2周目 5 羨望
あれから、お兄ちゃんはフォルトゥーナ卿の推薦という事で、私の専属護衛神殿騎士として落ち着いた。
「聖女に命を救われた。」
お兄ちゃんはそう公言してはばからない。
優秀な護衛騎士の熱烈な忠誠は、ひとえに聖女の人徳であるという事であまり気にされなかった。
そして、いつも温厚で紳士的でイケメンなお兄ちゃんは他の女性神官達にも人気が高い。
かといって誰かに熱愛されるといった感じでもなく、「目の保養」枠の様な気がする。我が兄の事ながら、複雑な心境だ。うちの兄が一番カッコイイ!と声を大にして言いたい気持ちもあるし、兄は家庭的なオーラが出ている分、熱愛対象ではないのかもしれない・・・という気もするのだ。
そして、わたしといえば実家にいた時の様に、抱き着いたりできないし、あくまでお兄ちゃんの態度は神殿騎士として一歩引いて私に仕えてくれているのだけれども。
目はいつも私のお兄ちゃんだった。
私が悩むと一緒に考え悩んでくれる。
例えその時に答えがでなかったとしても、一緒に悩んでくれるという人が側にいるという安心感だけで、自分の心が随分と軽くなったのが分かった。
以前の様に・・・とまではいかないものの、精力的に聖女の仕事もこなすことができるようになった。
これこそフォルトゥーナ卿の手に転がされている!という感じはしたものの、お兄ちゃんに会わせてもらったので、文句は言わないでおいた。
このまま、ただ穏やかに聖女としての生が終わるのだと、そう思っていたのだけれども。
それから数年経った、ある日の事。
「学園ですか?」
「そうだ、そこへ通ってもらう。」
ある日、そうフォルトゥーナ卿から言い渡された。
「何故・・・。」
何故私が学園に今更通わなければならないのだろう。
ハッキリ言って、学園で納める様なことは神官教育で全て学び終えている。
あと学園で自分がやる事といえば、人脈作りや、特殊な学びだけで、『聖女』にとって必要とも思えない。まぁ人生この先何があるかも分からないし、学べるというのなら学びに行くのは悪くないが、そうすると、おそらく彼や彼女らに会わなければならなくなってしまう。
自分の『罪』―――――――
彼女はその象徴と言っても過言ではない。
正直言って、彼女に会って自分がどうなるかは分からない。
それが、たまらなく不安だった。
風の噂で、予定通り魔物災害未遂の後に、腹黒金髪詐欺師と婚約したと聞く。
そして1周目の通りに、仲が大層悪いのだという。
しかし、ローランド様が呪われるだろう、あの事件は起こらない。
いや、それともあのクソ貴族は私の代わりの誰かを見繕うだろうか?
いかにもありそうな話だ。
そうすると、予定調和通りに、彼女はダンジョンへ赴き、彼と彼女は仲睦まじくなるだろうか?
彼女は一体どうなってしまうのだろう?
今更ながらにその事に気づいた。
ふと、ラステッド様が仰ってた「生きるも死ぬも時の運」という言葉が不吉に胸の内に蘇ってくる。1周目は無事だったとしても、かなり危ない状態だったと聞く。2周目ではその命を儚く散らしてしまう可能性も在り得るのではないか。
そんな自分の雑念を追い払うように、卿の言葉が続いていく。
「一番の理由は政治的意味合いだ。」
「政治的、ですか。」
「ラヴィーシャは今の政治情勢がどうなってるか分かるか?」
「大して存じ上げませんが、第一王子派が安定していると伺っております。ただそれ故、思ったより得られぬ利権に業を煮やし、第一王子派の一部過激派が強硬な手段に出るきらいがあると・・・。」
「そうだ。」
「魔物災害が回避されたですのに、情勢は大して変わらないのですね・・・」
「思い出すな。お前が初めて語った予言は、ブーバリス子爵令息に嵌められただったか?」
「別に予言としてはお伝えしていないとは思いますが、手ごまにするために無理やり娼館に連れてゆかれ、あれやこれや本番以外は全て教わりました。」
「今やったら確実に破門、家の取り潰しだな。」
「また卿は大げさな・・・。」
「お前の聖女としての人気は高い。その聖女に下手に手を出したら民衆が黙ってはおるまい。王はご機嫌取りのために、そして臨時収入と政情の安定のために嬉々として扱いづらいブーバリス家は取り潰すだろうな。なにより、取り潰さねば、まず神殿を敵に回す。」
「そんなものなのですね。」
私一人に何を大げさな・・・とは思うが、政治の道具としては案外そういうものなのかもしれない。神殿は神殿なりに私を大切に思ってなかったとしても、号を与えた手前責任というものも存在するのだ。
私個人ではなく、大きな駆け引きとして使われる札の様な、そんな気持ちになるのだけれども。
「で、お前は前の生で何をしたのだ?」
まるで明日の天気を訪ねるかのように、フォルトゥーナ卿は私に尋ねる。
この場には兄がいるというのに、まるで何でもない事のように自分に問う。
この話は以前にも一度、卿にしたことがあるので、兄にも聞かせろ、という事なのだろう。
あまり兄には聞かせたくはない話だが、亀の甲より年の功と言うし・・・。
卿の言う通りにして、上手く行った事も沢山ある。
学園に行くとしたら、恐らく年の近い兄がこのまま一番の護衛になるだろう。
それを含めて下準備にも必要なので、内密の話ができるここで話せと卿は言っているのだ。
話すしかないだろうと、ため息をつく。
「・・・私の目が曇っていたせいで、ディーラネスト侯爵令嬢に反感を持っていた事と、ブーバリス家の利害が一致しました。私が望んでしたことではないですが、第2王子を意図的に弱体化させ、そこから無理やり利益を搾取しようと・・・したのだと思います。私に求められたのは賑やかしの役割です。所謂道化ですね。男どもの目を惑わし、私に目を向けさせることで、ディーラネスト家、ひいては第二王子派にダメージを与えたかったのだと・・・思うのですけれど・・・今考えると、あんな非合法紛いの事をしてまで、やる価値があるのか?とは疑問には思いますね。」
「非合法紛いとは?」
「薬事院からの窃盗、ディーラネスト嫡男ローランド様への暗殺未遂、非合法薬物による複合呪殺ですかね?」
「随分と強引な手段よな。」
そう、くつくつとフォルトゥーナ卿は笑う。
兄の表情は微妙だ。
兄には予言という存在は伝えてある。
母の死を頑張ったが回避できなかった事を。そして、今度は父や兄や弟を魔物から守れたという事を。
恐らく兄からすると半信半疑、といったところだと思う。
だけど、信じようとしてくれている気持ちは伝わる。
今はブーバリス家は危険、という認識はされたのだと思う。
「私は所謂捨て駒だったので、実際はどういう事だったのかは分かりかねます。」
「確かにそうだな。」
今では考えられぬ豪勢な捨て駒であるが、と卿は揶揄ってくる。
「お前には、その抑えの役割もある。」
「は?」
「第2王子は、あれでもなくてはならんお方だ。そして変わり者ではあるが、勘が鋭く、中々洞察力にも優れておられる。自らの不足を理解されており、その分側近で補うという事も出来る。目先のみしか見れぬ愚か者の為に喪われてはならん。」
「私も、あのお方は割と好きですよ。」
割と好きとな!と卿は再び笑う。
初めてフォルトゥーナ卿と会った時に交わした会話だ。
今はもう遠い昔。
懐かしい会話だ。
そういえば、あの頃よりフォルトゥーナ卿は少しお歳をめされた。
唐突にそう思う。
「その殿下の為に、そして過激派の抑えの為に、そして何より有事の際は治療の為に学園に在籍してもらいたい。ブーバリス令息と殿下との在学期間が被る期間が最も危険だ。そなたには少なくとも政情が落ち着くまでは学園に通ってもらいたいのだ。」
そう、フォルトゥーナ卿はおっしゃった。
その言葉に、否や、とは言えなかった。
※
自分の複雑な心とは裏腹に、準備は滞りなく進んだ。
既に学園を受験した年月は遥か昔であり、意外に忘れている細かい個所も多く、忙しい聖女としての職務の合間に必死に勉強をしていたが、いざ蓋を開けてみれば自らは推薦枠であった。
損をした!
と思ったが、その後すぐに全体テストが行われ、何とか1学年で1位を取る事ができた。
2回目の入学であるし、今度は実技もほぼ満点合格に近いであろうから、当たり前と言えば当たり前である。そして、前回は平民として目立たぬように程々で手抜きをしなければならない・・・という頭ばかり使ってきたが、今回は自分の実力が出せる。・・・というか、聖女が馬鹿だと侮られるのでなるべく良い点数を取らねばなるまい。
それが、なんだか無性に嬉しく、またうすら寒い物も感じる。
責任。
それが貴族のものと同じものなのかはわからないが、今、自分が味わっているのは聖女としての責任というものなのだろう。
私の行動ひとつで神殿の評価が上がり下がりするのだ。すなわち、私の行動で神殿に在籍する者凡そ1千余名の人生に影響を与えてしまう。
兄といえば、護衛としてやはり一緒に学園に上がることが出来た。
そして、護衛としてだけではなく、生徒としての席も用意してくれた。その方が私を守りやすいに越したことはないが、卿の過分な計らいである。
自分も正直嬉しいし、いつも優し気に微笑んでいる兄が、時折物凄く嬉しそうな気配をにじませる。それが何よりうれしかった。
兄は頭のいい人だったけれど、本当はもっと学びたかったのだな、という事に初めて気が付いた。
自分の知らなかった兄を知る事は嬉しいし、兄に少しでも恩返しが出来た様で、またそれも嬉しかった。
前世とは違い、私は学園の何処へでも行ける。
貴族の目を気にはするが、聖女・・・私は派閥的に恐らくフォルトゥーナ卿の庇護下なので第一王子穏健派・・・すなわち大半の貴族と同じところに属するのだろう。
そして、政治的色が普通の貴族よりも薄いため、地位はありながらも思惑は薄い・・・と言うのが私の今の政治的なポジションになる。
よって、極端に偏った派閥、すなわち第2王子過激派などと意味深に接触さえしなければ、短時間であるならどの派閥であっても政治的には大して問題にならないので気を使わなくていい。
狭い学園という中ではどうしたってどの派閥の家の子にも会いやすいのであるし、そもそも子どもなのでそこまで目くじらを立てられるわけでもない。
立場としては私は以前より圧倒的な自由を得ていた。
いや、・・・そもそも、自分という駒の使い方を、この10年で嫌という程思い知ったのだ。
その枠組みの中でうまく立ち回る・・・すなわち聖女としてどう動けば最大効率が得られ、望む答えが引き出せるのか。そのスキルが流石に10年もあれば板についてきたと言える。
前世で平民としてヒィヒィ言いながら立ちまわった学園での時間が遥か遠くに思える。
聖女として不自由になった私は不自由な枠組みの中で最大効率を出し、圧倒的な力とわずかな自由を勝ち得ていたと思う。
そして、立場としても、勉強という枠組みのの中でも今回はかなり余裕があるので、周りの貴族の子弟、そして子女や平民といった様々な物を観察する余裕もある。
私に興味がある子、私を嫌いな子、私を利用しようとする子、憎しみの目を向けてくる子、憧れの目で見てくる子。
今世では一度も話したことのない方々ばかりなのに、いろんな人がいて面白い。
兄は笑顔の裏で、私に敵対心を持つ子をせっせと心に書き留めている気がする。
それとなく顔と名前を一致させていけば、大概が派閥違いの家の子であったり、神殿の既得権益とぶつかっている家の子であるなど、意外に経済的理由の方が大きい。
なるほど。確かに派閥はバカにならないな、と思う。
確かに、学園は貴族社会の縮図であった。
平民では分からなかった世界がここにはあった。
「ご機嫌よう、聖女様。」
「ご機嫌麗よう。」
それでも、話しをすれば、大概の方が少なくとも表面上は私を認めてくださる。
話が通じる人間だ、という認識になってもらえるし、貴族のマナーを守り、平民にも優しく接し、誰に対しても聖女らしく親切にすれば、一定評価を得られる。かつ、既に勉学も終えているので、頭が悪いと馬鹿にされることもなかった。
「平民風情が。」
通りすがりに、こちらを試す様に毒づいてくる人もいる。
と思ったら、1周目で大層嫌いなあの方であった。
周囲を見渡すと、近くに誰もいないため、これ幸いと軽口に乗る事にする。
「御機嫌よう、ブーバリス様。今日は左肩に女の怨念がおりましてよ。はやく神殿で清めていただいた方がよろしいのでは?」
「は???!!・・・・何をたわけた事」
「金髪でお胸が大きい、青い瞳の女性ばかりですわね。」
「な・・・!」
口をパクパクとさせる。
前世にさんざん体を弄られて、そのくせ黒い髪を鷲掴みにされ、貶され、金髪なら完璧だったのに!とあざ笑われたのだ。
嫌という程、奴の好みは知っている。
そして、相手にしていた娼婦の方々もよく存じ上げていた。
皆、金髪で碧眼の、胸とおしりが出た、グラマラスなタイプだった。
だが、一応今は聖女であるが故に、あまり具体的な内容を言うわけにもいくまい。
「え?何ですって?・・・女性の方が何か仰っているのです。・・・縄?縄がどうしたのでしょう?」
「わ、私は忙しいのだ!!!戯言に付き合ってる暇はない!これで失礼する!!!」
『縄』と聞いただけで、泡を食っていなくなってしまう。
神殿の教え的には、夜の営みは清く在れと、細かく規定されている。
縄で縛っていたすのは、ぎりぎり神殿の破門案件に抵触する。
そして、娼館のお姉さま方からアイツはそういうプレイがお好き、という事を何度も聞いたことがあったのだ。そんな性癖知りたくもなかったが、まさかこんな所で牽制に役立つとは思わなかった。
あの様子だと、きっと今世でも致しているのだろう。
縄どころか、鞭も好むらしいんだけどね。
しかし娼婦のお姉さま方は、それ以上教えてくださらなかったので、恐らくもっと酷い事をしているのだと思う。
「ホント、下種野郎ね。」
「ラヴィーシャ様。」
流石にお兄ちゃんにも笑顔で怒られたので、憂さ晴らしは程ほどにしておくことにする。
何と言っても、アレは過激派に属するのだ。
下手に刺激しすぎて、神殿に火の粉が飛んできたらば不味い。
あくまで、予言に対して警戒させ、不必要に近づいてこないようにすればそれでいい。
・・・正直、大嫌いだけど。
そして――――
あの日、あの時が再び訪れる。
以前の私とは違うカリキュラムだったけれど、思い出しうる限り、彼女を最初に見た時と場所に足を向ける。
兄は護衛として、黙って私についてきてくれている。
中庭で、彼女を見つけた。
藍色の美しい髪。
視線が定まらない曖昧な眼差し。
絵画の様に美しいのに、非日常を感じさせる。
何かこちらの不安を掻き立てられる、えも言われぬ居心地の悪さ。
やっと・・・やっとここまで追いついた。
その気持ちと、
また彼女に対し罪を犯してしまうのではないか、
という気持ちが自分の中で交錯する。
それでも、その気持ちを宥めて宥めて押し殺して、彼女を観察する。
―――今度こそ、ちゃんと彼女を知りたい。
彼女は何を思っているのだろう。
大事な人をなくした、そのような何かを押し殺したような表情だ。
ふと、彼女が目線を上げたのが分かった。
その視線を追えば・・・
二階の渡り廊下に、ローランド様がいらっしゃるのが遠目でも分かった。
そして、彼女に視線を戻すと。
その瞳に浮かんでいたのは、家族への愛情ではなく。
『諦念』、そういったものだった。
不意に1周目の、娼館に売ると言われて馬車に載せられ去っていった母の微笑を思い出した。
そして、いなくなった父。
家に帰ってきたら、一人で冷たくなってしまったゼノ。
体の3分の1がなくなってしまった兄の、躯。
自分の中で、何かがブツンと切れた音がした。
※
「何でいつも諦めるの!?」
『いつも』なんて言ったけど、この彼女とは初対面でしょ!って自分で思いながらも、既に涙が止まらなかった。いくら今の自分には聖女というラベルがあったとしても、相手は高位貴族で、こちらから突然話しかけるなんてもっての他だ。
マナー違反どころか、頭がおかしい人だと思われても仕方がない。
しかし、涙も言葉も止まる気配がなかった。
周囲に人は少なかったが、ギョッとした女性とが何人かと、兄が慌てて止めようとするのが目に入ったが構わなかった。
当然だが、初対面でいきなり泣き出し、糾弾し始めた自分を見て、ディルキャローナ嬢は驚き固まっている。
「あなた、いつもいつも悲しい目をしているじゃない!弟さんを見る時はいっつもそう!・・・どうして何も言わないで、いつも諦めちゃうの?本当に大事な人が亡くなってからじゃ、もう何も伝えられないのよ!?」
死んでしまったお兄ちゃん。
本当に大好きだったお母さん。
優しい白の団員さんたち。
『ありがとう』
1周目のは自分は、そのただ一言も云えなかった。
あんなに愛してもらっていたのに。
うまくいかない人生だったけれど、確かにあった大事なものがあったはずなのに。
失うまで、こんなに大事だとは気づけなかった。
それが一番苦しい。
大好きなゼノ。お別れをする間もなく死んでしまった。
ユーリア。もっと言葉を尽くせば、もっといい形でお別れできた?
今となっては何もわからないけれど、後悔してばかりだ。
そして、せっかく2周目を授かったのだ。
もし、それに意味があるとするならば―――
「あなた、弟さんがとても大事なんでしょ!?」
だって、1周目のあの時のディルキャローナ嬢は、あの後、ディーラネスト家をそのまま単身で飛び出し、ローランド様の為にたった一人でダンジョンまで行ったのだという。
それがどれだけ無謀で、命がけの事なのか。
今ならわかる。
1周目の私には、そんな勇気なんてなかった。
ただ、ここで貴方に嫉妬してただけだった。
家族を誰一人失くしていないのに絶望しているあなたに、ただ嫉妬したのだ。
だけど―――
もっと勇気があったら。
あなたに言葉で確かめることが出来ていたら。
1周目はあんな結末にはならなかった?
家族の為に命を懸ける貴方に、私は1周目でもとてもとても魅かれたのよ。
ああ。だから、
「だからお願い・・・!」
ただ、胸の中から熱い物がこみあげてきて、訳もなく涙をこぼさせる。
今の段階でもっと話し合ってたら、ローランド様が呪われることも、あなたが一人でダンジョンに行く必要がないかもしれないのだ。
彼との話し合いが失敗して、どうしてもあなたがダンジョンに行くというなら、今度こそ私が一緒についていくから。
「もう諦めないで・・・」
自分が訳が分からないことを言ってる自覚はあるのに、涙が止まらなかった。
とても貴族の子女としての・・・聖女としての言葉遣いでもない。
でも、自分にとっての真実の言葉はこちらだった。
私は前回の生で、ここで間違えていたのだとはっきり分かったのだ。
ここで、思っていたことを自分も言えなかったから、ブーバリス第一令息に利用され、ただ死んでいくものに成り下がった。
自分には罪があるから死んでも仕方ないけれど、でもこの人は。ただ不器用なこの人の背中を、今度こそ押せる自分になりたい。
「・・・・・・。」
私を呆然と見ていたディルキャローナ嬢のエメラルドの瞳から、ポロり。
一粒涙が零れた。
そのエメラルドの瞳がにじんで、いつもの曖昧な瞳なんか嘘みたいに、エメラルド色の瞳が宝石みたいに輝いてた。
「わたくしは・・・諦めてたの?」
そう私に聞いてくる。思わず彼女の手を取ってしまう。
ああ、こんなに温かかったのか。彼女の手は。
「分からないよ、分からない。でも・・・言ってくれなきゃ何も分からないよ。だから。」
私に教えて?
側にいるから。
一緒に悩むから。
何もできなくても、応援するから。
だから、
「一緒に頑張ろう?」
そうして二人で訳も分からず、わんわんまた泣いてしまったのだ。
※
「メルベク様。」
顔見知りの、そして比較的まともな部類の伯爵令嬢に、リュケイオンは声をかけらえる。
いつもの様子とは違い、何か、とても焦った様子にただ事ではないものを感じる。
まず、少し息を切らしている様子である。とても急いで探し回ってくれたのだろう。
自分が殿下とローランドが居ることをに気づき、
「殿下におかれましては・・・」
形通りの挨拶をしようとした彼女を、手で止める。
「急ぎの用があるのでしょう?いかがしましたかシルールス嬢。」
こういう時、殿下は自分の判断を信用してくれるので特に何も言わない。
有難い事である。
普通の時も自分の言う事を聞いてくれれば、なおいいのに。
「何があったとは大変言い辛い事でありますが、・・・中庭が大変なのです。」
目線を逸らしながら、いつもハッキリとした物言いをするシルールス嬢にしては迂遠な言い回しを不審に思う。彼女をよく見ると、目線を下に向け、目元が赤い気がする。
涙の跡だろうか?
そんな彼女の様子に、殿下は不思議そうに、ローランドは不審そうにしている。
「おそらく、ローランド様も無関係ではあらせられないと思います。手の空いている女子で、お二人をお探ししておりました。あの場に男性を近づけるわけにはまいりませんので。ぜひ」
ご一緒に中庭においで下さいまし。と、彼女は言う。
いまいち要領を得ないが、他家の女子も総動員で探していたとなれば、おそらく有事には違いないだろう。
殿下を見ると、面白そうだなーって顔はしているが特に不服は無いようなので中庭に向かう事にする。最もローランドは面白くなさそうな顔をしていたけれども。ローランドは大概面白くない顔をしているのだ。
「わかりました。では向かいましょう。」
「ありがとう存じます。」
そう、シルールス伯爵令嬢は美しいカテーシーで礼をしてくれた。
果たして中庭に着くと、そこは一種異様な光景だった。
舞踏会でも開いているのか、と見まごう程の見渡す限りの女子女子女子・・・・
なぜか大勢の女子だけが集まっている。
そして、なぜか皆、一様に涙を浮かべ、
「お可哀想ですわ。」
「私、今まで誤解を―――。」
「私もですわ。」
「はぁ、でもロマンチック。」
「私も身に覚えが。」
「亡き母を思い出しました。」
「流石、噂通り慈悲深いお方ですわ。」
「これが、『予言』―――。」
などと、口々に囁き合っており、その瞳は潤んでどこか遠くを見つめている。
こんな異様な風景など、リュケイオンは生まれてこの方、見た事がない。
「これは一体・・・?」
困惑して辺りを見回しているが、訳が分からない。
ただ、中庭の中心に、女子が異様に多いというだけ。
いや、興味本位で男子が近づこうとすれば、「体調が悪い方がおりましてよ」「殿方はご遠慮下さいまし!」などと言って率先して女生徒が追い払っていた。自分達も男なのだがそれはいいのだろうか・・・?などと混乱する頭で思う。
「こちらですわ。」
シルールス嬢は迷うことなく、そんな異様な女子の輪の中の中心に入っていく。
輪・・・。
そうだ、まさしく輪だ。
ある地点の周りを女子が取り囲み、ぐるっと一周しているので、中が全く見えない。
女子で作った壁だ。
その後をついていくのは男の自分にはいささか気まずいが、それでもついて行かざるを得ない。
殿下に置かれましては波乱の予感に大変嬉しそうですが、ローランドなど目を白黒させている。こいつはクールなどではなくただの女嫌いなのだ。
ふと、女子の輪に近づくにつれ、声が漏れ聞こえてくる。
美しい、聞きなれない、だが少し話すのが遅い、女性の声だ。
「ですから貴族として上手くできない私が、家族に迷惑をかけてはならぬと思ったのです―――。」
ドキリとする。
誰の声か認識する前に。ただ、先にリュケイオンの心臓が跳ね上がった。
「姉上・・・。」
ローランドは誰の声だか分かったのだろう。
そうか・・・普段あまり喋らない彼女の声だということを漸く思い出す。
彼女はこんな声だったのだろうか、とも思うし、こんなに話せたのか、とも思う。
いつも、曖昧な眼差しで、自分を見ても騒がない珍しい女子、だと思っていた。
ご機嫌をうかがわなくても特に何も言わず、はじめはそれが楽でラッキーだと思っていたけれど。
次第に、相手が自分に全く興味がない、という事がわかった。
まぁ最も、彼女は婚約初日から自分には興味が無かったのだけれども。
それならそれで、婚約者殿とは割り切った関係でやりようがあっていいと思っていたのだ。
父と、母の様な泥沼の関係になるくらいなら、愛情など信じない。
父は、母に望まれ一緒になったと聞いているのに、母は自ら「愛している」と言った手の平を返して、貴族の義務すら放棄して、家を出て行った。
誰かの言う「愛している」という言葉ほど信用できないものはない。
確かに至らぬところがある父ではあった。
だがしかし、あの様に裏切られていい様な人間でもない。
少なくとも父は、体を張って王都を守っている。
何もしていない人間に、責められるほど屈辱的な事はないと思うのだ。
しかし、おかしなことに父は母に対して大して興味が無いようだった。
だけど、自分は。
自分なら、――――あんな女など御免だ。
それなら、はじめから愛だの恋だの言わないで欲しい―――――。
「だめですよ。確かに今は貴族として足りていないのかもしれません。ですが、その悩みはどの方々にも言えるものです。皆、多かれ少なかれ自信がなく、それでも自信をかき集め胸を張り、研鑽を重ね漸く確固たる自信を得ているのです。それには自分の持てる力全てを使わなければならない。」
そんなリュケイオンの雑念を、諭す様に、別の優しい女性の声がする。
この声は誰だろうか、と思い脳裏に新入生代表で挨拶をした黒髪の理知的な美しい女性がよぎった。
ああ、これが噂の聖女様なのか。
何故か、自分の婚約者殿と、聖女殿が中庭で女子の肉壁の真ん中で悩み相談をしており、その内容に女子がもらい泣きをしている・・・という構図らしい。
分かりはしたが、脳がうまく理解をしない。
何故そんな状況に?
一体何があったんだ?
「―――あなたは、まず誰かを頼りましたか?貴方の胸の内を、きちんと愛する者に伝えましたか?」
その言葉に、ドキリ、とリュケイオンの心も跳ねる。
何かを見透かされている様な、そんな気持ちになる。
そして、と聖女が声を続ける。
「明日その方が亡くなっても、後悔はありませんか?」
「ダメよ!!!」
そう、婚約者殿が声を荒げた。
それは普段の彼女からは想像もしない様な大きな声で驚く。
彼女はこんな声も出せたのか。
「・・・たとえ私が死んだとしても、家族は私が守るわ。大事な家族だもの。絶対死なせはしない。」
まるで、愛しい者を口説くかの様な、優しさを滲ませた、慈母の如き口調で、婚約者殿はそう答える。
ああ―――
と、リュケイオンは思う。
ただ、ああ、ああ・・・という言葉だけが彼の胸の内に次第に降り積もる。
自分は何を見てきたのだろう。
女など、訳の分からない生き物で、姦しく五月蠅く、多かれ少なかれ母の様な気まぐれな、だがしかし、気紛れ故にいつ裏切るか分からぬ、得体のしれぬ生き物の様な気持ちを持っていた。
その認識は今もあまり変わらないのだけれども。
男でも様々な性格のものがいる。
本当は分かっていた。
母の様な者もいるし、そうでない者もいるという事を。
何かに、誰かに期待する事が怖かった。
ましてや、自分の婚約者が、いつ自分の母の様に裏切るかが分からなかった。
だから、自分はどこまでも割り切った関係で居たかったのだ。
だけど。
ああ、だけど。
「姉上!!!」
そう言って、駆けていくローランドの後姿を見送ってしまう。
まるで、いつもとは違い、世界がゆっくり動いている様な、現実感のない感覚にリュケイオンは襲われる。
いつも姉に対しイライラとしていたあの弟は、その実、いつも姉を気にしていて気を配っていたことをリュケイオンは知っている。
ローランドの事は、揶揄い甲斐があるいい友達だとおもっていたけれど、彼がそこまで姉に対して気にする理由が分からなかった。
シスコンさえなければ完璧な男なのに、とさえ思っていた。
「・・・ロ・ロッ・ロ・ロ・ロ・ローーーーランドォ!?な、何であなたがここに!!!!?」
婚約者殿のあわてふためく声が聞こえる。
リュケイオンはその場に縫い留められたかの様に、自分が動けなくなっていることに気づいた。
自分は何を思った?
どうして動けない?
その答えは割と簡単に出た。
「姉上!!!申し訳ございませんでした!!小さい頃、私が子供だったばかりに素直になれず、あなたを傷つけてしまった!!でも、自分に対していつも優しいあなたが、・・・私の心の支えで誇りだったのです!!」
今まで素直にお伝え出来ず、申し訳ありません・・・そう涙ながらに頭を下げ謝罪をするローランドをポカンと見たディルキャローナ嬢は、泣くのでもなく、叫ぶのでもなく、花の様にふわり、と笑ったのだ。
「私はあなたの誇りに成れていたの?・・・本当に嬉しいわ、ローランド。私こそ、あなたの姉で居られて誇りに思います。」
と、そう穏やかに言い切る。
ほぅ・・・と周りの女子からため息が漏れる。
私もそこまで家族に思われたいですわ、ローランド様はお幸せですわ、などの声が漏れ聞こえる。
何かを思い出したのか、涙が止まらず別の友達に慰められている女子もいる。
―――ああ、羨ましいな。
そう、リュケイオンも心から思う。
そして、父を思い出す。
あほで脳筋の父親だが、英雄として名高く、自分の様な細く騎士としては半端者には決して届かぬ、豪傑の、自慢の父だ。
自分とは全然違う。
その父が数年前のある日、突然自分に向かって言ったのだ。
『お前を信じている。”俺”を目指すな。お前自身を磨け。』
と。
何を馬鹿な事を、とその時は思ったが。
後で時間が経つにつれて、鍛錬で重い攻撃を受けたかのようにジワジワと響いてきた。
自分は父の様には成れないが、そんな事は関係なく、父は自分の存在を認めていてくれたのだと。
その事が、当たり前の様で、どれほど難しく、胸を熱くするのか初めて知った。
そして、今、同じような思いを感じる。
そうだ。
この感情は、”羨ましい”だ。
「いいな、アイツ。面白い。」
そう、可笑しそうに笑って言う声を聴いて、漸く殿下の存在を思い出す。。
その目は自分の婚約者と弟が泣いて笑いながら語り合ってるところを見つめている。
聖女殿は一歩引き、穏やかな、それこそ聖女の様な笑みを浮かべている。だが、その瞳は濡れており、心を寄せて先ほどの言葉を発していたのだという事がありありと分かった。
改めて殿下を見る。
彼は自分が仕えるべき主だ。
馬鹿だけれども、バカじゃなく、阿保だけれどもアホじゃない。
つかみどころのない主人だけれど、何故か人として本当に大事なものだけは見失わない。
信頼だけできる、主人だ。
その主人ですら、”いいな”といわしめる自分の婚約者殿―――。
自分の内側の長年欠けたピースが埋まるのを、リュケイオンは感じる。
いや、自分が欠けていたという事すら今の今まで気づかなかったのだ。
心の穴が埋まって、初めて気が付いた。
今まで女性が信じられなかった。
親しいメイドや乳母や、そういった者は除いて、特に貴族令嬢や婦人たちはリュケイオンにとって大の苦手だった。
だけれども、
『・・・たとえ私が死んだとしても、家族は私が守るわ。大事な家族だもの。絶対死なせはしない。』
先ほどの彼女の言葉が、リュケイオンの胸の内にこだまする。
そこまで家族を思える女性が居るという事を、実感できなかった。
そして母に傷つけられた女性不信が和らぐのを感じる。
彼女は凄い。
そう、心からリュケイオンは思う。
ちょっと変わっている彼女だけれど、自分の婚約者であるという事に運命すら感じる。
これから、彼女を理解したい。
願わくば、彼女に自分も『家族』だと思ってもらいたい。
そして自分は、心の底から信頼できる自分の家庭が欲しかったのだ。
そんな、欲求を自分が持っていることに、初めて自分自身で気が付いた。
今まで、ダメな婚約者だったけれど、今からでも間に合うだろうか―――?
まずは自分にできる事を為さなければ。
漸く、リュケイオンの中で止まった時間が動き出す。
彼女たちを確保して、部屋を用意し、思う存分姉と弟で語らせてあげたほうが良いだろう。
そして、何故か泣いて同情している女子たちを解散させて、穏便に事を運ばねばならない。
何故か人生相談をしている聖女様の扱いはどうすればいいのだろう?
派閥的に第一王子穏健派と第二王子派は体面上仲良くはないが、実質はほぼ同じ派閥という訳のわからない状態なのだけれども。
ディーラネスト侯爵にそれとなく今日の出来事を報告して、後で肉壁になってくれた女子たちにはお礼状をしたためさせて・・・
やる事はてんこ盛りで頭が痛いが、何故かリュケイオンの気持ちは清々しい。
今は裏方に徹するが、落ち着いたら本気で婚約者殿を口説かせてもらおう。
そう、リュケイオンは心に決める。
ああ、彼女はどんな花が好きだろうか。
そもそも何が好みなのだろうか?
花より団子という感じがしないでもないが、それもまた好ましい。
音楽は?服は?絵画は?
まだ彼女の事は何も知らない。
それが彼女に申し訳なく、また同時に知る事の出来る未来がとても楽しみだ。
「とりあえず、自分はどこか部屋を抑えてきますので、殿下はこのままローランドと待っていてください。」
「まかせろ!」
毎度、実に当てにならない殿下の返事であるが、ローランドも貴族の子女たちも大勢いるので、人目がある分何とかなるだろう。
しばらくここを任せ、リュケイオンは生徒会室に向かう。
いつもと同じ世界のはずなのに、世界が、空気がいつもよりも煌めいて見えた。
ある意味トゥルーエンド?ですが、丸く収まった分、キャロとリュオンは割と普通めのカップルになります。・・・はじめは。




