はじまり
むかしむかし、冥という国には5匹の瑞獣が居た。
知識の神である白沢はその知識で天災から人々を救った。
水を司る神である霊亀は天候を操り人々の生活を支えた。
鳥の始祖とも言われる鳳凰は優れた知性を持つものを助けた。
九つの尾を持つ狐は為政者の元に子孫の繁栄をもたらした。
瑞獣の長である麒麟は国のさらなる発展に力を貸した。
これらの瑞獣は賢帝と神の巫女と呼ばれる存在と共に手を取り長きに渡り冥の国を支えてきた。
しかし彼らは愚帝には容赦なく制裁を下すこともした。
民の苦しみから目を背け、己の私利私欲のために権力を欲したものが玉座につくと次第に姿を消し、国がどれほど困窮していようと決してその手は差し伸べてはくれないのだ。
そして最後に彼らを見たという記録が残されているのは今からおよそ200年前に遡らなければならない。
それにしても姿を現したのは白沢と九尾の狐のみであった。
5匹揃ってとなると約400年前にこの国を治めていた王の日記に祭祀の際に姿をちらりと現したと記載されているのが最後になる。
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「美杏さま、起床のお時間にございます。」
女官の声に重たい体を持ち上げる。
窓の外は相変わらずの嵐だった。
この国はもう二ヶ月ほど嵐に包まれている。
呪い師が必死に原因を探っているらしいが一向に突き止められず父であるこの国の王はかなり苛立っている様子だ。
町はどんどん浸水していき、民の多くが高台や山に避難し少ない食料でどうにか食いつないでいると聞く。
しかしそれももうすぐ限界を迎えるのだろう。
「やあメイアン、起きたかい?」
ずかずかと乙女の部屋に侵入してきたこの若い男は私の兄でありこの国の次期国王である累壽だ。
「おはようございます、お兄様。何かございましたか?」
「ああ。今日の祈りの時間が早まったからそれを伝えにきたんだ。あと半刻後に始めるそうだから悪いけれど準備を急いでくれるか?」
次期王である兄に逆らえるはずもなければ、準備なんて大してすることもないのだ。
だから私が出来る回答は実質ひとつしかない。
「承知いたしました。」
兄の退室を見送ると女官たちが素早く顔を洗うための水や、祈りの際に必要な衣装を持ってくる。
手を貸してもらいながら支度を済ませると祈りの間に向かう。
すでに準備は整っているようで私の入室とともに祈りは始まった。
こんな祈りをしている暇があるのならば正直もっとやれることはあるだろう。
きっとここにいる半分くらいの人はそう思っている。
兄や私もそのうちの一人だ。
それでも国王である父がやると言ったらやるしか選択肢はなかった。
この国の民のために必要なのだと父は言っていたが、祈ったところで神は助けてなんかくれない。
この国の伝説にある瑞獣たちだってきっと現れない。
だから私は今日もいつも通りの流れ作業で祈りの舞を済ませるつもりだった。
舞を終わらせ図書室で嵐についての対処法や飢え死にを防ぐ方法などがないか調べたかった。
だが今日はいつもとは違うことが起きてしまった。
窓の外は相変わらずの嵐なのに、窓から一筋の光が差し込んできた。
ピンと張りつめた糸のような細い光はまっすぐに私の元に降り注ぎ私のこめかみのあたりに焦点を当てた。
その時だった。
『この国を救う神の巫女
貴方のためであるならば
瑞獣たちもきっと力を貸すことだろう。
また反対に瑞獣も巫女の助けを待っている。』
頭に直接語りかけてくるような、気味の悪い感覚だった。
そして脳内に響いたその言葉の意味を理解する前に私は意識を手放した。
「大丈夫か!メイアン!!」
自室の寝床の上で目を覚ました時、正面には心底心配したような兄の顔があった。
「ご心配おかけしました。一体何が起きたのか…。」
身体を起こしても何も異常はなく、なぜ自分が倒れたのか私にはわからなかった。
ひとつ心当たりがあるとすればあの不思議な声だけだった。
「お兄様、神の巫女についてご存知ですか?」
私のその質問に兄は少し目を見開いた。
「瑞獣伝説のか?確か瑞獣たちは賢帝と神の巫女と手を取り国を繁栄に導くのであったな。それがどうかしたか?」
「先ほどの不思議な光が私に当たった時、変な声が聞こえたのです。」
「変な声?」
「ええ。『この国を救う神の巫女貴方のためであるならば瑞獣たちもきっと力を貸すことだろう。また反対に瑞獣も巫女の助けを待っている。』と」
私の言葉を聞いて兄はしばらく考え込む。
「……メイアンが神の巫女であるというお告げか?メイアンが助けを請えばこの嵐を止めてくれるということか?いやしかし……。」
「お兄様、私がこの国を救うために何か出来るというのならば、この命何も惜しくはありません。」
民が救えるというのならばたとえ生贄にでもなんでもなってやろう。
この国の数多の民の命が私一人で救うことが叶うというのならば誰がどう考えても私が犠牲になるべきだ。
「命を投げ打つというのならば反対だ。」
「なぜ!」
「そもそも伝説では神の巫女と賢帝が必要なのではなかったか?この国において賢帝と呼ばれる王はもう数百年出ていないと言われている。残念ながら現国王である我が父もそのうちの一人だ。母がいた頃ならばまだしも、母を亡くしてからはまるでただの人形だ。民のことなんかまるで考えちゃいない。だから条件は揃っていないはずだ。お前が犠牲になるのは無駄なことだろう。」
ではあの何者かの言葉は一体なんなのだ。
もし、もしも本当に私が神の巫女なのだとしたら、あの声は神のものではないのか。
そして私たちのように瑞獣もまた何かに困っているのではないか。
それを私ならば助けることが出来るのではないのか。
「とにかく今日はもう休め。このことは父にはまだ報告しないでおこう。明日また話そう。」
父にこのことを話したらきっと真っ先に私に犠牲になれというだろう。
それを止めるために賢帝がいないから無効だなんて言ったらさらに怒り狂うことだろう。
だからまだ言わないと兄は言っているのだ。
兄はしばらく私のそばに座り込んだまま過ごしたあと、女官たちに私をよく休ませるよう言付けをし退出していった。
次の日、私の身支度が終わると同時に兄が部屋に入ってきた。
私付きの女官に目覚めを知らされたのだろう。
「身体は大丈夫か。」
「ええ。なんともありません。」
「そうか。」
少しの沈黙が私たちの間に流れる。
窓の外を吹き荒れる雨と風の音だけが静まり返った部屋に響いている。
「お兄様、この国の民を救う責任が私たちにはあるのです。それは次期国王であるお兄様が一番わかっているはずです。」
「だがどうやって…!」
「神話の中では賢帝と神の巫女と瑞獣が手をとることでこの国を導くとありました。神の巫女を私であると仮定すると後は賢帝と瑞獣です。」
「賢帝は…父王が変わることは難しいだろう。」
「お兄様がいるではありませんか。」
「メイアン、何が言いたい。」
「父を降ろしてお兄様が王となればよろしいのではないかと。」
「滅多なことをいうものじゃない。」
私は冗談で言っているわけではない。
こんなこと実の娘であろうと不敬に当たるだろう。
だけれども、この国はもう刻一刻と破滅に近づいている。
時は一刻を争うのだ。
「何も殺せと言っているわけではありません。ただ変われば良いと思っているのです。ルイジュお兄様ならばきっとこの国を良き方向に導く賢帝となるでしょう。そうすれば瑞獣も現れるかもしれません。」
「しかし。」
「お兄様、民の命はもう蝋燭の灯も同然です。ご決断を。」
しばしの沈黙の後兄は口を開く。
「……わかった。この国のためになるのならば私が王となろう。しかし王や宰相たちを納得させる理由が必要だ。」
「それを考えるのはお兄様の仕事です。私の方は瑞獣を探すことにいたします。」
「どうやって?」
「神話の通りであれば瑞獣たちは姿を隠している時もこの国にはいる可能性が高いと考えられます。ですから、この国を歩き探すことにいたします。」
「この嵐の中をか!?それにこの国がどれほど広いと思っている!無謀だ!」
「ですが!ただ黙って民が飢えて死んでゆくのを王宮の中でぬくぬくと見ていろと!?」
「そうは言っていない!メイアンが自ら探しに旅に出る必要はないと言っている!」
「いいえ。我々に仕えてくれている以前に民でもある使いのものを危険に晒すようなものは、瑞獣に神の巫女としては認められないでしょう。それに、私自身が行くことに意味があると思うのです。なんのためにあの声が私に届けられたのか、それを考えなければなりません。」
兄が心配してくれているのは痛いほどわかる。
私たちはたった一人の兄妹だ。
幼い頃に現王唯一の妃であった母を亡くしてから父は壊れてしまった。
抜け殻のようにただただ書類に判を押すだけ。
民のことは顧みず己と宰相たちの欲のために政を行う典型的な愚帝になった。
それを見ているのは辛かった。
かつて後宮も作らずにまっすぐ母を愛し、私たちを愛し、民を愛した父がどんどん変わっていってしまったのだ。
誰よりも父を尊敬し、父のような王となることを目標に真面目に取り組んできた兄は私なんかよりもっと辛かっただろう。その辛い思いを私たちは二人で慰めあってきた。
それでも。
「行かせてください。ルイジュ様。」
私は行かなければならない。
怖くないといったら嘘になる。
だって外は嵐だ。
それに姫であるがゆえに街に出て歩くなんてほとんどしたことがない。
できることならば私だって安全な王宮の中にいたい。
でもダメなんだ。
私はこの国の姫だから。
そしてあの声を聞いてしまったから。
もう後には引けない。聞かなかったふりなんかできない。
「……はあ。もう決めてしまったんだね。」
まっすぐに見つめる兄の瞳は暖かかった。
そしてその瞳はすぐに次期国王のものへと変わった。
「冥国唯一の姫君であるメイアンに命じる。王宮をでてこの国を導く瑞獣を探すのだ。」
「御意。」
「だが流石に一人で行かせるわけには行かぬ。将軍である白次をつけよう。」
ハクジはこの国の将軍であり、兄の幼馴染でもある存在だ。
23歳の若さで将軍に選ばれるこの国一番の実力者である。
こうして私は瑞獣を探す旅に出たのであった。
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