14.ケルベロス
ー1ー
ついに辿り着いた。
人類とリッチーの戦い、その最前線。
前線基地。
ここを出れば、リッチーの居城はすぐそこだ。
「基地って言うくらいだから、要塞的なものを想像していたけど、普通の集落にしか見えないな」
「アンデッドが軍隊を作って攻めてくるような事はしてこないからな。防衛するにしても最低限度のことをやっておけば問題ない。要塞化する必要もないし、何もなければいつでも放棄できる」
「なるほど」
ローゲンの解説に納得しつつ、アマテルの方を見やる。
妙にそわそわして周りをキョロキョロとしていた。
「テル、どうしたんだ?」
「ついに辿り着いたんだなと思いまして……。その、落ち着かないです」
「先走り過ぎて一人でリッチーの所に行かないようにしてくれよ」
「そっ、そこまでやりませんよ! 勇者様は私をなんだと思っているのですかっ?!」
「可愛いと思っているよ」
「それは……ありがとうございます……」
一人小さくなって落ち着いた所で今後について話し合う。
「まずはいつも通り宿を探すでいいか?」
「言い忘れていたが、前線基地では宿を取らない方がいい」
「どうして?」
「金が掛かる。今すぐにリッチーを討伐するのならその限りではないが、そうでないなら滞在は長期になる。宿泊費がかさむわけだ」
「この四人だけでリッチーを討伐しに行かない方がいいのか?」
「討伐隊を組んでも返り討ちにする相手だぞ。そんな相手に四人で挑んで勝てると思うのか?」
思いません。
「前線基地にある商店はどこもテントを売っている。それを買うぞ」
ローゲンの言うように、どこの商店もテントが置いてあった。
それも結構大きめなサイズのやつだ。
宿屋の一室より広く普通に生活出来そうな程に広い物まで売っている。
「値段見ると高そうに思えるが、宿泊費を考えるとこっちの方が安上がりになる」
アドバイスに従ってテントを二つ購入する事を決めると、ローゲンが何やら交渉を始めた。
値切っているのだろうか?
「話がまとまった。運搬と設営もやってくれるそうだ」
なるほど。
サイズが大きいから、そういった交渉もしないといけないのか。
テントは店に任せて、ローゲンが前線基地を軽く案内する。
商店から、食堂、銭湯、様々な所を見て回り、次に前線基地の外へ案内された。
「これは、すごいな……」
眼前に広がるのは無数に設営されたテント。
皆、ここで寝泊まりしているのだ。
「今日の夕方には買ったテントが設営されるはずだ」
無数にテントが立ち並んでいることから、ここいら一帯はテント街と呼ばれているそうだ。
「おじ様。案内して欲しい場所があるのですが……」
アマテルが申し訳なそうに口を開く。
「分かっている。これから案内する」
アマテルが行きたい場所?
どこだろうか?
行き先はテントが並ぶ場所と同じく前線基地の外。
前線基地の中を通ってテント街の反対側へと向かう。
辿り着いたのは広場。
草が生い茂る緑の絨毯の先に石碑がポツンと置いてあった。
「慰霊碑だ。これまで討伐隊に参加し、その命を散らした者達を祀るためのものだ」
アマテルは一人、広場の中を進む。
慰霊碑の前まで辿り着いた彼女は静かに祈りを捧げ始める。
アマテルの両親はかつて討伐隊に参加し、その命を散らした。
両親のために祈っているのだろう。
彼女の背中を静かに見守るのだった。
ー2ー
翌日、前線基地にある食堂でとある情報を仕入れた。
「ケルベロス? それってたしかリッチーの城の門番をしている高位アンデッドだよな?」
「ああ、そうだ。ジェノサイドと並ぶ最強のアンデッドだと言われているが、そいつを見に行くくらいなら簡単に出来るぞ」
食堂で絡んで来た冒険者。
中年のおじさんで、なんだか酒くさい。
朝から酒を飲んでいるようだ。
「ジェノサイドは出会ったらどこまでも追い掛けて来るが、ケルベロスは違う。そいつは門番だ。不用意に近付き過ぎなきゃ何もしてこない。遠目から見る分には何も問題ない」
「本当なのか?」
「本当だとも。この前線基地に居る連中は全員見に行っている。坊主達も一度見に行った方がいいぞ。これから戦う相手だ。ひと目見ておいても損はねえ」
害がないのなら一度見に行くのも悪くない気がする。
「それで、情報を教えた代わりでなんだが……」
何を言おうとしているのかすぐに理解した。
酔っ払いにお金を渡す。
「たしかに。じゃあな」
あの様子だと、酒代に消えるのだろうな。
とりあえず、ケルベロスの件について皆の意見を聞いてみる。
「私は勇者様が行きたいのなら行くで構わないと思います」
アマテルは相変わらずな意見だ。
「わたしは……反対。その……怖いから」
ポニィはまだ見ぬケルベロスに怯えている。
「昔とどう事情が変わったか確認してからだが、行くべきだ。これまでの高位アンデッドとは違うのをその目で見ておいた方がいい」
ローゲンは概ね賛成のようだ。
自分も見ておきたいと思っていたので、賛成の方が多い。
ポニィには悪いがケルベロスを見に行くことに決まる。
最終的に、
「みんなといっしょなら、行く」
と、ポニィも快諾してくれた。
リッチーの居城は前線基地から三時間程の場所にある。
お昼に出ても夜には戻って来れるはずだ。
ローゲンが訪れた十年前と状況が変わっているはずなので、それを他の冒険者に確認してから準備を整える。
聞いた話だとケルベロスを見に行くのは一種の度胸だめしだとか。
見に行くことも出来ない者は討伐隊に参加する資格がないとか、そんな感じのやつだ。
中には、見ただけで心が折れる者がいるとかいないとか。
いずれにしても、ケルベロスの姿を一度拝見した方がいいのは間違いない。
前線基地を出発する頃には、昼を大分過ぎていた。
それでも急いで行けば夜には戻れるだろうと、強行する。
リッチーの居城は森に囲まれていた。
大陸の端に位置する王国はこの森を抜けなければ他国へ渡ることができない。
森を避けて通る方法もあるにはあるが、その場合山を越える必要がある。
標高が高く、モンスター、特に強力なドラゴンが棲み着いているため危険を伴う。
山を越えるのはリスクが大き過ぎるどころか、不可能に近い。
何度かリッチーの討伐を諦めて山を登ろうとしたらしいが、結果は散々で討伐隊の被害よりも大きかったそうだ。
まだリッチーを討伐する方が現実的だし、森を開放した方が利便性がいい。
そう判断した王国はリッチー討伐に注力するようになった。
「そういえば、海から他の国へは行けないのか?」
「大陸の北側は崖のようになっていて上陸できないのです。仮に上陸できてもドラゴンが棲む山脈が延びているので他の国に辿り着くのは困難ですね。西の海は漁業は栄えているようですが、まだ他国に通ずる海路が確立されていない未開の海なんです。何度か西を目指して航海したらしいのですが、何も見つけられなかったそうですよ。それで南の海ですが、強力な高位アンデッドが棲み着いているらしくて、船を次々と襲っていると聞き及んでいます」
結論を言えば、海からはダメだという事だ。
「海がダメなら、やはり陸から行くしかないのか。そのためにリッチーを倒さないといけないわけか」
当然ながら空を飛ぶ選択肢はない。
この世界の技術レベルを考えれば仕方ないだろう。
「ところでローゲン、リッチー討伐は普段どのような感じ行われているんだ?」
「前線基地に人が集まるのを待って、それから全員で攻め入るのがこれまでのやり方だ」
「それって統率とかって出来るのか?」
「大雑把な範囲なら可能だ。名乗りを上げた人物がリーダーとなり、方針を決める。その方針に則って作戦が練られて実行に移される」
「リーダーなんてやりたがる人がいるのか? あまり立候補したいとは思わないな」
「私は勇者様がやってもいいと思いますよ」
「ありがと。でも遠慮しておくよ。荷が重過ぎる」
「そうですか。それは残念です……」
アマテルは肩を落とす。
本気で残念がっているように見える。
そんなにもやって欲しかったのだろうか。
「たまに命知らずが仲間を連れてリッチー討伐に向かう。そういうのは中に入るどころかケルベロスに殺されている」
ケルベロス。
これから見に行くアンデッド。
果たしてどのようなアンデッドが居るのだろうか。
「暗くなってきたな」
日が暮れてきた。
急ぐつもりが、時間を掛け過ぎてしまったようだ。
リッチーの居城が近いせいだろうか、知らずの内に慎重に足を進めていた。
だけど、ここまで来て引き返せない。
ここで引き返すという事は、逃げたという事だ。
それだけは出来ないと、ケルベロスの元へと急ぐ。
ー3ー
完全に日が暮れた頃。
ついにケルベロスの姿を捉えることが出来た。
「あれが、ケルベロス……」
対象は遥か彼方、尚且つ夜闇に包まれている。
だけど、その姿ははっきりと視認できた。
なぜならば、門前に陣取るそれは夜闇の中でもその存在感を示していたからだ。
白銀の鎧が月光に照らされて煌々と輝く姿は遠目から見ても目立つ。
ニメートル程の巨体に犬の頭部を彷彿とさせる兜、両肩にも犬の頭部を模した飾りを付けた鎧騎士。
あの三つの犬の頭部がケルベロスと呼ばれる所以だ。
両腕に装備された鋭い鉤爪が月明かりを反射してぎらつき、純白でいて一点の汚れもない毛皮のようなマントをたなびかせたケルベロスがこちらに兜を向ける。
こちらの存在に気付いていると容易に判断できた。
前線基地で聞いた情報通りでこの距離なら攻撃を仕掛けてくることはない。
攻撃をしてこないと分かっていても、気が緩まることはなく、ただ全身が震える。
武者震いではない。
これは怯えから来る震えだ。
その姿を見た時から感じ取れた、今まで戦ってきたアンデッドとは明らかに別格。
それを仲間達も感じ取っているのだろう。
誰も声を発さず、ただジッとケルベロスの姿を捉えている。
一瞬でも目を離したらケルベロスが目の前に現れるのではないかと錯覚してしまうほどに怖い。
「……ケルベロス、昔と変わらぬ姿だな」
唯一、ケルベロスを見たことがあるローゲンが呟いた。
「あいつは本当に昔から存在しているのか?」
「最強と謳われているジェノサイドの陰に隠れているが、ケルベロスも遥か昔から存在が確認されている。最初に存在が確認されたのがこの城の門前だ。これまでずっと門番として城を守り続けている」
これまで幾度となく城への侵入を阻止してきたのであろう。
何十年も変わらず、門前に立っている。
一体、何人もの勇者候補や冒険者を屠ってきたのだろうか。
こうしている間もケルベロスは微動だにせず、兜だけがこちらに向けられていた。
「ケルベロスは三つの魔法属性をもってるって聞いた」
ポニィがケルベロスの情報を語る。
「普通の複合型とは違うのか?」
「複合型は多くても二つの属性だけ。三つは異常」
そういえば、以前にも三つの魔法属性を使いこなせるのはケルベロスだけだという話を聞いたな。
「炎、風、雷。それがケルベロスの魔法属性」
「どれも攻撃に特化した属性だな」
「うん。警戒するのは三属性同時に発動する加護の魔法」
炎属性と雷属性で魔法威力と筋力をそれぞれ強化させて、風属性で俊敏性を向上させる。
「あれが攻撃特化の殺戮兵器となって戦場を駆けずり回るのか。嫌な敵だな」
「今は勝てないかもしれません。ですけど、勇者様なら勝てるようになりますよ」
アマテルのその期待はどこから出てくるのだろうか。
そんなに期待されても困る。
「……そろそろ戻ろう。襲ってこないにしても、あれにずっと見られているのは心臓に悪い」
「そうですね、戻り……」
「動き出したぞ!」
アマテルの言葉を遮って、ローゲンが叫んだ。
動き出した? 何が?
いや、聞かずとも分かっていた。
ケルベロスが動き出したのだ。
無数の炎がケルベロスの前に出現した。
何らかの魔法を発動したのだ。
「こんな事は今までなかった。何が起こるか分からない。今はこの場から離脱するぞ!」
ローゲンの言葉に反対意見など出ることはなく、急いでこの場から離れる。
仲間達を先に行かせている間に、ケルベロスの方を確認する。
無数に現れた炎が形を変化させていた。
「犬? それとも狼か?」
炎は犬型の姿へと変貌を遂げる。
あれは獲物を狙う猟犬だ。
猟犬となった炎が遠吠えをする。
その遠吠えは森の端にまで届くほどの大きな遠吠えだった。
炎の猟犬の数は全部で九匹、その全てがこちらに向けて解き放たれた。
ー4ー
炎の猟犬は物凄い速さで夜の森を駆け抜ける。
暗い森の中でも燃え盛る身体のせいで目立つため、位置は簡単に確認できた。
「走れ! 全速力だ!」
アマテルとポニィを先に逃がし、その後ろを走るローゲンを追い掛ける。
炎の猟犬だけを相手にするなら何とかなるだろう。
問題はケルベロスだ。
あそこで戦闘をしていたらケルベロスがどんな行動に出るか分からない。
戦うにしても、今は場所を移すのが先決だ。
「ケルベロスは?」
後方の様子が気になるローゲンが聞いてきた。
「来てない。でも、このままだと炎の獣に追いつかれる!」
追いつかれるが、ケルベロスがいないのなら迎撃できる。
「やるしかない」
いずれ追いつかれるなら、ここいらで迎撃した方がいい。
「勇者様、あそこなら迎撃しやすいのでは?」
アマテルが指し示す場所は、木々が少なく原っぱになっていた。
広さも十分にあるし、月明かりに照らされていて周囲が見渡しやすく奇襲をされにくい場所だ。
「よし、あそこで迎え討つぞ」
目的の場所まで辿り着くと、すぐに武器を構えて迎撃態勢に入る。
前衛としてローゲンの横に並び立つ、後ろにアマテル、さらにその後ろにポニィを置く。
炎の猟犬の位置を確認する。
通常なら夜の暗闇の中で獣の姿を確認するのは難しい。
だが、燃え盛る炎の身体によって暗闇の中でも簡単に姿を視認することができた。
距離は百メートルもない。
九匹の炎の猟犬は三匹ずつに分かれていく。
正面と左右の三方向からの攻撃を仕掛けてくるつもりのようだ。
猟犬達は疾走する。
両者の距離が縮まっていく。
「ポニィは左右を」
「はい」
ポニィは何をするかなんて聞かない。
やるべき事は分かっているはずだ。
冷気が漂う。
氷魔法が発動する前兆だ。
背中に冷気を浴びながら、右側の森に無数の氷壁が出現するのを確認する。
炎の猟犬に直撃はしないが、進行を妨げるには十分だ。
ローゲンが前に出て、正面から来た炎の猟犬に突っ込んでいく。
それを炎の猟犬は右に飛んで回避する。
回避行動によってできた隙を見逃すほど自分は未熟ではない。
隠れていたローゲンの背中から飛び出し、風の加護を受けた体が瞬時に炎の猟犬の眼前に躍り出る。
そこから剣を振るう。
風を纏った剣に斬られて炎の猟犬は霧散する。
後続の猟犬二匹はローゲンの左側を駆け抜けようとするが、その動きを読んでいたローゲンが炎の猟犬を一匹両断する。
正面から来た炎の猟犬は残り一匹。
前衛である自分ら二人をスルーして向かった先にはアマテルがいる。
錫杖を構えたアマテルは迫りくる炎の猟犬目掛けて正確に錫杖を叩き込んだ。
ギリギリまで引きつけてからの渾身の一撃によって、炎の猟犬は回避できずに霧散した。
三人が正面から来る炎の猟犬を相手している間、ポニィは左側から来る炎の猟犬の相手をする。
左側の森に潜む炎の猟犬に向けて、無数の氷の礫を飛ばす。
先頭を走る炎の猟犬に命中して消失させるが、他の二匹は器用に体を逸らして躱す。
今ので三匹倒せると思ったが、そう甘くはないか。
「ローゲンは左を」
「承知した」
ローゲンをポニィの応援に向かわせて、自分は右側の森へと向かう。
氷の壁だけでは時間稼ぎにしかならない。
挟撃されるのは防がなくては。
無数の氷の壁を掻い潜った炎の猟犬が正面から迫る。
右眼の力で動きを見極め、相手の攻撃のタイミングに合わせて剣を振る。
風を纏った剣は炎の猟犬を見事に両断し消滅させた。
残った二匹の猟犬が同時に襲い掛かってきた。
剣を地面に突き立てて魔力を注ぎ込み、付与している風を増幅させる。
増幅された風が剣を中心に吹き荒れ、炎の猟犬を吹き飛ばす。
飛んでいった先には木と氷の壁があり、木に衝突した炎の猟犬は消え去ったが、もう一匹の方は氷の壁に上手く着氷して再度襲い掛かってきた。
急いで剣を地面から引き抜くも猟犬は目の前に迫っていた。
迎撃しようにも間に合わない。
しかし、背後より飛んできた氷柱が炎の猟犬の胴を貫いた。
炎の猟犬は消滅する。
危なかったが、助かった。
ポニィの方に視線を送ると、あちらでも勝負がついていた。
炎の猟犬達は消滅し、アマテルが手を振って勝利を報告する。
「お怪我はありませんか?」
いつものごとくアマテルが怪我の有無を確認する。
「こっちは大丈夫だ。攻撃を受ける前にポニィが倒してくれたからな」
そう言うとポニィは照れながらもどこか誇らしげにしている。
「勇者様がご無事でなによりです」
「あれくらいの敵なら問題ないよ」
最後はちょっと危なかったけど、それ以外は問題なかった。
「ひとまず危機は脱した。今のうちに前線基地に帰還するぞ」
ローゲンの意見に首肯する。
前線基地で聞いていた話では、ケルベロスは一定の距離まで近付かないと攻撃してこないはずだ。
しかし、攻撃を仕掛けてきた。
普段と違う行動を取ったのだ。
人間ならただの気まぐれかもしれないが、アンデッドであるケルベロスが気まぐれを起こすなど有り得るのだろうか。
不測の事態に備えて早めに撤退した方がいいだろう。
「……テル? どうした?」
月明かりが届かない暗がりの先を見つめているアマテルを不審に思って声を掛ける。
「勇者様、何か居ます……」
アマテルはある一点を指差しながら、警戒を促した。
指差した方角はこれから帰る前線基地がある方角だ。
そちらを目を凝らすも暗くてよく見えない。
だが、アマテルの言う通り気配がする。
何かが居るのは間違いない。
方角的にケルベロスではないだろう。
「テルは一先ず下がってくれ」
炎の猟犬を撃退したのと同じ陣形を取る、敵とは限らないが用心に越したことはない。
警戒を強めていると、人影が見えてきた。
他の勇者候補一行が森に潜っていたのだろうか?
それともアンデッドか?
人影の正体を予想している間も、それは徐々に近付いてくる。
相手の姿は木々の影に隠れてまだはっきりと視認が出来ないが、こちらの姿は月明かりに照らされているので近付いて来る者からしたらまる見えだ。
隠れても意味はない、こちらから話し掛ける。
「そこにいるのは誰だ?」
この距離なら、聞こえているはずだ。
だが、相手からの返事はなく沈黙で答える。
「やはり敵か……」
剣の柄を強く握りしめて構える。
相手の姿はまだ見えないが、人影の大きさがおかしいのに気が付いた。
人間にしては、異様に大きい。
二メートル程の大きさだったケルベロスよりもひと回り大きい。
仲間達も相手の異様さに気付いたのだろう。
息を呑み、武器を強く握りしめて身構えているのが伝わってきた。
近付いて来る者が木々の影から出ると、月明かりに照らされてその姿を晒す。
黒金の全身鎧を纏った、二メートルをゆうに超える鎧騎士。
騎士でありながら武器を一つも携帯していない出で立ち。
その姿に心当たりがあった。
話には聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだ。
「ジェノサイドっ!?」
ローゲンは両目を見開き驚愕を顕にした。
ジェノサイド。
リッチーの居城周辺にあった街や村、集落を一体で壊滅させたというアンデッド。
その危険度は被害の大きさからケルベロスを超えており、最強のアンデッドと謳われている程の力を有している。
「あれがジェノサイド……」
ガチャリガチャリと金属音を鳴らしながらこちらに向けて歩を進める黒金の鎧。
圧倒的な存在感と殺気を放ち、周囲を威圧しながら歩く様はまさに死の権化であり、相手に死期を悟らせるには十分だった。
「……」
「うそ……」
アマテルは黙ってジェノサイドを見つめ、ポニィは杖を両手で抱きしめるかのように強く握り全身を震わせていた。
仲間達から恐怖と動揺が広がっている。
「……まさかこんな時に奴に出会うとは」
ローゲンは憎しみを込めてジェノサイドを睨み付ける。
今にもジェノサイドに斬りかかろうとしている。
いつも冷静なローゲンがここまで憎悪を露わにするの珍しい。
それほど憎い相手なのだろう。
「……ローゲン、逃げよう」
勝てない。
あれは勝てない。
絶対に勝てない。
姿を見ただけで分かる。
いくら勘の鈍い人でも一目で分かるだろう。
あれは危険だ。
直感でヤバいって分かる。
本能が逃げろと告げている。
憎い相手とか昔の仲間の仇とか言っている場合ではない。
一目散に逃げるべきだ。
「……勇者様、あれが来た方角を思い出してください」
アマテルの指摘によって気付いた。
ジェノサイドが来たのは前線基地がある方角からだ。
逃げるにしてもジェノサイドの脇を通り抜けなければならない。
それは間違いなく危険を伴うだろう。
バラバラに逃げても誰かが犠牲になる。
一人は必ず殺される。
生き残るには誰かが囮にならなくてはならない。
そして囮は絶対に助からない。
「お前達は隙を見て逃げろ」
ローゲンが真っ先に囮になると宣言する。
「おじ様!? それは危険ですっ!」
アマテルは声を上げて反対する。
「ここで誰かが犠牲にならなければ全員共倒れだ。この中で奴を抑えられるのは俺だけだ。それに奴には個人的な恨みがあるし、負ける気もない」
全員で戦っても勝てない。
ローゲンは自らを囮にして仲間を逃がすつもりだ。
負ける気はないと言うが、戦う者は皆そう言う。
誰しもが負けたくて負けるわけではない。
それにアマテルは納得しない。
「それでも……他に何か方法があるはずです!」
当然ながらアマテルは抗議するが、代案が思いつかないでいる。
こうして話している間にもジェノサイドは少しずつ近付いて来ていた。
走ることなく黙々とこちらに向けて歩き続ける黒金の鎧。
後ろに逃げても、ケルベロスの餌食なる。
下手に動けばジェノサイドとケルベロスに挟み撃ちにされる。
分かれて前線基地を目指しても一人は必ず捕捉され殺される。
「勇者様からも、何か、何か言ってくださいっ……!」
毎度のごとく困った時の勇者頼みである。
「……思えば、あの時の炎の猟犬が上げた遠吠えはジェノサイドを呼ぶためのものだったのだろうな」
仲間達はこちらに顔を向け、真剣な眼差しを送ってくる。
自分がどんな決断を下すのか。
それが気になっているようだ。
誰もが犠牲になる覚悟が出来ている。
犠牲になるのを誰か。
自身の名前が出ても仲間達は受け入れて囮になってくれるだろう。
「聞いた話だと圧倒的な戦闘力で相手を蹴散らし、絶対的な防御力で如何なる攻撃を弾く。その理不尽さで他者を蹂躙する虐殺者。通常ならジェノサイドと出会ったら死を意味している。だけど、今回は違う。全員揃って帰還するぞ」
全員の帰還。
その言葉にローゲンが口を挟もうとするが、それを目で制す。
「勝つ必要はない。ジェノサイドが追い掛けられない場所に逃げればいいだけのことだ」
「追い掛けられない場所ですか?」
「簡単なことだ。地球に逃げればいい」
地球からの召喚魔法。
ルナの召喚魔法によって自分は地球へと強制召喚される。
それを上手く使えば全員が生き残れるはずだ。
「さすがのジェノサイドも地球までは追ってこないだろ」
自分が囮になってジェノサイドの相手をする。
その間にアマテル達は逃げて、自分はルナの召喚魔法で地球に召喚される。
これでジェノサイドから逃げられるはず。
「それでは勇者様が危険です!」
「俺が囮になる」
アマテルとローゲンからは反対意見が出る。
自らが囮になるのは構わないようだが、誰かを囮にするのは許せないようだ。
ポニィは他に何か案がないかと考えているようだが、何も思い浮かばないようで黙っている。
「一番危険だろうな。それでも、これしか方法がない。それにローゲンと同じように負ける気はない。でも、ローゲンと違って死ぬ気はない」
これは負け戦ではない。
必ずしも死ぬわけではない。
生き残るための戦いであり、作戦でもある。
「本当に……死ぬ気はないのですよね?」
「もちろんだ」
本音を言えば物凄く怖い。
この場に自分一人だけなら後先考えずに全速力で逃げ出していた。
それでも、逃げ出さずにいられるのは仲間の存在があるからだ。
自分の命よりも大切なものがここにある。
それを守るためなら自分は命を懸けられる。
このやり方でないと誰かが犠牲になるのは確実。
誰も犠牲にしたくない。
それにこれは他の誰にも出来ないし、自分だからこそ出来ることだ。
だけど、この作戦にはいくつか問題点がある。
いつも夜に召喚されるとはいえ、毎回同じ時間に召喚されるわけではない。
一応、八時に召喚されるとは言われてはいるが、ルナは気まぐれなのでよく時間が変わる。
いつ召喚されるか分からない状況で、下手したらルナの気まぐれによって時間が変わるどころか召喚してくれない可能性もある。
そして気になるのが、ジェノサイドが最強と謳われているということ。
直接戦うのは初めてなので、実際にどれほどの力を有しているのか未知数だ。
相手の実力が圧倒的ならば、自分一人ではジェノサイドを抑えられない。
「……分かりました。勇者様を信じます」
おそらくアマテルも気付いているはずだ、この作戦の危険性を。
それでも、他に全員が助かる術がないので納得せざるを得ない。
「わたしは勇者が決めたことなら反対しない」
ポニィからも了承を得られた。
残るはローゲンだけだ。
「……奴が想定よりも強く、お前の手に余る時は俺が残る。それで構わないな」
「構わない。だけど、そうならないよ。全員で生きて帰るのだから」
全員から了承を得られて話し合いは終わった。
ー5ー
全員が武器を構えて、加護の魔法を発動させる。
ローゲンが前線に立ち、その後ろに自分が続く。
こちらの覚悟を見て取ったのか、心なしかジェノサイドの歩く速度が上がった気がする。
「ポニィっ!」
「はい!」
ポニィは合図に応じて、火球を生み出す。
出し惜しみせずに多量の魔力を対価にして無数の火球を発現させる。
無数の火球が雨のように黒金の鎧へと注がれていく。
着弾した火球が次々と爆炎を上がらせ、周囲の木々を巻き込んで焼き尽くすかのごとく燃え盛る。
炎に包まれてジェノサイドの姿は見えないが、歩く度に奏でられる金属音がこちらに近付いてくるのを暗示させた。
燃え盛る炎の中からジェノサイドが悠然とした歩みで姿を現す。
鎧には傷どころか焦げ目も汚れもその一切が付いていない。
火球の雨を受けてもジェノサイドにはダメージを与えることが出来なかった。
「噂には聞いていたが、どんだけ防御力高いんだよ」
一歩一歩大地を踏みしめながら歩み寄るジェノサイドは、ついに目の前まで辿り着いた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
ローゲンは雄叫びを上げながら正面からジェノサイドに突っ込んでいった。
盾を前面に押し出して、ジェノサイドに突進する。
甲高い金属音が響く。
長身を活かしたローゲンの突進は威力が高いため、並みの相手なら圧倒することができる。
だが、今回は相手が悪い。
ジェノサイドは突進を避けようとはせず正面から受け止める。
真正面から強い衝撃を受けてもビクともせず、一歩も後退しなかった。
「あれを受けても下がらないのか……」
ジェノサイドは右手に氷の大剣を出現させ、それを頭上に掲げて振り下ろす。
ローゲンの持つ盾は大きいが、密着した状態で尚且つローゲンの身長を超える巨体から振り下ろされる氷の大剣は、簡単に盾を超えてローゲンの頭を捉えることができた。
最初の一撃が効果が薄いと判断していたローゲンは、すぐさま半身を仰け反らせる。
先程まで頭があった場所に氷の大剣が通り、冷や汗を流す。
「隙ができるどころか逆に攻撃してくるとはな。やはりそう簡単にはいかないか……」
口振りほど残念がることはなくローゲンは武器を構え直す。
それにしても、いきなり氷の大剣を出現させるとは思わなかった。
「魔法で作り出した氷の大剣です! 氷と土属性の魔法を使ってくるので注意してください!」
アマテルの説明で思い出した、以前そんな話を聞いた覚えがある気がする。
うっかり忘れていたことを恥ながら、ローゲンの援護に向かう。
ジェノサイドは攻撃を避けたローゲンにさらなる攻撃を仕掛ける。
両手で持つほどのサイズの氷の大剣を片手で振り回し、猛攻が始まった。
氷の大剣をローゲンは盾で受けて、連続で繰り出される斬撃を盾で捌き切る。
その間にジェノサイドの死角に忍び寄った。
死角より剣を振る。
だが、そのタイミングを狙っていたかのように大振りした氷の大剣が盾の表面を滑らせるように走らせて、こちらに襲い掛かってきた。
死角からの攻撃は氷の大剣によって弾かれてしまう。
その時の威力は凄まじく、弾かれた剣に体ごと持っていかれそうになる。
そこへ追撃が来るのかと思われたが、その前にローゲンが攻撃することでジェノサイドの注意を逸らし、事なきを得た。
絶対的な防御力を有していても、それを過信せずに相手の剣に対応しているようだ。
ローゲンの剣とジェノサイドの氷の大剣がぶつかり合うと、自分の時と同じようにローゲンの体ごと剣に持っていかれていた。
あれでは圧されて殺られてしまう。
加勢すべく攻撃を仕掛ける。
それに合わせて先程までローゲンに集中していた攻撃がこちらにも回ってきた。
強烈な一撃が剣を通して腕に伝わってくる。
攻撃を受ける度に体が押し返される程の衝撃だ。
一瞬の油断が命取りになる。
この状況で背後に回り込むのは難しい。
仮に背後を取れてもジェノサイドの鎧に弾かれるだけだ。
かと言って正面から押し通すのはさらに難しい。
ポニィの魔法ですら傷一つ付けられない相手に剣で一撃を与えても意味がない。
それでも剣を振り続けなければ。
アマテルは治癒の魔法しか扱えないので、今の状況では何もできない。
もっともアマテルが活躍するのは誰かが怪我をしたときなので活躍しないに限る。
ポニィは援護をしようとしているが、敵味方が激しい攻防を繰り広げられている状況では、仲間を巻き込んでしまうので魔法は使えない。
なので現状、自分とローゲンの二人だけでジェノサイドの対処しなくてはならないのだ。
ジェノサイドの攻撃を防ぐのも大事だが、なんとかして仲間だけでも逃がさなくては。
激しい攻防を繰り返しているうちに氷の大剣にヒビが入り、砕ける。
だが、砕かれた氷の大剣は瞬時に霧散し、すぐさま新たな氷の大剣を出現させて攻撃を仕掛けてきた。
アンデッドの魔力は無限に湧き出る。
さらにジェノサイドの魔力量は今まで出会ってきた誰よりも多い。
氷の武器を際限なく作り出し、土と氷属性の加護による絶対の防御。
さらに恐ろしいことにジェノサイドは剣の技術が高く、腕力もある。
それらの要素が的確に混ざり合ったのが、ジェノサイドという化物の正体。
何度か氷の大剣を砕いて気付いたが、あの氷の大剣はジェノサイド自身が強度を調整できるようだ。
わざと氷の大剣を砕かせてこちらの隙を引き出させている。
その都度、ローゲンとお互いをカバーすることでジェノサイドの攻撃を凌いだ。
一人だけなら間違いなく殺られていた。
殺られていたどころか十回は死んでた。
二人いたからこそ、なんとか持ち堪えられている。
しかし、二人がかりでもただの一撃もジェノサイドの鎧に届かせることが出来ない。
唯一届いたのが最初の火球による攻撃のみだ。
ローゲンの初撃も一応は当たったのか。
肝心の剣による攻撃が一度たりとも届いていない。
もしもジェノサイドが防御を捨てて攻撃のみに徹してきたら、あっさりと殺されていただろう。
だけど、ジェノサイドはそれをやらないでいる。
もしかしたらそこにジェノサイドの弱点が隠れているのかもしれない。
しかし、ただ単に騎士としての矜持があるだけかもしれない。
なんにしても、今もこちらが生き長らえているのは奇跡に近い。
生きているのが奇跡ならば、それはそれで構わない。
それで生き残れるのなら、奇跡でも何にでも縋ってやる。
何故ならこちらの目的は討伐ではなく逃走だ。
攻撃を届かせる事が出来なくてもいい。
一刻でも早く隙を作って仲間を逃がすのだ。
ー6ー
繰り広げられる激しい攻防を見守るアマテルは、助けに入りたくても入れない自身の力不足を悔いた。
自身の力不足を実感するのと同時に仲間二人の実力の高さを再認識する。
一つでも対応を誤れば致命的な状況でも二人はそれを凌いでみせた。
伯父からは衰えを感じさせず、もう一人は旅を始めた頃と比べて格段に強くなっている。
二人共成長しているのだ。
老いや勇者補正とか関係なく、旅の中で肉体的にも精神的にも成長している。
親友であるポニィも成長している。
では、アマテル自身はどうだろうか。
アマテル自身がどうなのかは主観ではよく分からない。
せめて仲間の隣に立てる程度には成長していることを切に願う。
今も剣を振り続けている二人の実力は高いが、ジェノサイドはその二人の実力よりも遥か高みにいる。
辛うじて均衡を保てているが、この状況がいつまでも続くとは思えなかった。
終始、ジェノサイドに圧倒されていて、二人がフォローし合って耐えている。
それにこれは人間とアンデッドの戦いだ。
二人の体力と精神力は時間と共に損耗していくが、アンデッドにはそれが無い。
このままの状態では危険なのは明白。
何か今の状況を変える手立てはないかと、アマテルは考える。
目的は相手を倒すことではない。
足止めさえ出来ればそれでいい。
アマテルはポニィの方を見やる。
彼女の方がアマテルよりも魔法の扱いに長けているので、状況を変えられるなら彼女の方だろう。
「……ポニィ。お願いがあります」
「わたしにできることなら」
「これはポニィにしか出来ません。頼みます」
アマテルは自身が思いついた考えをポニィに伝えた。
ー7ー
剣の応酬しているため後方を見ることはできないが、何かを仕掛けようしているのが伝わってくる。
これは勘でしかなかったが、長い間共に旅をしていたからこそ確信できた。
状況は芳しくない。
今は仲間に期待しよう。
それは一瞬ではあったが、ジェノサイドの動き遅れた。
「下がるぞっ」
攻撃をすることも出来たが、ローゲンの声に従って間合いを取る。
ジェノサイドは追い打ちを掛けようとするも踏み込みが浅く、氷の大剣は目の前で空を切った。
十分に距離を稼いでから足を止めて、乱れた呼吸を整えさせながらジェノサイドと対峙する。
ジェノサイドも動きを止めて、こちらに兜を向ける。
「勇者様、おじ様。無事ですか?」
「今のところは。助かったよ」
「私ではなく、ポニィにお礼を言ってください」
アマテルとポニィがやったのは氷魔法でジェノサイドの足元を凍らせたのだ。
凍らせられたのは一瞬ではあったが、その一瞬のおかげで今こうしてジェノサイドと対峙できている。
「堅いとは聞いていたけど、そもそも攻撃が届かないんだが。二人がかりなのにな……」
「今まで討伐隊と戦ってきた実績がある。相手の人数が多いのに慣れているはずだ。手数が多い程度では奴には届かない」
それにしたって強すぎるだろ。
「ポニィ。全身を凍らせられないのか?」
「魔法耐性があるからムリ。わたしだとさっきのが限界」
魔力量が高いとそれに比例して魔法耐性も高い。
ポニィでも一瞬止めるのが限界のようだ。
ローゲンに目配せをしてさらに後退する。
一旦距離を置いて相手の出方を窺うためだ。
一度離れたことで視野が広がり、あることに気が付いた。
初撃のポニィの魔法を受けて燻っている木々を横にしてジェノサイドは佇んでいる。
ジェノサイドの背後にあった前線基地が今や左手側の方角にあるではないか。
これならアマテル達を逃がせられる。
後はタイミングを見て自分が囮になるだけなのだが、目の前に立つジェノサイドは微動だにせず攻撃を仕掛けてくる気配がない。
不気味だ。
ジェノサイドがどう動くのか全然予想出来ない。
「さっきので警戒されたか?」
「ごめん。わたしが出しゃばったから……」
「いや、助かった。あのままだったら殺られていた」
両者が睨み合いをしたまま硬直していたが、先にジェノサイドが動き出した。
全員、何が起きても対応できるようにジェノサイドの些細な挙動も見逃さずに身構える。
ジェノサイドは氷の大剣を右手に出現させて、アマテル目掛けて投げつけてきた。
「なっ……!?」
「くそっ!!」
飛んできた氷の大剣をローゲンが盾を前面に押し出しながら、飛来する氷の大剣を横から突っ込む。
そのまま氷の大剣と共に地面に転がっていく。
まさか氷の大剣を投げてくるとは思わず、意表を突かれて咄嗟に動くことができなかった。
反応してくれたローゲンに称賛したいところだが状況がそれを許さない。
投擲された氷の大剣を防げたが、ジェノサイドは早くも第二射を飛ばす準備している。
今度は大剣ではなく槍、騎士が扱うような細長い円錐状をした穂先に長い柄を持つ氷の槍だ。
それを槍投げの選手のように片手で肩の上に構えて持つ。
ジェノサイドは再びアマテル目掛けて氷の槍を投擲しようとする。
「まかせて!」
そう言いながらポニィはアマテルの前に出る。
魔法が発動し、前方に氷の壁が出現する。
出現した壁はジェノサイドとポニィの間を斜めに区切るように出現した。
勢いよく投擲された氷の槍と氷の壁が激突し、氷の壁を砕きながら氷の槍は突き進む。
だが、斜めに壁を設置したことにより力を受けるバランスが乱れて、その軌道を変える。
ポニィとアマテルの横を人間二人分程の長さを持つ氷の槍が通過していき、その先にあった木々をなぎ倒していく。
「大丈夫かっ!?」
「勇者様! 前っ!」
仲間の安否を確認したかったが、前方よりジェノサイドが氷の大剣を片手に斬りかかってきた。
「くそっ」
剣を握り締めてそれを迎え撃つ。
「テル、ケガは?」
「大丈夫です。それよりも勇者様を……」
ポニィに声を掛けられたアマテルはローゲンを助け起こしながら、戦況を窺う。
「勇者様!!」
背後からアマテルの声が響く。
どうやら無事のようだ。
「加勢するぞ」
ローゲンは少なからず怪我を負ってようだが、戦えないわけではない。
「来るなっ!!」
加勢はありがたいが、それを拒んだ。
「勇者様……?」
「今のうちに早く逃げろっ!!」
アマテル達を逃がすなら今しかない。
自分がジェノサイドの相手を引き受けている間に逃げるんだ。
「……」
アマテル達は沈黙する。
本当に逃げてしまっていいのか迷っているのだ。
「……行きましょう」
アマテルは二人に呼び掛ける。
「ここに残っては勇者様のご迷惑になります」
「でも……テルはそれでいいの?」
「勇者様は約束してくれました。皆揃って帰還すると。私は勇者様を信じています」
こうしている今もなお、激しい攻防が繰り広げられている。
アマテル達のために戦ってくれているのだ。
それを無駄にするわけにはいかない。
「……わかった。テルがそう言うならそうする」
「……」
ポニィはアマテルの意向を汲み取るが、ローゲンは渋っている。
「おじ様」
「……」
「おじ様っ!」
「……分かっている。行くぞ」
「勇者様。先に行っています。ご武運を……」
アマテルの言葉を最後に仲間達は去っていった。
ー8ー
ジェノサイドの大振りの斬撃を正面から受ける。
その衝撃で後方に飛ばされてしまう。
追撃を恐れたが、ジェノサイドは追撃せずにアマテル達の逃げていった方角に兜を向けている。
三人の後を追わせるわけにはいかない。
乱れた呼吸を整える暇すら捨てて、ジェノサイドに斬りかかる。
ジェノサイドは逃げたアマテル達の方角には兜を向けてはいたが、追い掛ける素振りは一切見せずにこちらの攻撃に対応した。
攻めて、攻めるべく、何度も剣を振る。
アマテル達の元には行かせない。
お前をここから一歩でも動かしてやるものか。
必死に、無我夢中に攻撃を繰り返す。
攻めても攻めても、何度も剣を振っても、ジェノサイドに届かない。
氷の大剣に弾かれ、阻まれて届かない。
加護によって守られた絶対の防御によって傷を負わせられないと分かっていても、一太刀だけでも浴びせてやりたい。
それなのに黒金の鎧に刃が届かない。
加護の魔法を全力で使っているのに相手の実力を上回ることもなく、拮抗さえしない。
救いがあるとすれば、ジェノサイドの足止めに成功していることだけだ。
たとえ、目の前で人間が何人逃げようと誰かが残っている限り、ジェノサイドは後を追わない。
これも事前に聞いた情報の通りだ。
そして、残った人間を絶対に逃がさないのも情報通りなのだろう。
ジェノサイドはこちらの攻撃を難無くいなし、逆にこの場に縫い付けるかのごとくに攻撃を仕掛けてくる。
危機的な状況なのに頭に浮かぶのはアマテル達の事ばかりだ。
アマテルは無事に逃げられただろうか。
ポニィやローゲンも無事だろうか。
まだ逃げたばかりで、安全圏には達していないのは推測できる。
せめて、安全圏に達するまでは時間を稼がなくは。
アマテルには大丈夫だと言ったが、いつも近くに居た仲間がいないなった途端心細くなった。
周りには自分を助けてくれる者は誰もいない。
自分だけの力で乗り切らなくては。
弱気になる自分を無理矢理にでも奮い立たせる。
気を強く持て。
さもなければ、心に迷いを生じさせて動きを鈍らせてしまう。
一瞬の迷いが命取り、致命的。
心を保て、己を保て、自分を見失ったらその先にあるのは破滅だ。
孤独にも恐怖にも屈せず、自分の心を強く持て。
しかし、どんなに心を強くしても覆らないモノがある。
さっきまでこちらが攻めていたはずなのに、今やジェノサイドの剣撃を防ぐのに精一杯だ。
剣の腕ではジェノサイドには敵わない。
氷の大剣でこちらの剣が弾かれる。
崩れる体勢。
振るわれる氷の大剣。
死が間近に迫る。
だが、咄嗟の判断で迫る氷の大剣の腹を蹴り、距離を取って難を逃れることに成功した。
ジェノサイドとの間に再び間合いが開く。
物理的な距離は近いが、実力という差は途方もなくかけ離れている。
ジェノサイドは追撃をしてこない。
まさかとは思うが、戦いを楽しんでいるのだろうか。
さすがにそれは冗談がすぎるかと自嘲気味に笑う。
しかし、そんな冗談はすぐの霧散し、心から余裕がなくなる。
こうして静かに対峙しているだけでふつふつと恐怖が湧き上がってくるのだ。
逃げ出したい。
この化物から今すぐにでも逃げ出したい。
だが、逃げる素振りを見せてはダメだ。
逃げたら即座に背中を斬られ、仲間の元に虐殺の騎士が向かってしまう。
逃げられない。
恐怖に抗え。
仲間のためにもジェノサイドをここで足止めをするんだ。
武器の確認をする。
あれだけ剣の応酬をしたというのに刃こぼれはなく、歪んでもいない。
魔法やらで耐久性を上げているとは耳にしていたが、随分と丈夫な代物だ。
この剣ならばまだ戦える。
魔力は大分消費してしまったが、加護の魔法を持続できるだけの分はある。
呼吸も落ち着いてきた。
ずっとこうして対峙するだけでいられればよかったのだが、そうはいかなかった。
こちらの呼吸が整うのを待っていたのか、ジェノサイドが動き出した。
氷の大剣を右手に携えて、戦闘態勢に入る。
どこからでも斬り込んで来いといった出で立ち。
「覚悟を決めなくちゃな……」
斬り込めば、再びあの生きた心地がしない死の剣戟が始まる。
一振りごとに死を撒き散らさんとする斬撃。
思い出すだけでも身震いがする。
こちらから斬り込まなければ、向こうから斬り込んで来るだろう。
ジェノサイドに先手を与えてはダメだ。
先手を許すだけで、相手を優位に立たせてしまう。
相手のペースに巻き込まれてはいけない。
こちらのペースに引き摺り込むのだ。
意を決してジェノサイドを睨み付ける。
「……行くぞ、ジェノサイド。お前をここより先には行かせない!」
正面から突っ込み、斬りかかった。
それに氷の大剣が応える。
こちらの攻撃をあっさりいなして、攻撃に転じてきた。
雷の加護によって筋力が強化しているにも関わらず、ジェノサイドの剛腕から繰り出される斬撃に圧倒される。
力では勝てない、速さで勝負するんだ。
氷の大剣を弾き、受け流し、躱す。
それを何度も繰り返す。
そして剣速を上げていく。
相手の動きを読み、それに対処し、攻め立てるべく動く。
しかし、ジェノサイドの実力はそれを上回る。
こちらのペースに乗せたかったのに、あっさりと相手のペースに乗せられていた。
残念ながらジェノサイドの方が一枚も二枚も上手である。
斬撃を耐えながらもなんとか反撃しようと試みる。
だが、苦労しながらようやく放った一撃は素気なく弾かれてしまう。
剣が届かない。
最強と謳われる実力。
その一端ですら垣間見る程度にしか自分は及ばない。
だけど、敵わないと分かっていても、諦める理由にはならなかった。
この戦いには意義がある。
この戦いは無駄ではない。
剣を振れ、振り続けるのだ。
焦るな、慌てるな。
熱くなりすぎてはダメだ。
攻撃に集中し過ぎて防御を疎かにしてはいけない。
だからといっても、防御に徹したら押し切られる。
勝つ必要はないが、ジェノサイドの攻撃をひたすら耐えられる自信はない。
反撃をしなくては、相手の攻撃に勢いがついてしまったら防ぎ切れずに防御は瓦解してしまう。
最初の勢いは見る影もなく消え去る。
なんとか奮戦しながら時が経つのを待つ。
ローゲンと二人の時でさえ防戦一方だったのに、一人になってしまったら尚更敵うはずがない。
それでも持ち堪えられている。
自分の実力を素直に褒めてやりたい。
こうしてジェノサイドと戦えていられるのは、旅の中で自分が成長した証でもある。
そうだ、誇っていいのだ。
自分の実力を信じろ。
右眼の力、自分に与えられた勇者補正。
この力を持って、ジェノサイドに対抗する。
氷の大剣の軌道を見極めて、それに合わせて剣を振るう。
風と雷の加護があるからこそ、視てから動く事が出来る。
激しい剣戟を繰り返し、攻撃のチャンスが巡ってきた。
しかし、そこは攻撃せず、一度後方に跳ぶ。
ジェノサイドから距離を取る。
やはり今回も追撃はしてこない。
都合がいい。
意識を集中させる。
勇者補正がどういった仕組みのものかは知らないが、意識するだけでも効果が上がるような気がする。
いつもよりよく視える。
鮮明に、はっきりと、大気の流れさえ視える。
視界にあるものを全て捉える。
こんなにも集中して勇者候補の力を行使しているにも関わらず、不思議と疲労は感じなかった。
呼吸もさっきほど乱れていない。
自分が今出せる力、その全てをぶつけてやる。
全身全霊をもってジェノサイドと戦う。
そうでもしなければジェノサイドは止められない。
勇者足り得る力を持って、加護を受けて、ジェノサイドとの死闘に臨む。
ー9ー
全身に勇者補正の恩恵が駆け巡る。
それは指先の末端にまで駆け巡った。
視界に入る情報を余すことなく、活用する。
相手の動きを視て、剣をどう動かすのが最適か、体を、指の先までどう動かすべきか最適解を即座に判断し実行した。
氷の大剣を受け流し、反撃する。
しかし、ジェノサイドはその動きに対応してみせた。
鋭い刺突が氷の大剣を滑るように這う。
何故防ぐ。
その絶対的な防御があるのだから、素直に攻撃を受けて反撃すればいいものを。
防御するのだから絶対の防御ではなく、弱点があるのではないかと勘繰ってしまう。
だが、こうして剣を交えてそれは違うと確信した。
アンデッドにプライドというものがあるかは知らないが、ジェノサイドには間違いなくそれがある。
騎士としての矜持。
ジェノサイドにはそれがある。
あと、ものすごく負けず嫌い。
相手としては不足はないが、敵としては早く倒れて欲しいものだ。
全力を持って剣を振るう。
だが、自分の力をただ相手にぶつけるだけではダメだ。
相手の力を見極め、それを利用しろ。
自分の視ている景色が明らかに変わったのが分かる。
ただひたすら対応していたさっきとは違い、ジェノサイドの攻撃、動きが視える。
力任せで出鱈目に攻撃をしているようで、実はそうではない。
攻撃をして、次の攻撃に移る。
たったそれだけの動作の中でも、剣の角度、力の加減、重心の位置、指の先の小さな動きまでにも細かな技術が盛り込まれていた。
その繊細な幾多の技術が積み重なり、至高の剣技、剣術が目の前で生み出されている。
全てが理にかなった完璧な動作をしていた。
ジェノサイドがこれまで数多の勇者候補と冒険者を屠ってきたのは、絶対的な防御力だけが理由ではない。
剣の腕の高さも要因の一つだ。
ジェノサイドが生半可な剣の腕前だったならば、多くの人間が逃げることができたであろう。
だが、騎士として、一人の剣の使い手として洗練されたジェノサイドに捕捉されたら、誰も逃げることは叶わずに殺される。
何者をも圧倒する剣の腕前、物理も魔法も通じない絶対防御の鎧、無限の体力と魔力を持つアンデッドの肉体、正に化物。
最強のアンデッド。
こんな相手をどうやって倒すんだ。
出会った者は確実に死ぬと、最初は誇張された噂だと思っていた。
しかし、それは誇張でも比喩でもなく、紛れもない事実であった。
最強という言葉はジェノサイドのためにあるのではないかと思えるほどだ。
剣士としてこのような強敵に出会えたのは誉れであろう。
しかし、勇者として出会ったのならば絶望しかない。
氷の大剣を紙一重で躱す。
一撃でも喰らったら終わりだ。
相手の攻撃を凌ぎ、反撃する。
ジェノサイドが扱っている武器は大剣。
如何に動作を最小限に減らしても、他の武器に比べれば動きが大きく隙ができやすい。
体格、扱う武器、風と雷の加護でジェノサイドより速さが秀でているはず。
それなのに剣が届かない。
今までだって何度も攻撃を仕掛けたのに黒金の鎧には一度たりとも届かなかった。
全力をぶつけているのに、ジェノサイドの実力はそれをさらに上回っている。
それでも諦めるな。
活路はある。
剣の腕が完璧であるが故に動きを予測しやすい。
攻撃を予測できれば、主導権を握れる。
主導権を握れば、勝利へと繋がる。
……落ち着け。
今回は相手を倒すのが目的ではない。
あくまで時間稼ぎが目的だ。
先走るな。
深追いはするな。
無理強いはするな。
だけど、手は抜くな。
気を抜くな。
生半可な気持ちで足止め出来るほど手ぬるい相手ではない。
再びジェノサイドの動きを見極めるべく観察する。
やはりジェノサイドは最善手を必ず選択する。
その動作が完璧であるが故に動きを読みやすい。
だが、最善手であるからこそ、こちらが一瞬でも迷えば死に直結する。
相手の動きを読め。
怯まず、臆さず、突き進め。
ー10ー
氷の大剣による薙ぎ払いを剣で受け流す。
相変わらず重い一撃だ。
全てをまともに受け止めていたら、今頃手が痺れて指が使い物にならないでいたであろう。
次は斜め上からの斬撃が来るはずだ。
ジェノサイドの動きを予想し、頭を下げつつ接近する。
予想通りの斬撃が放たれ、頭上を氷の大剣が通過していく。
躱して終わりではない。
剣に雷を纏わせる。
狙うべきは鎧の隙間。
可動部は鎧で覆えない。
迷わずジェノサイドの手首より先の部分目掛けて剣を突き出す。
狙うべくは甲ではない。
それよりも先。
仮に傷を付けられなくても衝撃で指の骨を折ることができるはず。
そうすれば、さすがのジェノサイドも剣を握れない。
雷を纏わせることで貫通力が増した剣が、ジェノサイドの手に吸い込まれていった。
戦いが始まってから一度も届かなかった剣が、ついに届く。
ガキィィンッという甲高い音が辺りに響いた。
火花を散らしながら跳ね返される剣。
自分の思考がスローモーションのように時間がゆっくり流れる。
弾き返された?
何に?
突然の出来事に思考が追いつかない。
ゆっくりと進む時間の中で、貫こうとしたジェノサイドの腕が岩で覆われていることに気が付いた。
そうか、土属性の魔法で作り出した岩で腕を覆ったのか。
ジェノサイドは岩で覆われている腕で振り払う動作をする。
その攻撃は、剣を弾かれて無防備な状態になった自分には回避することが出来ないで直撃した。
「ぐぶっ!」
振るわれた剛腕によって吹き飛ばされ、後方にあった大木に背中から突っ込んだ。
「かはっ……!」
衝撃と激痛で飛びかけた意識を意地でも繋ぎ止める。
痛みから逃げるために気を失いたいが、この状況で意識を失うのは永遠の眠りにつくのに等しい。
「ぐっ、うぅ……」
胸部と背中に受けたダメージが大きい。
頭を切ったようで、額を伝って血が垂れているのが皮膚を通じて脳に伝わる。
状況を確認したくても頭を強く打ったからだろうか、頭の中がぐるぐると回って上手く働かない。
だけど、いつまでも動かないわけにはいかない。
揺れる頭を庇いながら顔を上げると、ジェノサイドが氷の大剣を片手に歩み寄って来るのが見えた。
マズい……。
このままでは確実に殺される。
急いで立ち上がろうとするが、胸部を激痛が襲った。
「うくっ……あばらが何本か折れてるな……」
思ったよりも大きなダメージを受けたようだ。
痛みを堪え、剣を杖代わりにして何とか立ち上がる。
この怪我では距離を取る事でさえ困難だ。
戦うしかない。
それにさっきは先走り過ぎただけだ。
倒せないと分かっていたのに、無理やり攻勢に出てしまった。
「痛みに苦しんでいる暇はない……」
風と雷の加護を総動員して痛む体に鞭を打ちながら、一歩ずつ前に出て臨戦態勢に移る。
ジェノサイドはこちらの覚悟を見て取ったのか、歩を止めた。
まるで、準備する時間を与えているかのようだ。
目を閉じて集中力を高める。
その間、ジェノサイドは襲ってくることはなかった。
このまま何もせずにいたら攻撃されないのではと考えるが、すぐにその雑念を払う。
相手の厚意がいつまで続くか分からない。
行動に移さなくては危険だ。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、今日何度目になるか分からない覚悟を決めてゆっくり目を開ける。
そしてジェノサイドの顔を見る。
黒金の兜に阻まれて表情どころか瞳も見えない。
前に進むと、それに合わせてジェノサイドも前に進む。
ジェノサイドが氷の大剣で斬りかかる。
その氷の大剣を弾く――はずが、予想外の出来事が起こった。
いや予想外ではなく、ただ単に忘れていただけの事だ。
弾くはずだった氷の大剣が割れて崩れ去り消失する。
忘れていた。
氷の大剣が割れる事を。
そして、これは致命的なミスであった。
いきなりの出来事に対応が遅れて体勢を崩す。
今の無防備な格好では、次の攻撃を避けられない。
間違いなく殺られる。
ジェノサイドの手に新たな氷の大剣が瞬時に作られ、それを使って斬りかかってきた。
殺される……。
そう思った瞬間、いきなり体の力が抜けてその場に倒れ込む。
加護の魔法が切れたのだ。
雷の加護には筋力強化の効果がある。
ダメージを負った身体をそれで補っていたのだから倒れるのも当然だ。
幸いだろうか、そのおかげでジェノサイドの攻撃を躱すことができた。
だが、悠長に倒れている暇はない。
次の攻撃が来る。
ジェノサイドは氷の大剣を勢いよく振り下ろした。
それをなんとか地面を転がるようにして回避する。
地面に強く叩きつけられた氷の大剣は砕け散り、地面は砂埃を撒き散らす。
剣を地面に突き立てて、立ち上がろうとするも足に力が入らず、片膝を地面についた姿勢になる。
急いで立ち上がらなければならないのに、それが出来ない。
ここで終わりなのか……。
ここで死ぬのか……。
「嫌だ……死にたくない……。こんな、こんな所で……死にたく、ない……」
避けようのない死を前に涙が滲み出てくる。
こちらの心情を無残に踏みにじるかのごとく、砂埃の中からジェノサイドが姿を現す。
ただでさえ大きいジェノサイドがより一層大きく見える。
絶望的なまでに大きな壁。
死地から逃れるには、この壁を越えなくてはならない。
だが、その壁を人間が超えることは不可能。
壁を超えられない者には死が訪れる。
そして今、この壁を前に一人の人間がいる。
自分だ。
恐怖が湧く。
恐怖が心を覆う。
恐怖が希望を掻き消す。
心を覆う恐怖が絶望へと変わる。
希望の一欠片もない、これが絶望。
「……あ、ああ――」
口から声にならない声が溢れ出る。
「――あああ、ぅああぁぁあああぁぁぁ」
火事場の馬鹿力だろうか、爆発的に湧き出た力が全身を満たす。
立ち上がりながらジェノサイドに斬りかかる。
戦術も剣術も剣技もない。
そこには顔面を涙と鼻水で濡らしながら、ただがむしゃらに剣を振り回す無様な男の姿しかなかった。
ジェノサイドは攻撃を避けようともせずに、攻撃を黙って鎧で受け止める。
今まで一度だって鎧に攻撃させなかったのに、こちらの攻撃を氷の大剣で対応することなく黒金の鎧で攻撃を受け続ける。
その間、ジェノサイドは微動だにしない。
「うあああぁぁぁっ! ああぁっ!!」
体の痛みを忘れ、何度も斬り続ける。
もはや剣で斬るということではなく、叩いているといった方が正しいのかもしれない。
棒立ちのジェノサイドは、それをものともせずに受け続ける。
何度も鎧を剣で叩きつけていたら、次第に手が痺れていく。
痺れに耐え切れずに手から剣が滑り落ちてしまう。
剣を拾おうとはせずに今度は素手で殴りかかる。
何度も殴りつける。
手の皮が剥けて肉が剥き出しになる。
血管が破れて血が滲みだす。
衝撃に耐え切れず骨にヒビが入る。
さらに負荷を受け続けて骨が折れる。
それでも痛みを感じることはなかった。
ついには湧き上がった力も底をつき、ジェノサイドに縋りつくような姿勢になる。
途端に体が痛みを思い出したようで、全身に激痛が走る。
だが、痛みに痛がる余裕すらなく、ジェノサイドに縋りついた。
「……殺さないで、くれ……。まだ、死にたくない……」
あれだけ攻撃したにも関わらず、ジェノサイドの鎧には傷一つ付いていない。
唯一付いているのは先程殴りつけた時に付着した血のみだ。
ジェノサイドは軽くあしらうように、こちらを突き飛ばした。
抵抗する力もなく、あっさりと地面を転がるように倒れ込んでしまう。
倒れながら見上げると、ジェノサイドが氷で斧を作り出していた。
長い柄に巨大な片刃が付いた氷の斧を肩に担ぐように構える。
「や……やめって、く……れ……」
懇願を無視するかのように、ジェノサイドは巨大な氷の斧を振り下ろした。
地面を這うように逃げるが、右足が切断される。
「ぅぐぁぁぁあああああ!!」
右足の切断面から血が噴き出し、大地に吸い込まれていく。
痛みが全身を支配する。
最早、逃げる気力すらない。
足掻けば足掻くほど苦しみが増すのではないか。
ならいっその事、もう楽になりたい……。
静かに目を閉じて、終焉を迎えよう。
これで終わり。
ここで終わり。
ジェノサイドは再び巨大な氷の斧を振り下ろした。
ー11ー
顔を何かが優しく包み込む。
温かい。
手だろうか。
非常に心地よい。
天使が迎えに来たのだろうか。
ゆっくりと顔を持ち上げられる。
天使から漏れ出る微かな吐息が顔に感じる。
せめて最後に天使の姿を拝もうと静かに瞼を開けた。
眼前に現れたのは、銀色の髪を持つ少女。
天使は人形のように整った顔立ちをしていた。
美しく、可愛く、愛おしい容姿。
夜の帳のごとく黒い双貌に見つめられる。
そして、引き寄せられて、天使が額に口づけをする。
……。
…………。
………………。
思考が停止する。
それから間を置いてから覚醒した。
「ル、ナ……?」
目の前にいた天使……ではなく、ルナが顔を離す。
「今回はいつもより無茶をしたようだな」
驚きのあまり、勢いよく飛び退る。
「おっおおおおおおお前、いいい一体何すんだよっ!」
動揺しまくって舌が回らない。
「何って? 修復の魔法を掛けただけだが? あと、お前って呼ぶな」
ルナはいつものように涼しい顔をしている。
「修復の魔法って……。さっきの、その……キ、キスしていただろ」
記憶が確かなら修復の魔法を掛けるのに、キスは必要なかったはずだ。
「損傷が激しかったからな。額に付いていた血を魔法の補助に使っただけだ」
それでもわざわざキスする必要はないだろ。
慌てつつも周囲を見渡すといつものマンションの一室だった。
ルナの背後には、これまたいつものメンツ。
奈々、茜、榊の三人が控えている。
こんな時に一番騒ぎそうな奈々は意外にも静かにしていた。
ただ、恨めしそうな目をしている……いつも通りだった。
残りの二人は、我関せずの態度を示している。
こちらもある意味いつも通りだ。
「そんな事より、今回は何があった。いつもより損傷が酷かったぞ」
「今回は……」
何があったか思い返す。
ジェノサイド。
ジェノサイドにトドメを刺される直前だった。
あの状況でよく無事でいられたな。
正直諦めていた。
死を覚悟していた。
ルナのおかげで損傷した右足も他の怪我も元通りではあるが、もし地球に召喚されるタイミングが少しでも遅かったら自分は死んでいた。
「今回は、そう……ジェノサイドだ」
「ジェノサイド?」
ルナに今日の出来事を報告する。
当然ながら最後の無様な醜態は省いた。
「今日は早めに向こうに戻して欲しい」
説明を終えて、自分の希望を伝えた。
「そんなに神官の女に早く会いたいのか?」
「会いたいというか、安心させたい」
「面白そうだから少し遅らせて焦らしてみるか?」
「止めてくれ」
「冗談だ。それで、戻すのは構わないが、明日からどうするんだ? 今のままじゃリッチーに勝てるとは思えないが」
「それはもう決めている。今日の一件で自分がまだまだ未熟だと分かった」
「そうか」
力不足。
別に自分の実力を過信していたわけではない。
だけど、これまでの戦いを経て、強くなったと自負していた。
それは慢心であり、驕りでもあった。
当初の頃と比べれば、鍛錬に取り組む姿勢に気の緩みがあった。
真面目に取り組んではいる。
しかし、慣れから緊張感が欠如し、真剣味が薄れていた。
いつも気を張っていたつもりでいたが、それは表面上のものに過ぎなかった。
「なんとなく察しはつくが、具体的にどうするんだ?」
今後の方針についてルナと話し合う。
話し合い、考えが纏まったところで向こうに戻る。
最後にルナから一言貰う。
「せっかく生還したんだ。命が続く限り足掻いてみせろ」
「言われなくてもそのつもりだ」
ー12ー
「勇者様! 良かった、ご無事で……!」
地球から戻るなりアマテルに押し倒す勢いで抱きつかれてしまう。
突然の不意打ちに面食らってしまうが、彼女の顔を見て安堵する。
涙を浮かべるアマテル。
良かった、彼女が無事で。
それと心配を掛けてしまった。
自分がいない間、彼女は気が気でならなかっただろう。
「心配掛けた。この通り無事だよ」
胸に顔をうずめて泣く彼女の頭を撫でる。
「よかった。勇者が無事で」
ポニィも心配してくれていたようで安堵している。
「怪我はないのか?」
ローゲンも気遣うように声を掛けてきた。
「実はちょっとやらかしちゃったけど、向こうで治してもらったから平気だ」
「そうか。お前には無理をさせてしまったな」
「いいよ。仲間なんだから。お互いに支え合えればそれでいい」
それからアマテルに声を掛けた。
「テル。さすがにこの状態だと苦しいから、そろそろ起きてくれると嬉しいな」
「ごっ、ごめんなさい……。だけどその……もう少し、待ってください」
なんで、とは思ったが、啜り泣く彼女にそれ以上言えず、言われた通りに待つ。
その間、ずっとアマテルの頭を撫で続けた。
「すみませんでした。もう大丈夫です」
顔を上げ、身を起こした彼女の眼には涙は浮かんでいなかった。
目尻は若干赤くしている以外は普段通りの姿だ。
アマテルに助け起こされて、お互いに乱れた衣服を整える。
「さて、前線基地に戻ろうか」
場所はまだ森の中。
リッチーの居城に向かう道すがらに通った道だ。
「急いで移動したから前線基地まではそう遠くないはずだ」
「そうか。だけど、前線基地に戻るまでは気を抜かないで行こう」
その後、警戒しつつ移動するも特に何もなく、無事に前線基地まで帰還することができたのだった。
今回も読んで頂きありがとうございます。
まず最初に本作の今後についてです。
次回の冒頭部分で語られることですが、まだ力不足なのを身を持って体感した主人公達は一度前線基地を離れます。
これは引き延ばしではなく予め決められていたことです。
最強と謳われるアンデッドに一方的にやられる話を書いて、その強さを主人公だけでなく、読者にも知ってもらいたかったからです。
本作は20話+αを予定しております。
ここから先の話はどれも見逃せない内容になっておりますので、最後まで読んで頂ければと思っております。
本作終了後も外伝という形でいくつか話を書く予定でいますので、そちらの方も楽しみにしておいてくれればと思います。
さて、本編についてですが、今回のサブタイトルはミスリード的な意味を含めてケルベロスにしました。
メインとなるのはケルベロスではなくジェノサイド。
ただ、今までの話を読み返してもジェノサイドの強さがイマイチ伝わらなかったと思います。
ジェノサイドの登場による絶望感が伝わらなかったのは作者の実力不足であり、申し訳ない気持ちになります。
少し話は脱線しますが、本作を執筆する上で、小説の書き方が全く分かりませんでした。
なんせ今まで書いたことがありませんでしたから。
構想だけを練って文章に起こさない。
そんな日々を送っていました。
文章にしようにも書き始めが分からない。
そこで途中から書いたらどうだろうかと考えました。
書きにくい最初ではなく、一番書きやすい部分から書こう。
それで書き始めたのが、今回の話になります。
このジェノサイドとの戦闘が一番最初に書いた小説です。
後から修正を何度も加えられましたが、大筋の流れは一緒です。
ですが、最初は5人パーティーだったり、名前が違ったりと変更された部分が多々あります。
その後も書きやすい話を書いていって、最後に穴だらけに成っている話を繋げるための穴埋め作業、修正作業を終えて本作は完成しました。
今回の話は一番思い入れがある話かもしれません。
最初に書き上げた話はとても人に見せられるものではないほど酷かったですけど、人に読ませられる程度には成長したと思います。
これに満足せず今後とも精進していくので最後までお付き合い頂ければ幸いです。
話を戻しますが、以前も語った通り、本作では加護の魔法が非常に重要となります。
例えば、主人公の風属性の加護は俊敏性を向上させ、雷属性は筋力を強化させるといった効果があります。
そして今回登場したジェノサイド。
このアンデッドは土と氷属性の魔法を扱います。
土属性の加護は物理耐性の強化、氷属性の加護は魔法耐性の強化。
ジェノサイドは秘めたる莫大な魔力で加護の恩恵を最大限に引き出してあらゆる攻撃を無効化させます。
さらに剣の腕も一流。
無限の体力と魔力、絶対の防御に一流の剣技。
何者も敵わず、圧倒する力があるからこそ最強と謳われているのです。
この加護の設定は、ジェノサイドのために作ったと言っても過言ではありません。
今後は物語を終わらせるために物語が動き出します。
次回の話も読んで頂きますよう宜しくお願い致します。




