止めろ!婚約破棄
「婚約を破棄しようと思う」
「……は?」
前々からぼんくらだとは思ってたけど、マジか?
とある貧乏伯爵家の次男坊である俺が、行きたくなかったのに無理矢理行かされた第一王子・サーヴァルトの誕生日パーティーで、なんもしていない筈なのに何故かいたく気に入られ、側近として仕える様になってはや十年。流石にこんな事を言い出す日が来るとは思わなかった。
こいつが三年前に次期国王として立太子出来たのは、我が国に長子継承が王室典範で定められているからに他ならない。もし、指名制だったら間違いなく優秀な第二王子・アリウス殿下が王太子となっただろう。問題を起こせばその前提が狂うかもしれないのに……それをわかってるのか? ……いや、わかってないからぼんくらだったわ。
こんな阿呆でも王太子である以上公務がある。だが、俺以外の側近達三人と遊び呆けてばかりいて、ここ王太子の執務室はいつも俺一人だ。本来なら俺も王太子に付いてまわって散財を止めにゃイカンのだが、小煩くしてたら書類仕事を押し付けられる様になった。別に俺が自分から側近にしてくれ、って言った訳じゃないんだから辞めてもいいんだけど、内務に泣きつかれたんで渋々続けている。もしかして、俺って仕事を押し付けるのに都合のいい奴隷的なやつとして選ばれたんかな。……ま、まあ民には言えないアレコレが垣間見えてこれはこれで面白いからいいんだけどね。
そんなある日珍しく王太子が一人で執務室に顔を出したと思ったら、冒頭のアレだ。他の側近の奴等はどうした。腰巾着の癖に、王太子一人にすんじゃねぇよ。
「婚約……ってシェリア・フレイム侯爵令嬢との……ですか?」
「当たり前だろう。他に誰が居る」
「いや、居ませんけど。正気ですか?」
フレイム侯爵家は我が国では王家と並ぶ歴史を持つ由緒正しい貴族家のひとつで、これまで何度も王族に嫁いだり逆に降嫁降婿したりと国史にも載る重要な一族だ。先々代の時たまたまなんかの功績で昇爵されて伯爵になったウチとは格がまるで違う。領地は栄え諸外国との交易も盛んで、下手したら王家より金持ってんじゃね? ってくらいの家だ。
そんな、かの家の長女がシェリア嬢で、三年前殿下の立太子に合わせて婚約していた。ドが付く田舎の領地で、幼い頃庶民に混じって泥まみれで転げ回ってた俺とは大違いの本物のお嬢様だ。容姿端麗、マナーもダンスも完璧、頭の回転も早く自国だけでなく他国の歴史にも精通し、おまけに近隣諸国語だけでなく、ある程度は方言まで理解している程の才女だ。王妃となり将来は外交のトップとしての活躍を期待されていた。
……正直このぼんくらが今まで無事に王太子やってられるのもフレイム家の後ろ楯が大きいからだ。それも理解は……してないんだろうな。こんな現状を理解していない事丸出しな発言しやがるんだし。
俺が正気を疑ったのにムッとした顔になるサーヴァルト。将来国王になるってヤツがこの程度で感情を顔に出してちゃ駄目だろ。
「今度王家主催の夜会があるだろう。そこであの女に婚約破棄を叩きつけてやるつもりだ」
ああ、一週間後の夜会か。隣国の王子が表敬訪問の為に来国するんで歓迎の為に開かれるやつ。なんで歓迎すんのに夜会なのかは俺にはよくわからんのだが。一応末端とは言え王太子の側近である俺も参加することになっている。超行きたくないけど。
「なんでまた婚約を破棄することに? シェリア嬢に何か瑕疵でも?」
あのスーパーレディに瑕疵など有るわけがないが、一応聞いてみる。俺のところにまるでなんにも報告あがってきてないし、俺は腰巾着してないしなあ。例えなにかあったとしても、王位に就きたいのならこのぼんくらが我慢すべきだと思うが。
「あの女は事もあろうに可哀想なマーリィを虐めていたのだ!!」
「……は?」
マーリィ……ってーと、最近殿下のお気に入りで侍らせている男爵令嬢だったっけ?
このぼんくらは優秀なシェリア嬢への当て付けなのか、しょっちゅう女性を傍に置いていた。正直アクセサリーくらいの感覚なんだろう。気に入らなくなったら付け替えればいいだけの。だから大抵見目はいいものの、頭と下手すると尻の軽そうな女ばっかりだ。最初は俺も苦言を呈していたが、全く聞きゃしないのでもう諦めた。殿下の側近の中で俺が一番身分が低いからね。そういうのは俺がなんとかする事じゃないだろう。……というか、親の仕事だよな普通は。
そんな中、最近いつも一緒に居るマーリィ嬢は、王宮に侍女として行儀見習いにあがってきている男爵令嬢だ。これまで侍らせている女性の中では珍しく期間が長い。それに殿下だけじゃなく、役立たず三人衆の側近達もどうやら入れ揚げている様だ。俺の所にも何回か来てなんか甘っちょろい事言ってたけど、聞く価値無いんで左から右に聞き流してたら来なくなったっけ。
確かに見目はいい。金色のふわふわした髪に、エメラルドみたいな瞳。『ウチにはあんまりお金が無いから……』って言ってヒールのないぺったんこの革靴履いてるのは、絶対わざとだと思う程度には態度があざとい。ちょくちょく上目使いで四人それぞれにおねだりしてるのを見掛けた。あのいかにもか弱いですぅ、って商売女みたいな態度にコロッと引っ掛かったんだろう。阿呆だ。
女を侍らしてはいても、人目を気にしてか複数人同時に置いていた事は無いこいつと違い、あの女は殿下ら四人同時に粉をかけていた。自分が侍らせているつもりだが、侍らされている事に気付いて居ない。やっぱり阿呆だ。
そんな阿婆擦れにあの完璧令嬢シェリア様が虐め? ……天地がひっくり返ってもあり得ねぇ。なにせこのぼんくらとの婚約は王命で殿下を王位に就ける為のものだ。罰ゲームかよ、ってくらいフレイム家にメリットは薄い。虐めを行う理由が全く見当たらない。
シェリア嬢はちゃんと教育を受けていて、貴族令嬢とはどういうものか、王妃になるとはどういう事かをきちんと弁えている。が、そこには王太子への愛は無いっぽい。彼女の殿下への態度は慇懃無礼と言えなくもない時があるんで。多分殿下は全く気付いてなくて、単にへりくだって媚を売っているだけだと思ってるみたいだけど。あのシェリア嬢の態度で、自分が好かれていると思える脳内がおめでたすぎて頭を抱えたくなるが。下手に阿呆に権力があると、こういうことになるんだ、という見本の様だ。
「あのシェリア嬢が虐め……って、一体何やったって言うんですか?」
「ふん。事もあろうに身分差を持ち出してマーリィを貶めたのだ」
え。……身分差はしょうがないっしょ。あんただって王太子の身分振りかざして嫌々な俺を取り立てたし。そもそもマナーのなってない下の者を注意するのは普通だろ? あのマーリィ嬢は『行儀ってなに?』を地で行く女で、何のために王宮来てんだよ、って言いたくなる程無作法だ。取り澄ました貴族令嬢にちやほやされるだけじゃ飽きたらなくなったこいつらの目には随分と新鮮に映った様だが。結局あのあからさまな褒め言葉にいい気になってるだけなのだ。
「それから、紅茶をドレスにかけた!」
それ、俺が聞いたの逆だなあ。シェリア嬢が王太子妃教育の一環で開いたお茶会に侍女としてお茶を供するときに、カップひっくり返して危うく火傷させるとこだったって聞いたぞ? 見習いだからって事で注意だけですんだのはシェリア嬢が取りなしたからだし。
「それに母の形見の品を取り上げて壊したとも聞いた」
ん? マーリィ嬢が殿下の周りをうろちょろするようになった時に彼女の家庭環境も調べさせたけど、俺の記憶が正しければ、彼女の両親である男爵夫妻は二人とも健在だった筈だぞ? 夫人が後妻って話もなかった筈だし、マーリィ嬢が養子って話も無かったと思ったけどな。……となると殿下の気を引くための嘘か?
「挙げ句に階段の途中ですれ違いざま突き落とそうとしたと聞いたぞ!」
いや、まずそれ前提としてマナー違反。身分が上の者と階段でかち合った時、身分が下の者は一旦踊り場まで戻って通りすぎるまで頭を下げないと駄目だろ。何せ侍女なんだから。その上王太子の婚約者が一人で王宮をうろつく訳がない。必ず専属侍女と護衛騎士が付いてんのこいつわかってねぇの? そもそも『落とした』じゃなく『落とそうとした』だけで罪になる訳ねぇし。
「……それ証拠はあるんですか?」
「証拠? マーリィが私に涙ながらに訴えたぞ」
…………阿呆? 阿呆だわ。
それで罪に問えるなら司法はいらねぇよ。それこそ権力を笠に着た横暴だな。
「いえ、第三者の目撃証言とかは?」
「そんなもの必要無いだろう。マーリィが言ってるんだ」
あーれぇ? おかしいな、こいつ俺とと同じ言語で喋ってるんだよな? 意味がわかんねぇんだけど。……うーん、説明すんのにアプローチ変えないと駄目かな。
「にしても、なんでまた夜会で? こういう時は陛下にお願いして認めて頂いて後、侯爵へ解消を申し出るのが筋でしょうに」
「何? そんなこともわからないのか? あの女が言い逃れ出来ない様に皆の前で悪事をバラす為に決まってるだろう!」
……悪事ねぇ? 俺には些事に感じるけど。
「うーん、言い逃れとはどういう意味ですか?」
「あの女は狡猾だからな。直接私が陛下に進言してものらりくらりと躱されて逃げるに決まっている!」
「ふむ。要するに殿下は、シェリア嬢は罪を犯した、罪を犯した者を王太子妃に出来ない、国王陛下に訴えても埒が明かなそうだから殿下自らが罪を突きつけてやる! ……とそう仰りたい訳ですね。なるほどー。つまり殿下は『国王陛下は十七歳の小娘に言いくるめられる程度のお方』だと考えられた訳ですね。ご立派です」
「なっ!? そ、そんなことは言って無いだろう!?」
「ではどういう意味で? そもそも本当に罪を犯していたとしても、殿下には裁く権利はありませんよね。『貴族位にある者が罪を犯した場合は貴族院の司法局にて裁定』と貴族法で定められてますし。……ああ、なる程、わかりました。コルド卿も陛下と同じで女性に簡単に篭絡される様な方だと仰りたい訳ですね!」
「!! な、何を馬鹿な事を!?」
コルド卿とは我が国の法務大臣で、先々代国王陛下の孫、現国王陛下の従兄弟に当たる公爵様だ。一言で言うなら『厳格が服着て歩いてる』様な性格で、陛下の信認も厚い。お堅い性格から、殿下が苦手としているのは知ってるけど。貴族と言ってもピンキリだから、下級貴族の揉め事なんかは司法局の職員が対応するだろうが、流石に侯爵令嬢が罪を犯した、と言い張るなら裁定はコルド卿が行うだろう。ちなみに王家王族には司法権は無い。国法で権力分立が定められているからだ。建前だけど。
まあ要するに殿下がやろうとしたのは、貴族法を無視した私刑という事だ。コルド卿が知れば間違いなく逆に王太子として不信任の烙印を押されるだろう。てことは、だ。
「ああ、そういう事か! 殿下は王太子の座をアリウス殿下に譲ろうとしてる訳ですね! 素晴らしいです!」
「はぁっ!? なんでそんな話になるんだ!?」
「え? 王太子であるにも拘わらずわざと法律を無視して皆の非難を浴びる事で、王太子の座から降りようとしてる、という事じゃないんですか?」
ま、本当は間違いなく単に阿呆なだけだと思うけどな。俺も勿論こんな事を言うのはわざとだ。
「真実シェリア嬢が虐めを行っていたとしても、殿下が王太子の名において裁きを下そうとするならそれは私刑であり、貴族法に違反します。殿下は貴族ではありませんが、王族の決まりが定められた王室典範は貴族法をベースに王族のみの権限や禁止事項を纏めたものなので、王族にも私刑の権限はない筈です」
俺も貴族法は一通り熟読したけど、王室典範まではカバーしてないしな。まあ、一応王太子に仕える事になった時目は通したから間違ってはいない筈だ。
「わ、私が王太子の座を降りるなどあり得ぬ!し、仕方ない……夜会での追及は諦めるか。……クソッ、これではマーリィを妃に出来ないではないか……っ」
ぼそり、と呟いた後半の言葉に、俺は内心首を傾げる。このぼんくら、婚約破棄出来たらマーリィ嬢を正妃にするつもりなん? 愛妾ならまだともかく、正妃かよ。
「……えーと、一応お聞きしますが、殿下は王室典範をご存知ですよね? 知らないということはありませんよね?」
「王室典範だと? 何故そんなものを私が覚えなければいけないのだ。そんなものは貴様ら側近が覚えていれば問題ないだろうが」
……うわぁ。マジか? いやマジなのか。なるほど。これまでの発言で時々ビミョーな感じがしたのは間違いじゃなかったか。
「あー。……結論から言うと、殿下がマーリィ嬢を妃にするのはどのみち無理ですね」
「なんだとっ!? 貴様もあの女と同じでマーリィを格下と思って虐げる気か!?」
「いえ、事実を申し上げただけです。我が国では法律で王族の正妃として迎えられるのは、侯爵家、公爵家、及び王族の令嬢のみと決まっておりますので」
「ふん、なんだそんな事か。そんなものは何処かの侯爵家辺りに養女に迎えさせればいい。適当に金か何かを握らせれば問題ない。そんな事もわからんのか」
「まあ、確かに養女となれぱ資格は得られますね。最短五年後ですが」
「はっ!? 五年……? ってなんだそれは!?」
やっぱり知らなくてこんなこと言い出してんのか。全く……教育係はなにやってたんだ?
「何だもくそもありません、言葉通りですよ。王妃となる者に必要なのは知性と深い教養、鋭い感性、それに国民全ての上に立つ覚悟です。癒しでも愛嬌でも、誰もが目を見張るような美貌でもありません。諸外国語を習得し、マナーもダンスも完璧、常に冷静沈着に大局を見る目が求められます」
それこそシェリア嬢が認められているのは、そういう部分だ。シェリア嬢はきちんと理解し努力をしていた素晴らしい女性だと思う。
「侯爵令嬢ですら、必死で努力をしないと身に付かないそれを、正妃に迎えたいからといって下級貴族や平民の娘を養女として教育させたとしても、付け焼き刃にしかなりません。しっかりと身に付くにはそれなりの年月が必要となります。その為実子でない場合は養女としてから五年間の教育期間を要す、と王室典範に定められているのです」
俺も詳しくは知らないが、何代か前の王太子がやらかしたらしく、婚約者だった侯爵令嬢を冤罪で追放し、平民の娘を公爵の養女にさせた後に正妃に迎えたらしいのだが、簡単なマナーすらなかなか身に付かず傍若無人な振る舞いで何度も問題を起こした為、王太子を廃嫡、国のすみっこにある小さな伯爵領を与えて妃もろとも放逐した、という事件があったらしい。……どっかで聞いた話と似てるよな。で、それを教訓にその後王太子から国王となった第二王子と司法局が話し合い、王室典範に付け加えたそうだ。
「それだけではありませんよ。生まれが上位貴族でない娘を婚約者にしたい場合は、貴族院が行う定期試験に規定回数合格し続けなければなりませんね」
流石に受けたことないんで細かい内容までは知らないが、定期なのは期間だけで中身は毎回お題が違うとの噂だ。例えばマナーを見る回もあれば刺繍の出来を見る回、芸術作品を見て解説を行う、他国の者とどれだけ流暢に会話が出来るか、など多岐にわたるらしい。毎回内容が変わるのは試験官の買収を防ぐ為とか聞いた日にゃ、どうせそれで合格したところですぐバレるだろうにと呆れたもんだが。
「確かマーリィ嬢は殿下と同じ十九歳でしたね」
殿下が十九歳、シェリア嬢が十七歳。シェリア嬢が十八歳になったら結婚式を挙げる予定だった。正直、令嬢が十九にもなってから行儀見習いに王宮へ上がってくる様では、本人か家に問題があって良い縁談が難しいので職業婦人になる為か、それこそどっかのハゲジジイの愛妾にでもする為、と言ってる様なもんなんだがな。あとは誰か身分と金のある男を王宮でひっかけさせる為か。……そういや引っ掛かってる阿呆が四人も居たわ。
「今から養女に迎えてもらったとしても、早くて二十四歳。貴族教育の進捗次第では更に延びます。それまでお待ち頂けるのでしたらどうぞどちらかのお家に相談して下さい。あ、その場合、マーリィ嬢が正式に婚約者となるまでにかかる費用は、殿下のポケットマネーから出して下さいね。それもそう決められてますので」
「なっ、なんだと!? そ、それは……う……」
普段からふらふら遊び歩いたり、女性にほいほい渡してるプレゼントの費用は、国民から徴収した税金から分けられたこいつの小遣いだ。庶民からすればとんでもない金額だが、令嬢一人に最高級の教育を施す為の費用となると、恐らくまるっと無くなるだろう。流石にそれはわかるのか、サーヴァルトは冷や汗をかきながら、目を泳がせる。
「ああ、あとそれと、じゃあ正妃は諦めて愛妾に、と思われるのは構いませんが、愛妾も迎えられるのは婚姻後三年経ってからですよ?」
我が国では、国民全て一夫一妻と定められている。勿論王族もだ。ただ、血を残す事を重んじる貴族王族は、結婚してから三年経っても嫡子が得られなかった場合のみ、正妻の同意を得て貴族院に申請し認められた後のみ、愛妾として第二夫人を迎える事が許されている。
諸外国には側妃愛妾わんさかいてハーレム? 後宮? を作ってる王族とかも居るらしいが、この国では百年くらい前に当時の王妃様が、滅茶苦茶反対やら妨害に遭いながらも女性の地位向上を掲げ、改革を進めたのだ。その頃までは政略結婚で妻を迎えたにも拘らず放置し、愛人を何人も囲うようなクズも多かったらしいが、貴族院で認められないと愛妾を迎える事が出来なくなり、それも妻を不当に虐げていないかとか厳しく調べてからでないと許可が下りなくなった。
貴族の怖いとこは、閨を共にしているのかどうかが、他人にまるわかりだと言う事だ。おかげでその辺りまでしっかりと決められていて、理由無く三ヶ月以上閨を共にしていない場合は、妻を不当に扱っているとされ許可が下りない。愛妾を迎えるのはあくまで嫡子が出来ない時のみの措置とされているのだ。
勿論許可を得ず愛人を囲う事も出来るが、その愛人に何人子が出来ようが実子と認められず、継承権も無い。
妻の同意が無い内に妻が亡くなった場合とか、愛妾ではなく養女にしてその後に正妻に、とか問題やら抜け道やらがいろいろあるらしいが、 その辺は今は関係ないのでスルーだ。
まあ要するに、殿下がマーリィ嬢を正妃として迎えるなら後ろ楯のフレイム家を失った状態で五年必要だし、愛妾にするにしても正妃として迎えるだろうシェリア嬢を蔑ろにせず、尚且つ嫡子が居ない状態、更にシェリア嬢の同意を得た上で三年必要だ。
……堪え性の無いこいつに待てんの? 無理でしょ。その上どう考えても既に行き遅れ気味のあの女が、死ぬ程大変な努力を五年間してくれ、って言われて喜んですると思えねぇし。間違いなくなんだかんだ理由をつけて逃げると思うね。
「という事です。お分かりいただけましたか?」
「な、何か方法は無いのか!? 貴様の脳みそはこういう時に役立てる物だろう!?」
酷ぇ言い草だな、仕事たんまり押し付けてる癖に。俺の脳みそは法律の抜け穴を探すためにあるんじゃねぇよ、と思わず冷めた目でサーヴァルトを見つめると、ちょっと気不味いのか呻きながら怯んだ。
「さあ? 私にはわかりかねますね。殿下の優秀な方の側近に考えていただいたらどうです? 書類仕事しか任せられない優秀でない方の私ではなく」
こいつの俺以外の側近三人は皆伯爵以上の家の嫡男だ。俺が口酸っぱく苦言を申し立てていたせいで、格下の俺を排除しようとこいつに進言していたのは知っている。ならこういう時に役立ってもらいましょうよ。
こいつも前はもうちょっとマシだったんだけどなあ。なんていうか……負の相乗効果っていうの? ちょっとずつ足りない同士が集まって補いあえばいいものを、マイナス面を増長させただけ、ってのはなんだかなあと思う。将来国を背負わせていくつもりなら、もうちょっとちゃんとした大人に面倒見させないと駄目だろ。……って俺って年寄り臭いかな。
「お話はそれだけですか? なら、あとは彼らとご相談ください。私はまだまだ書類仕事残ってますんで。あ、それか殿下も今日は執務なさいますか? あの辺りの書類を片付けて頂けると助かりますね」
本来は殿下と俺を含めた側近四人で片付けるべき量の書類仕事だ。出来るだけ緊急の物から捌いてるつもりだが、増えるペースが早いので余裕をもって仕事が出来ない。実は今までも会話をしながら手を動かしていた。
ここで『わかったじゃあ今日は』……となるならちょっとは見直すんだが、机に積まれた書類を見て若干顔を青くさせたサーヴァルトは、あいつらと相談する、と言ってそそくさと執務室から逃げ出した。
その後ろ姿を見て俺は思った。ここいらが潮時かな、と。
その後どうなったかというと。
結論から言えば王太子サーヴァルトは廃嫡となった。理由は簡単、俺が執務室での会話を綺麗さっぱり全部国王陛下とコルド卿にチクったからだ。国王陛下は真っ青になって倒れそうになり、コルド卿は真っ赤になって頭から湯気が吹き出しそうという非常に対照的だったのが印象的だった。そういう訳で、新たな王太子には順当に第二王子が立つこととなった。いやあ、ガチで二人の顔はヤバかった。特に『どうやら貴族法どころか王室典範すらご自分で読んだことが無いようだ』ってトコがね。
原則長子継承のせいでやむを得ずサーヴァルトを立太子させたのに、気を引き締めて政務に励むどころか俺に書類仕事丸投げして遊び呆け、後ろ楯の意味を理解せずシェリア嬢を蔑ろにし、媚びっ媚びな男爵令嬢に入れ揚げた挙げ句勝手に王命の婚約を破棄しようとした、なんて言われてみ? 一応教育係や侍従から報告は上がってただろうけど、監督不行き届きを心配してなのかこの先持ち直してくれるのを期待してか、随分と甘い内容だったらしい。まあ、俺も何だかんだで黙って十年も仕えたんだ。あんな事を言い出さなければ見捨てたりするつもりはなかったんだけどねえ。俺はもうこれ以上沈むとわかっている船には乗っていたくないんだ。一蓮托生、と言えるほどの絆はあいつらとは結んでいないし。
陛下が俺の報告を受け、当然だが嘘ではない事の裏付けを取り、貴族院の了承を得た上で頭を抱えながらサーヴァルトを呼び出し廃嫡を告げた時は、そりゃあもう奴は暴れた。もっとも呼び出されたのが側近の奴らと話し合いと称した酒盛りをしていた翌日だったらしく二日酔いの頭を抱えながらだったんで、騎士達が押さえ込むのも簡単だった様だが。俺はそれを少し離れたところで見てたけど、凄ぇ顔して睨まれた。『何故お前がそこに居る!! 何故父上に話した!! 何より何故私を助けない!?』とか言いながら。
だって俺、口止めされてねぇもん。
そもそも俺の実家はド田舎が領地の伯爵家の上にそこそこ貧乏なんで、皆社交シーズンですらほとんど領地から出てこない。勿体なくてタウンハウスすら用意してないくらいだ。だから俺が王太子の側近として仕える羽目になった時両親は慌てた。俺が普段住む家が無いからだ。王子の側近なんて栄誉を授かったのに七歳の子供に王都で独り暮らしさせる訳にはいかない。かといってこの子一人の為だけに使用人を付ける余裕も無い。不甲斐ないとは思うが……と貧乏を理由に断ろうとしたのだが、我慢の効かない我儘坊主は、気に入った玩具が手に入らなくて癇癪を起こし暴れたらしい。
結果、俺は王の指示で王宮に部屋を与えられ、住まう事となった。もう十年だから、実家暮らしより長いね。そしてここに住んでいる間の生活費は、実家ではなく王家が給金代わりとして出す、と決まったのだ。サーヴァルトが立太子するまでは、帝王学とかの勉強を除けば一緒に勉強していた。その費用なんかもだ。そして金の出所は王家からであって王子からではない。つまり俺は七歳にして国に仕えている文官や武官と同じ立場になった。お給金を頂いている以上仕事として王子に仕えてても、それはあくまで国の為だ。なら、国の為にならない事を容認するのも限度があるよな。今回の事はその限度を越えてしまった、という訳だ。
俺だってさ。多少の情はあるよ。だから、黙ってろ、って言われたら結構悩んで、もしかしたらチクらない選択をしたかもしれない。でも、あのときサーヴァルトが口止めをしなかったのは、俺の事を信頼しているというよりは、所有物だと勝手に思ってる俺が指示なしに話す訳無いっていう根拠の無い自信からだから。俺もいつまでも子供じゃないからね。この先もずっと所有物扱いされると思うとゾッとした。だからもう話したのだ。潮時だと思って。まあ、ホントはもうひとつ理由があるけど。
その後、サーヴァルトは一先ずコルド卿の預かりとなった。廃嫡されても王族である事には変わり無い。本来であればコルド卿と同じく公爵位を与えられるのだろうが、法治国家と名高い我が国の法律をまるで理解していない者に爵位をそのまま与えたりしたら何をしでかすかわからない。コルド卿の元でみっちり法律の勉強をさせられる事になった。正直矯正出来るかどうかは微妙な気がするが、まあコルド卿に頑張ってもらおう。
側近三人に関しては、それぞれ実家預かりで、再教育だそうだ。再教育と言ってもうちの実家よりもさらにド田舎な土地に開拓団として放り込んだり、騎士団の平民を集めた部隊で下働きさせたりとかなり厳しい処分と噂で聞いた。最もそれで『王太子を廃嫡に追い込んだ』汚名が返上出来るほどの根性が、奴らに付くかどうかはこちらも微妙だと思うが。再教育済んでも社交界には顔出せないかもしれないしね。
で、俺は、というと。
サーヴァルトが廃嫡になった責任は、他の側近同様俺にもある。だから実家に帰って貴族籍を返上し、平民となって爵位を継ぐ長男の下で文官になるか、いっそ何処かそこそこ裕福な商人の所に婿入りでも出来たら、と思っていたのだが。何故か今もまだ王太子の側近のままだ。
そう、王太子の、だ。理由はよくわからないが、俺はアリウス殿下にも気に入られていた様だ。以前から時折声をかけられ、兄ではなく自分に仕えないか? と聞かれる事があって、その時は冗談か、もしくはからかわれているのだとばかり思ってたんで、いやあ俺なんかが……ってへらへら笑って躱してたんだけど。どうもマジだったらしい。サーヴァルトの廃嫡の話が伝わった後直ぐに話が来て、有無を言わさず鞍替えとなった。
兄に対して二心があってはいけないと言われていたらしく、アリウス殿下に側近と呼べる存在は無く、侍従が一人ついていただけだ。突然降って湧いた王太子の座を確たる物にするのに、実務経験がある俺は丁度いい存在だった様だ。もう十年田舎に帰ってないから、この時はこの機に辞めたかったんだけどなあ。滅茶苦茶止められたよ。
それに俺を引き留めたのはアリウス殿下だけじゃない。その方から引き留めるために俺に提示されたのは、爵位と婚約者だった。あ、正確には婚約するために爵位を与えられる、だ。
そう、その婚約者とはなんとシェリア・フレイム嬢その人だったのだ!
…………。
いや、確かに憧れてたよ!? というか、こっそり惚れてたよ!? だってあんなに綺麗でお淑やかで機転が利いて気も利いて優しくて賢くてえーとえーと……と、とにかく素晴らしい女性だ! そのシェリア嬢との婚約を侯爵様から提示されて、断れねぇだろ!?
サーヴァルトとシェリア嬢との婚約はサーヴァルトの廃嫡をもって解消された。当然サーヴァルトが画策していた破棄ではなく解消だ。有責は奴だからな。普通ならそこで新たに立太子したアリウス殿下と婚約を結び直すのが最良だと思うけど、アリウス殿下には既に婚約者が居たので、いくら優秀だからといって入れ替えるという訳にはいかない。でもってシェリア嬢と家格も年齢も釣り合う男がもう残って無かったんだよな。かといって彼女を他国に出すのは惜しいし、出来ればアリウス殿下の婚約者殿に対する王妃教育を手伝って欲しいみたいな思惑もあった。
そこで目を付けられたのが俺だった。実家は伯爵位でその上嫡男じゃないんで家格は釣り合わないが、侯爵様が持ってる爵位の一つである子爵位を俺自身に与えた上での婚約でどうだ? と言われたのだ。いや俺、爵位貰えるような功績なんにもねぇよ! と侯爵様に言ったら、あのぼんくらとの婚約を解消してくれたのが功績だと言われた。え?そんな理由で? と思ったのは俺だけじゃ無いはずだ。
どうやら王命で婚約が決まった当初から、侯爵様はかなり不満だったらしい。一夫一妻である以上、恋愛はともかく結婚相手に求められるのは誠実さだ。三年前立太子した時点ではまだ見込みはあったと思うんで渋々認めたが、納得はしていなかった。で、この三年間の態度だ。シェリア嬢からははっきりと侯爵様に報告が上がってなかったと思うが、シェリア嬢がサーヴァルトとの交流の為王宮にあがっても、お茶を一杯飲んだらすぐいなくなるくらいならいい方で、すっぽかす事が何度もあった。探し回っても見つからなくて、平謝りしに行くのはいつも俺だった。謝る俺に逆にすまなそうな顔で『では殿下の代わりにお茶をどうぞ』とか言われて手ずから用意してくれた日にゃ申し訳無さと天にも昇る嬉しさで、滅茶苦茶複雑だった。
今回のサーヴァルトの発言を聞いた侯爵様は当然の事ながら激怒。国王陛下に詰め寄ったそうだ。お前のせいでうちの可愛い娘が行き遅れたらどうすんじゃ! と。で、陛下から紹介があったのが俺だったと言う訳だ。シェリア嬢に話をしたら、『あの方なら』と言ってもらえたらしい。……それを聞いた俺の気持ちわかってもらえる? ねえ?
まあ、そう言うことで、俺はシェリア嬢と結婚し、フレイム家に婿養子として入って領地無しの子爵位を貰い分家を立ち上げる、という事でまとまった。実家の親は知らせを聞いてひっくり返ったらしい。まさかずっと家に居ない次男坊が、王太子の廃嫡騒動の中心だった挙げ句に何故か侯爵令嬢を嫁に……いや、俺が婿になって爵位貰うなんて思いもよらなかったもんな。俺もだけど。
シェリア嬢がもうすぐ18歳の誕生日を迎える。それと同時に結婚式を挙げる事になった。その時は両親と兄も揃って王都にやって来る。あのフレイム家の外戚になれる!と鼻高々らしい。
正直、あの日サーヴァルトが俺に婚約の事を話始めた時点でこんなことになるとは微塵も思ってなかった。俺はサーヴァルトが即位したらそのうち男爵位くらい貰って嫁さんも貰って、このままずっと側近とも文官とも判断つかない位置で仕事しながら死ぬまで過ごすんだなーとか思ってた。十代なのに枯れてるなあと今なら思うけど。
それが、今や正真正銘の王太子の側近で、子爵様で侯爵令嬢の夫よ? これまで何度も田舎帰りたい……って思ったけど、神様はちゃんと見ててくれたんだねー。
そう思ってたいたけど、その後隣国からやって来た王子が俺が隣に居るにも拘わらずシェリア嬢に求婚したり、サーヴァルトがコルド卿の再教育から逃げ出してクーデターを起こそうとしたりして、しっかり波乱を用意してくれた神様の意地悪ー! とも思ったりしたのはまた別の話だ。
止めるつもりは無かったけど婚約破棄を阻止しちゃって、俺は幸せになりました。