九尾の狐
「二人とも…?」
彼女が九尾の狐であることはおそらく確実であろう。
こんな美しい人見たことがない。
リンに言われて頭に思い描いた傾国の美女なんかよりもずっと美しい。
黄金色の長い髪がつやつやと光り輝いている。
筆舌に尽くしがたいとはこのことかと思わずにはいられない。
そのくらいの美しさだった。
それは置いておいて、気になったのは彼女の言葉だった。
麒麟であるリンとは当然旧知の仲なのだろう。
しかしもう一人は…?
「久しぶりねえ。いつぶりかしら〜」
「…以前この町に来た時以来か。」
そう答えたのはハクジだった。
その言葉の意味を理解してなぜか私が恥ずかしくなる。
ハクジも男性で、将軍なのだから戦の後や仲間とともにこういったところに来ることだってそりゃあるはずだろう。
彼はまだ婚約者もいないし悪いことをしているわけではない。
ただこんなに美しい彼女が九尾だと気がつかなかったのかとは聞きたいところではあるが。
深くは聞かないでおこう、と心でつぶやく。
彼女はあら?という顔をした後、二人の隣に座る私に気がついたらしい。
「あらあら、あなた…!」
九尾の狐らしい美女は私の顔を見るなり驚いたような顔をしたのち、何か察したのか集まっていた他の女性たちをみな退室させた。
「よおし、これで気にせず話せるわあ〜!初めましてね、神の巫女ちゃん?私は九尾の狐、面倒だからキュウって呼んでいいわよ〜!」
どこか甘くおっとりとした話し方をしているが容姿の美しさのせいか品性は失わなかった。
「初めまして。メイアンと申します。」
「メイアンはお姫様なのね〜それなのにこんなところまでよく来てくれたわねえ。」
見ただけで情報がわかるのかと思ったが、後から瑞獣たちは不思議と神の巫女が王族であるかくらいはわかるようになっているとリンが教えてくれた。まだまだ彼らのは謎がたくさんあるようだ。
「さて、ここに来たのはこの天気のことかしら?」
ニコニコと笑うキュウはなんだか楽しそうだ。
そして私たちの目的も当然気がついていた。
「ええ。そしてキュウ様は何かお困りのことはございますか?」
リンのところでは尋ねる前に病に倒れる人々のことでバタバタとしてしまっていたが、あの神の御告げでは私も瑞獣の助けになるというようなことも言われているのだ。確かにただで瑞獣たちの力を借りたいだなんて都合が良すぎるだろうし、キュウも何か困っているのならば協力させてほしい。そう思って聞いたのだけれど、
「嫌だわあ〜敬語も敬称もやめてね?ただでさえここでは支配人としか呼ばれないんだから〜!せっかくかわいい女の子とお話ししているのに寂しいわあ〜!それで、困ったことだったわね?ん〜〜〜〜〜〜何かあったかしら?」
キュウは袂から取り出した扇子を顎に当てて考え始めた。
そして何か浮かんだのか扇子を勢いよく反対の手に叩きつけた。
痛くないのかと心配になるくらいパンっという音が響いた。
「結婚したいわ!」
…結婚????
そもそも瑞獣って結婚できるのか???
つまり相手を探すということなのだろうか。
私に男性の知り合いなんて兄とハクジとリンくらいしかいないけれど。
「えっと…ハクジはどうでしょう?」
つい視界に入った男をすすめてしまった。
ハクジはものすごい勢いでこちらを振り返り首を振っている。
顔色は先ほどの兵士のような土偶色だ。
あまりにブルブルしているので水浴びをした後の犬のようだとも思った。
「ハクは嫌よ。リンもね。」
あらら。ハクジもリンもかなりの美丈夫だと思うが、キュウのお眼鏡に叶うことはなかったらしい。
バッサリと切り捨てられてしまった。
リンはくすくす笑い、ハクジは安堵のため息を漏らしている。
「そもそも瑞獣って結婚できるのですか?」
「できるわよ〜!私、400年前は当時の皇帝と結婚していたもの。」
衝撃の事実だ。
あの最後に瑞獣全員を観測したという皇帝は彼女と結婚していたのか。
いやまて、そうなると、
「私はキュウの子孫にあたるということですか?」
もともと九尾の狐は子孫繁栄をもたらすと残っていた。
彼女が大昔の皇帝を結婚していたというならば、そういうことなのではないか。
「あら違うわよ?」
私の考えは外れていたらしい。
「あの時は側室の方達がたくさんいたから子供が出来やすいようにおまじないをしたんだったかしら。とにかく当時の皇帝との間に子はなしていないわあ〜」
「私はね、皇帝の妻という地位が好きなの。もちろん皇帝も好きよ?この国一番の男ってことになるもの。」
つまりキュウが結婚したいという相手はもしかしなくても、私のお兄様であり次期皇帝のルイジュということか。まさか私の父ではあるまい。あの愚帝には流石に興味ないだろうし。
「次の皇帝はあなたのお兄様よねえ?未婚よね???」
やはりそうだ。キュウは兄と結婚することを所望している。
正直私としてはどうぞどうぞと言ってしまいたい気持ちもなくはないが、大事な兄だから幸せになってほしいし何より兄の妻ということはすなわち皇妃となる。おいそれと決められることではない。いやそれこそ何百年と生きるキュウにかなう女性が居るのかと問われれば疑問だけれど。
「兄はまだ未婚で婚約もしてないです。」
「敬語」
「あ、えっと、してないよ?」
「そうなの〜!じゃ、一度王都に戻りましょ?」
キュウの言葉に私もハクジも思わず顔を見合わせる。
しかしキュウは本気みたいだ。
「私とリンが本体になって背中に二人を乗せればすぐつくわよ。瑞獣だもの!」
「キュウ、少しはこちらの意見も聞きなさい。メイアンは神の巫女でもあるのですよ?」
流石にと思ったのかリンが今にも立ち上がり変身しはじめそうなキュウをなだめた。
瑞獣の長なだけある。キュウもリンには強く出られないのか不貞腐れながらもこっちに向きなおってくれた。
「えっと、私たちは瑞獣の皆さんに協力してもらってこの嵐をおさめたいと思っているんです、あ、じゃなくて、いるの。民の食糧難もそろそろ限界を迎えるから極力早く残りの3人に会いたいと思っているから、キュウのことは手紙でお兄様に伝えておくのではダメかな?」
こちらのわがままなこともわかっているけれど、駄目元でお願いしてみる。
そしてやはりキュウはそのお願いに同意はしてくれなかった。
「もちろん可愛い可愛いメイアンのお願いは聞いてあげたいわ。でもねえ、こちらもおいそれと神の巫女が来たからじゃあ行きますとは出来ないのよ。私の自尊心の問題だけれどね、大事なことなの。私とリンが飛べば丸一日くらいで辿り着くはずだわ。どうしても直接次期皇帝に会いたいのよ。」
瑞獣にこう言われてしまっては反論する語彙をメイアンは持ち合わせていない。
「…わかった。ただ、瑞獣の姿を民にはまだ見せたくないの。」
今出現したとなれば民は現皇帝である父を祭り上げるだろう。
それでは兄が皇帝の地位を奪いにくくなる。
だからまだ今ではない。
兄の即位に合わせて民に知らせることが最善であると思う。
「では夜中の間に飛ぶことにいたしましょう。2日かかることになりますがよろしいかな?」
昼間に飛ぶことができないのはこちらの都合なためもちろんリンの案に同意した。
そして今現在すでに真っ暗になっていたため、準備が出来次第早く出発しようということになった。
と言っても私たち3人は準備は特にないためキュウが急いで青陽館の人々に指示をしていた。
「蘭ちゃん〜!来てちょうだい!」
キュウの呼ぶ声に先ほどの花魁が現れた。
「どうなさいました?支配人。」
「蘭ちゃん、あなた支配人やってちょうだい!」
キュウの突然の言葉に蘭は呆気にとられる。
「へ?あの、支配人は一体…?」
「私ねえ、結婚するのよお〜!だからこのお店、蘭ちゃんに任せるわ!」
「いや、結婚!?え?ちょ、無理ですって!!」
キュウからのいきなりの支配人任命に目を回しそうな勢いで戸惑う蘭をなんだか気の毒に思ってしまう。
しかし花魁だった私にはできないと言い張る蘭にキュウはすっと目を細めていう。
「蘭ちゃん?私はねえ、女の子たちみんな大切よ?蘭ちゃんは特にこの店の頂点としてしっかりやってくれていたわ。」
でもねえとさらに低い声がする。
「身請けのお話しを度々蹴って、挙げ句の果てに百日通いした役人の旦那様を裏切ったでしょう…?あれはねえ、良くなかったわよねえ?」
後日知ったのだが、百日通いとは花魁など頂点の遊女と床を共にするために店に百日連続で足を運ぶことを指す。百日の間目当ての花魁は姿を現さないが、その代わりに百日通いを成し遂げた暁には床を必ず共にすることができるというものだった。もちろんただ店に来るだけではなく、毎回ある程度の金額を支払って他の遊女たちの舞や楽器を楽しまなくたはならないため、かなりの金額が動くという。
それを反故にしたとあっては怒られることだろう。下手したら店ごと訴えられかねない。
「わかりました…。」
蘭は諦めがついたらしい。というか命が惜しかったという方が正しいのではないか。
「ありがとう〜!じゃ、よろしくねん!大丈夫よ、ただ罰で任せるほどこのお店を蔑ろにしちゃいないわ。蘭ちゃんだから任せられるの。」
キュウは先ほどの恐ろしい声から再びおっとりとした話し方に戻っていた。
伊達にこの大きな店で支配人をしていないのだろう。
疲れ切った顔の蘭を再び部屋から追い出すと光に包まれながらキュウとリンが本来の姿に戻った。
「この姿久しぶり〜〜!」
キュウはそれは見事な尾を九つ、ぶん回しながらはしゃいでいた。風が巻き起こりそうなくらいすごい勢いだ。
大きさも想像していたよりもずっと大きく、高さは10尺くらいにもなりそうだ。リンよりも一回りほど大きい。
だが狐の姿でもその美しさは失われておらず、凛とした瞳が印象的だった。
「さあメイアン!捕まって!むさ苦しいハクなんて乗せたくないわ!」
私がキュウの背中によじ登ると九つの尾で包み込むようにしてくれた。
ふっかふかのお布団みたいで安心する。これならあまり雨風には当たらなそうだった。
それどころか、あまりの乗りごごちの良さに眠らないように気を引き締めなくてはいけないようだ。
「それじゃ、出発〜!」
キュウはそういうと大きな窓枠から勢いよく踏み出して空へと飛びたった。
初めて感じる浮遊感に私は思わず捕まる力を強める。
予想通りキュウが尻尾で包んでくれるおかげで雨風には晒されなかった。