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Episode1. 星が降る夜

 星々が空に瞬いた。軒先に釣られた提灯(ランタン)が息を潜めた寂しげな家を照らす。ちかちか、きらきら。瞬きさえも音がしそうなほどの静けさが森を覆っていた。

 やがて夜空は溜息を吐くように星を一滴落とした。その一滴は一等輝き、地に落ちていった。



 ***



「いた……ッ」


 重たい衝撃が、眼前に構えた腕を襲う。痣だらけの腕からじんわりと痺れが伝わってくる。

 少年は青空を閉じ込めたような瞳に涙を蓄えた。その雫がまろい頬を伝った途端、衝撃を与えた元凶が下卑た笑い声を上げる。

 それは、同じ里に暮らす人族の子どもたちであった。同じというには少し語弊があるが、少なくとも同じ年頃の、見知った相手だ。そんな子どもらが、拳大の石を手にしながら無遠慮に近付いてくる。

 少年が思わず後退ると、それすらも子どもたちの笑いを誘発した。


「弱虫アステール、英雄の子どもが泣き虫だなんて聞いて呆れるな」

「父親はあんなに立派なのにって大人たちも言ってたぜ」


 投げかけられた言葉に、アステールと呼ばれた少年は顔を真っ赤に染めた。日に焼けていない肌はその色の変化を容易に映し出す。すると、また子どもたちは可笑しそうに笑うのである。


「アステールは魔女の血を引いてるんだから仕方ないさ」


 揶揄う子どもたちの親玉が「そうだろう?」とアステールに同意を求めた。

 魔女とは、人々を化け物に変えるとまことしやかに囁かれている御伽噺の中の存在だ。勿論、そんなものが存在しないことなど皆重々承知しているのだが、里の者はアステールの母親を「魔女」と呼んでいる。初めのうちは冗談半分であったのかもしれないが、噂は徐々に広がり、恐れた里の者たちによって母親は魔女として糾弾された。


「お母様は、魔女なんかじゃ……」

「はぁ? 俺たちが嘘を吐いてるって言いたいのかよ、魔女の子のくせに!」


 そんな子どもたちの言葉を否定しようとしたアステールに、再度石が投げられた。咄嗟に腕で顔を庇うと、石が腕を掠り、血が滲む。

 一人が石を投げると、他の子どもも面白くなって我先にと石を投げ出す。これ以上投げられては身が持たないと、アステールは子どもたちに背を向けて走った。

 里の者は森の奥へ入ってくることはほとんどない。子どもたちもそれは同じであるのか、アステールの後を追ってくることはなかった。


「弱虫アステール! ほんとにお前が英雄の子どもだって言うのなら抵抗してみろ!」


 代わりに言葉の石が投げられる。構えようのない攻撃に、アステールの目からは涙が溢れてきた。森の奥へと入ってしまえば、誰かに見られて馬鹿にされることもない。それでも、脳裏では泣き虫と嘲笑われた記憶が巡り、アステールは悔しさに更に目頭が熱くなるのを感じた。


「お母様は魔女なんかじゃない! 身体が弱いのに……病気がちなのに、こんな森の中へと追い出したお前たちの方がよっぽど魔女じゃないのか!」


 言えなかった言葉が今更口を衝いて出てくる。それが余計に惨めで、アステールは言い返すことすらできない自分に嫌気が差していた。

 いつからこんな扱いを受けるようになったのかも、どうして自分たちだけがこんな扱いを受けているのかもアステールにはわからなかった。ただ知っていることは、里の人族は異種族を恐れており、そんな異種族の住まう森に母親とアステールを捨てたということくらいだ。

 幸いにして、異種族は人族を嫌っているというわけではなかったようで、アステールたちは心優しい猫人族(アイエルーロス)のおばばに拾われた。


「何も知らないくせに……!」


 それでも、環境が変わったせいかあるいは悪意を向けられたせいか、母親は日に日に体調を崩していった。今も一日のほとんどを寝台で過ごすほどだ。外に出られない母親に少しでも楽しみがあればと、季節が感じられる花や実を採りに行くことがアステールに唯一できることであった。

 今日のように森の浅い場所では里の人間に出くわすこともあるのだが、そんな日は大抵一方的にやられて逃げ帰る他ない。弱虫アステールというのもあながち間違いではないのかもしれない。

 そんな思考に囚われていたためか、アステールは足元に転がっていた石に足を取られた。いつもの癖で頭は庇えたものの、派手に転ぶ。


「また石か! こんなもの……!」


 つい怒りが勝り、アステールは力任せに石を放り投げた。

 石に八つ当たりしたところで気分が晴れるわけでもなく、草の汁に濡れた靴を見つめる。すると、投げた石が何かにぶつかったのか、頭上でギャッと悲鳴が聞こえた。

 恐る恐る顔を上げると、一羽の鳥がわなわなと震えながら滞空しているのが見える。その嘴に何やら黒い綿のような物体を咥えているようだ。アステールの位置からではその綿の正体はわからないが、巣に餌を持って帰る途中であったのかもしれない。


「わ、ごめん! わざとじゃないんだ……!」


 いずれにせよ災難な鳥にアステールが謝ろうとした途端、鳥は怒りに任せて騒ぎ始めた。その拍子に、黒い物体から何か輝く球体が降ってくる。

 球体は悠々と速度を落としながら降りてきて、アステールの頭上で止まった。奇しくもアステールの髪と同じ蜂蜜色をした球体は飴玉にも似ているが、光を受けて淡く輝いている。

 中の気泡が星のように輝く様に見惚れていると、鳥が更に声を荒げた。まるで球体が自分のものであると主張する必死な形相に、球体を見上げていたアステールが一瞬硬直する。

 このままぶつかって来るのでは、と身構えたときであった。


「ぅ、ぶ」


 鳥よりも先に、嘴に咥えられていたはずの黒い物体が落ちてきたのだ。思いの他大きさのあった物体は、球体を巻き込んでアステールの顔面に張り付く。思わず声を上げると、その隙間から球体が口に入った。

 慌てて黒い物体を引き剥がすも、時はすでに遅く。勢いのまま喉元に降りてきた球体は、アステールが反射的に嚥下したことで胃の中へと呑み込まれてしまった。


「……不味い」


 否、味は不味くはない。味わう間もなかったが、少なくとも無味無臭であった。おかげでそれが食べ物ではないことがはっきりしたわけだが、得体の知れないものを呑み込んでしまったことに顔面が蒼白になる。

 アステールは引き剥がした黒い物体を地面に置くと、怒る鳥も黙り込むほどの形相で森の奥へと駆け出した。目指すは我が家ではなく、母親の主治医であるおばばの元だ。


 慌てて走り去ったアステールは気付かなかったが、その後ろ姿を、人ひとりが収まるほどの大きさの球体が見ていた。球体が現れた途端、鳥が泡を吹いて失神する。

 球体はその内側から艶やかな黒い蔦を出し、傍に置かれた黒い綿のような物体を回収すると、失神した鳥にその触手を伸ばした。

 がり、ごりと骨を砕く音が辺りに響く。その間も、球体はアステールの去った先を見据えていた。



 ***



「おばばぁーーっ!!!!」


 ドンドンと叩き壊す勢いで扉を叩く。生憎、そんな力はないと一目でわかるくらいには貧相な腕をしているため、音だけなのだが。それでも相当煩いことに間違いはなく、案の定アステールは扉が開かれた途端に目に星を散らす羽目になった。


「煩いよ、小僧」


 ちかちかと瞬く視界が小さな人影を捕らえる。その人物はお玉を持った手を下ろすと、目を丸くさせた。


「どうしたんだい、小僧。今日もえらく傷をこさえてきたじゃないか」

「頭のこぶはたった今おばばが作ったんですけど……」


 熱を帯びる頭部を抑えながらアステールが涙目で訴えかけると、おばばは猫耳を細やかに震わせて何のことだと惚けた表情をしてみせた。そして、何事もなかったかの如く「今日も傷の手当てをしに来たんだろう」と家に入るように勧める。

 何度も何度も、里の子どもにやられる度にこうしておばばの元へ赴くものだから、突然の訪問にもすっかり慣れた様子だ。おばばの家には、アステール専用の包帯や薬をまとめた籠が置かれていた。


「全く、今日こそは仕返しできたかい? この暴れん坊め」

「僕から仕掛けたことなんてないですし、僕にそんなことができるとお思いで?」


 心外だと眉を顰めると、おばばは薬を塗り込んだばかりの傷を軽く叩いた。容赦のない攻撃に生理的に涙が滲む。


「何にせよ、これだけ傷だらけで母親を心配させてるんじゃぁ、あんたはいつまで経っても暴れん坊さ」


 母親が気負わないようにと、アステールは自身が里の子どもにいじめられていることを伝えていなかった。代わりに森で遊んで傷を作ってきたことにしているのだから、おばばもこんな風にアステールを揶揄(からか)うのである。

 傷口に包帯を巻いていると、おばばは傷薬を仕舞いながら「それで」と口を開いた。


「あんたのあの焦りようだと、何かとんでもないことでもあったのかい?」

「あ……っ!」


 おばばに問われてアステールは漸く思い出した。慌てるがあまりに包帯を地面に落とすと、おばばから落ち着けと呆れた視線が向けられる。


「僕さっき変なもの吞み込んじゃって!」

「変なもの?」

「そう、蜂蜜色の球体できらきら輝いてて……」

「……飴玉じゃないかい?」


 そうなのだろうか。おばばに言われると飴玉であったような気もしてくる。変に無味無臭であったが、味わう前に飲み込んでしまったのも確かだ。

 しかし、それで納得しかけたアステールとは裏腹に、おばばはそういえばと何かを思い出したように手を打った。


「そういや確か、昨夜は星が降る夜だったね」

「星が降る夜……?」


 唐突な言葉に、アステールが首を傾げる。そんなアステールに対し、おばばは気にした様子もなく話を続けた。


「世界がこんな風になる前……わしら猫人族が大きな街に暮らしていた頃よりもずっと前だよ。わしよりもずぅっと長生きをしている奴に聞いた話だがね」


 星が一等瞬く夜、夜空は星の輝きに照らされ、この大地に降り立った。その光に導かれるように、大地からも光が昇る。光は交差し、やがて一つが砕けると、残された光は大地へと溶けた。光の溶けた大地は光から恵みを受けたように豊かになった。

 確かこの光は玉の形をしていたはずだ、とおばばにしては珍しく確証のない話をした。


「なんだか御伽噺のような話ですね」

「まさに御伽噺さ。わしもその頃に生きていたわけじゃないからね」


 おばばも認める御伽噺が一体何の関係があるのだろうと訝し気に見つめると、おばばはこれだから若者はせっかちで困ると言いたげに目を細めた。


「昨夜は確かに星が一際輝いていたし、この地に流れてきていたのを見たんだよ」

「……どういうことです?」

「つまり、だ。わしはあんたが呑み込んじまった玉が、御伽噺に出てきた星じゃないかと考えているのさ」


 途方もない話だ。アステールが目を瞬かせると、おばばは可笑しそうに細めた目をさらに細くする。なんだか身の危険を感じるとアステールが身構えると、おばばはお玉を取り出した。


「さぁて。星を呑み込んだ人間が死んだら、この地は豊かになるのかねぇ?」


 にんまりと笑む顔に全身が粟立つ。

 森の恵みはあるが、人の往来はない閉ざされた森。代わり映えもないこの森がさらに豊かになれば、他の地に散らばった同種族も集うかもしれない。いくらおばばが善人であるとはいえ、生活が豊かになるのであれば使う手はないだろう。

 この地が豊かになり、自分の居場所を作り出すことは種族を問わずこの森に追い出された者が願う悲願なのだから。


「僕、急いでるんでこの辺でさよなら……!!」


 アステールはおばばが動く前に包帯を籠に詰めると、一目散におばばの家を飛び出した。閉めることもせずに開け放たれた扉からは、可笑しそうに笑う声が響いて来た。


 ***


 その日の夜。アステールは自身の傷だらけの姿を見るなり、寝込んでしまった母親とは別に一人で夕食を摂った。部屋に戻り、冷たい寝台に横になる。いくら森で遊んでいて転んだと言い訳をしても、これだけ頻繁に生傷が増えていれば薄々勘付いているかもしれない。


(お母様は僕のことを負担に思っているかも……)


 この時間は苦手だ。いつもいつも、脳裏に浮かぶ考えに圧し潰されそうになる。その上、とアステールが瞼を持ち上げると、境目もわからない暗闇がアステールの視界を塞いだ。

 暗闇が支配する空間で己を見失う恐怖から、よれた羊の枕を抱えて丸くなる。幼き日に父親からプレゼントされた、唯一の友だ。こんな姿を里の子どもに見られてはまた弱虫だのと言われるのかもしれないが、アステールは羊の枕がなければ眠ることすらままならなかった。

 物心が付いてからこの方、一人きりの夜しか過ごしたことはない。母親も元気なときはアステールの話し相手になってくれるものの、あまり無理をさせると体調に響いてしまう。父親は仕事で遠い砂漠地帯に滞在しており、顔を合わせることもない。尤も、それが英雄の仕事であるのだから仕方がないと思うほどには、アステールも諦めがついていた。


「今日が終わっても、また明日も同じ……か」


 一人きりで食事をして、森を散策して、時折母親やおばばと話をする。毎日、毎日同じことを繰り返す。仕方のないこととはいえ、アステールは日常に飽き飽きとしていた。せめて何かを共有できる存在がいれば、毎日の繰り返しでもまだ楽しめるかもしれない。

 そんなことを考えていたからだろうか。


「う……眩し……!」


 突然、夢からも一瞬で覚めるような強烈な光が辺りを包み込んだ。瞼を閉じていても感じる眩しさに、思わず飛び起きる。アステールが何事かと部屋を見渡すと、部屋の真ん中に半透明の球体が浮かんでいるのが目に飛び込んできた。


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