Episode5. 花の騎士と探しもの
しんと水を打ったような静けさが広がる。気まずさにユージンから顔を背けると、いつからそこにいたのか、誰かの足が目に飛び込んできた。
「そこの金色の少年」
「え……と、僕のこと……?」
黒いブーツが近寄ってくる。その足の大きさからして、アステールたちよりも遥かに背の高い人物であることが窺える。まさか里の大人だろうかと恐る恐る顔を上げると、見たこともない柔らかな黒地に、淡い黄色のファーが付いた服を身に纏う男が立っていた。男は二対の腕を組み、背から生えた薄羽と頭上の触覚を小刻みに動かしている。
額には小さな黒い球体が三つ付いており、何処からどう見ても人族ではない。その上、その背には槍が背負われているのだから、アステールは男を見上げたまま固まった。
「黒い少年の言う通り、どうして言い返さねぇんだ」
「ぇ~~……」
「時には、たとえ死んだとしても抗わなければならないこともあるだろう! そうでもなきゃ、大切な奴を守ることなんて……」
熱く語ったかと思いきや、突然男の双眸から大粒の涙が零れ落ちる。思いの他面倒な者に絡まれたのかもしれない。アステールは困惑した表情を隠さないまま男の様子を観察した。
話の内容から察するに、誰か大切な人を失ったのだろう。だが、出会って間もない人に尋ねるような話題でもない。どうしようかと困り果ててユージンを見上げると、任せろとばかりの頼もしい頷きが返ってきた。
「あんたは誰かを守れなかったのか」
「ちょっ……!!」
何をド直球に聞いているんだとアステールが目を剥く。だが、男は怒るわけでもなく、聞いてくれるかとユージンに縋りついた。
その手をユージンが容赦なく払い除ける。男はひりつく手に息を吹きかけながら、アステールたちの傍に座り込んだ。
「俺はメリサ……花人族の護衛をしている」
「花人族? メリサさんは花人族って言う種族なの?」
「いや、俺は針人族だ。花人族は、幾重にも重なった花弁を身に纏っている種族……って言やぁ想像がつくか?」
メリサに問われ、アステールは周辺の花に目を向けた。まさかこの花々は花人族であったのだろうか。幾度か花を貰っていったこともあったが、もしかしたらとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
蒼褪めるアステールに、メリサは可笑しそうに目元の涙を拭き取った。
「心配すんな、これは花人族の残花だ。花人族はその身の性質上、棲み処の周辺に多くの花を咲かせる。まあ、これに関しては俺たち針人族も関与しているわけだが……」
メリサは周囲を見渡すと、目を伏せ、「この辺も随分寂しくなったものだ」と独り言ちた。これだけ荒らされているのだ、かつての姿は見る影もない。
しんみりと萎れた花を見つめていると、メリサが思い出したように顔を上げた。
「おっと、言い忘れてたぜ。さっきの話の続きな……俺には守るべき人がいるんだ。だが、ちょっと目を離した隙に姿を晦ませちまってな……」
「死んだのか」
歯に衣着せぬ物言いに、メリサが首を横に振る。
「いいや、死んではねぇとは思う。だが、無事とも思えねぇ」
「何故わかる?」
「まだこの花たちが枯れてないからな。この花は親株であるお嬢――俺が守るべき人が生きている限り全滅することはねぇ。ただ、この有様から察するに、お嬢に何かがあったことには違いないんだ」
アステールはなるほど、と頷いた。この花は何者かによって荒らされた跡もあるが、確かにそれ以外の要因で萎れているようにも感じられた。即ち、メリサが言う花人族の身に何かがあったことを表しているのだろう。
ユージンも感心したように「有事がわかるとは随分と便利な」と呟いた。
「で、それが抗うこととどう関係があるわけ?」
「いや、それはだな……」
ユージンがすっぱりと斬り込む。対するメリサは言い難そうにもごもごと口を動かした後、ぎりぎり聞き取れなくもない音量で答えた。
「二日くらい前か……やけに空が眩い夜があっただろう」
星が降る夜のことだろう。アステールが頷くのを確認すると、メリサは空を仰いだ。
「俺はあの夜、光が落ちてくるのを見たんだ。大層強い光でな……どんどんと眼前に近付いてきた」
まさか星の欠片はこの辺りに落ちたのだろうか。思わずユージンと目を合わせる。
「光自体はそんなに大きくはなかっただろうが、とにかく眩くてな……触れれば身体が焼き切れるんじゃねぇかと俺は怖気づいたのさ」
「それでどうしたの?」
「逃げたさ。でも、逃げた後で俺はお嬢を置いてきちまったことに気付いた。……最低だろ?」
日に焼けた手が顔を覆う。メリサが手の中で何かを呟くが、震えた声は手に阻まれてくぐもった呻き声にしか聞こえない。
「ねえ、ユージン。もしかしてこの辺りの花が弱っているのって星の欠片が影響してる? その……花人族のお嬢さんが持ってる可能性って」
「大いに有り得る」
だとしたら、アステールたちとしても放ってはおけない。アステールはメリサに向き直った。
「メリサさんはそのお嬢さんを探したいんだよね? 僕たちも探し物をしてるんだ、よかったら手伝うよ」
「……いいのか?」
メリサが手を下ろし、尋ねる。弱々しいその姿に、アステールは笑って手を差し伸べた。
***
先頭を歩くメリサが、背負っていた槍の柄でさくりさくりと花を掻き分けた。どの花も萎れて俯いており、花人族の影響を受けていることが計り知れる。これだけ広範囲に渡って花を咲かせ、その命に影響する花人族とは一体どんな生物なのだろうか。そんな疑問を抱いていると、メリサが眉根を顰めて立ち止まった。
「……可笑しいな」
「どうしたの、メリサさん」
「いや……お嬢以外の残花も全部軽いんだ。どれも水分が足りてないような」
そう言うと、メリサは足元に咲く薄紫色の花を指差した。親株の違いなどアステールにはわからないが、確かにこの辺りも一面の花が俯いている。親株が異なるのだとすれば、メリサの探し人以外にも星の欠片によって被害を受けた人がいるのかもしれない。
それにしても、とアステールはそっとユージンを窺い見た。
これだけ注意深く意識を集中していても、肝心の欠片の場所がわからない。協力するなど、時期尚早であったのだろうか。
「……あれは」
歩き出して暫く経つと、ユージンが何かを発見した。
アステールも彼の視線の先を辿ると、花弁の衣装を身に纏った人物が岩にへたり込むようにして座っていた。その人物の髪からは紫色の花が幾つも咲いており、袖から覗く腕からも植物が生えている。
一目で、その人物が花人族であることがわかった。
「もしかしてメリサさんの探し人?」
「いや……」
アステールが尋ねると、メリサが目を細める。どこか煮え切らない態度でメリサが応えようとすると、ぼんやりと足をぶらつかせていた花人族がアステールたちの方へと顔を向けた。
「あら、あらあらあら……メリサじゃない。どこに行ってたのよぅ」
花人族がちょいちょいと誘うように手招く。知人ではあるらしいが、苦手意識があるのかメリサは口元を引き攣らせた。
メリサの表情の変化には気付いているであろうに、花人族は愉快であることを隠そうともせずにくふくふと笑う。その可憐な姿に、アステールは何故メリサから嫌がられているのだろうと首を傾げた。
「アコニト……」
「つれないわね、メリサ。こんなところで遊んでいるならわたくしを誘ってくれてもいいじゃない。あの子の御守りはいつ終わったのかしら?」
「いや、それは……」
アコニトと呼ばれた花人族は事情を知っているのか、的確にメリサに刺さることを尋ねる。どうやらただならぬ関係ではあるのだろう。
隣でユージンが心底退屈そうに欠伸を溢すと、アコニトの意識がこちらに向いた。
「もしかしてそこの花無したちのせい?」
「花無し?」
アステールが首を傾げると、メリサが花人族の中でも花を持たない者たちがいるのだと答えた。アステールが納得すると、今度はアコニトが訝し気にアステールとユージンを睨む。そして目を丸くすると、すぐさま怒りを露わにした。
「貴方どこかで……ちょっと待って。まさかそれ、人族?」
「ああ。こいつらは」
「わたくしに近付けないでちょうだい!」
急に態度を変えたアコニトに、アステールの肩が跳ねる。何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。毛を逆立てるアコニトをアステールの視界から消すように、ユージンが半歩前に出た。
「おい、近付けるなとはどういうことだ」
「どうもこうもないわよ。嫌だから嫌って言ってるの」
冷たい視線で問い詰めるユージンに、アコニトがふんと鼻を鳴らす。それをまあまあとメリサと共に宥めると、向こうの味方をするのかと双方ともに怒られた。
「ところでアコニト、お嬢の行方を知らないか」
「……知っていたとして、どうして貴方にそれを教えないといけないわけ」
「頼む、教えてくれ……」
「嫌よ」
懇願するメリサをアコニトが冷たくあしらう。だが、メリサもそれでは引き下がらない。何度か同じやり取りが繰り返された後、先に折れたのはアコニトの方であった。
「貴方は知らないでしょうけど……あの子は今、泣き疲れて漸く眠ったところなの。他の子たちもあの子に感化されて……」
「お嬢が……? ……いや、それは手間を掛けさせたな」
「……ねえ、メリサ。今回のこと、ちょっと可笑しくないかしら。皆何だか妙に感情が抑えきれないみたいで、涙が勝手に流れ出してしまうみたいなの」
あの子もそう、と俯くアコニトは存外に仲間思いのように見える。二人の会話を聞き流しながら、アステールはアコニトの言葉に引っ掛かりを覚えた。
抑えきれない感情。勝手に流れ出る涙。二人の話では、メリサの探し人が涙を流すことは滅多とない。周囲の花人族も感化されるほどとなると、そこに星の欠片の力が作用している可能性が高い。
考えろ、考えろと記憶に呼び掛ける。
(留まらない流れ、流動。脈動を促す……【運び手】!)
アステールははっと口元を押さえた。そして、すぐ側のユージンに耳打ちをする。
「今回のって……」
「ああ、十中八九【運び手】の仕業だ」
やはり、アステールの推測通りの答えが返ってきた。となれば、現在比較的影響を受けていないであろうアコニトより、メリサの探し人が欠片を所持している可能性の方が高い。
アステールは、俯くアコニトに声を掛けた。
「アコニトさん、お嬢さんの場所を僕たちに教えて欲しいんだ」
「……貴方、先程のわたくしの話を聞いていたかしら。それとも、都合の悪い話は聞かない人?」
「断りたいのはわかってる……部外者の僕らを仲間に近付けたくないのも。でも、僕たちならどうにかできるかもしれない」
「アコニト、警戒する気持ちはわかるがこいつらは悪い奴じゃない」
アステールが頭を下げると、メリサが援護するように言葉を続ける。髪の隙間から、アコニトが後退るのが見えた。
そっと彼女の表情を窺うと、綺麗な眉が八の字に下がっている。てっきり怒りのままに突き返されるかと思ったのだが、睫毛に縁取られた瞳はどちらかというと悲しそうな色を浮かべていた。
「……ふん、好きにすればいいじゃない」
そうして、アステールが何か言うよりも先に、アコニトは顔を背けて歩き出した。
***
アコニトに案内されるがまま、枝垂れる樹木によって覆い隠された場所を掻き分けていく。大きな葉や草が揺り篭を編んだように固まっており、それが花人族の寝台なのだろうと容易に想像ができた。
涼し気な風が日陰を作っている葉を揺らし、緑の中に眠る色とりどりの花人族を浮かび上がらせる。すやすやと安らかに眠る花人族は皆、人が入ってきても起きる気配がない。頬に残る跡に、先程まで泣いていたことが窺える。
その横を通り抜け、アコニトがとある揺り篭の前で止まった。他よりも一段と小さな揺り篭だ。
「お嬢……っ!」
メリサが一際小さい揺り篭に駆け寄ると、その中に眠る花人族を二対の腕で大事そうに抱えた。どうやら探し人は無事に見つかったらしい。アステールとユージンが覗き込むと、白い花でできたヘッドドレスを被った幼子が眠っていた。
急に揺れたことが気に障ったのか、メリサの腕の中に抱えられた存在がむずがるように呻く。口元が何かを食むように動き、睫毛を震わせる。他者の視線に気付いたのか、幼子は薄らと目を開けた。
「……しらない、ひと」
「お嬢……!」
「めりさ。ぶじ、だったのね」
幼い見た目に反し、言葉選びは随分と大人らしい。そんなことを考えていると、幼子の瞳から水滴がぽたりぽたりと伝っていった。
「めりさ、ごめんなさい。あなたの、いうとおり。にげておけばよかった、のね」
「俺が置いてったからだ……! すまない、すまない……!」
「いいの、わるくないの。わたしが、みほれてしまったから」
二人が互いに謝り続ける。その間も涙は止めどなく溢れ、メリサの腕を濡らした。これも【運び手】の力なのだろうか。ユージンに確認したいところだが、この感動の再会に水を差すのも気が引ける。
一先ず双方ともに落ち着くまで待った方が良いだろう。そうアステールが結論を出した時、ユージンが腕を組んで冷たく言い放った。
「気は済んだか」
「あ……ああ、悪い。すっかりほったらかしにしちまった」
「それはいい。それより……あんた、墜ちた光はどうした」
ユージンが空気も読まずに尋ねるも、二人は気を悪くはしなかったようだ。アステールがほっと胸を撫で下ろしている隙に話は進む。
暫くぼんやりと問われた質問の内容を吟味していた幼子が思い至ったように手を打った。




