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Episode11. 飄風に波立つ

「着きましたよ。降ろせそうですか?」


 大鳥の息子に連れられてきた先は、見覚えのある大きな洞の中であった。大鳥の翁も留守にして暫く経っているのか、薄暗くひんやりと冷えている。

 冷たい床にユージンを降ろすべきか逡巡していると、翼を突いていた大鳥の息子が何かを引き抜いた。


「羽……?」

「ええ、そのままでは身体に響くでしょうから……丁度抜け落ちるものでしたのでお気になさらず」


 そう言ってあと二、三本引き抜くと、床へと並べる。この上にユージンを横たわらせろということだろう。アステールは礼を言うと、抱えたままだった身体を慎重に降ろした。

 入口の光で何とかその姿が見えてはいるが、ぐったりとしたその相貌が暗いのは影のせいではないだろう。そっと、夜空色に濡れた手でユージンの顔を撫でる。

 ここまで連れてきたとて、ほっと息を吐くにはまだ早い。物言わぬ黒い塊にじわじわと眼前の輪郭が歪み、瞬きを繰り返す。閉ざされた瞼の上にぽたり、ぽたりと続けざまに透明の雫が落ちていく。

 どうにもその場から動けずにいると、大鳥の息子が何処からか柔らかそうな布を持ち出してきた。


「とりあえず、応急処置をしましょうか。と言っても、私に治療の知識はないのですが……」

「……うん」

「一先ず傷の状態を見なければ」


 アステールが一歩ユージンから下がると、代わるように大鳥の息子が近寄り、薄膜ほどの靄を嘴で器用に剥がし始めた。何の抵抗もなく引き剥がされる様子にアステールがぎょっと目を剥く。


「何してんの!?」

「ん? この衣は表皮ではないでしょう? あなた方のような種族はこうして外皮を身に着けると聞いたことがあります」


 どうやら布地を退けて傷を見ようとしたようだ。この状態でも問題なく人族として見えているのは何よりだが、眼前に広がる情景は許容しがたい。ユージンにとって靄は肉体の一部なのだから、どちらかといえば皮を剥いでいるようなものではないだろうか。


(ユージンの身体って別に形が決まってるわけじゃなさそうだし大丈夫なのかも……? いや、でも……)


 何にせよ、人族の価値観に当てはめて考えるには倒錯した光景に、アステールは思考を放棄した。そうしている間にも、大鳥の息子はぐったりと力を失っている腕を持ち上げてまじまじと見つめている。


「ふむ……」

「あの……どうかしたの?」


 気難しい声を漏らす大鳥の息子に、何か問題でもあったのかと心臓が縮む。それでも聞かずにはいられないわけで、アステールは両手を祈るように組みながら問い掛けた。


「いえ……思いの他、傷も深くないので問題はなさそうですよ。何か処置でも為されたのですか?」

「そ、そんなはず……! 確かに花人族(アントス)の薬は塗ったけど、だって、血があんなに……! そうだ、背中! 背中が特に酷いはずなんだ!」


 身体の下から伝うほど血が流れ出ていたのだ。傷が深くないなど冗談でも有り得ない。

 だというのに、背を見たところで大鳥の息子が慌てる様子はない。それどころか、首を傾げてさえいる。


「まあまあ、落ち着いて。ね? 打撲痕はありますけど、傷は塞がってますよ?」

「え…………?」

「花人族の特製薬というのはこうも効果がすごいんですねぇ。滅多と出回らない珍しいものなんですよ……ほら、見てください。血に濡れているからいまいち見づらいですけど」


 アステールはぽかんと口を開き、大鳥の息子に促されるがままにユージンへと視線を移した。ひっくり返された背は、確かに夜空色に濡れてはいるが、流れ出ている様子もない。


「本当は水で拭って差し上げたいところなのですが、生憎水瓶の中身が枯渇しておりまして……」


 大鳥の息子が何かを喋りながら、優しく布で背を拭っていく。だが、声は意識から遠く、膜を張ったように脳が言語として受け付けようとしない。ただただ茫然と、夜空色へと染まっていく布を眺めていた。


「こんな、傷が塞がっているなんて……」


 効果があるのかもわからずに塗った花人族の蜂蜜薬だったが、その効き目の高さに拍子抜け、アステールはその場に座り込んだ。確かに、襤褸(ぼろ)切れのようになった自身の身体でさえも数日で歩けるようになったのだから、可能性としては十分にあり得る。

 そこまで考えて、アステールははっと目を見開いた。


(これは真実なんだろうか……)


 本当はユージンが見せたい姿を見せているに過ぎないのではないか。この状態ですら周囲には人族の姿に見せるほどの力だ。ソラビトにとっては息をするよりも容易いことやもしれない。

 アステールは拭いきれない不安を振り払うように頭を振った。


(疑ってどうするんだ……少なくとも僕には【呼び声】の力があるんだから)


【呼び声】を呑み込んだ今、アステールにはソラビトの本質が見える。ならばこの姿も真実であるはずだ。だが、真実であるならば、ユージンが流した血の量はあまりにも多い。服も布も、すっかり水気を吸い取って重くなるほどに。

 幾ら人族とは違えど、生きているという点では同じであることにアステールはぞっと身を凍らせた。


「これで後は父を待ちましょう。さて、今度は貴方の番ですよ」

「僕……? あ、ここまで運んでもらったお礼……」

「何を言っているのですか。彼の傷口から考えて、その服に付いた血液すべてが彼のものとは考えにくいでしょう?」


 流石にこの量を流すほどの大怪我であれば、こんなにすぐに傷が塞がるはずがない。花人族の薬の効果が高いと噂に聞けども、現実的ではないことくらいはアステールにもわかる。

 それでも治りの早さはアステールも経験済みであるし、何より。


「僕はどこも怪我なんてしてないよ。……痛くもないし」

「今何ともないのは、興奮状態にあるからですよ」


 確かに決して平常とは言えないくらいには心臓が煩く鐘を鳴らしている。それでも、本当に痛みなど微塵もない。そもそも人族の血の色はこんな色ではないのだ。

 そんなことを考えていると、気がないことが顔に出ていたのか、ずい、と翼の先端で鼻頭を押された。


(でもでも血の色が違うだなんてそれこそ言えないし!)


 赤色に見えているにせよ、夜空色に見えているにせよ墓穴というもの。アステールが上手く説明もできずにいる内に、あれよあれよと嘴で器用にボタンを外される。

 あっと止める間もなく外気が濡れた肌を撫でて冷やすが、やはりどこにも裂けた痕はなかった。


「おや……? 本当にどこにも傷がない……薄く傷痕はありますが」

「あ、それは古傷……」

「のようですね」


 可笑しいな、と首を傾げる大鳥の息子に心臓が増々早鳴る。その視線がつい、とユージンに向けられた。

 もしやアステールと比べることでユージンの正体が人族ではないとバレたのではなかろうか。内心ドキドキしていると、大きな瞳がアステールを捕らえた。ゆっくりと細められる意味深な視線に、喉の奥がきゅっと鳴る。


「な、なに……?」

「いえ……もしかして」


 バレたのか、バレたのではないか。あの大鳥の子なのだ、洞察力も鋭いに違いない。アステールがまるで捕食される小動物の様に震えていると、大鳥の息子が真剣な表情で告げた。


「父、迷子になっているのでは……?」


 一拍、沈黙が場を収める。辿り着いた頃よりも入口に差し込む光は短くなり、そっと外を窺えば綺麗な夕焼け色が見えた。


「……そうかも」

「わ、私、父を探してきます!」


 そう言うや否や、大鳥の息子はバサバサと羽を広げて外へと飛び立った。その後ろ姿を見送った後、奥で眠っているユージンの側に腰を下ろす。

 いつまで経っても開かれない瞼の縁を親指の腹でなぞると、夜空が薄らと開かれた。その縁から見慣れた星が顔を覗かせた。


「! ユージン……!」


 意識を取り戻したユージンの蔦を握りしめる。ユージンはここが何処かも検討が付いていないのか、呆然とアステールの表情を見つめた後、喜色を浮かべた。


「よかった、気が付いて! ここ、わかる? おじいさんの家で僕ら」

「嗚呼……ミラ…………」


 たった一言、心から溢れた安堵を瞳に湛えた後、もう一度眠るように瞼が閉じられる。ユージンの身体から力が抜け、アステールの手の隙間から蔦が滑り落ちた。


「ミ、ラ……?」


 ガツンと星が落ちたような衝撃。覚えのある名前に、アステールは震える手で鞄を開いた。その中から真っ白な紙を取り出し、開く。

 探さずとも目に飛び込んでくる。手紙の受取人の名前。


「ミラ……ミラ。ユージンの、友達」


 手紙の端がじわじわと夜空色に染まっていく。

 その染みは、アステールの心の内を表すようにじんわりと広がった。


 ***


 その場で息を詰めてどれだけ経っただろうか。アステールは、真っ暗な闇に染まってしまった洞の中で、ただ目の前の存在を見失わないように見つめ続けていた。

 その間にいくつもの考えが過ったような気もするし、何も考えていなかったようにも感じる。兎に角、ぼんやりと、あるいは呆然としていた。

 ふと、風音が耳を撫で、視線だけを外へと向ける。満月のような大きな瞳が静かにこちらを見返していた。


「……おじいさん」

「これ、こんなに暗いところで何をしておるのじゃ。明かりを付けねば見えんじゃろ」

「ほんとだ。人族は夜目が効かないのでは? もしかしてあれからずっとそうしていたんですか?」


 対の光が尾を引き、呆れ紛れに首を横に振ったことが窺える。それでもアステールが動かないとわかったのか、大鳥の息子が寝台横に置かれた霊灯(フォス)の実を剥き、辺りを灯した。

 光が身体を温かく照らし、自ずと肩の力が抜ける。それでも、冷え切った手は凍り付いたように手紙を握ったまま動かない。


「む? 今朝言っておった手紙かの? 届けるのであれば預かっておこうか」

「こんな状況ですし、私が届けましょうか?」

「いや。これはお前では不適任じゃろうて……相手方の居場所が不明な案件じゃからの。地道に風を頼って探す他ない」

「……そう、ですか」


 大鳥の言葉にぐ、と唇に痛みが走る。思わず噛んでしまっていたようだ。

 彼の言う通り、相手——ミラの居場所はわからない。それどころか、これから出会うことも手紙が届けられることも一生ない。

 それは、アステールの心に黒い余裕を生み出していた。


(なのに、ユージンは僕じゃなくてミラの名前を呼んだ)


 裏切ったというのに、ミラはユージンの心の中で友人として堂々と居座っている。それがどうしてだか、胸を騒めかせて静まらない。荒波に呑まれるような息苦しさに溺れそうになる。


「ふむ……確かに血も止まって傷も塞がっておるな。じゃが、流した血が多い……暫くは安静にしておかねばならん。念のため、薬を飲ませておこうかの」


 いつの間にか、首を下げてユージンの様子を伺っていた大鳥がほうと息を吐く。「デアちゃんから届いた薬にあったはず」と机の上を探す大鳥の背を眺めながら、アステールはぽつりと呟いた。


「……僕のせいだ」


 口に出した途端、昼間の光景が脳裏を焼き、喉が震える。心に留めきれなかった思いが溢れてくる。必死に口を押え、喉を閉めても指の隙間から嗚咽が漏れ出た。

 泣いていいのは自分じゃない。だというのに、大きな翼はアステールの背を優しく撫でた。


「誰のせいでもないとも」


 違う。あのとき崖下に落ちなければ、咄嗟に手を伸ばさなければ。誰のせいでもないなんてそんなわけがない。明らかな原因があるというのに。

 それでも、アステールは目頭の熱に為すすべもなく、零れ落ちる涙と共に呻き声を上げる他なかった。


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