Episode9. 風の見守る夜
「うわっ!?」
驚いた拍子に体勢を崩す。腰を強かに打ち付ける前にユージンが咄嗟に腕を引いてくれたおかげで事なきを得たが、勢いのあまりに今度は別の方向に傾いたに過ぎない。アステールはへっぴり腰のまま自重を預けるしかなかった。
「ほほっ、大丈夫かのぅ? 驚かせたようですまんの」
優し気な声が頭上から降って来る。顔を上げると、爛々とした瞳が二人の面前に近寄ってきた。くり、と首を曲げたのか、相貌が縦に並ぶ。淡い光に照らされ、鳥よりも遥かに大きな嘴が見えた。
「大きな鳥……?」
「如何にも。一部には化け鳥だのと言われておるが、ただの爺じゃよ」
獲って食いはせんよ、と大鳥はほけほけとした笑い声を上げた。好々爺然とした態度に、身体中の緊張が解ける。これで久々の生肉だと飛び掛かられていたら気を失っていたことだろう。
「あんた、俺たちを狙っていたわけじゃないのか」
「わしが? 狙う必要もあるまいて……こう見えて主食は小動物じゃよ。それよりも、こんな小さな子が不用心に夜道を歩いておるものだからの」
「ち、小さい……!?」
ユージンと話していた大鳥がふいにアステールを見た。ユージンとて姿を借りている以上、同じように見えているはずなのに、何故アステールのみを指して言うのか。怯えて腰を抜かしたのは自分だけだからかもしれないが。
納得がいかずむくれるアステールとは反対に、黒い頭が確かにと首を縦に振っている。
「それで、人族の幼子がこんなところまで何用じゃ?」
「……幼子じゃなくて、アステールです。人を探しに来たんだよ」
「おお、アステールと言うのか。良い名じゃな」
幼い子ども扱いをされたことに向きになって名乗ると、淡い蜂蜜色の頭に何やら柔らかいものが乗せられた。ふわふわとしたそれは大きさのあまり、隣にいたユージンも同時に撫でる。ユージンがわかりやすく仏頂面をしているにもかかわらず、大鳥は気にせずに羽を動かしている。
黒い手が羽を押し上げて優しい攻撃から解放されるや否や、ぐしゃりと乱れた髪を手で撫で付けた。それでも、上手く髪を梳くことができないようで、好き勝手に四方を向く毛先に苦労している。どちらが子どもだろうかと、アステールは不思議と同じ質感の髪を指で梳いてやった。
「それにしても人族とソラビトの二人旅とは珍しいこともあったものじゃ……まるであの日の再来のようじゃのう」
「え!? おじいさん……んぐ」
後半の独り言はあまりにも小さくて聞き取れなかったが、今確かにソラビトと言う単語が聞こえた。思わず問い掛けようとするも、口を塞ぐ手によって声が吸われる。
何をするんだと不満の籠った目で隣を睨み付けると、当の銀の瞳もまた、射殺さんばかりに剣呑な光を湛えていた。
「……ソラビト? あんた、何を言ってるんだ。俺たちは見ての通り人族だぞ」
「ほほほ、お主も見てくれは確かにそこの人族の子にそっくりじゃよ。それでも、身体の使い方がどこかぎこちない……それこそ、借り物のように慣れておらぬな」
不器用というには不自然で、記憶を共有した割に無知。だが、それは事情を知っている者にとっては奇妙に見えるだけだと思っていた。
「ユージン……」
大鳥の指摘に反論する余地もないのか、ユージンは不機嫌そうに靄を揺らしたまま口を閉じた。アステールもまた、口を挟むには重すぎる空気に双方の間を視線が行き来するばかりだ。
「本質を忘れてはならぬよ。お主はあくまでも我々に上辺を見せているに過ぎない。同じだと勘違いしておると、いずれお主は大切な何かを失うことになる」
大鳥が重々しく言葉を重ねる。同じ場所で、同じ景色を見て、同じ夢を追っている。約束を交わし、運命共同体なのだと思い込んでどこか見ないようにしていた現実が急に伸し掛かる。
「それでも僕らは仲間で……」
「それはそれでよい。同じ種族でなければ交友できぬなど馬鹿な話はあるまい。ただ、なりたくとも、決して人族にはなれぬのだ……わしが猫人族になれぬようにな」
深く頷いた後、アステールは何か可笑しなことを聞いたような気がして首を傾げた。いや、流石に聞き間違いだろう。きっと頭が疲れていたに違いない。
アステールがそう思い込もうとしている横で、黙り込んでいたユージンが手を顎に当てて訝し気に呟いた。
「……もしかして、猫人族のばあさんが言ってた奴か?」
「やっぱり!? 物知りなおじいさんだよね!?」
「ほ……?」
考えさせられる話であった手前、最後の発言はやはり空耳であって欲しい気もするが、それ以上にソラビトの存在を知っている者というだけでかなり確証に近い。その上、あのおばばでさえも見抜けなかったユージンの本質を見抜いてしまったのだから。
本来、ソラビトの能力は存在に違和を持たれないように周囲に同化させる。それは、人族との関わりが薄い者であればまず間違いなく人族として認識させ、身近な者との間ですらごく自然に溶け込むように記憶さえも改竄するほどだ。
だからこそ、メリサたちもユージンを人族だと思い込んでいたし、里の子どもたちやエルミスたちでさえ当然のようにこの異物を受け入れた。つまり、この大鳥はあまりにも異質と言えた。
「もしやお主ら、デアちゃんを知っておるのか?」
大きな真理を突き止めたとばかりに満足気に鼻を膨らませるアステールの耳に、唐突に聞き覚えのない名前が飛び込んでくる。期待した流れとは違う返しに拍子抜けた。
話の文脈的におばばの名前であろうか。そういえばおばばの名前を聞いた記憶がないなとアステールが記憶を辿っていると、大鳥も不思議そうに首をさらに傾げた。
「それって口が悪くて怒るとすぐに手が出る?」
「うむ、照れ屋で素直じゃないところが可愛いよのう」
「違う、絶対別人だ」
怒るとすぐに手が出る、口の悪いおばばを相手に可愛いなどと言えるわけがない。あれは照れ屋で素直になれないというタマでもないだろうに。
アステールが“可愛いおばば”を想像してげぇと顔を顰めていると、ユージンが半眼で呆れたように首を振った。
「……封筒に名前くらい書いてあるんじゃないか」
確かにそうだ。肩に掛けていた鞄を探り、よれてしまった手紙を取り出す。
封蝋の押された面をひっくり返すと、何やら文字が書かれていることがわかる。それを霊灯の実で照らし、アステールは唖然とした。
固まってしまったアステールの肩口からユージンが照らされた手元を覗き込む。そして、そこに書かれた文字を読み上げた。
「……死に損ないの爺へ」
「おお! やはりデアちゃんで間違いないのう! 長いこと離れておるのに、わしがまだ生きておると信じて疑っておらぬところがいじらしいじゃろ?」
「あ~~……はは……」
大鳥のツボはさっぱりわからないが、この翁に掛かれば天下のおばばも可愛らしく見えるようだ。脳裏でおばばが頭痛を訴えているような気がしないでもない。
一先ず、嬉しそうに脂下がる大鳥に手紙を渡した。
「ほほほ、嬉しいのう。……そうじゃ、今日はもう暗いからうちに泊まっていきなさい。デアちゃんの知人ならば遠慮することはないぞ」
そう言うや否や、大鳥の嘴がアステールの首根っこを掴む。抵抗する間もなく持ち上げられ、ふかふかの寝具に乗せられた。突然のことに目を瞬かせ、巨大な洞の中から入り口を塞ぐふわふわな後姿を見つめる。すぐさまユージンも同じように運ばれ、アステールの横に降り立った。
満足気に目を細めた大鳥が月明かりに照らされた机へと向かう。その大きな身体にぴったりなサイズの机には、木皿が置かれている。意外と生活感のある巣から考えるに、化け鳥は普通の鳥とは大きく違うようだ。
(当たり前か……僕とメリサさんたちだって違うんだし)
暫くうきうきと手紙を嘴で広げていた大鳥を見つめていると、急に萎れた花の様に頭を足の間に置いて項垂れた様子を見せた。
「えと……どうかしたの?」
「字が小さすぎて……読めないんじゃ……」
ああ、とアステールは納得した。普通の人族と大してサイズの変わらないおばばの手紙はさぞや読みづらいことだろう。
大鳥はあまりにも気が落ち込んでいるようで、溶け出したかの如く床に広がった。
「僕、読もうか?」
「本当かの……!」
アステールが提案すると、大鳥がものすごい勢いで食いついて来た。突然ずずいと近付けられた顔に思わず後ろに倒れ込む。なおもぐいぐいと迫る大鳥に、ユージンが咳払いをした。
「おお、すまぬ……ならば、明日。朝になったら聞かせておくれ」
はっとして大鳥はそう言うと、大きな羽毛でできた布団をアステールとユージンに被せた。二人で寝転んでも寝具の余白は余りあるが、大鳥が寝るには狭そうだ。アステールが眉尻を下げて尋ねようとすると、大鳥は「明日の食料を探しに行ってくる」といって巣から飛び立って行った。
「よかったのかな」
「いいんじゃないか。さっき持ち上げられた隙に解析してみたが、夜行性のようだし」
大鳥が飛び立った先を見ていると、ユージンは気にした様子もなくとんでもないことを告げる。そんな勝手に、と眉を吊り上げて一言申し立てようとするも、ユージンがアステールに背を向け、布団が引っ張られた。それに合わせて身体が横に引かれ、思わず転がる。
今にも闇に溶けそうな背中が静かに「お前も寝ろ」と告げた。
「……眠れそうにないよ」
身に付けた鞄を外し、中に入れていた羊の枕を取り出す。それをいつものように抱えてみても、やはり眠気は訪れない。落ち着きなく寝返りを打つアステールが気になったのか、ユージンも振り返った。
「……それ、持って来たのか」
「ずっと一緒に居たんだ。……友達なんだよ」
ユージンが羊の枕を見下ろす。もしかしたらユージンはアステールの記憶も読み解いたのかもしれない。子どもっぽいだろうかとユージンの顔を窺う。だが、思いの他真剣な眼差しが返ってきた。
「友達、か」
真っ直ぐにアステールを見つめ返していた双眸が、淋し気に揺れる。心なしか暗くなった銀の光は、何を想っているのだろうか。
「ユージンはこことは違う場所で暮らしてたんだよね? どんなところだったの?」
咄嗟に口を衝いて出た言葉にユージンが瞬きをする。暗闇でもわかる瞳は優し気な色を湛えた。
「そうだな……俺が生まれたのは年老いた星だ。恐らく前任のソラビトは吞まれたんだろうな、俺は気付けば自我を持ってそこにいた」
ソラビトは不思議な生体だ。生まれたばかりの個体でも自身で考え、何でもできるようだ。そして、生まれてすぐにひとりぼっちであったと事も無げに告げたユージンに、アステールはきゅっと眉を寄せた。
「ユージンの他には、どんな生物が暮らしていたの?」
「何もなかったよ。俺は日がな一日、何もない星の管理をしていた」
何かが生まれるわけでも、変わるわけでもない。ただ不思議と明るさの変わる星を見上げていた。
「明るさの変わる星?」
「ああ……俺の星の近くにあってな。周りを見てもどの星も変わらないのに、そいつの星と俺の星は毎日輝きを変えるんだ」
何とも不思議なことだ。星が輝きを変えるとはどういうことなのだろうか。ただの人族であるアステールにはわからないのが少し悔しい。
「毎日見ていたからかは知らないが、ある日、その星のソラビトから手紙の入った小瓶を渡されたんだ」
星が異なっても交流ができるのかとアステールが目を瞬かせると、ユージンがソラビト同士にも交流くらいはあると呆れたように首を振った。流石にそこまで孤独な生き物ではないようだ。
とは言っても、星同士を繋いで交流したところで話す内容は代替わりした星や他所の星の噂などで、ユージンは早々に交流を絶った。どうせ興味ないと断ったのだろう。
「その手紙はどうしたの?」
「興味なくて読まなかった。……そしたら突然乗り込んできてな」
ユージンらしい。相手も随分とやきもきしたに違いないと、アステールは自分事のように気の毒に思った。
「それで?」
「絶対友達になってやると息巻いててな……暑苦しくて鬱陶しい奴だった。俺の星についてもあれこれと口出しをするものだから、自分の星の管理をしろと何度追い出したことか」
「ふふ、ユージンが振り回される姿が目に浮かぶなぁ」
「……表情がころころとよく変わる奴だったよ、お前みたいに」
ソラビトに表情ってあったのかと目を丸くする。勿論、星の欠片を呑み込んだせいか、ユージンの感情の機微はアステールでもわかる。だが、得体の知れない姿形をしたソラビトの状態で顔があったのかという驚きが勝った。
一寸遅れてユージンの言葉に引っ掛かる。
「……ちょっと待って、それって僕が鬱陶しいってこと? 失礼じゃない?」
「……お前も今失礼なことを考えていただろ、全部顔に出てるぞ」
お互い様じゃないかと鼻先を指で弾かれた。痛みで少し視界が滲み、ユージンの輪郭が揺れる。
「……その人はどうしてるの?」
「……わからない。俺が彼奴を見たのは、彼奴に星を奪われたのが最後だからな」
「え……?」
思わず身体を起こしてユージンを見るが、ユージンがどんな表情をしているのかもわからない。おばばから聞いた話から推察するに、ソラビトにとって星を奪われるとは、死を指す。奪われた方——負けた方は星に呑まれ、星の一部となるのだ。
幸いにしてと言うべきか不思議なことにと言うべきか、ユージンはこうしてここに生きている。だが、もしかすると星の欠片が砕けて各地に散らばったことと関係しているのかもしれない。
何にせよ、友人に裏切られたにしては妙に淡々とした態度にアステールは疑問を抱いた。だからと言って、踏み込んで聞くこともできないが。
「ほら、もう寝……」
「ユージン! 手紙、手紙を書こう!」
「は……?」
戸惑うユージンを無視して、アステールは鞄を漁った。中から紙とペンを取り出し、皮を被せておいた霊灯の実の皮を捲る。ほんのりと柔らかな光に照らされたユージンの手を無理やり掴み、ペンを握らせた。
「おい、アステール……」
「どうせ書き方もわからないでしょ。始まりはこう」
アステールがユージンの手を操り、歪んだ文字を紡ぎ出す。“hello”と書かれた文字の後にインクが落ち、染みができた。
「この次は相手の名前を書くんだよ。……そう言えばソラビトの名前って誰が付けるの?」
「俺たちに名前と言えるものはない。……が、時折遠く離れた星の生物が俺たちに呼び名を付けることがある」
それもソラビトの通信網を介して得た知識だろうか。ユージンは迷うことなく続きを書き、すぐに筆を止めた。
「……何を書けばいい」
「何でもいいんだよ、伝えたいことを自由に、好きなだけ」
「何でも……」
「そう。よくもあのときはやってくれたな! とか、今俺は最高の相棒と旅をしているとか」
「ふ……最高の相棒とかよく自分で言えるな」
アステールが両手を広げて告げると、ユージンは心底可笑しそうに笑った。
この日は、いつもと同じように中々寝付けない夜だった。だが、今までで一番心穏やかな夜だった。
***
「……い、お主ら。いつまで寝ておるのじゃ」
誰かに声を掛けられ、重たい瞼の隙間から光が差し込む。微睡む意識を揺り起こすように再度呼び掛けられ、アステールは欠伸と共に目を開けた。
白んだ視界の真ん前に自身を映した大きな瞳があった。
「うわ!?」
「ほほ、ようやっと目が覚めたか。早う手紙を読んでおくれ」
待ちきれないと催促する大鳥に、アステールははっと意識を覚醒させた。途中で力尽きてしまったが、昨晩書いていた手紙はどうなったのだろうか。
きょろきょろと見渡すと、枕元に手紙が放置されているのが見えた。手紙を勝手に読むのは無作法だが、ユージンの名で締められていることにほっと息を吐く。それと同時に、ふと疑問が頭に過った。
(これ……どうやって手紙を出そう)
昨晩は勢いのままにユージンを巻き込んだが、そこまで考えが及んでいなかった。どこか儚い姿に、思いを書き連ねればと思ったのだが、むしろ感傷に浸らせてしまったのではなかろうか。
不安にユージンを盗み見るも、普段と変わらない様子だ。アステールが落ち着きなく視線を彷徨わせていると、痺れを切らした大鳥がおばばの手紙をアステールの手元に落とした。
「……わかったよ、読めばいいんでしょ。ええと、“遣いの子どもらはわしの孫も同然じゃ、助けてやっておくれ”だって……これだけ?」
「おお! デアちゃんの頼みならいくらでも聞こうではないか。ふふ、嬉しいのう! お主ら、何に困っておるのじゃ?」
たった一言しか書かれていないというのに、おばばの頼みと聞いた瞬間、大鳥が瞳を輝かせて身を乗り出す。腹部の柔らかな羽毛が眼前に迫り、身構えるより先にアステールの身体が羽に沈んだ。もごもごと暴れようにも身動きが取れない。
息も絶え絶えとなりかけたとき、突然身体が後ろに引っ張られた。
「探しも」
「手紙を、届けたいんだけど」
ユージンの言葉を遮り、頭にあった悩みが言葉になる。ぎょっと目を見開いたユージンを差し置いて、大鳥がふうむと胸を広げた。その呼吸と共にアステールの埋もれた跡も綺麗に消える。肌触りのよさに、もう一度埋もれてみたい気もする。
「それなら、わしの息子らが郵便配達をしておる故、任せるがいいじゃろう」
「相手がどこに住んでいるかわからなくてもいいかな」
「うむ、そう言う手紙は多く扱っておる。風を読み、相手を探すことができるのがわしらの強みよ」
届けようにも他の星にいるのだから届くはずがない。それでも、何もせずにアステールが持っていてもいいものではないだろう。
「じゃが、今すぐには無理じゃろうな」
「息子さんが遠くまで出てるとか?」
「いや……最近、この近辺の磁場が狂っておっての。無暗に飛ぶことができんのじゃ。……あの子なら気にせず飛べるじゃろうが、郵便配達には向かんしのう」
大鳥がぶつぶつと呟いては頭を捻る。それよりも、とアステールは背後のユージンを見上げた。
「これってもしかして」
「……ああ、星の欠片の仕業かもしれん」




