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Episode6. 花の女王に恭しき謁見を

「あこにと、ひかりのたまを、ここに」


 幼子が、離れた場所から二人の邂逅を見守っていたアコニトを手招く。その手の動きに導かれるようにアコニトが幼子に近寄り、一歩手前で片膝を突いて恭しく首を垂れた。すらりと伸びた背中が美しい。

 アコニトはその姿勢からほんの少し頭を上げた。


「恐れながら申し上げます、我らの女王。それはなりません」


 星の欠片を渡さないと断ったアコニトに、ユージンの双眸が細められる。苛立ちを表すように、色濃くなった肌から黒い靄が揺らめいた。

 対して、女王と呼ばれた幼子はこてりと首を傾げる。心底不思議そうな表情の幼き女王に、アコニトは一瞬言葉を詰まらせた後、冷静さを保つように淡々と告げた。


「……彼らは人族です。お忘れですか、あの光が降った日の夜に何があったのかを」


 アコニトの言葉から察するに、人族との間に何かが起こったのだろう。恐らく、花人族(アントス)が被害を被った形で。だが、それが何かもわからない内はアステールとて動きようもない。

 アステールが助けを求めるようにメリサを見上げると、メリサもまた困惑した表情をしていた。メリサも知らないということは、メリサと幼き女王が別れた後に何かが起きたに違いない。


「アコニト……何が起きたのか、教えてくれないか」


 メリサが尋ねると、アコニトは大きく溜息を吐いた。メリサのお願いには弱いのだろうか。美しい花は、アステールとユージンを睥睨(へいげい)した後、緩慢とした動きで立ち上がった。

 メリサと幼き女王に背を向けて立ったアコニトは、どこか泣きそうな表情をしている。眉根を寄せ、湿度の増した瞳が木漏れ日に照らされる。

 アコニトは寸刻の間、下唇を噛むと、瞼を閉じて深呼吸をした。再び目を開けたときにはすっかり落ち着いた様子で、何事もなかったように口を開いた。


「簡単な話、人族にわたくしたちの棲み処を荒らされたのよ」


 光が落ちた夜。見たこともない光景に花人族はすっかり魅了された。いつもなら棲み処を草木で隠すというのに、それさえも忘れて外に飛び出す。

 こんな真夜中に訪問する者がいるなど、誰も思いはしなかったのだ。


「夜は針人族(ペロネー)だって棲み処の中までは入らねぇんだ。……俺が言える立場じゃねぇが、ちゃんと自衛はしてくれ」

「慢心していたのはわかってる……でも、貴方たちは棲み処の周辺で守ってくれていたでしょう。あの日も例外なく」

「ああ。だが、俺たちはあの光で視力を失った……一時的だろうがまだ皆棲み処から出てこれねぇ」


 平時であればそれでも問題はなかった。だが、その夜に限っては特異なことばかりが起きたのだ。

 いつも見張りをしている針人族にとって、星の光は目が焼かれるのではないかと錯覚するほどの強い光であった。光を見た途端、視界不良となってしまうほどに。これに関しては今もまだ視力が戻り切ってはいないようで、針人族は皆棲み処に戻って目を休めているようだ。


「俺もまだあんまり視えてはいねぇが」

「なるほど、だから仲良さげなアコニトさんに会ったときも微妙な反応をしてたんだね」

「そう、だったの。……そうよね、そうでもなきゃ貴方たちが花人族を放って姿を消すはずがないもの」


 どうやらメリサがアステールたちに話し掛けたのは、自身の目がまだ使い物になるほど回復していなかったからのようだ。それにしては色で判別できているかのように喋り掛けられたが、ぼんやりとでも色は見えているのだろうか。


「まあな。そこの金色の少年は何故か淡い光を放っているし、黒い少年は周囲よりも一段と暗い。彼らを道標に如何にかここまで来れたわけだ」


 光を放っていると聞いてアステールは思わず自身の胃の辺りを押さえた。星の欠片の影響で発光しているのだろうか。まさかそんなはずないと思いたいが、絶対にないとも言い切れない。

 遂に自身も得体の知れない存在になってしまったのではと涙目になっていると、何かを察したユージンからデコピンが飛んできた。あまりの痛みに額を押さえて(うずくま)る。


「こほん。……話を戻していいかしら」


 アコニトは咳払いをすると、騒ぐ面々を無視して再び続きを語り始めた。今度は花人族に起きたイレギュラーの話を。


 今まで、真夜中に他の誰かが花人族の棲み処に訪れることは一度もなかった。当然だ、真夜中など日中活動している種族は眠っているし、侵入者は針人族が追い返す。針人族が機能せずとも棲み処を隠せば誰も辿り着くことは叶わない。

 だが、その日の夜はどちらも機能していなかった。不運が重なったのだ。


「考えてみれば起こり得ることだったのよ。……あの日、この近くに落ちてきた光を追って、人族がやって来たの」


 花人族たちが光を持って棲み処に戻ると、大人か子どもかもわからないが、棲み処を踏み荒らす姿があった。ポゥ、と淡い光を放つ霊灯(フォス)の実が照らし出す姿は、時折残花を摘みにくる人族と似た姿をしている。

 人族は異形族から見て、特殊な力も持ち得ない森の弱き存在だ。だが、夜半の淡い光に映し出された姿は途方もなく恐ろしく、武力を持たない花人族だけでは敵わないのは必至。やがて、一頻り騒いで帰っていったが、その跡には荒れた棲み処だけが残されていた。


「残花は花人族にとって自分自身を表すもの。切り花とされても、株を持ち帰って育てられても、それはその花の生だから構わない。……でも、意味もなく踏み躙られるのは、わたくしたち自身が傷付けられるのと同義よ」


 それから一晩を明けても涙は枯れず、ずっと泣き続けたせいか、花人族も残花も水が足りずに元気を失っているらしい。


「そう、だったんだね」


 その人族は、花人族の誇りも想いも踏み躙ったのだ。それならば、アコニトが人族を警戒することも、星の欠片を渡すのを拒むことも理解ができる。アステールとて、自身の家が誰かに荒らされていれば怒りを覚えるだろうし、何より相手を受け入れることなどできないはずだ。

 その点、同じ人族であるにも関わらず、こうして招いてくれたのはアコニト自身がアステールたちを、棲み処を荒らした張本人とは思っていないからだろう。星の欠片を渡さないことも単に意地悪でというわけではなく、その内容は知らずとも力を内包している物体を渡すことで、悪用するのではないかと考えているからなのかもしれない。


「……それが、俺たちに何の関係があるんだ」

「ちょっと、ユージン!」


 それならば警戒が溶けるまで待つべきだ。そう考えていると、ユージンが心底理解できないと言いたげに腕を組んでアコニトたちを睨んだ。


「俺たちはそれに関与していない。だから早くそれを」

「馬鹿! もう!」

「むぐ……」


 星の欠片を返せなどと言えば余計に怪しいことこの上ない。相手にとって星の欠片は偶然空から降ってきたものであって、誰の所有物でもないのだ。むしろ拾ったのだから、花人族の所有物と言った方が良いだろう。

 それを人族の見た目をしたユージンが所有権は自身にあると言ってしまえば、下手をすると棲み処を荒らした人物と共犯ではないかと疑われかねない。

 アステールは急いでユージンの口を塞ぐと、誤魔化すように笑った。


「あ、はは……水、そう水! 早く汲んでこないとだよね、きっとまだ皆辛いだろうから僕たちで汲んでくるよ!」

「あ、おい、金色の……」

「大丈夫、大丈夫。川の場所は知ってるから~~!」


 そのまま後退ると、アステールはユージンを引っ張って飛び出した。



 ***



 冷たい水が指の隙間を流れる。川に着いたは良いが、どうやって運んだものかとアステールは頭を抱えていた。慌てて飛び出したせいで、水を汲む方法までは考えていなかったのだ。


(それと……)


 アステールの後ろで腕を組み、怒りを表すように身体から靄を噴き出すユージンもどうにかしなければならない。アステールは水に映る歪んだ自身の表情を見て、溜息を吐いた。

 落ち着いて考えてみれば、ユージンはそもそも人族ではないのだ。あの場で関係していたのはアステールただ一人。ユージンが関係ないと思うのもわかる。だが、相手からすればどちらも人族で、絶賛憎んでいる対象だ。


(……どうしたものかなぁ)


 水で絆されてはくれないものだろうか。否、そんな上手い話はない。アステールとて家を壊されて詫びを持って来たから許せと言われても許せるわけもないし、無関係だと開き直られたら腹が立つことこの上ない。

 とんだ板挟みだと悩んでいると、ずっと黙りこくっていたユージンが痺れを切らした。


「おい」

「おいじゃなくてアステールって名前があるんだけど」

「……どうして関係がないのに引き下がるんだ。あの生物が欠片を持っていることはわかったんだ、後は取り戻したら済むだろう」


 名前の件は無視するようだ。アステールが不服な表情を浮かべると、ユージンは気まずそうに一拍を置いて尋ねた。本気でわかっていないのだろうか。アステールが片眉を上げると、ユージンは増々靄を噴き出す。もしかすると、この行動は困惑を表しているのかもしれない。

 アステールはわざとらしく肩を竦めた。


「ユージン、無駄に敵を作るのは良くないよ」

「敵? あの弱い生物がか。あんなものが幾ら敵に回ったところで何の弊害にもならないだろ」

花人族(アントス)は弱くても、針人族(ペロネー)がいるんだよ? あんな槍を向けられちゃ、ひとたまりもないでしょ」

「あんな針でソラビトをどうにかできるものか」

「あのねぇ……欠片を持ってる人たち皆にそんな態度を取るつもり? どれだけ君が強くたって、僕らは二人しかいないんだ。世界中が敵に回ったら、二人じゃどうしようもないでしょ?」


 アステールはユージンに人差し指を突き付けた。その指先を、ユージンが目を瞬かせながら見つめる。そして、「二人、二人か……」と噛み締めるように呟いた。形容しがたい感情の籠った呟きに、アステールはハッと息を呑む。

 ソラビトは世界にたった一つしかいないとユージンは言った。もしかすると、今までユージン自身が誰とも関わらずに生きてきたのかもしれない。味方だというのに、何もわかっていなかったのはアステールも同じだ。


「……ユージン、何も言わずに勝手なことしてごめん」

「? 別にお前が謝るようなことは何もないだろ」


 首を傾げるユージンにアステールはただ謝りたかっただけだと笑った。


「それよりも! 水を汲んでくるって言ったんだからどうにかしてこの水を運ばないと……」


 気持ちを切り替えて、川に向き直る。まずはできることを一つ一つやって、信用を得なければならないのだから。


「何だ、そんなことか」


 アステールが意気込んで拳を握ると、ユージンが事も無げに頷いた。そして、アステールの横を通り抜けて川へと近付き、手を水に浸ける。一体何をするのだろうとアステールがユージンの肩越しに見つめていると、揺らぐ水の中でユージンの手が僅かに脈打つのが見えた。気のせいだろうかと眼を擦るも、やはり奇妙に動いている。


「ユージン、それって……」

「一時的に水を取り込んでいるだけだ。……これくらいで大丈夫か」


 どれくらい汲めたのかはさっぱりわからないが、満足気にユージンが手を水から離す。アステールがハンカチを手渡そうとすると、手が濡れていないことに気付いた。水滴も全て取り込んだのかもしれない。

 本当に何でもできるんだな、とアステールは突っ込むのも止めてただ感心した。


「じゃあ戻ろっか」

「水を渡せば欠片は取り戻せるのか?」

「それはわからない。……少なくとも、僕たちと友好を結んでも良いって思われなきゃ無理だろうね」

「ふうん……随分と回りくどいんだな」


 ユージンが心底面倒であることを隠しもせずに返す。そうは言いつつもすぐ後ろを着いて歩くのだから、素直ではない。アステールは込み上げる笑いが聞こえないように口を押えた。


 来た道を辿り、途中の道で零れたように咲く残花にも水を与える。そうして時間を掛けつつ戻ると、揺り篭の間にはすでにメリサと幼き女王の姿はなかった。唯一残っていたアコニトがアステールたちに気付き、声を掛けた。


「あら、漸く戻ったのね」

「メリサさんと女王様は?」


 どこに行ってしまったのだろうか。アステールが尋ねると、アコニトは蔓の巻き付いた指で最初に来た方角を示した。


「あの子ったらまだ弱ってるくせに、様子を見て回るって言って聞かなかったのよ。メリサも仕方ないからって連れて行くし……」

「アコニトさんって女王様とメリサさんと仲良しなんだね。家族みたいだ」


 幼き女王と対面したときは畏まった風を装うものの、慈しんでいるのだろうということがよくわかる。メリサに対しても、気を許していることが伝わってくる。

 そう告げると、アコニトはほんのりと耳を染めた。


「……あの子たちだけがこんなわたくしを認めてくれたんだもの」


 そして、聞き取れないほどの小声で何かを呟くと、さっさとメリサたちの元へ行けとばかりに手を払う。


「先に水だけ渡したいんだが」

「本当に汲んできたの? その割には手ぶらのようだけど……まあいいわ。そこの壺の形をした植物にでも入れておいてちょうだい」


 アコニトが指差した先には、片口のある壺の形をした植物が連なっていた。壺からは蔓が持ち手のように生えている。何とも不思議なものだとアステールが見つめる横で、ユージンは壺に手を入れた。

 どうやって水を出すのだろうと見守っていると、黒い指先からじわりと靄が滲む。その靄が壺の底に着いた途端、ぴちゃりと水が弾ける音と共に靄が割れ、中から水が溢れ出した。見る見るうちに、壺が満たされていく。


「……君って本当に何でもできるんだね」

「できることだけな」


 アステールが唖然とした表情でアコニトの元まで戻ると、アコニトが不思議そうに首を傾げた。何か問題があったのかとユージンの元へ向かおうとするアコニトに、慌てて首を振る。


「そうだ、アコニトさん。この壺って持って行っても大丈夫かな?」


 流石に他の人の前でユージンが指先から水を出す姿を見せるのは問題だろう。そう思って尋ねると、アコニトはユージンからアステールへと顔を向けて頷いた。自身も残花に水を遣るために壺を取ってこようとするので、再び慌てることにはなったが。

 どうにかこうにか、アステールが持っていた壺を押し付けたので事なきを得た。

 そうこうしているうちに、壺を両手に持ったユージンが戻ってくる。


「……どうかしたのか」

「ううん、なんでもないよ、なんでも……。それよりも早く二人の元に行こう! きっと待ってるんじゃないかな! ね! ね!?」

「え、ええ……そうね……?」


 挙動が可笑しいアステールに顔を見合わせるユージンとアコニトを必死の思いで連れ出す。道中で残花に水を遣りつつも、勝手知ったるとばかりに先へと急ぐ。いつの間にかユージンやアコニトとの距離が開いていたが、先へと顔を向けると、開けた場所にメリサが立っているのが見えた。

 ぼんやりと何処かを見ている彼の視線の先を辿ると、残花が集う場所に座り込んだ幼き女王が祈りを捧げるように手を組んでいる。離れた場所から周囲を警戒するように立っていたメリサが、アステールの足音に気付いた。


「お、戻ったか」

「待たせてごめん」


 片手を上げるメリサに謝りつつ、足を速める。その振動で、腕の傷がずきんと痛みを主張し、壺から水が零れた。

 水に濡れた手に、思わず顔を顰める。突然立ち止まったアステールを心配に思ったのか、メリサが駆け寄ってきた。アステールの後ろからもまた、アコニトとユージンがゆったりと近付いてくる。


「そんなに待っちゃいないさ。水も持ってきてくれたんだな」

「うん、たっぷり壺三つ分だよ」

「そいつは大量だな! 悪いがお嬢に持って行ってくれねぇか」

「お祈りしてるようだけど邪魔しちゃっても大丈夫?」

「気付くのを待ってたら日が暮れるぜ」


 そう言ってメリサは幼き女王の方を親指で指した。確かにメリサの言う通り、先程から幼き女王は微動だにしていない。アステールたちの会話は微塵も聞こえていないらしい。

 メリサはユージンの方にも顔を向けると、少し目を丸くした。触角が落ち着きなく動いている。


「もしかしてアコニトも来たのか」

「来ちゃ悪いかしら」

「いや……人族と一緒に居たくはないかと」

「別に、わたくしだって好きで来たんじゃないわ。壺が余っていたから仕方なくよ。……それより重いのだけど」


 アコニトが拗ねたように唇をつんと尖らせた。機嫌を損ねたことは声音でわかるのか、二対の腕がわたわたと動いている。そんな情けないメリサに、アコニトが壺を押し付けようと差し出す。

 どう見ても照れ隠しだ。アステールは込み上げてくる笑いを堪え切れず、くすくすと声に出した。


「ちょっと、何が可笑しい……」


 アステールの笑い声を聞き咎めたアコニトが、眦を吊り上げてアステールを睨む。だが、照れたような表情はすぐに血の気が引いたように真っ青に変わった。


「女王……ッ!」


 アコニトが幼き女王に向かって手を伸ばす。アステールが振り向くと、木陰から何者かが祈りを捧げる女王に近付いてくるのが見えた。

 木漏れ日に顔が照らされた瞬間、ドクンと心臓が強く脈打つ。

 壺が手から滑り落ち、辺り一面に水が散らばった。靴が濡れ、蹴り上げた水が雫となって跳ねる。


 アステールは、考えるよりも先に走り出した。


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