Record:17 ジン帝国
「おおおおおおおおおおっっ!!」
「ぬあああああああああっっ!!」
それは激しい殴りあいだった。
どちらがこの国の皇帝にふさわしいかを決める戦い。
シバはきっとわかっていたはずだった。シオウの思いというものを。
当たり前だが、シバとシオウは関わりが浅い訳ではない。シバが生まれたときにはすでにシオウは前皇帝のもとに仕えており、子供の頃から何度もシオウと会うことはあった。
シバが幼い頃.....およそ十五年ほど前。当時の皇帝シガルガ、つまりシバの祖父が肺炎で亡くなった。まだ、六十を手前とする年齢で、近年で長寿皇帝が多く活躍してきた中で異例なことに早い崩御となった。シドはそのあとを継いで皇帝となった。
それから皇帝としての責務を果たし続けてきた父の背中を見てきたシバ。誰がなんと言おうともその背中に嘘偽りはなかった。―――よしんばあるとしてもそれはシバが彼を理解できていなかっただけだ。
シオウが何故クーデターなど起こしたのか、その理由もきっとあろうが。
こんなやり方は絶対に許されるものではない。
「シオウッッ覚悟ォっっ!!!」
シバの拳がシオウの頬へ叩き込まれる。シオウも負けじと殴り返す。
「負ける―――ワシは負けるわけにはいかぬのだ!!」
シオウの思いを乗せた拳が若い皇子へ容赦なく叩き込まれる。
「これまでにどれほどのものを犠牲にして来た―――ワシはおめおめと負けられないのだ!!」
「それが―――拙者の父上でも、そなたの忠を誓った主でもかっ!!」
「そうだ!! シバよ、王になるとはそう言うことだ―――何かを失わずに理想を為すことなど―――できぬ!」
シオウのその言葉にシバは―――怒りを爆発させる。
「よくも―――よくも、貴様ァ! 貴様ァアアアアアッ!」
シバのその怒りの拳を、シオウは掴んで受け止める。
「覚悟はとうにできている。」
シオウはその拳を握りつぶす勢いでぐいと一歩前に出る。
「……っ!」
「ワシの考えが気に入らぬなら、正義が気に入らぬというのなら―――」
シオウはくわっと目を見開き、シバへその思いをぶつける。
「ワシを殺し、お前が王となれば良い!!」
「ぐぁあっ!」
シオウの一撃を食らい、吹っ飛ばされる。
すでに年老いたシオウは肩で息をしており、削れた体力を懸命に回復させる。
「ハァ……ハァ……。」
シバはふらつきながらもなんとか立ち上がろうとする。その不屈の意思に何を思ったのか、シオウは小さく語り始める。
「ハァ……シドがこの国のシステムを変えた―――皇帝のその権力を失効させ、臣民たちにこの国の行く末を任せた。」
「―――」
「だがその結果はどうだ。力のある富裕層だけが臣民の代表になり上がり、自らの都合の良い法ばかりを立てるようになってきた。力のない貧しいものどもが搾取されるその実態だけはなにも変わらなかった!」
「そんな―――そんなことはあるはずがない!」
「お前の見てきたその父の背中は―――偽善だらけの偽りの王の背中だ。自らが果たすべきこともせず、臣民にばかり責を負わせいたずらにこの国を引っ掻き回しただけだった! 一度でも貧しいもののその生きる様をお前は見たのか!?」
「―――!」
「金のある奴らがそれにモノを言わせ、さらに搾取する―――臣民たちに与えたはずのその権力は結局再び一点に集中した。頭がすげ変わっただけだ! 私利私欲にまみれた、更に最悪な頭にな―――!」
シオウの声には怨嗟の念が滲んでおり、すでに年老いたその拳は異様に重かった。
「これが―――貴様らの望んだジンか!」
「それでも―――それでも!」
だが、シオウがその思いをもって戦っているのと同じように―――シバもまた彼の理想をもって立ち上がった。
「それでも!!」
こんなやり方は許されるものではない。こんなやり方がまかり通る国であってはならない。
「父上を殺し、拙者の仲間を殺し、多くの臣民を混乱に陥れ苦しめてきたお前らには―――王たる資格などない!!」
大切な存在を失った、若い皇子は叫ぶ。
「その欲にまみれた最悪な頭と同じ手段を取る貴様らに―――王たる資格はないっ!!!」
再びシバの脳裏に浮かぶ、父と過ごしたあの日々。息子の純粋な言葉に、公務で白髪が増えすっかりくたびれ果てた顔の父親が浮かべた笑顔。
父親にとって「誇り」であった自分。
シバには負けてはならない理由しかなかった。
「シオオオオオオオオオオオッ!!!!」
このような男にこそジンを預けてはならない。
その拳が老人に打ち込まれる。
「ぐふぁあぁっ―――!!」
シオウはのけぞる。
ぐらり。
シオウが、ついに倒れる。
シバよりも大きな体をもつ、シオウ・ロクブドムが、倒れた。
「はぁ………はぁ………っ。」
倒れたシオウを、シバは肩で息をしながら見ていた。
シオウもまた、大きく息が乱れていた。シバが手加減なく殴り続けたため、その顔は痣だらけだ。
勝負はついた。
「―――ソガルガ……どの。」
老帝はその顛末を見届けた。ソガルガはすでに老いており、その身に戦う力はない。自らの臣下が敗れるさまを、ただ静かに見ていた。
「……シオウよ。」
既に立てぬシオウは、肩で息をしながらそれに応える。
「……はい……。」
「ワシらは……負けた……。……もはや、ワシらの出る幕では……ない……。」
「……これまでの犠牲は……全てなかったことにするというの、ですか……。」
ソガルガは目を閉じる。
「それを決めるのは……そこにいる皇帝だ……。」
シバは二人の老人を力強い瞳で見ている。その瞳の奥に宿る覚悟を、ソガルガとシオウは確かに感じ取った。
「ワシは……皇帝の器ではない……。兄を殺そうと、……返り討ちにあい、そして敗れ……何度も皇帝になろうと……立ち上がって……ついぞその夢は叶わなかった……。」
ソガルガは玉座から立ち上がり、こちらへ歩き始める。
「兄も……甥も……殺せとシオウに命じたのは……ワシじゃ……。」
「―――。」
「だが……これだけ手を汚すとも夢は叶わなかった……ワシはその器を持たぬ、ただの俗物……己の夢は誰にも望まれぬ野望でしかなかったのだ……。」
そして、ソガルガはシバの目の前に立った。
「ワシは―――貧しき人々を救う皇帝に……なりたかった。」
この二人も―――幾重にもなろう多くの思いを背負い、自ら手を汚したのだろう。
「そう願うのなら―――尚更このやり方ではダメだ。」
目的のためならどんな手段も厭わないなどという人間がいるが、だがそれは間違いだ。どんな目的にもそれを適切に果たすやり方が存在する。
間違ったやり方では、目的は正しく果たされない。
「なぜ父上と話し合いを重ねなかったのだ! 拙者から、父上を慕っていた臣民から父上を奪って、それで正しく為せるとなぜ考えたのだ!」
そこで生まれるのは―――ただの苦しみの連鎖だけだ。
「―――時はもう戻らない。我々が考えなければならないのは、この国の未来。今見るべきは過去ではなく、未来。」
シバはまっすぐ二人をその瞳で見る。見ているのはそこではない―――その二人のその向こうにあるものだ。
「―――拙者の元に来てくれ。」
「……!」
その言葉の意味をどう受け取ったのか―――ソガルガとシオウは驚く。
「……。……ワシらが……ワシらにその資格はあるというのか……?」
「資格などの話ではない。―――義務の話だ。」
シバは自身の拳を握り、自身の思いを語る。
「貴方方のその思いを無駄にしてはならない。貴方方も拙者も―――思いは同じだ。」
「………馬鹿な。なぜそんなことをワシらに言えるのだ。」
「そんなこと? そんなことではない。ジンのために、少なくとも民のために行動してきたのだろう。結果はどうあれ、拙者はそれが、その心が欲しいのだ。やって来たことは間違いでも、心に間違いはない。―――あとはやり方さえ正せば良いのだ。」
シオウはそれを聞いて呆れたようにため息をついた。
「……お前というやつは……。」
二人の老人はその答えを考える。
「―――お前のように考えるものが、ワシら側に一人でもいればな。」
シオウは自身の体をなんとか起こしながら、そう小さく呟く。
そして、答える。
「しばし、考える時間をくれ。」
「あぁ、良いのだ。戦いは終わった―――いくらでも待つ。ゆっくり考えてくれ。」
そう、戦いは終わった。
それを聞いたソガルガたちも、そしてシバも―――肩の荷が下りたようにほっと息をついた。
これで戦いは終わったのだ。
もうすぐ夜明けだ。空がわずかに白み始めている。
ジン帝国の新しい一日が始まろうとしている。
「はァいッ! お邪魔するよォ!」
世界を陥れる恐怖は、すぐそこへやってきた。




