2周目 8 呼吸
はい、今年中に終わりませんでした。
だがしかし、脱稿したので1月2日が最後の話になります。
結局、シュルームダンジョン近郊に、白の団と私は1か月ほど陣を張った。
魔物を制圧することもそれなりに大変だったが、日々間引かれた魔物を解体し、魔物の餌にならぬようにする事も思った以上に大変であった。
安い部位は徹底的に燃やした。
しかし、商人の一部猛者などが白の団の陣にまで直接買い付けにくるから恐れ入る。
通常間引いた魔物は王城で解体され、各部署などに分配されたり、御用商人にそこそこの値段で卸される。
だが、今回は数が数だけに討伐が優先され、とにかく現地で燃やすなどするしかない。
それを低価格で引き取ろうという魂胆だ。
多少安全とは言え、魔物が多くはびこる中、根性で最前線に来るものがいると、もはや笑ってしまう。
大変な災害ではあったが、この特需によって、一部食糧事情や革製品などは良くなったらしい。
私からの情報により、神殿からもたまに武装馬車が来て、焼くはずだった肉類などを無償提供で譲り受けに来た。おそらく王都で解体し、炊き出しになど大いに使われるのだろう。
神殿のこういう強かなところは、嫌いじゃない。
ダンジョンだけではなく近隣の魔物も間引きながら周囲を調査し、特に外的介入もないと結論が出たところで、国は白の団の本陣を撤退させた。
すなわち、戦争のために大暴走が利用されたわけではなく、あくまでも今回の事件は特例の何かの要素が絡んだ自然発生だと結論が出たのだ。
そして、前例がない大暴走を短期間で抑え込んだ白の団に、国民は大いに熱狂したのだという。
そもそも前回の魔物災害の件で、大々的に告知はされなかったものの、その警戒過程で魔物を狩り続けたので、地元の人間経由でよい噂は広まっていたのだ。
例えあの未曽有の魔物災害がなかったこの世界でも、白の団の良いところは人々に伝わっている様子で自分としては気分が良かった。
だが、そこに『聖女』である自らが居た影響は、思ったよりも大きかった。
おそらく”自らの身を投げうって魔物討伐に向かった聖女”、という分かりやすい構図が、大衆にウケにウケたのだ。
白の団の雄姿と聖女の物語が勝手に作られ、様々な歌が吟遊詩人によって歌われているという噂話を白の団の陣で聞いた時には頭を抱えた。
その歌が王都で流行っているのだという。
いや。フォルトゥーナ卿が、そう分かりやすいシナリオを描いて、裏で広めたのかもしれない。
聖女の株も勝手に上がってしまったが、神殿の株も大いに上がっただろう。
とんだやり手である。
多少悩んだ。
普通の女なら魔物討伐なんて事はしないし、冷静に考えて自分がやったことは職権乱用もいいところである。
しかし私がそもそも規格外な事で、うっかり白の団の助けになってしまったから悪かった。
後の世にも聖女なるものがでてきたとしたらば、悪いことをしてしまったな、と思う。
普通の聖女は、どう考えたって神殿で大人しくケガ人を癒していた方がいいのだ。なのに後世でラヴィーシャと比べられる可能性がある。
可哀そうな事ではあるが、そもそも後の世に聖女などいない可能性もある。
生きた聖女とは高損失高利益なのだ。
神殿が博打に走るとも思えない。
無駄なことは考えないようにしよう。
民衆が今回の事件に熱狂したその結果、何が起きたかといえば、王城までの帰還するルートを白の団と私はパレードさせられる羽目になった。
仮調査終了の段階で白の団の一部や私は王都に帰還した。
てっきりすぐに神殿に連れていかれ怒られるだろうと覚悟をしていたのに、王都に入る手続き段階で気づけば王城の侍女に囲まれ、テントに押し込まれ、あっという間に洗われ、地味に、だがしかし美しく仕上げられた。
そして、そのまま屋根がついていない、美しい漆塗りの儀装馬車に放り込まれた。
生まれてこの方、真珠など高級なものなど見た事も使ったことなどなかったが、さりげなく私の流した髪に飾られていたことに後で気が付いた。
この髪留めだけで、いくら使われているのだろう?
眩暈がする。
焦る私の心を置き去りにしたまま、白の団も馬車もゆっくりと王都に入っていく。
街道には民衆が詰めかけている。
皆、暇なのだろうか?
白の団は小汚いそのままで先に隊列を組み、王城へと行進していく。
その隊列には、今までに殺した魔物数匹が見繕われて、観衆に見せびらかすように何匹も何匹も括り付けられてある。解体しないで取っておいた魔物が何匹かいるな、とは思っていたがそういう事であった。
それを見て、特に男性陣や子供がはしゃぐ声が聞こえた。
そして母親は子供に何か言い聞かせている姿を時々見かけた。
恐らく「外はああいう魔物がいて怖いのだから気を付けなければダメよ」だとか「勝手に外に行ってはダメよ」とかそういう事だろう。
白の団はこういったことは慣れているのだろうか?
いつもと同じ様子で、くたびれた装備のまま堂々としたものである。
1周目では田舎生まれだったし、後は学園の寮にいるか娼館に押し込まれていただけだったので、こんな人出など見たことがない。
2周目は言うまでもなく神殿での引きこもりだ。
騎士なのだから、汚れが戦いの勲章という事なのだろうか。
私も汚いままの方が良かった。
これはひどい差別だ。
どうしたらいいかも分からないまま、とりあえず求められている役どころは『聖女』だろうと思い、こちらに歓声を上げて手を振ってくる民衆に、微笑を浮かべて手を緩く振りかえしておく。
そのたびにキャアキャアと声が上がる。
男性ではなく、女性の方が盛り上がっている様子だ。
一体これは何事なのだろう?
せめてキャロもこの場にいてくれれば、と思う。
しかし、彼女は事件1週間程で侯爵家の人間に引き取られていったのだ。
私もその時に一緒に帰ればよかったと心から後悔をした。
けが人が居なければそうしていたのだが、パレードがあると知っていてもあの状況では帰らなかったことは間違いない。
引きつりそうな顔を懸命に『聖女』の猫で押し込め、短くも長い王城への道を渡りきった。
普通に馬車で通れば15分ほどの道のりを、1時間もかけて人の歩くペースで渡ったのだ。
表情が引きつっているのがわかる。
王城では客室に案内され、人がいなくなったと同時にソファーに思わず座り込む。
行儀が悪いと叱られそうだが仕方あるまい。
誰だ、こんな苦行を敷いたのは。
誰だといったが、おそらくはフォルトゥーナ卿だろう。
そう考えると、このパレードは卿なりの私への嫌がらせの様にも思える。
となれば、これは相当怒っているぞ、という事だ。
卿には心痛をかけただろう。
いかに、強かで食えないお人だからと言っても、卿は大事にされるべきご老体である。
神殿を飛び出す前に、死ぬ覚悟がある事と、自らの責任であるので大暴走を自らが止めてくると書置きをしておいた。
直接言えば、部屋に閉じ込められ、絶対に行かせてもらえなかっただろう。
聖女としての自覚が足りないと笑顔で言われそうだ。
もとより聖女を捨てる気で行ったとなれば、卿に怒られるのは良い方で、最悪使えない聖女は問題を起こす前に毒殺コースだろうという覚悟程度はしていた。
いや、まだ予断は許さない状況だろう。
そんな事をつらつらと考えていたのだが、あまりに疲れが勝り、ソファーでウトウトとしてしまう。
当たり前だ。
ここ一か月、ベッドで休んだことはなく、魔物もいるから救護に急に起こされることもザラで深く眠った日がそもそも少ない。危険な地域にいるよりは王都でゆっくりしようと、結構な強行軍で王都に戻ってきたのだ。
身も心も疲れているところに、あんな苦行を強いられたのだ。
いや、これからまた晩餐会などと怖いことを言わないだろうか?
それだけが心配でならないのだが・・・。
ああ、ダメだ。
ここは神殿ではなく王城だから、起きていなければならない。
それに、この恐ろしい真珠の髪留めを誰か早く回収してくれないだろうか。
そもそも一体これは誰の持ち物なのだろう?
この髪留めの真珠を一粒でもなくしたら、一体何人の首がなくなるだろうか?
返す人を間違えやしないだろうか。
恐ろしくて仕方ないのに、それよりも眠気が勝ってしまう。
ウトウトした意識の中で、部屋の外で護衛をしているのであろう兄の声が聞こえた気がした。
こんな日でも私の護衛をしてくれているのだというのか。頭が下がる想いがする。
兄は扉の前で誰かと話し、その方が部屋に入ってくる気配がした。
ノックはあっただろうか?
常識的に考えて、おそらくあったのだろう。
だけれども、眠くて起きられなかった。
ふと気づけば、誰かが私の髪を弄っている。
髪留めを取っているのだろうか。
何人かの気配がする。侍女達だろうか。
私は起きなければいけないのに、ちっとも思うように起きられないのだ。
「お疲れだな。」
不意に、聞き馴染んだフォルトゥーナ卿の声がした。
やはり部屋に入ってきたのは卿だったようだ。
卿の存在を認識しただけで、起きなければという気持ちよりも安堵が勝り、より眠りの淵に引きずり込まれる。
私は卿の声を聴いて、緊張よりも安堵の方が勝るというのか。
毒殺を懸念しなければならない相手なのに?
その点には後で大いに不服に思ったが、実際そうなのだから仕方がなかった。
だからきっと気のせいだろう。
「よくぞ無事で・・・」
卿の声が涙声だった様な気がしたが、気のせいに違いないのだ。
私はそのまま起きられず高熱を出し、王城の客室で丸二日ほど寝込んだ。
晩餐会があったかなどは知らない。
知らなくて良かったと思っている。
※
3日後、漸く熱も下がりベッドから起きられるようになり、神殿に戻ろうと思うのだが、これが何故だかちっとも戻れない。
侍女に神殿へと繋ぎを頼んでも、のらりくらりとしていて実際本当に神殿へと取り次いでくれているのかがわからない。兄に尋ねてみても、兄も分からないらしく困惑している様子だった。
しかしながら兄は護衛の仕事を優先させているのだろう。
私がいるこの場から離れられないので、神殿に直接確かめにも行けないし、見知ったものがいないから使いも出せないという事である。
兄は一体いつ休んでいるのだろうと思っていたが、隣がどうやら侍従の部屋という事でそこで休んでいるのだという。
王城の侍女は神殿の見習い神官などとはやはり雰囲気も違うし、勝手がつかみづらい。
全般的に「使者が来るまで刺繍でもされますか?それとも詩集でも読まれますか?聖女様はどのような方が好みですか?」などと始終この調子で辟易する。
これはいよいよ自分は王城で軟禁されているか、神殿から本格的に捨てられたかと不安になってくる。
そして1週間経ち、漸くフォルトゥーナ卿が部屋に訪ねてきてくれたので、直接お目にかかることができた。
しかし、その表情を見て何んとなしに嫌な予感がする。
説教や何やら罰などを予想していたのだ。
だが、この真面目で若干不本意そうな顔は、きっと良くないことがあったのだ。
「久しいな。」
なんと言えばよいかわからず、頭を下げ、礼をするにとどめる。
「何が起こったのですか?」
回りくどいことは正直苦手だ。
直接卿にそう水を向ければ嫌そうな顔をされる。
「婚約を打診されておる。」
「・・・卿のですか?」
「ばかもんが。」
私の軽口など気にも留めずに切って捨てられる。
私とて本気で言ったわけではない。
婚約。
そう、婚約をするのなら。
そして、卿がわざわざ私に言うとするのなら、私の婚約への打診という事だろう。
「『聖女』を娶ろうとは豪胆な方がいらしたものですね。」
政治的にも危うい立場だが・・・そうか。今回の件で私は多少使える道具として昇格したのだろう。ついでに結婚してしまえば聖女から外れるだろう。神殿としても身の内にあったリスクが高い大きな手札を、相場が高い時に手放す機会ができて、喜ばしい面もあるだろう。
だというのに、卿は苦虫をつぶしたような顔をされている。
「そんなに悪い方へ嫁がねばならぬのですか?」
「お前は嫌だとは言わぬのか。」
「正直、結婚などできるとは思っていなかったので・・・現実感がありません。」
それよりも卿の不機嫌さの方が気になってしまう。
未だかつて、これほど卿の表情が表に出ていたことがあっただろうか。
いや、見たことがない。
卿といえば、私の言葉にまぁそうだろうなと頷き納得をされる。
「第二王子だ。」
「はっ?」
自分が第二王子の婚約者に推されている?
「学園でも仲が悪くないと聞くし、変わり者同士結婚したらとんだ才覚を持つかもしれぬ、とアホが言いおった。」
誰だ、そんなことを言った奴は。
確かに私も変わり者ではあるが、第二王子を捕まえて変わり者はないだろう・・・いやフォルトゥーナ卿があえて通訳をしたか、もしくは本当に言える立場の人間・・・陛下のご意向か。
妃殿下の線もあるが、何となくこういう控えめに言って情緒や浪漫のない現実的な発想は殿方の発想だろうなという気はする。
どちらにしても、”アホ”というのはすごい暴言じゃなかろうか。
流石にここは王城であるし、盗聴防止などもしていないので耳目がないか心配になってくる。
・・・いや、逆か。
聞かれてもいい、もしくは卿は聞かせたいのだろう。
間接的なギリギリを攻めた嫌味である。神殿側は大変不本意だぞ!というアピールだ。
ならば、それだけ王城側からごり押しされたという事か。
「上のご意向というわけですのね。」
「そうだ。」
「では、わたくしに断る術はございませんね。」
「無いことはない。だが・・・。」
「神殿に迷惑がかかる。そうですわね?」
苦虫をつぶしたような卿の顔が、その答えの全てだった。
卿はなぜだか知らないが、私の意思を尊重しようと思ってくれいる・・・のだろうか。
結婚しろとは言われなかった。
婚約を打診されていると言われただけ。
ただ、それだけの事が、なぜだか嬉しい。
いや、これも卿の人心掌握術なのかもしれない。
人は大事なことほど自分で決めた方が後の満足感が高い、と卿自身が言っていた言葉だ。
すなわち、人に「自分の意志で決定したと」思わせる術も大事なのだと、私は卿から教わった。
だけれども。
『よくぞ無事で・・・』
あの時そう聞こえたのは、本当に私の気のせいだったのだろうか。
きっと気のせいじゃないと、そう思っていた方が私の精神衛生上良いのだ。
恐らく、どちらの卿も本当だろう。
私を神殿のために利用するのも卿だし、その許す範囲内で私のことを多少は心配してくれている・・・事もあるかもしれない。
思えばフォルトゥーナ卿とは長い付き合いだ。
卿がいなければ、すべての事は失敗に終わっていただろう。
私も卿がいたから、後顧の憂いがなく全ての事に邁進できたのだ。
ならば。
「神殿の為、ひいては卿の為ならば、喜んでこの縁談をお受けさせていただきます。」
おそらく卿の望んでいる言葉であろうに、卿の眉間の皺はますます深くなった。
それが益々面白く、フフフと微笑んでしまう。
それだけで、幸せを感じることができた。
※
フォルトゥーナ卿が私を引き取りに来てくださったので、そのあとは神殿に戻ることができた。
卿と久しぶりに話しながら馬車に乗った。
相も変わらず私が第二王子殿下と婚姻を結んだ場合、どういったメリットとデメリットがあり、誰が政敵になり、政敵云々関係なく誰が敵に回りそうか、誰に気を付けるべきかなど細かく注意を受ける。
この方は本当に神官と思えぬほど政治的な方である。
久しぶりに戻った神殿は簡素さが目立ったが、逆に心が癒された。
王城の様な、ああいう華美な場所は落ち着かぬ自分がいたことに気づく。
いや、神殿が既に家の様な気持ちになっているのだろうか。
慣れとは恐ろしいものである。
ほぼ1か月と1週間ぶりの自室に戻る。
皆に下がってもらったので、行儀悪くボスッとベッドに飛び込めば、疲れを感じていたはずなのに、脳が興奮しているのか眠気が訪れない。
こんな時は余計な事を考えてしまう。
まさかこの私が、あの殿下と結婚するとは思ってもみなかった。
本当に大丈夫だろうか?
せいぜい愛人程度じゃないかと思うのだけれども、ああ・・・その辺も卿にきちんと確認をしていなかった。
後でちゃんと確認をしなければ。
しかし、殿下と結婚か。
不敬を承知で言えば、何かが違うなという気がしてならないのだ。
一体何が違うのだろう。
私にはよくわからない。
だけれども、絶対何かが違う。それだけはわかる。
殿下は、私の心の柔らかいところを擽る。
間違いなく好感を抱いている。
たぶん、結婚しようと思えばできる。
ああ・・・でも、そうだ。
殿下を見るときは、弟を見るような目で見ているかもしれない。
家族愛の様な。
親愛の様な、そんなようなもの。
だからといって、決して殿下と添い遂げるのは無理・・・という訳でもない。
おそらく私は世の女性たちに比べて、恋愛感情が薄いのだろう。
友達としても、夫婦としてやっていけると思うのだ。
極端な話、吐き気がするほど嫌いな人間でもなければ、誰とでもある程度は上手くやっていける。
世間でいう恋愛的激情がなかったとしても、夫には尊敬できる所があれば問題ない。
つまるところ、これは一つの縁、という事だけなのかもしれない。
1周目の私なら喜んで殿下に添い遂げた・・・様な気もする。
今となってはわからないけれど、1周目の私は、あの辛く苦しい地獄のような場所だと思っていた世界で、誰が一番好きかと問われれば、やはりそれは殿下だったのだ。
それは決して燃え尽きるような恋ではなかったけれど、叶わないと知りながら、破滅の中で見つけた、一輪の野辺の花を見た様な淡い想いだった。
無垢に見えて、強かであり、人間として大事なものを見失わない、彼。
得体の知れないところもあるけれど、自分なりに良く在ろうとするその自然体の姿が好きだった。
あの利用されるだけの日々の中で、嘘だらけの世界の中で、彼は私にとって唯一の癒しだったのかもしれない。
だけど、2周目の今はどうだろう?
今の私は、あまりに運命との戦いに明け暮れ、年を重ねすぎてしまった。
今の私から見れば、失礼を承知で言えば、殿下は若すぎると思ってしまうのだ。
その若さが好ましいと映る一方で、物足りなさも覚えてしまう。
殿下のおそばに侍るのは決して苦痛ではないが、恋しているかと問われればハッキリとNOと言える。
とはいえ、こういった事は政略であもるし、彼の足りなさを埋め合わせるのに私をあてがうのは、自分で言うのも何だが悪い策ではないと思ってしまう。
身分としてはどうかとは思うが、第一王子に嫁ぐわけではない。
殿下と私の間にできた子が優秀なら儲けもの。
だめなら、所詮一代限りの平民の血だったのだと切り捨てられる微妙な位置だ。
最悪の場合、他にも王族の血を濃く引くスペアが何組かいる。
もとより殿下ですらスペアなのだから、それのさらにスペア、という位置づけだ。よりいい品種を求めた馬の交配に近い発想だろう。
フォルトゥーナ卿がいい顔をしないのも、そのせいなのかもしれない。
私自身も、聖女の仕事から後の公爵夫人となる仕事が変わっただけだ、とも思ってしまう。
恐らくそうなるだろう。
ブーバリス家を潰せたのは間接的にだが殿下の手柄にもなっている。
ブーバリス家から没収した資産も潤沢だろう。運用を上手くしろと言われている気がする。
それはそれで構わない、と思う。
私はこの2周目の人生を大事な人を守るために使い切ると決めた。
私が殿下の役に立てるというならば、喜んでおそばに侍るべきなのだ。
だから、全然かまわないはずなのだ。
なのに。
なんでだろう?
胸のどこかで、何かが痛むのだ。
あの男の顔が、予期せず胸をよぎる。
かたいベットの上なのに、まぼろしの風を感じる。
いつも思い出すのは、あの過酷な。
焦燥感にかられ続けた、魔物を探し続けた、あの日々だ。
寒い冬。
耳がちぎれそうな風。
きれいな夜空。
冗談を言い合う日々。
魔物は全然見つからなくて。
焦る気持ち。
なのに、世界はどこを切り取っても広く、変わらず美しく。
その世界と同じ様に泰然としている彼。
そして。
そして・・・自らの痛みに鈍感な彼の不器用さ。
『私なら、ずっと傍にいてあげられるのに』
不意に心からそんな言葉が湧き上がってきて、自分で戸惑う。
何を言っているのだろう。
殿下との婚約が打診されているのだ。
あの男のそばになど、居られるわけなどないのに。
あの男と、自分では立場も道もきっとまるで違う。
おそらく、交わらない道だろう。
泣くつもりなどなかったのに、気づいたら涙がこぼれてしまった。
私は未だに好きな男も追いかけられない哀れで不幸な女だと、自ら思い込んでいるのだろうか。
これだけ、この世界で望むものを手に入れきたのに。
「相も変わらず、私はおろかなままだ。」
そう口に出す。
自らへの戒めとしての意味合いが大きかったかもしれない。
だけれども予想に反して、その言葉は自らのうちに「違う、違う」という気持ちを呼び起こしてしまう。
そうか、違うのか。
ストンと納得する。
そして、同時に安堵する。
私は、自己憐憫に浸っているわけでは決してない。
そうハッキリわかる。
きっと私は、自分が思っている以上に彼の傍にいたいのだろう。
それは間違いがない。
彼のそばは居心地がいい。
だけど、それだけじゃない。
・・・そうか。
私は、彼の傍にいれないのだから、別の誰でもいいからあの男を癒してあげてほしいのだ。
あの男からすれば、きっと余計なお世話だろう。
彼の周囲に人は多いし、人望も厚い。
優秀な後継者もいる。
ああ、だけど。
あれだけ彼の周りには人がいるのに、なぜ皆彼の強さしか見ないのだろう。
確かに強い男だけれども、あれだけ壊れてしまっているのに。
彼は決して強いだけの男ではないのに。
本当に壊れてしまう前に。
あの優しい、男が。
報われる日が来ないかもしれないなんて。
涙がこぼれる。
この先は決して考えてはいけない。
道をたがえているのなら、決して考えてはならない。
私にできることは何一つとしてないのだから。
※
日取りと気候が良い日を待っていたら、アレから2週間以上先になってしまったが、私と殿下との顔合わせの場が設けられることになった。
いや、顔合わせ・・・という名の、ただの確認だろうか?
ともかくも我が国の常識的な貴族の見合いの作法にのっとり、まずは殿下と一度直接対面することになる。
場所は王都の外れ・・・王家が所有してる国立の薬草研究所だ。
ここは試験的に普通の花の品種改良も行われている。
王都の郊外・・・正確に言えば外だろう。城壁を出たすぐ先の所に傍に森を抱える広大な直轄地があるのだ。
そこは一部庭園とも解放されており、貴族しか入れない区画、王家の許可がないと入れない区画などがあるという。いわば、国営お見合い所の様なものを兼ね備えている場所だ。
外国の草花や珍しい品種の花が所狭しと咲き誇るのだ。
そのほかにもここは、園芸関係、薬、造園業などだけではなく、魔物研究、防災関連、魔法研究の最先端の場所でもある。
興味はあったのだが、縁のない場所でもあるので初めてやってきた。
それだけでも少し楽しい。
私は聖女という扱いなので、質素な白いドレスのまま馬車で薬草研究所にやってきた。
だが侮られない程度には刺繍やレースなどで細かい意匠を凝らしてあり、これまた品の良い淡い薄紫の花の様なケープを纏っている。
普段はつけない物なので少し楽しい。
これらは全て王城側が準備をした。
聖女はこんな高価なものを持っていないから、当たり前といえば当たり前である。
せいぜい持っているのは登庁用の質素だが高価な地味なドレスが何着か、くらいである。
そもそも向こうからの打診の半ば無理やり感がある婚約であるし、そのあたりは王城側も織り込み済みだ。すなわち、私専用の予算が組まれた筈である。
そして、やはり王城の侍女はランクが高い。
白しか纏えない私をいかに飾り立てるか、本気度が凄い。
見事な青銅製のアーチであしらわれた正門前で馬車から降ろされると、殿下が既に待ってくれていた。
「よう!」
「殿下。」
やってきた殿下に淑女の礼をする。
フランクな殿下は、こちらを見て楽しそうに笑い、そのあけすけすぎる態度を隣にいるメルベク様・・・面倒だからリュケイオン殿でいいか。リュケイオン殿にたしなめられている。
「えーっとなんだっけか?次はえすこーと?」
「フフッ」
相も変わらず殿下は適当な感じだが、そこがいい。
こういうのが、嫌だという貴族女子は多いのかもしれない。
しかし、学園で殿下に慣れてしまった子たちはきっと気にしないだろう。
その分恋愛対象から外れるかもしれないが。
何にしても、雑な殿下の態度を気にした様子もない私に、周囲はホッとしたような雰囲気を感じる。
殿下が差し出してくださった左腕にそっと右手を添え、ゆっくりと歩きだす。
「あー。俺は堅苦しいのは苦手だ。先に謝っておくからな。」
存じ上げております、と言いたかったところだが、我慢をした。ここは学園とは違う。
リュケイオン殿だけならば・・・学園のあの場所でなら言っただろうが、生憎と今回の顔合わせには使用人がわんさかいる。ざっと、50人は見える範囲だけにでもいるだろうか。
逆にこの状況で、まったく普段と態度が変わらない殿下が大物すぎるのだろう。
「今日はどこへ案内してくださるのですか?楽しみに参りましたのよ。」
そう笑顔で無邪気そうに尋ねる。
たぶん殿下が次にすることを忘れていそうだな、と思ったからだ。
私たちの斜め後ろ、5メートルほどの所に付き従っていたリュケイオン殿の顔が少しほっとした様子なので、おそらく正解だったのだろう。
「あー。そうだそうだ。なんだったか?まずは花畑?」
なぜ疑問形なのだろう?
おかしくて仕方がない。
「殿下は普段、花はご覧にならないのですか?」
「おー見るぞ―!ジキタリスとか。」
「強心薬の原料ですわね。どなたかのお具合が悪いのですか?」
「いや、乳母が飲んでいて。」
「殿下はどんな花かと気になった訳ですのね。」
「そうそう。でも、さすがに今日はジキタリスなんて咲いてなかったぞ。」
「もう秋ですものね。」
「なんか、紫やらピンクやら黄色やら凄かった。」
「今の時期ならコスモス、ダリア、キンレンカあたりでしょうか?」
「わからん!」
始終殿下はこの調子だ。
既に一回下見をしてきました!という事がバレているのだがいいのだろうか?
まぁいいのだろう。
私は気にしない。
私は楽しくていいのだが、いかんせん、おつきの方々のハラハラ感がすごい。
逆に私の方が申し訳なく思ってしまうくらいだ。
一方、リュケイオン殿は諦観、といったところだ。
相手が私なので諦めている?いや、安心している?
殿下と私だからこんなものだろう、といったオーラがプンプンしている。
まぁ気にしても仕方がないことだし、極力気づかないふりをする。
殿下との庭園での散歩は、始終食べ物の話となった。
あの花は食べられる、あの花は薬になる、あの花は野菜の花。あの草はそもそも野菜。
始終この調子だ。
私も嫌いじゃない話だから楽しいのだが、色気がまるでない。
残念ながら私と殿下であるし、その辺は諦めて頂くしかない。
奇抜な花壇鑑賞終え、庭園での休憩がてらのお茶・・・の流れになる。
美しい場所で、かつこの時間帯、わずかに日陰に入る場所が計算しつくされている。
そんな場所にイスとテーブルが設置されていた。
殿下に椅子を引いてもらい、腰を掛ける。
ちょっと新鮮だ。
侍女達が入れてくれたお茶とお菓子をつまみながら、殿下と話す話題は白の団の事や、学園の事などだ。
当たり障りのない事だけではない、学園の不味い出来事なども教えてくださる。
だが、本当に言ったら不味い話は、後ろでリュケイオン殿が咳をして話を遮り止めてくる。
控えめに言ってちょっと面白い。
そんな感じで談笑していたのだが、不意に殿下がまじめな顔をして、私の顔を見ながら真剣に考えていらっしゃる。
「ん~~~~?」
「・・・どうなさいました?」
「無理。」
あまりに突然で、しかもあんまりな台詞に、思わず淑女としての仮面がはがれ、絶句してしまう。
それは私と結婚することが無理という解釈で合っているのだろうか?
流石に生理的に話すのが無理だといわれると立ち直れないけれど。
「殿下!」
近くにいたリュケイオン殿が焦って声を上げる。
殿下は気にした様子もなく、真顔で言葉を続ける。
「だって、お前好きな奴がいるじゃん?」
その場がシンとなった。
その静寂に、なぜか居心地の良さの様な、不思議なものを覚える。
なぜか、殿下の言葉が胸を打ったのが分かった。
その余韻が広がっていったのかもしれない。
ああ。
この人はどうして、自分が分からないような事でも分かってしまうのだろう。
こんな場面でつい笑顔になってしまったので、なるべく我慢をしたが、顔を少し伏せる。
殿下は気にされないだろうが、周りは気にするだろうから。
「政略ですので・・・。」
「そうだけどさぁ。そういう事じゃなくて。・・・確かに俺だってお前とだったら上手くやっていけるかもしれないけど、毎日楽しいだろうなとは思うが。なんかこう、一番って感じがしないんだよな?」
そう不思議そうに首をかしげる殿下が可笑しくて仕方ない。
クスクスと笑いだした私に、殿下の暴言に焦った周りの方々は珍獣を見るような視線を自分に投げかけてきたのが分かった。
だが、私の笑いが止まらない。
この人はいつもそうだ。
一周目でも二周目でも、私の想像の斜め上を飛び越えていく。
殿下のそんな独特の雰囲気は決して嫌いではない。
・・・ああ、でもきっと、私は1周目もこの方には恋なんてしていなかったんだ、という事がわかった。
この方のことは好きだけど、きっと友として好きだ。
自らの痛みや苦しみを分かち合い、助け合う関係ではない。
お互いのことが分からないなりに助け合い、支えあえるけれど、軽口をたたきながら同じ方向に邁進するような関係だ。
殿下が仰るように、私と殿下はパートナーの関係ではないのだ。
「実はわたくしもそう思っておりました。」
「だけど、父上や大臣どもはお前には一番だって言うんだよなぁ?」
「そうですわね。」
なぜこんな簡単なことが誰にも分らないのだ、とブツブツ言う殿下が面白くてしょうがない。
殿下の周りの方々がおっしゃりたいことも良く分かった。
完全に本能で生きてらっしゃる殿下とうまくやっていけそうな女性はかなり限られる。
確かに私となら上手くやっていけはするだろう。
何だかんだ言って、陛下の親心の様な気がした。
しかし、周りは困惑を隠しきれない雰囲気をたたえている。
これは陛下や大臣の方々に、後で殿下がお小言を頂戴する流れだろう。
さりとて、嘘を言う訳にもいくまい。
いや言ってもいいのだが、この人には通用しないだろう。
「殿下。」
「なんだ?」
「わたくし、殿下と友になりとうございます。」
殿下はただ、こちらの顔をじっとこちらを見つめる。
そして、ニカっと笑う。
「そんなことを言った奴は初めてだな」
「不敬に当たりますので。」
「違いない。」
そう言って殿下はクツクツと笑う。
「我々が結婚してもしなくても、わたくしの友となってはいただけませんか?」
「あーそうだよな。お前といる時は・・・アレだ!リュケイオンと一緒にいる時と似ているんだ!」
などと言って笑う。
リュケイオン殿はもはや完全に諦めた様子だ。
その様も可笑しいが。
「お前の好きな奴は誰だ?」
「興味本位で女の秘密に手を出すと、痛い目を見ますわよ」
「あー・・・わりぃ」
そう言って殿下は手を頭の後ろにやり、ボリボリとかいている。
悪気なく聞いてしまったのだろう。
別に殿下だけになら申し上げても構わないのだが、この場ではまずいだろう。
「でもさ、別に俺と無理して結婚しなくてもいいわけだし、俺に手伝える相手かどうか知りたいと思ってな。」
お前は友だから、力になれることがあるなら助けてやりたいって思うだろ?
そう、殿下が仰るので、少し涙が出そうになる。
やっぱりこの人もいい男だなと、そう思う。
この方を恋愛対象として見ることができるのなら、話は楽だったのにな、とも。
まだ結婚に焦ってらっしゃらないだけかもしれないけれど、少なくとも殿下は既に私を友として扱ってくれるのか。
少ししんみりとしてしまった私を励ますためか、はたまた何も考えてないのか。
殿下は急に「そろそろ行くか!」と席を立たれる。
とはいっても、この後は何なのだろう?
少し散歩して、・・・帰るでいいのだろうか?
予定的にはそんな時間帯の様な気もする。もう少しここでお茶をしてもいいが、気分転換に歩こう、という解釈で合っているのだろうか?
あっているのか間違っているのかも分からないが、やはり殿下の隣は居心地が良いなと思う。
殿下にここまで、気を使っていただいて・・・
いや、既に友として扱ってくれている殿下に対し、一つ申し上げておきたいことがあったことを共に歩きながら思い出す。
「殿下。」
「なんだ?」
「申し訳、ございませんでした。」
「・・・それは何に対してだ?」
「殿下はご存じないですが、私は予言の・・・夢の中で貴方様に多大なご迷惑をおかけしたのです。」
ゆっくり立ち止まり、殿下がエスコートをしてくださっている腕に、そっと左手も重ねる。
「ラヴィーシャ?」
こういう時は嬢を付けるものだろうが、殿下は大体いつもお忘れになる。
それが、気安い様で全く嫌じゃない。
それでも1周目と、2周目では私の名を呼ぶ殿下の声に、明らかな温度差を感じることができる。
そのことが、良く分かる。
立ち止まり、殿下の顔を真剣に見る。
「ずっと謝れなかったので、殿下には謝りたかったのです。・・・殿下には予言の夢の中でも助けて頂いたので。私の・・・ただの自己満足です。申し訳ございません。」
ゆっくりと殿下に向かって深々と頭を下げる。顔を上げれば、
「なんだか振られた気分だな。」
そう言って殿下は軽く笑う。
どうしてそういう発想になるのだろう?
やはり殿下といると笑ってしまう。
周囲は私の話のとび具合と、殿下の飛躍のしすぎて全く意味が分からないという顔をしている。リュケイオン殿などは先ほどからずっと諦め顔だ。
彼は私にはあまり興味がないのだろう。
主に仇をなすような存在でも、利用してこようという存在でもないという認識ができた時点で、『マシな駒』という分類をされた様に感じる。
ああ、あとはキャロの友達だから仲良くしておくとキャロの株が上がるかも!といったところか。
しかし、笑いながらふと思う。
ああ、でも殿下はやはり正しいのかもしれない。
私は、殿下を本当の友だと思って、謝りたかったのだから。
本当の友になりたかったのだから。
だから、殿下は友として扱ったために振られた気分だと仰ったのだろう。
どうして人の感情をこの方は的確に読んでこられるのだろう。不思議だ。
そして、今、このタイミングでは見合いが絡んでいるので言いづらいが、いつか「ありがとう」とも言わなければ。
そんな日が早く来るといい。
恋とは違うけれど、殿下となら楽しい家庭が築けるだろう。
殿下のエスコートでゆっくりと神殿へ帰るための馬車に向かいながら、そう思った。
もう少しで馬車を止める場所だ、というところで急に周りがあわただしくなる。
何かあったのだろうか?
付き従っていたリュケイオン殿の顔色も悪い。
泰然としているのは殿下だけだ。
・・・ああ、こういうところはあの男と似ているな、などと失礼な事を思ってしまう。
「何があった?」
「わかりません。ですが・・・」
困惑した様子で答えるリュケイオン殿だ。
そのリュケイオン殿に、慌てて走ってきた侍従が耳打ちをした。
「・・・はぁああああ!?」
思わず大声をあげてしまったリュケイオン殿の姿を見て驚く。
この男がキャロと殿下が絡まない時にここまで驚くことは見たことがなかったからだ。
パチパチと多めに瞬きしてしまった自分の横で、相も変わらずマイペースな殿下が「報告しろ」という。
あ・・・いや、その・・・
などと珍しく言いよどむが、やがて意を決したようにリュケイオン殿が口を開く。
「・・・伝令より、白の団で異変とのこと。詳細は不明だそうですが・・・」
「白の団?」
「異変?」
思わず殿下と声を上げてしまう。
あの男に何かあったというのだろうか?
さらに、迷いに迷った様子で、「お耳を」と言いながらこちらに近づき小声で殿下に話す。
殿下の近くにいる私には聞こえる音量だから、私も聞いていい話なのだろう。
「・・・父が・・・辞表を出して城を出奔したと・・・」
「えっ!??」
「はぁあああああああ????」
私も驚いて声を上げてしまったが、驚いた殿下の大声にさらに驚いてしまう。
「え?何それ?なんの冗談?」
「殿下、ワクワクしないでください。遊びでもなんでもないんですよ?ていうか、どうして喜べるんです?ちょっとおかしいでしょう。」
「いやいやいやいや、本当なら今度こそ俺様の天下だろう?」
「今の殿下にあの方の代わりが務まるとでも?控えめに言って大変厳しいと思われますよ」
「お前、それ不敬だしー」
「それは失礼いたしました。」
学園ではないし、周りに人間が多いからリュケイオン殿は丁寧な口調を取っているものの、不謹慎な殿下をお諫めする適当な人材でもあるため、目をこぼされている。
それにしても、あの男が白の団長をやめる?
いったい何の冗談だろう?
私が関わったせいで未来が変わり、誰かと政治的な衝突でもしたのだろうか?
今、彼が団長を辞めて喜ぶものも多いが・・・困る者も大勢いる。
少なくとも王城の上層部は彼を手放すことを良しとしない。
とにかく、事情をちゃんと聴いて、一緒に各方面に謝り倒して、そしてなかったことにしてもらうのが一番手っ取り早い。
・・・はずだ。たぶん。
まずは彼に会わなくてはと心が焦る。いや、探す方が先決だろう。
「という訳だ、ラヴィーシャ。名残惜しいが、こんな面白そうなことは捨て置けん。あとで委細を教えてやるから今日はここまででよいか?」
「はい。ここまでお送りしていただいておりますし、後は帰路に就くだけです。お見送りいただきありがとう存じます。」
そう言って、カテーシーをする。
殿下の提案は私にも都合がよかった。
早く私も動かねばなるまい。
鷹揚に殿下はうなずき、リュケイオン殿と今後どう動くか話し始める。
あとは、私が馬車の前で待っている護衛の兄の手を取り、馬車に乗せてもらえばいい。
それだけの筈だった。
不意に、体がフワッと浮き上がる。
突風に体が巻き上げられたという事にあとで気が付いた。
さっきまで無音だったのに、いつも通りの光景だったのに。
高い位置で、誰かの腕の中に納まっていることに気が付いた。
でも、不思議と不安がない。
慣れ親しんだ温度。
馬の飼葉の微かなオレンジの香りや・・・
そういったものを一つ一つ認識する前に、ここは安全地帯だと心が先に認識をしている。
だからだろう。
驚いたけれど、暴れずに腕の中に大人しく納まることにした。
次にドスンとくる衝撃。
・・・ああ、そうか。
馬に乗ったラステッド様に捕獲されたのか。
漸く状況が分かる。
風魔法で無理やり飛ばし、空中でジャンプした馬上でキャッチされたのか。
どんな曲芸だろう?
そして、そのまますごい勢いで走り抜け、あっという間に庭園の出口が遠ざかっていくのが横目でわかる。
しばらく経って
「・・・・・・・・・・!!!」
「・・・!!!」
大騒ぎになった様子だったが、既に何を騒いでいるのかわからないほどあっという間に遠くに離れていたのだ。
そのまま馬は庭園部を抜け、迷うことなく森への道に入る。
道は次第に木々が深くなっていくが、馬は気にした様子もなく独特の音を立てて走り抜ける。
この馬の凄いところは、森林のなかの小枝などが多い道を歯牙にもかけず、猛スピードで邁進していく所だ。
馬とは本来繊細なものであるはずだ。
雨が降っただけでやる気をなくす馬もいるのだと聞く。
それを人の手でよく調教することが大事なのだ。
しかし調教したからといって、この様な全てを粉砕して走り抜ける様な馬に果たしてなるのだろうか?
まるでラステッドがそのまま馬になったかのようだ、とラヴィーシャは思う。
そしてラステッド自身も凄いだろう。
この森側は軍の演習場としても使われている。
道をすべて知り尽くしているのだろう。
もしくは二人とも、この道を通りなれているのかもしれない。
警備をかいくぐり手っ取り早く王都を馬で抜ける道だからだ。
魔物も多く、大勢で通り抜けるのには自然の要塞である森があってできないが、単騎で裏道として使うには慣れていればよい道なのかもしれない。
ラステッドはただ一言もしゃべらず、森をそのまま1時間ほどで抜け、・・・・この森は馬で1時間で本当に抜けられるような森だっただろうか?ラヴィーシャの認識もしくは時間感覚が狂わされている気がしたが、間違いがなければ深い森を1時間で抜け、そこからさらに平原を20分ばかり走らせ、漸く川辺近くで馬はその歩みを緩めた。
この馬の体力もどうかしている!
と思っていたが、歩みを緩めれば馬は嬉々として川辺に近寄り水を飲み始める。
ラステッドは止めもしない。
馬はものすごい勢いでビッシャビッシャと音を立てて水を飲んでいる。
本来なら降りて馬の世話をしてやるべきなのだろう。
だがラステッドは馬を降りなかったし、ラヴィーシャに降りるかとも聞かなかった。
追手を恐れているのだろうか?
・・・・いや、そもそも何故ラヴィーシャはラステッドの腕の中にいるのだろう?
そこからして意味がよく分からない。
ラステッドの逃避行?逃亡?に何かラヴィーシャの魔法でも必要だっただろうか?
そういえば、よく考えてみたら、自分はラステッドを探そうと思っていたのだ。
これは、何故ラステッドが辞表を出したのか詳しく聞くチャンスではないか?
漸くそのことにラヴィーシャは思い当たる。
どうやら、あまりの展開に脳が追い付かなかったのだろう。
「ラステッド様?」
「・・・なんだ。」
何だとはなんだ。
そして、今の間はなんだ?
人を突然攫っておいて、何だといいたいのはこちらである。
まるでラヴィーシャにはラステッドの気持ちなど分かりはしないが。
分からないからと言って、会話を途切れさせるわけにもいくまい。
今はとにかく情報が必要なのだ。
どう動くべきなのか、それをまず状況を知らなければならないのだ。
そうラヴィーシャは思いなおし心を奮起させ、さらにラステッドに問いかける。
「辞表をお出しになったと伺いましたが、真実ですか?」
「・・・ああ。」
耳が早いなという顔をしているが、そういうところだけ分かりやすくても困るのだ!とラヴィーシャは心の中で悪態をつく。
「何故でしょう?どなたかと喧嘩でもなさいましたか?それとも悪い奴でもいましたか?ラヴィーシャの手が必要であるなら、こんな事をせずとも、ぶっ飛ばして差し上げましてよ?」
「いや・・・ぶっ飛ばすのは仕事柄慣れてれいる。問題ない。」
「そうでしたわね・・・。」
それはまぁそうだろう。
だが敵の中に魔術師でもいたら話は別だ。
誰かが呪われたとか、大けがをしたとか、そういう事だろうか?
でもそうすると、何故ラステッドが白の団を辞める必要があったのか、意味がなくなってしまう。
「じゃあ何故白の団をお辞めになろうと思ったのでしょう?」
結局わからぬことはストレートに本人に尋ねる事にした。
憶測だけ盛っても仕方ないだろう。
「お前が・・・」
「わたくしが?」
「お見合いをすると聞いて・・・」
「そうですわね。今も殿下との顔合わせが終わったところでございました。」
果たして自分の見合いが、ラステッドの辞表に何の意味があるのだろう?
あまりに分からなくてラヴィーシャは小首を傾げてラステッドを見上げる。
攫った時のまま、横抱きに抱き着いていたラヴィーシャに見上げられ、ウッっとラステッドはうめく。
・・・傷つくから、そんな汚いものでも見てしまったみたいな表情はやめてくれないだろうかとラヴィーシャは思う。
「お前は殿下が好きなのか?」
「は?」
「お前は第二王子殿下の事が好きなのか?」
「は?いや・・・あれ?え?」
あれ?なんでそんな話になってくるんだ?
などとラヴィーシャは混乱する。
しかしまぁ、第二王子の事が好きか嫌いかと言われれば好きだが、誤解を招きそうなので、友達だと思っております、と伝える。
「ならば別段好いている訳でもないのだな。」
「・・・貴族の方々は好いた惚れたで結婚するのではないと聞き及んでおりますが。」
「お前は平民だろう。」
「そうですわね。ちなみに殿下は王族です。」
「だが聖女なのに・・・。」
「為政者なら当たり前かと。ちなみに、ラステッド様も前の奥方とは政略だと伺っておりますが。」
ウッとラステッドの声が詰まる。
「・・・・・・・・・・だからこそ、お前をあんな目に合わせたくなかった。」
「・・・・・・・・は?」
このアホは今なんと言っただろう。
空耳だったのかと、一瞬ラヴィーシャは自らの耳を疑った。
「あの殿下の事だから辛い目には合わないだろうが、全てを犠牲にして国に尽くしてきたお前に、さらに犠牲になれという姿勢に耐えられなかった。」
そんなことをポツリポツリ・・・、とラステッド様が仰る。
ああ、何だろうこの気持ちは。
「せめて結婚くらいは好きな奴とさせてやれと何度も言ったんだが、聞き入られなかった。そんなに言うなら、お前が幸せにしてやればいいとも言われたが、俺と結婚するなどお前があまりに可哀そうだ。だから俺にしてやれることは、お前の好きな奴のところまで送り届けてやるとか、そういう事しかできない。だが、そのような勝手なことをすると団に迷惑が掛かるので、先に辞表を出してきたのだ。」
そんなことを一息に言い、ラステッドはどうだ!分かったか!という顔をする。
「で、好きな奴はいないのか?」
そう、ラステッドは真顔で聞いてきたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「もうやだ・・・本当にバカな人。」
気づけばそう言い、頭を抱えている自分がいた。
本気で自分の頭がおかしくなったのかと思った。
これは何という喜劇なのだろう。
そんな自分を見て、困惑したかのようにラステッドが言葉を続ける。
「あのなぁ・・・俺はお前の為だと思って・・・」
「存じ上げております。だから、どうしようもない馬鹿だと申し上げているのです。」
思わず吹き出してしまったら、笑いが止まらなくなった。
この男はここまでの事を仕出かしておいて、全く男自身の気持ちに気がついていないのか。
そして、私は本当に可愛くない。
どうして、男のこんな不器用な言葉で傷つかないのだろう。
例えこの男が、自分自身の気持ちに気づいていなかったとしても。
この国の全てと、私の幸せを天秤にかけ、私を選んだ事がどういう意味を持つのか、本当に彼は気づいていないのだろうか?
これだけの大立ち回りをしておいて、私が別の男の元に行けると、本当に思っているのだろうか?
「ちゃんちゃらおかしくて、へそが茶を湧かしますわ。」
「へそ・・・?茶・・・?」
粗暴なくせに、無駄に生まれと育ちがいい男には、ラヴィーシャが何を言っているのか意味がわからない。
この男は、自分の友や息子よりも私を選んだのだ。
それも自らの幸せのためではなく、私の幸せだけの為に。
どうしようもなく間違っているとわかるのに、どうしようもなく幸せを感じてしまう。
ああ。
どうしよう。
私は、今の瞬間が人生の中において最も幸せだ。
この気持ちを、どうすればいいだろう。
1周目は人を傷つてしまった自分だったから、
2周目は大事なものを守るために、この命を使い切ると決めていた。
もしも大事なものを守れたのならば、後は誰かの幸せの為に生きていくのだと、漠然とそう思っていた。
だけど。
だけど。
誰よりも自分に厳しいこの人が、私を望んでくれるというのなら。
残りの人生は、この人のために使っても。
許されるだろうか。
私は、また間違いを犯していないだろうか。
―――私は、何て幸せ者なのかしら
不意に、
亡くなる前のおかあさんの言葉と、あの笑顔が、まるで昨日の事の様に鮮明に蘇える。
まるで同じことをもう一度言われたかの様に感じた。
それはまるで、おかあさんに、そっと背中を押されたような。
その様な気持ちになる。
恐らくおかあさんが生きてこの場にいても、きっと似たようなことを言ってくれるだろう。
大丈夫。
大丈夫よラヴィ。
愛しているわ、私のかわいい子。
幸せにおなり。
だから、そのような声が聞こえた気がしたのも、きっと気のせいだろう。
おかあさんなら、こんな事を言いそうだって、自分の想像力が作り出した幻聴だ。
だけれども、それはまるで本当におかあさんに、そう言われたように感じてしまい。
涙が零れ、止まらなくなってしまう。
彼は突然笑いながら泣き始めた自分に大いに焦りだし、オロオロとし始める様が滑稽だし申し訳ないのだが、涙は止まらない。
――――ああ、そうだね。
おかあさん。
私たちは、なんて幸せ者なのだろう。
自分のために生きること。
家族のために生きること。
そして、周りの人のために生きること。
次第に自分の世界が広がり、できることも多くなっていく。
そうやって、がむしゃらに生きてきて、不意に立ち止まった時に。
助け合える友がいることが、なんと嬉しいことか。
苦しい時に寄り添い、愛情を向けてくれる人がいる事が、なんと愛おしいことか。
おかあさんの生きていられた時間は短かったけれど。
きっと誰よりも人の幸せをたくさん持って、おかあさんは旅立っていったんだね。
「その様に泣くとは、まさか悲恋なのか?お前を袖にするとはどこのバカだ!そんな奴は俺が代わりに殴ってきてやるから安心しろ!!!・・・いや、それとも俺に攫われた事が嫌だったのか?!」
オロオロと、見当違いも甚だしい事を言い出し、混乱している男をそろそろ何とかしなくてはいけない。
未だ止まらない涙をそのまま、男を見やり、会心の笑顔でこう言ってやった。
「私の好きな人は貴方なのですが、ご自分で自らを殴るのですか?」
「!!!!!?????」
それはもう巨匠の彫刻かの如く、彼は見事にカチーンと固まった。
そして、動き出す気配がまるでない。
彼は、まったくこれっぽっちも自分が彼のことを慕っている可能性を考えなかったのだろうか?
そんな女を攫って何の得があるのだろう?
そこまで私に尽くしておいて、私を愛していると未だに気が付いていない、この男が滑稽で仕方がない。
馬から落ちないかだけが心配だが、彼の愛馬はモゾモゾとするものの、気をきかせて大人しくしていてくれるからありがたい。
ラヴィーシャは落馬しないように体の向きを変え、固まってしまったラステッドの代わりに手綱を握る。
自分の馬より2,3周りは大きい。
上手く操れるかが多少心配ではあるし、股関節がいつもより広げられ、今日は筋肉痛になるかもしれないな、などと場違いなことを考える。それよりもドレスのまま攫われたので下着が薄い。
先に太ももが擦れて腫れるかもしれない。
ああ、それでも気分がいい。
まるで動く気配のない彼をそのまま、周囲を見やる。
まだ日は高く、世界は明るく、どこへだって行ける気がしてくる。
川面がキラキラ光り、世界をより美しく彩る。
さぁ、これから私は何をしていこう。
まずは、この朴念仁を正気に戻し、私の好意を信じさせることが先決だろうか?
それともつかの間の逃避行を楽しむためにも、王城からの追手から逃げる方が先だろうか?
そもそも、この男は本当に自分の辞表が受理されるとでも思っているのだろうか?
疲弊気味の我が国だと、まだまだ周囲との外交関係は予断を許さない。
いつ戦争を仕掛けられても不思議ではないのである。
武神として名高いこの男がよその国へ逃亡するのを許すくらいなら、暗殺者を差し向けてくるだろう。
逆に言えばそんな状況なので、彼が正式な手続きを踏み、正式に私を望めばいくらでも手に入ったのだ。彼をこの国に繋ぎとめられるのなら、競走馬を繁殖させるがごとく第二王子と聖女の繁殖に使うより、私をあてがった方が安いものである。
きっと上の方はそう考えるだろう。
つまり、こんな誘拐騒ぎは実のところ全く必要なかったというわけで。
そのため王城は、思ってもみない所から横槍が入ったのだ。
ハチの巣をつついたような騒ぎであるはずだ。
馬鹿だろうか?
やっぱり馬鹿なのだろう。
だけれども。
若い娘みたいに、ラヴィーシャの心が浮ついているのが分かる。
この騒動は必要のないことだけど、きっと私には必要なことだった。
正式な手続きで打診がきたのなら、私は彼との縁談は断っていただろう。
自分が幸せになってはいけないと、思っているのだから。
彼の愛情をここまで感じられなければ、きっと『聖女』を捨てられなかった。
固まる男を引っ張り、体重移動をさせながら、馬の手綱を操る。
聖女を騎士団長が攫う事よりも、私が彼を好きだという事の方が彼にとっては衝撃的だという事が面白い。
この男の頭の中はどうなっているのだろう?
馬はちょっと不満そうだが、しばらく私の操縦で我慢してもらいたい。
空は高く、気候は穏やかで。
ポカポカとして世界が気持ちいい。
「日光は美容に悪い」と小うるさい侍女達もいない。
つかの間の自由だろうけれど、確かに今、私たちは自由なのだ。
固まったままの、彼の体温を感じながら、のんびりあてもなく馬をゆるく走らせる。
世界がやっと好きになれる。
私は漸くこの世界で深呼吸ができ、生きていける。
そんな事を思った。
殿下は左利きなのでラヴィ―は左に、ほかの人の時は大体右側でエスコートされています。
というどうでもいい情報。
そして残りの話は、これで終わりそうだと見せかけて、あと短い話が2話くらいの予定です(目線をそらしつつ)
真珠というものは御木本氏が養殖を確立するまでは今と比べ大変値段が高く、ダイヤモンドよりも高価な時代もあったそうです。その辺日本人は恨まれていると思います。
興味のある方はこのあたりでもどうぞ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%8E%A1%E5%8F%96%E6%A5%AD




