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Legend of Star Night  作者: ILLVELG
序章 約束
6/128

Record:5 林檎の味


「おう! 硝斗、テルシアちゃん!」

 

 テルシアが我が家に来て一ヵ月が経ち、夏の日差しも強くなって来た頃。おれとテルシアは干していた洗濯物を取り込んでいる最中だった。

「おおっ重じい!」

 重じいがトラックに乗ってこちらに来ていた。浅黒く焼けた肌がいいテカりを放つ。

「こんにちわ、しげと様。」

 テルシアが仰々しく挨拶する。こんな言葉遣いをする人なんてそうそう居ないだろうに、よほど真面目な先生が付いているのだろうか。

 ずっと前にそれは堅苦しいからやめとけって重じいに言われたんだけど、テルシア自身が居心地悪くこっちで呼ばせてくれと言っていたことを思い出す。

「…ったくぅ。あのな、洗濯物終わったらちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ。」

「手伝ってほしいこと?」

「あぁ、今日はダムのほうがちょっと壊れててな、若ぇ衆が総出で修理に出張ってるんだよ。今日の昼までに収穫しなきゃならないもんがあるってのによ………その収穫を手伝ってほしいんだが頼まれてくれるか?」

「そういう、ことなら。」

 テルシアの返事に重じいはガハハッと笑う。

「そうこなくちゃな! 終わったら百地ももちんところまで行くぞ!」

「はいよ!」

 おれとテルシアは洗濯物を取り込み片付けて、重じいのところへ向かう。

 

「今日も大量でな。早くしねえと間に合わねえ。」

「珍しいな、ダムが壊れるなんて。」

 おれたちは重じいのトラックの助手席に座って重じいと話をする。

「無理もねぇさ、もう百年前のもんだ。そろそろ一から作り直すべきじゃねぇかって話も出ててな。人手がまるで足りてねえってのにまるまる作り直すってのもなぁ………今のままだと何年かかるやら。外に出ているやつら一旦呼び戻そうかね。」

「どのぐらいかかりそうなの?」

「少なくとも今日の修理は夜までかかるだろうな。」

「大変だなぁ。」

「そうでもねぇさ、この生活が大好きだからな…ニヒヒッ。」

 重じいは顔をくっしゃくしゃにして笑いながらおれの頭を撫でる。その笑い方はとても暖かく、こっちまであたたかくなりそうで。

 重じいとじいちゃんは兄弟だけど、性格はかなり違う。

 弟の重じいは基本怒らず(………というより怒れない)、よく笑う豪快な雰囲気でとても優しい。

 それに対してじいちゃんはハゲな上にかなり厳しい性格で、よく怒る。重じいより圧倒的に博学でなんでも知ってるし、実際修行のときの学校の先生もじいちゃんがやってる。

 この二人が兄弟だなんて信じられるかよ?

「テルシアちゃんはどうだい? もう慣れたかい?」

 テルシアはぎこちなく笑う。

「はい。まだまだ、ですけど、たのしいです。」

「そうかいそうかい、そいつぁよかった! ―――おっとそうだ、林檎は食べたことあるかい?」

「りん―――ご?」

「そうそう。しゃきしゃきして甘酸あまずっぺぇやつさ。その顔、さては食ったことねえよな!」

 重じいはとたんに得意気な顔になった。

「うめぇぞ~! 雄三ゆうぞうの自慢の林檎だ!」

 

 雷神の里はかつて、この第三大陸の大半を支配していた時期があった。その名残によるものか、雷神の里はまあまあ広く人もたくさん住んでいて、それなりにいろいろな産業がある。

 雷神の里全体はこの第三大陸の七割以上を覆う世界最大の森林【大黒檜の大森林】のなかにあり、周りを深い森に囲まれている。さらに雷神さまの結界により、雷神の里へは定められたルートからしか入ることはできない。

 この里も他の地域と交易をしていて、その定められたルートは一般人もいくことができる。今日取る林檎なんかは周辺国への納品用だ。

 雷神の里の農業は幅広く、そして多い。里の人口のおよそ半分以上は農家で、残りの三分の一は職人さん。あとの残りは全員こども。もっぱらお手伝い要員だ。

 おれたちも今からそのお手伝いに駆り出されてるわけだ。

 ちなみに雄三というひとは百道雄三ももちゆうぞうさんのことで、果樹園一帯を管理する大農家だ。

 

「どれくらいとるの?」

「おう…ちっとまってな、もうすぐ着くからよ。」

 重じいが言うな否や、すぐに甘い香りがしてきた。

 赤い実をつけた木がたくさん並んでいる。果樹園だ。

「今日はハチ六からだから…あそこからあそこまで全部だな!」

「広すぎだよ重じい!」

 重じいの指摘した範囲はとてもじゃないけど大人一人と子供二人とじゃ取りきれない範囲だった。

「大丈夫だって! お前ら二人はハチ六のとこだけやってくれればええからよ!」

 人手が足りなくても大丈夫なように、重じいは農作業用の機械を充実させている。重じいがトラックを指定の場所に止める。その場所の近くには果物収穫専用トラックがあった。

「さぁ仕事だ! 降りろお前ら! かごを出すぞ!」

「あいよ!」

 おれとテルシアは重じいが重機の点検を始めたのを確認して、トラックの荷台に大量に載せられていた果物用のかごを下ろす作業にはいる。

「ふへぇ、暑くなってきたなぁ。」

 今の季節は夏。強い日差しが照りつけてくる。

 ふとおれは気になってテルシアの方を見た。テルシアは黙々と作業している。

 けれど、顔は赤く火照っていて汗がたくさん。かなり暑そうだ。

「……。」

 おれはトラックにもどって重じいの運転席に潜り込んだ。

 テルシアがそれを疑問の目で見ているのを横目におれは目的のものを見つけた。

「テルシア! 日差し強いからこれつけててな。」

 重じいがよく使う麦わら帽子の予備だ。

 戸惑うテルシアを横目におれは麦わら帽子をテルシアに被らせる。

 うん。似合う。

 色素の薄い金髪に白い肌、緑色の瞳。

 そこに麦わら帽子が組み合わさると、どうだ。

 彼女は小さく笑いながら、

 

「………ありがと、う。」

 

「―――へぁっ、あっ…。い、いいってことよ。」

 なぜだかそのかすかな笑顔がおれには眩しくてみることができなくて。おれは変な声を出してしまう。

 どうしたんだ。おれ。

 いやに心臓がドキドキする。

 おれの目に飛び込んできた、あまりにも美しい光景が目に焼きついて離れない。

 おれはそれをなんとか押さえるようにして、林檎の収穫に取り掛かる。テルシアが脚立を使って林檎をハサミで切って落とす。おれはそれを籠を持って受け止める。

 切っては落とし、切っては落とし、その繰り返しを何度も行う。一本あたり百個近くで、大体籠三つくらいが満タンになる。

 日々の鍛錬で鍛えているおれにとっちゃ、このくらいの重さはどうってこともない。

 

 夏の日差しが照りつける。

 連日外に出ていたおれはもうすっかり真っ黒くなっている。せいぜい肌着のところぐらいが白い程度で、あとはまんべんなくこんがりと焼かれている。

 その一方でテルシアの肌は白く、その顔は火照りで少し赤くなっていた。いかにも日差しに弱そうで、果樹園での収穫で良かったと思ったりもする。ここは山の上の方だし、木の陰が良い塩梅で涼しくなるからだ。

 それでも暑いものは暑い。

 汗がいくつも滴り落ち、夏の山から来る乾いた風が吹き下ろす。

「………なぁ。」

 おれは気になっていたことをテルシアに聞く。

「…?」

「テルシアは、どういうところにいたの?」

 今となってはあまり話すべきことでもないんだろうけど、おれは普通に聞く。

「うん。あのね。」

 彼女は林檎を切り落としながら、少し楽しそうに話し始めた。

 彼女の故郷には―――海、というものがあった。

 広い広い野原の上に村があって、その外れに自分達は住んでいた。

「おうちの周りにね、ひろーいお花畑があるの。いろんな色のお花がいろんな季節に咲くの。」

 たまにテルシアの家に友達が遊びに来ては、野原を駆け回り、あるいは海までかけっこをしてそこから海で泳いだり。

「いろんな人が村に来てたの。それでね、あのね。」

 彼女は目を輝かせる。

「へいたいさんも村の近くにいたの。」

 へいたい…さん。

 兵隊さん、か。

「どんなひとなの?」

 彼女はその質問を待ってましたとばかりに自慢げに伝えたのだ。

「すーっごいかっこいいひとなの! 村のひとにしてはめずらしい黒い髪の毛で、海みたいにきれいな瞳なの! 名前はわからないけど、村の近くの森のなかに住んでて―――」

 黒い髪に海のようにきれいな瞳……か。

 おれも黒い髪だけど、海のような綺麗な瞳、であるならその色は青だろう。明らかにこの辺の人じゃあないな。

 曰く、彼女は遊びでたまたまその人のいる森に入り込んだ。それが運悪く迷い込んでしまい、帰り道がわからなくなったときのことだ。

 彼女は途方にくれていた。日がもうすぐ暮れる上に夜に活動する魔物の威嚇する声も聞こえ始めていた。まだ幼い少女だった彼女はあまりにも怖くて動けなかったそうだ。

「頭が真っ白になって、襲われたの。大きな魔物に、襲われて…へいたいさんが来たの。」

 彼女は少し元気になったそうで、そのまま話し続ける。

「へいたいさんはそれからわたしをお家まで連れていってくれたの。」

 不思議なことに、村の誰もがそのへいたいさんに会ったことは無いようで、へいたいさんのことを話すとみんな怪しそうな顔で「そんなひとはいなかったはず」と言ってくるのだそうだ。

「へいたいさんは妖精さんだったのかなぁ…。」

 彼女はそういいながら林檎をちょきんちょきんと切り落としていく。始めたばかりのときより手際がよくなっている。

「だれなんだろうね、そのへいたいさん。」

「そのあとも何回か会ったの! へいたいさんは森のなかに住んでいて、誰ともずーっと会ってなかったんだって。」

 へいたいさんは結界を作って、ずっとそのなかに人知れず住んでいた。

 何年そうしていたのかはさだかではないが、少なくとも誰からも知られないぐらいには森のなかに居たのだろう。

 不思議な人だ。テルシア自身も話していて、その事に気づいたのだろう。だから妖精さんか―――そういう、なにかのまやかしだったのではないかと、テルシア自身は考え始めていた。

「でも…たしかにへいたいさんは私のことを助けてくれたの。」

 

 太陽が真上に来る頃には手際もよくなり、指定された区域の林檎をすべて獲り終えた。あー、暑い!

「はーっ、やっと終わった~!」

 ずっしりと重くなった林檎のかごを、重じいのトラックの荷台に載せる。もう数えるだけでも馬鹿らしい数の箱だ。

 おれたちに割り当てられた範囲だけでも相当の数だってのに、重じいの方はまだ作業が終わらないようだ。

「重じいまだ戻らないみたいだな。」

 木陰に入って涼をとるテルシア。汗びっしょりだ。来ていた服も汗でぐっしょり濡れている。

「テルシア、おつかれ! これでも飲んで。」

 おれは重じいの運転席の横に備え付けられたクーラーボックスから冷えた水を取り出す。

「ありがとう…。」

 テルシアはぐーっと水を飲む。よほど喉が乾いていたようだ。田んぼの水用の上水路でひんやりと冷やしておいた濡れたタオルも一緒に渡す。

 滴となった汗がテルシアののどを伝って落ちる。

 おれも水を飲みながら失われた水分の補給を行う。

 ここ雷神の里は夏はじめじめ暑く、冬はからからとして寒い、という地味に不快度数の高い地域だ。

「テルシア。重じいがもどって、林檎食べたら川泳ぎにいこうぜ。」

「かわ…およぎ?」

「あぁ。涼しくて気持ちいいし、魚が釣れたりもするんだ。」

「わぁ、楽しそう…いく!」

「おー! ふたりとももう終わったのか、早ぇな!」

 ちょうど重じいが、もどってきた。重機でごとごとやってきた重じいの後ろには大量の林檎があった。

「重じい!」

「っかぁ~、老体には堪えるぜ。へへ…大量だな!」

「雄三さんも今年は俺の嫁は大量安産だ! って笑ってたよ。」

「ッブハハハハ! 相変わらず林檎愛の重いこって。時間も間に合ったし、あとは出荷準備に入るからよ! その前に休憩だ。」

 重じいは数ある林檎の中から数個を選んで、それを水でさっと洗い流してからナイフで切り分けた。ものすごく器用にくるくるナイフを回しながら、あっという間にウサギリンゴを作ってしまった。

「ほらよ! テルシアちゃん、しっかり味わえよ!」

 テルシアは重じいからウサギリンゴをもらい、しげしげとそれを眺めた。

「皮ごといけるから、がぶっと!」

「う、うん…。」

 テルシアは頭からそれにかぶりつく。

 ぶわぁ、と表情が変わるのがわかる。

 お行儀が良いせいか、口のなかにものが入ってる状態でおしゃべりはしないみたいだが、キラキラした目でこちらに訴えかけてる。

「うめぇだろ、なっ!」

 重じいがニコニコ笑ってテルシアの頭を撫でる。

 テルシアはこくこくとうなずき、甘酸っぱい笑顔をこぼす。

 

 夏の日差しがさんさんと照りつける。

 しゃり、しゃり、と林檎をかじる音と、蒸した蒸気のような風の音がする。

 おれはふとテルシアを見る。

 家に来て以来、彼女は静かに文句も言わず、言われたことを素直にやってくれるいい子だ。おれ自身はまだ彼女のことを家族と思う意識が薄いが、少なくとも……彼女がいないときより充実しているような気がする。

 ここまで近くにいる年の近いひとがいる、というのが新鮮な気持ちだったのかもしれない。

 ……。

 まだ、上手く言葉をかけられない。

 なにか言葉をかけたいと思いつつ、そういえば自分は前から口下手だということを忘れていた。

「食ったらそろそろ帰っていいぞ! あとはおれがやっておくぜい。」

 重じいはニカッと笑って荷台にのせた林檎を出荷するべく、トラックに乗り込む。ここからおれたちの家までそう遠くはないし、ついでに川遊びする予定だった。

「ん? 川遊びかい?」

「うん。九坂にテルシアをつれていきたいんだ。」

 重じいは顎を撫でながら少しためて、

「ダムの作業があるからもしかしたら川になんかあるかもだが…九坂なら大丈夫か!」

 九坂、というのは川の名前。この雷神の里の水源の霞音湖かすみがねこの源流のひとつで、ものすごく穏やかな流れと夏場に最適のきれいで冷たい温度の水が流れている。そこにいくのだ。

 ここからは高台になるが、湖に直接いくよりそう遠くはない。

「気を付けてな! 助かったぜ、今日はありがとよ。」

「助けならいつでも呼んでくれよ。」

 重じいは再び笑ってそのまま発進した。

 重じいを見送って、それからおれはテルシアを連れて歩く。

「ココノサカ……って、なに?」

「何って……きれいな川だよ。冷たくてすごく、気持ちいいんだ。」

 おれは懐の巾着から糸を取り出した。

「もうちょっと上にいくと、魚が釣れるんだ。アユだよ。塩焼きにすると旨いんだ。」

「おさかながつれるの?」

「この糸といい感じの木の枝があればできるよ。」

 夏の日差しのなかをてくてく歩くと、次第に森のなかに入った。

 木の香りを含んだ涼しい風が火照ったおれたちの体を冷ましてくれる。

「つめたい、ね。」

「だろ?」

 ここは里のなかでも人気の避暑地。森全般は涼しいし、下流の野洲川やすがわあたりは特にいい。たぶん、今日も何人かいるだろう。

「よぉ硝斗! また会いやがったな。」

 うげぇ居やがった。

 おれのはとこの勇斗に、おなじくはとこの阿真斗あまと。重じいの孫だ。

 現在おれが猛烈に嫌いな人間の筆頭……だ! 

「んだよ。出会い頭に睨み付けやがって! ……おいだれだ、そのオンナは!」

 勇斗がおれの背中に隠れ出すテルシアを見て指差して怒鳴る。

「なんだよテメー。テメーに何か関係あるか!」

「おおありだとも! この前の恨み、オレは忘れてないぞ!」

「恨み? 何だっけ? おれの竹刀を勝手に壊したからテメーの竹刀でぶん殴ってやったことか? それともおれのお気に入りの葉山餅食ったからテメーの大嫌いなあずきもちをその口にねじ込んだことか?? それとも―――」

「あーあーあーきこえなーい! とにかくそのオンナはだれだ!」

「なんでお前に教えなきゃならないんだよ。」

「おい、阿真斗! あいつからあのオンナをオレに持ってこい!」

「っへぇい!」

「っ!」

 勇斗が阿真斗に命令を下し、阿真斗がニヤニヤ笑いながらこっちに来やがった。

「日頃からいらいらしてたんだ―――今日こそフクロダタキにしてやるぜ!」

 ぐるんぐるんと腕を回し、慣らしにはいる阿真斗。

「っ……テルシア、さがってて。」

 言われたテルシアはそっとおれから離れて後ろに下がる。

 よし。ボコボコにしてやるか。

 阿真斗はおれより大きい。正直に言えばデブだ。

 だが、デブはデブでも……動けるデブ。

「おらぁっ!」

「っふっ!」

 阿真斗は右こぶしをおれにまっすぐ振るう。おれはそれを下へかわしてそのまま阿真斗の腹に頭突きをかます。

ズムッ! 

「おごっ!」

 そのまま阿真斗のデブボディを腕で挟んで横に倒す。

 阿真斗はずどぉーん! という音が出そうなくらい盛大にこけた。

「っだぁ……くそが! このままやられてたまるかー!」

 阿真斗はすぐ立ち上がり、今度は体当たり。おれはそれを横に飛んでよける。すれ違い様に足を引っ掻けて転ばせる。

 いいようにやられる阿真斗を見かねたのか、勇斗がついに怒鳴った。

「おい阿真斗! 何やってんだよ!」

 ビクッと阿真斗は震える。阿真斗は一気に小さくなったような気がした。

 おなじ兄弟なのになんでこいつらはこうなのだろうか。

 自分で情けねーと思わないのか、阿真斗は。

「このグズが! オレがやる。」

 最初から二人でかかってくりゃ良いのに、そうもしないのは重じいの孫だからで、妙なプライドかなんかがあるんだろう。

「かかってこいや!」

 そう発破をかけるな否や勇斗が飛び込んできた。鋭い飛び込みだ。

 おれも飛び込み、お互いに腕をぶつけ合う。

 おれたちのケンカを初めて見るであろうテルシアは案の定怖がっている。早く終わらせなければ。

 日頃のケンカでお互いに癖や動きを覚えてるだろう。ひやひやするような攻撃が互いに繰り出される。

「シッ!」

「ウラァッ!」

 そうしていればいつかは体力が尽きる。

 おれは体力をつけるべく毎日素振りしている。―――それはしっかりとこのケンカにも発揮された。

 さきにバテた勇斗めがけ、おれはタックルをぶちかます。

 今日も決まった。何回勝ったかも分からないがゼロ敗なのは間違いない。

ドゴッ! 

「ウゴフッ!」

 吹っ飛んでいった勇斗を阿真斗が受け止めた。

「クソッ! いってーな、覚えてろ! そのオンナが誰だか教えてもらうからな!」

 いつもの通り勇斗は悪態をついて逃げ出した。それに阿真斗が慌ててついていく。

 ずっと前からこうだ。なんかもうずっと前から喧嘩ばっかりでめんどくせぇやつなんだよな。

「もう二度とつっかかってくんなバーカ!」

 どうせまた突っかかってくる。期待もしてないけど、とりあえず叫ぶ。

「大丈夫か。」

 おれは木陰に隠れたテルシアに呼び掛ける。

 そのテルシアはひどく狼狽していたようだった。

「テルシア……?」

 テルシアはしばらくおれを見ていたが、声をかけられてはっとする。

「けが、して、ない?」

 彼女はそっとおれの腕に触れた。べつにこの程度の怪我など日常茶飯事なんだがな。

「大丈夫だよ。こんなのいくらでもあるさ―――」

 そう言おうとしたのに。

 彼女に少し強く手を掴まれた。

 まるで心臓を握られるような、そんな気がした。

「―――よかった。」

 彼女は少しほっとしている。

 ―――おおげさなような気がする。

「う、うん。ほんとこのぐらいなら、大丈夫だからさ……。」

 なんとなく言いづらくなってきてるけど。

 握られている手の感触が、不思議と嫌じゃなかった。

 

 しばらく歩いていると、ようやく目的地についた。

 九坂という名前の川だ。

「わぁあ……!」

 テルシアはまず、それを見て驚いた。

 水の宝石とでも形容できるであろう、透き通った川がそこにあった。

 九坂はかなり上流のほうであり、湧水がかなり近い。ここには魚はほとんどいない。もう少し下流にいけば、アユなどがいるだろう。

「冷たくて気持ちいいよ。」

 おれは靴を脱いで、ズボンの袖を捲り、川に入る。

 冷たいせせらぎがおれの足を飲み込む。かなり浅い方で、川底は削られ尽くした大きめの丸石だらけなので、そこまで痛くない。

 おれはテルシアを手招きする。テルシアは不安そうな表情を見せ入るのを一瞬躊躇った。

 おれはテルシアの方へ近づき、手を伸ばす。その白い手先を、自分の手で掴む。

「大丈夫だよ。」

 そのまま待つ。

 テルシアは少しの間の後、小さく頷き、靴を脱ぐ。

 それから、川の中へ足を踏み入れる。

 ちゃぷ、とテルシアのつま先が川に浸かり―――彼女の表情がぱぁっと変わる。

「……!」

 彼女はスカートの裾をもってひらひらしながら、川の上を歩く。せせらぎの音に彼女の足が水をかきわける音が重なる。

 歓声はなく、しずかな一時だったけれども。

 彼女とおれの間には静けさなどなかった。

 

 

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