葉を掻き分け、ユージンが現れた。逆光でどんな表情をしているかまでは見えない。

 アステールは眩しさに眼前に手を翳し、目を細めた。


「……眩しい」

「丸二日は眠ってたんだ。そりゃ陽の光が眩しいだろうぜ」

「目が覚めたのね……! 心配したんだから……」

「よかった……」


 ユージンに続き、メリサ、アコニト、幼き女王が次々に顔を見せる。迷惑を掛けたのではとさっと血の気が引くも、すぐにアステールは目をしぱしぱと瞬かせた。


「心配、したの……?」

「当たり前じゃねぇか。俺が取り逃がした敵がお前にナイフを突きつけたときはヒヤッとしたぜ……特に黒の少年の怒りようにな」

「……別に、貴方じゃなくて女王のことを心配しただけなんだから……!」

「とか言いつつ、自分が毒をもっと早くに使わなかったからとか言って泣いてたじゃねぇか」

「バッ……どうして言うのよ!」


 顔を真っ赤にしたアコニトがメリサを追いかけ回す。その姿に思わず吹き出すと、ふいに手を誰かに取られた。


「ユージン?」

「……傷は、大丈夫か」


 黒い手が労わる様に、アステールの腕を触れるか触れないかのところを撫でる。痛みも何もない、むしろ擽ったさに身を捩った。動かしても、何処も引き攣るような痛みはない。怪我は愚か、以前に受けた傷も治っているようだ。


「あんとすとぺろねーのくすりは、なおりがはやいの。わたしは、なにもできないけれど……」

「ううん……貴重な薬を使ってくれて、ありがとうございます」


 何処か落ち込んだ様子の幼き女王に、アステールが頭を垂れる。幼き女王は首を振り、アステールの空いている方の手を握った。いつの間に戻ってきたのか、小さな手の上に皮の分厚い手と白魚のような手も重なる。


「こちらこそ、たすけてくれて、ありがとう」

「ありがとう、少年」

「わたくしたちの大切なものを守ってくれてありがとう」


 青空色の瞳が零れそうなほど大きく見開かれた。目を伏せても、防ぎようのない耳を嬉しそうな、心から告げるような言葉が何度も何度も撫でる。次第に、どうしてか気恥ずかしくなり、アステールは三人から隠れるようにユージンの手で顔を隠した。


「……おい」

「……僕、熱出たかも」


 頭上から聞き慣れた溜息が降ってきた。照れ隠しにしては子どもっぽ過ぎる言い訳に呆れてしまったのだろうか。

 心配してユージンを窺うように見上げると、黒い手でそっと頭を押された。そのまま身体は揺り篭の柔らかな綿に埋もれる。


「わぷ」

「……もう少し寝てろ」


 どうやら本気にしてしまったらしい。今更冗談とも言えずにいると、メリサの明るい声音が空気を変えた。


「しっかしタイミングの良い地震だったよなぁ」

「確かに。わたくし的には目が見えてないはずの貴方の槍があれだけ綺麗に決まるとは思わなかったけれど」

「なんかあの時は視える! って思ったんだよなぁ……不思議なことに」


 メリサとアコニトのやり取りに思わず「え」と声が出た。それをどう捉えたのか、メリサが喜々として説明する。


「少年は気を失ってたから知らねぇか……いや~~すごかったんだぜ? あのときの黒の少年」


 あのときの黒の少年と聞いて、はっと息を呑んだ。そうだ、ユージンはアステールのせいで正体を明かしてしまったのだ。


「俺は人族のことは森の中でもとりわけ弱い種族だと思っていたが、黒の少年を見て思い直したね。此奴を怒らせちゃぁいけねぇ」

「人族……?」


 どういうことだとユージンを見遣る。ユージンのことを語るメリサは、何処からどう見てもその正体を知っているようには見えない。アコニトや幼き女王もまた、何の疑問も抱いていないように頷いている。


「……この星を手に入れるためだ」

「星?」


 アステールの問い詰めるような視線に、ユージンが渋々と口を割る。直接的な答えではないが、もしかすると、無暗に敵を作るなと言ったことをユージンなりに考えてくれたのかもしれない。今までであれば平気で「侵略するため」などと言いそうだが、物言いに配慮を感じる。

 独特な物言いにメリサたちは不思議そうな表情を浮かべたが、アコニトがはたと手を打った。


「あの光の珠のことかしら。でも、いくら毒が効かないからって毒持ちのわたくしに触れるのは勘弁してほしいわ」

「えっ! アコニトさん、毒があるの?」


 さらりと零された言葉に反応する。アコニトは一瞬しまったという感情を目に浮かべた後、ぎこちなく笑みを浮かべた。


「え、ええ」

「か、っこいい……!」

「……は? かっこいい……? 毒が、あるのよ?」

「かっこいいよ! 毒を使って自衛するの? それだけ綺麗なんだもん、必要だよね! いいなぁ~~」


 握り締めた手を押し退けるように身を乗り出すと、紫色の花はあどけない表情を浮かべた後、頭の花をぽんと咲かせた。



 ***



「もっと休んでいかなくて良かったのか?」

「先を急いでるんでしょ。傷薬だってもらったし、もう治ってるのにいつまでも寝てられないよ」


 三人に教わった道を、土産にと渡された霊灯(フォス)の実で照らしながら歩く。ユージンに答えた通り、身体には何の異常もない。

 道中で休んだせいで辺りはすっかりと薄暗くなっているのだ。こんな森の中で野宿を強いられるのであれば、無理をしてでも人の気配を探したいところ。ただでさえ暗がりが苦手だというのに、森の獣に怯えて過ごすなど耐えられそうもない。


(……それに、休めば休むほど考え込んじゃう)


 痛みで限界の身体に意識を持っていかれた状態では決して思い浮かばなかった疑問が次々に溢れ、胸の中を占領する。膨らんだ思いは内側から骨も身も圧迫するようで気持ちが悪い。


(お母様が異形種を森に引き入れたって何……? どうして父さんだけが英雄扱いされてるの……?)


 ぐるぐると巡る思考は今歩いている道よりも出口がない。中身のない何かを吐き出しそうな口を片手で抑える。


「おい、気分が悪いのか?」

「……ねえ、君はどうしてメリサさんたちに嘘を吐いたの?」

「嘘……ああ、正体を隠したことか。別に隠さなくても構わなかったんだが……そうだな。正体をバラして邪魔をされると厄介だからな」


 取ってつけたような理由に、アステールは胃の中に渦巻く気持ち悪さも忘れて半眼で睨み付けた。


「冗談」

「……お前が言ったんだろ、敵を作り過ぎるなって」


 どうせ適当にはぐらかされる。そう思っていたというのに、予想に反して拗ねたような声が返ってきた。


「え……」

「……可笑しいな。猫人族(アイエルーロス)のばあさんの知り合いが住んでる場所はこの道を真っ直ぐ行ったところのはずだが」


 未だ着かない。

 思わず同じ高さにある瞳を見つめるも、今度こそ目を逸らしてはぐらかされた。あ、と声を掛けるよりも先に歩を速めてしまう。

 考えてみると、教えられた通りの道を歩いているはずなのに、中々目的地に辿り着かずにいる。そんなに遠くないと聞いていたのに、既に一日は歩き続けていた。

 そろそろ道を間違えたのかもしれない。気が騒めき、辺りを気にしていると、前方を歩いていたユージンが立ち止まった。

 何かあったのかと声を掛けると、あれを見ろとばかりにユージンが指を差す。アステールもまた不審に思いながら実を持ち上げると、己の顔ほどもある瞳が爛々とこちらを見ていた。


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