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2周目 4 自然

 

 明け方近くになっても、まだ事態は硬直していた。


 魔物は当初の予想通り、白の団のキャンプのかなり手前の森に墜落した。

 ところが、鬱蒼とした森は白の団の進軍を大いに阻む。

 そして、墜落してきた魔物には驚くべきことにまだ意識があり、かなり人に対し警戒をしている為、なかなか近づけない。

 白の団は辛うじて遠くから包囲網を作り、定期的にやってくる捕食しようとする側の魔物を間引くという事を既に5時間近く続けている。


 先行する部隊から遅れて、実際にラヴィーシャが現場に到着したのはその頃である。

 包囲網を整えるのにも時間が必要であったし、ラヴィーシャ自身も結界を維持する為の用意も必要だった。また、負傷者の手当などにも思ったより時間がかかった。


 白の団員から予め魔力がある者をピックアップしておいたので、ラヴィーシャが力を込めた魔道具に魔力を注いでくれるだけで、かなり長時間の聖結界が作る事が出来る。ラヴィーシャがこの五年で足掻きの一つとして作り上げた仕組みであった。魔物の規模からみて、防げなかった場合には大きな結界が必要になるという事は分かり切っていた。


 ラヴィーシャは魔物を観て、結界の規模やランクを決めようと思っていたので、ラステッドに『魔物の側に一度行きたい』と言ったらかなり嫌な顔をされた。


「俺ですら好まん事をやろうとするとか、お前は阿保か。」

「そこまで近づかなくていいんです。魔力をはっきりと感じ取れる範囲であれば。私だって好き好んで近づきたいとは思いませんが、ただ卿だって必要だったらやるでしょう?」

「む?」


 確かにそれはそうかも、と思ってしまった時点でラステッドの負けであった。

 仕方ない、とため息を吐くラステッド。


「俺が連れて行く。」

「卿!!」

「団長!」

 側近からも悲鳴が交じった声が上がる。


「ラステッド様!貴方一人の命じゃないのですよ!あなたが死んだら誰が白の団をまとめるのですか!」

「俺の代わりなどいくらでもいる。それにお前こそ、死んだら誰が民を癒すのだ。そもそもお前に怪我でもさせたら、こっちの首が飛ぶわ。」


 そう言われ、今度はラヴィーシャが絶句する。

 確かにそう言われてみれば、自分の扱いは聖女である。

 本人からすれば本質とはかけ離れた”なんちゃって聖女”であるが、世間からは評判がいい自負くらいはある。今更その皮が仇になるとは思わなかった。


「今度は俺の勝ちだな。」

 絶句したラヴィ-シャを見て、ラステッドはニヤリと笑うと、軽すぎるラヴィ-シャの10歳の体をあっさり馬上に引き上げ、彼の腕の間に納める。見た目はまるで幼児誘拐犯を飛び越え、捕食でもするのではないかと心配するぐらい、小さな10歳女児とラステッドの組み合わせはちぐはぐすぎて似合わなかった。


「お前らはそのまま待機。」


 側近の悲鳴を残し、あっという間にラステッドは最前線へと馬を駆ける。


 トップが最前線に躍り出るなど果たして、正気の沙汰ではない・・・。

 ないはずなのだが・・・


 ―――嬉しい


 ラヴィーシャの心を占めるのは、何故か嬉しさだった。


 今まで、ラヴィーシャは一人でずっと戦ってきた。

 最近では協力者も出てきたけれども、本当の意味で、肩を並べてこうして最前線まで共に行くものがいるとは思わなかったのだ。

 いいや、味方がいないというより、ラヴィーシャの速度で現場まで付いて来れる者がいなかったという方が正しいかもしれない。

 自分の一番の味方である兄ですら、ラヴィーシャは命を惜しんで置いて出てきた。

 こんな死地まで自分を信じて共にやってきてくれる者がいる未来があるなんて、前世では考えられなかった。


 たった一人でも、肩を並べて一緒に戦ってくれる人がいることが。

 こんなにも嬉しい事だなんて―――


 メルベク卿の様に、その重荷を背負って今度は自分が全てを守るつもりだったけれど。


 だけど。


 ほんの少し。

 門の少しだけだから、いいかな?

 今だけ、甘えても神様、罰は当たらないでしょうか。


―――――貴方の命だけは、何があっても絶対に守るから。








 魔物に近づき、初めにラヴィーシャが感じたのは、その強大な魔力だった。

 淀んだ、それでいて、得も言えぬ高貴な気配がそこには漂っている。


「これ以上は!」


 小さく、だがしかし鋭い口調で、慌てた様子で隠れていた最前線の斥候部隊の一人が体を張ってラステッドの馬を止めにかかる。

 その様子にラステッドが一度馬を止めるが、顔はラヴィ-シャに向けている。


「どうだ?」


「・・・降ろしてください。」


 その言葉に、ラステッドは斥候にラヴィーシャを渡し、迅速に、魔物を刺激せぬよう素早く馬上から二人とも降りる。


 ラヴィーシャは、ただ魔物に目を向けじっと観察している。

 その様子に、ただラステッドは黙る。

 もとより、ラステッドにとって魔法は管轄外であり、その点においてはこの聖女を疑ったことなど一度もない。

 そして、そのラステッドの様子に、斥候や周囲にいる団員も黙って聖女の様子を固唾をのんで見守っていた。



 一方で、ラヴィーシャは不思議な感覚に困惑をしていた。

 神殿では魔物を『穢れた生き物』と教わる。

 神の理から外れた、生きていないモノ達。

 殺して、自然に返してあげることが義務とされ、放っておけば雪だるま式に増えていく()()


 実際、今まで何度か魔物を目にしたが、どれもその穢れた生き物というに相違ない生き物だった。


 だが、目の前のこの生き物はどうだろう?


 初めて見る、細長い生き物になる。全身が鱗で覆われており、前肢が2本、後肢が2本。ドラゴンの様な精悍な顔つきをしているが、体の形が全然違う。乳白色の鱗は傷つきながらも今だ美しい色を湛え、その目は既に何も写していない様子なのに、敏感に魔力や気配を感じ取っている。

 今は、突然やって来た、特に魔力の大きいラヴィーシャの動向を警戒しているのがありありと分かる。

 その巨体には羽根や体に大きな傷を抱え、じくじくと傷口から赤い色がにじむのが薄暗い白の団の篝火からも分かる。

 。


 満身創痍。


 いつ・・・いや、既に事切れていてもおかしくない程の怪我なのに、その魔物はどこまでも全力で生きようとしていた。



 その気高さ。



 この子は本当に魔物なのだろうか?


 そうラヴィーシャは思う。


 淀んではいるが穢れた気配がないのだから、おそらく分類上魔物は正しくないだろう。


 今は人が見る事の無くなった、力ある美しい()()()()()()

 そうとしか言いようがなかった。


 これは、魔物ではなく、生き物としか言いようがなかった。



 ああ。


 何て綺麗な、生き物なんだろう。



 そう、ラヴィーシャは思う。

 いかに、今際の際にいても、どこまでも真摯に生きようとするその姿勢に。

 ラヴィーシャの心は打たれた。


 その傷を癒してあげたいとさえ思うが、獣は魔力も生命力も枯渇しかけで、傷は癒えても、恐らく助からないだろう。ラヴィーシャが癒すことで、本質的な体力や生命力を削り、この生き物の止めを刺す可能性も高い。


 そして、何よりこの誇り高い生き物が、自分の癒しを良しとするような気もしなかった。


 ならば、と。

 ラヴィーシャはゆっくりと大地に座り、座禅を組む。

 自分の動向を注意深く見守る生き物の視線を感じながらも、自らの目もまた、この白い高貴な生き物から逸らさぬまま。




 ただ、自然のまま、自然に逝けるように。




 もし自分がこの誇り高い生き物だったら、きっとそう望むだろう。


 これまでの段取りや小手先の物、全てが吹き飛び、ラヴィーシャは聖結界をそのまま張った。

 ただし、内と外は逆向きの方向で。

 この生き物を守るように、生き物はいつでも望む時に出て行けるように。

 そして、この生き物の死を邪魔する魔物から身を守るように。


「これは・・・。」

 ラステッドが呟く。

 魔法が使えぬとも、魔力があり、勘が鋭いラステッドにはラヴィ-シャが何をしたのかがわかったのだろう。


「私はこのまま、この場でこの子を看取ります。刺激しないために団の包囲網をあと10Mは下げてください。後は卿にお任せします。」


「とんだ、じゃじゃ馬だ。」

 ラステッドが笑う気配を感じたが、特にラステッドは文句も言わず、気配が遠ざかるのを感じた。

 何やら後ろで指示を出している様子だが、後はラヴィーシャは聞いていなかった。

 ラステッドに自分の意思は伝わったので、きっとその様に采配してくれるだろう。


 ラヴィーシャは何の憂いもなく、この生き物と向き合う。






 ――――あなたは、独りで死ぬというのに、どこまでも誇り高いのね。


 心の内でそう問う。

 前回、自分が死ぬ時はどうだっただろうか?


 ただ、ただ虚しかった気がする。

 大地を耕し、ただ愚直に生きる事すら許されず、力あるものに蹂躙される。

 それが自分への罰だとも思ったけれども。


 不本意な死を遂げようとしているのに、この生き物のように、今度は誇り高く自分も死ねるだろうか?


 そんな事を思いながら、ラヴィーシャの心がただ凪いでいるのが分かる。


 過度に心を寄せすぎるのでもなく、ただ有るがままを見ている。



 初めは不審そうにラヴィーシャや結界をみていた獣も、ただ凪いだ状態でそこに在るラヴィーシャをそのうち気にしなくなった。いや、弱り知覚が出来なくなっていっただけかもしれない。


 それでも、ラヴィーシャはただ聖結界を維持していた。


 徐々に弱り、喪われていく獣を、ただ見ながら。



 結界を張り始めてから数時間後、ふと気づくとラステッドが側にいることにラヴィーシャは気が付いた。

 ラヴィーシャに気を使ってだろう、二歩、自分の斜め後ろで、彼もただ自分の側に在るだけだった。


 それだけの事が。

 たったそれだけの事が、ラヴィーシャの胸を温かくする。

 共に生きる誰かがいるという事は、得難い幸福を味合わしてくれるのかもしれない。

 それが、命を懸けた戦場であるならば、なおの事。

 そんな気持ちをただ感じるまま受け止め、静かな心持でそのまま魔物と向き合い続けた。


 獣が事切れるまで、実に12時間ほどかかった。

 元より強大な結界を張ったわけではないが、それでも12時間以上規模が小さいとは言えない聖結界を薄く張り続けたラヴィーシャは、獣が完全に事切れた事を確認した後、「終わりました」と、一言言い意識を失った。

 一睡もせずに魔法を使ったから当たり前であるのだが、周囲は大いに焦った。





 ※


「終わりました。」


 不意に、突然立ち上がり、こちらの方を見てそう言ったラヴィーシャは、そう一言告げた。

 そのままグラりと体のバランスを崩したので、何とか側にいたラステッドが受け止めたのだが、なんていう事はない。抱き留めたラステッドの腕の中で、ただスヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。

 10の子供が一睡もせず、12時間以上も大きい魔法を使い続けたのだ。

 弱って当然である。むしろ、良くここまで魔力を行使で来たものだと思う。


 日は一度完全に上り、すでに再び沈みかけていた。

 王都から宮廷魔導士も何人か到着しており、後の処理は当初懸念していたより実に楽だ。

 力ある餌を食いたいと寄って来た、有象無象の魔物の数は膨大だった。だが逆に考えれば、効率よく近辺の間引きができ、通常業務の先取と思えば負担は多少あれど、苦痛は大したことはなかった。

 ただ、怪我人が非常に多くなったのに、ラヴィーシャの癒しがアレを抑え込んで使えずに困った位である。

 聖女は実に自分が規格外の存在であるかを、分ってはいない。


 一方、大型の魔物が現れた知らせで王城は一時パニックに陥ったが、聖女が魔物を抑え、静かに死ぬ時を待っていると聞くと、途端に日和った。時間が経つにつれ魔物を一目見たいと馬鹿な事を言い出し、青の斥候を差し向けてくる。

 辟易したラステッドが「では自分で持って帰れ」と、斥候の襟首を捕まえて魔物の側に連れて行けば、悲鳴を上げて斥候は逃げて行った。

 それでも、ラヴィーシャと魔物の倍以上もある距離までしか連れて行っていないのであるが、下手に血筋が良く魔力が高い分、あの生き物の存在力に()てられるのだろう。


 次にやってきたのは赤である。

 流石に近衛であるので、魔物の魔力程度では中てられはしないが、その分性質は悪い。

「王のご命令です」という権威を振りかざし、魔物をこちらに渡せと暗に脅しをかけてくる。


「生きて連れて帰る自信がないのなら、完全に死ぬまで待て。中途半端に刺激し、最後の大暴れなどしたら、お前らが責任を取れるのか?それにあんな巨体だ。剥製にするなり何にするにしろ、今から下準備をした方が良いのではないか?」

 などとラステッドが言えば、死ぬのはまだ時間がかかるだろうと巨体を運ぶ宮廷魔導士への連絡や、剥製にした方がいいのか、王にどう奏上かなどと現実的な相談をしている。

 リアリストな分、性質は悪いが話は通りやすかった。

 もしくは、結界を張り続ける聖女を押しのけて獲物を横からかっさらう度胸がなかっただけしれないが。



 ()()が完全に死に、ラヴィーシャが倒れた後も問題は山積みであった。

 浮かれる宮廷魔導士と、赤の団をせっつかなければならない。


「魔物がわんさか押し寄せている。今は我々が全力を持って抑えているが、白の団が引き上げたらお前らはここを抑えられるのか?」


 そう言えば呑気に魔物の処理方法などを話していた者共が慌てる。

 赤は平然と「白の団がそのまま抑えればいい」などと言うが、全団員を既に17時間以上も不眠不休で働かせているのである。昨日から寝ても居ないし、そろそろ手においかねる。赤も居るのだから大丈夫だろうと言うと、今度は赤が慌てる。いかに精鋭部隊と言っても、赤は圧倒的にその人数が少ない。青の3分の1程度、白の10分の1程度しかいない。

 よって数で押し寄せてくる魔物相手には消耗戦、物量戦となれば圧倒的に赤には分が悪かった。


「既に昨晩から17時間は休んでいない。飯も食ってないし、寝てもないが、そろそろうちも限界だ。めぼしいのは粗方狩ったが、夜になるしお代わりがくるかもな。」

 などと意地悪くラステッドがニヤリと笑えば、更に赤も魔導士たちも慌てる。


「急いで王城に転移させるしか!」

「しかし、まだ準備が整っていない!」

「万全な態勢じゃなければどんな欠損が起こるか分からない、あと数時間は欲しい。」

「あれだけ時間があったのに、まだそこからなのか?」

 などとラステッドが嫌味を言えば、双方押し黙る。

 高位の魔物を舐めていたわけではないが、それ以外の要因を失念していた。


 否。

 無条件に白の団が全ての雑務を引き受けて当たり前、という暗黙の認識が赤にも魔導士達にもあった。これが相手が平民であるのなら、更に無茶ぶりすれば話が済む。だが、相手は爵位持ちで影響力も高いラステッドである。いかに近衛に貴族が多いと言えど、大概高位~中位貴族の次男以下が多く、現実的権力としてはラステッドの方が圧倒的に高い。自分達は爵位があったとしても1代限りであることが殆どであるし、そもそも領地を持っていないものが圧倒的に多かった。そして普段であればそれが通ったかもしれない。だが既にラステッドを自分達よりも大幅に酷使させているのに、あまりに度を超えた要請はし辛いのが現実であった。

 しかも、後は我々の仕事だと啖呵を切っておいて、今更出来ぬとは言い難い。

 だがしかし、このまま白に帰られても死ぬ未来か、良くて犠牲を多く出す未来しか考えられなかった。理想としては白が自主的に後始末をしてくれ、獲物は全部よこせと言いたい所であるが、言えぬという事も分かる。この時点において、獲物に気を取られ過ぎるあまり、事前に白の団側の委細を確認しなかった赤と宮廷魔導士の手落ちであった。

 黙りこくった赤と宮廷魔導士、双方の様子を見て、ラステッドはため息をつく。


「いくらなんでも白も戦場も舐めすぎだ。人を頼るなら最低限の礼節を弁えろ。それが嫌なら実力で(てめえのけつは)何とかしろ(てめえで拭け)。」


「そんなつもりは・・・。」


「リュージュ。包囲網を下げ、1,2を1刻休ませろ。3はそのまま後ろに下がり続行。その間4,5で何とかしのげ。1刻後は3と交代させろ。」

「ハッ!」


 そして、ラステッドは再び赤と宮廷魔導士を見る。いや、視線で射貫く。

 死地を越え、現場で鍛えられた男の目線は、彼らに緊張感を与えるのは十分だった。


「そちらが手柄を横取りするのだから、せめて最低限戦え。日が暮れてから正念場だぞ。今まで倒した魔物の死骸が撒き餌になる。死ぬ気で働かんと、ここで死ぬぞ。魔導士はなるべく間引いた魔物の躯を封印しろ。赤はありったけの団員をよこせ。ここが正念場だ。」


 しかし聖女がいるなら、準備が整うまで聖結界でなんとかなるのでは!

 と、なおの事言い募る赤の団員を冷めた目でラステッドが見る。


「お前、10の子供を寝ずに1日中働かせ、これ以上まだ叩き起こして働けと言うのか?」


 聖女が万が一にでも死んだら、赤と宮廷魔導士にに酷使されたからだなと是非奏上申し上げよう、と皮肉気にラステッドは笑う。


「聖女様におかれましては、あれだけの規模の魔術を展開され続け、仮に起きたとしても魔力は殆ど残ってはいらっしゃらないでしょう。宮廷魔導士はその様な非効率的な提案はいたしませぬ。」

 流石に魔力を扱うものに、聖女がどれだけ自らを酷使したかくらいは、宮廷魔導士側でも分かる。万が一、言質などを取られ査問会などで責任を問われれば、手柄が取れても面倒な事この上ない。また、国教である神殿を敵に回すという事は、致命的でもある。

 今回の発言は自分達(宮廷魔導士側)には関係ないとばかりに、宮廷魔導士側の責任者がそう言い、赤の団を裏切る。


「見た所白もかなりギリギリでしょう。メルベク卿の仰ることも一理ございます。ここでこうしていがみあっていても仕方ありますまい。我々の目的はみな同じ。王都が無事であり、かつこの類まれなギフトを王の願う様に無事送り届ければ良いのです。赤と我々が半数は魔物の間引きに協力し、残りでこの遺骸の搬送の手配を全力で整えればよろしいでしょう。いかがですかな?」


「・・・異論ない。」


 そこが双方の妥協点となった。









 ※


 ラヴィーシャが深い眠りから覚めると、全てが終わった後であった。


 目が覚めた場所は、神殿の、実にほぼ2か月ぶりに戻って来た自らの部屋であった。


 後で神殿の者に聞いた所によると、自分は倒れてから3日もの間、眠りこけていたらしい。

 前日寝ていなかったせいもあったが、これまでにない過剰な魔力の行使が、幼い体に大きな負担となったのだろう。


 結果的に、白の団の死者は、魔物の毒などで亡くなった者が数名。

 他は皆ケガ人で、神殿から癒しの者が派遣されたので事なきを得たという。


 あの恐ろしくも美しい生き物の遺骸は王都に運び込まれ、王に献上されたのだという。

 解体され、その皮は今後の教訓として、そして王国の権威の象徴として剥製にされるのだという。

 珍しい生き物に宮廷魔導士や研究者などが喜び、赤の団は名声を手に入れた。


 そして、ラヴィーシャはラステッドの他、慣れ親しんだ側近たちによって送り届けられたのだという。


 そのまま白の団は現場へと取って返し、あの魔物の遺骸のせいでいまだに寄ってくる魔物を間引いている任務を続けているのだという。


 フォルトゥーナ卿からはお褒めの言葉を賜った。





―――何を思えばいいのだろう?



 そう、ベッドの上で、ラヴィーシャは思う。

 全ては終わった・・・様な気もする。


 慣れ親しんだ白の団との別れはもっと寂しさや哀しさに満ちているかと思っていたが、実際は寝ている間にいつの間にか日常に戻ってきてしまった。

 白の団に今更行く名目もない。


 けが人はどんどんと神殿に運び込まれており、ラヴィーシャも数日休めば後は神殿業務に戻る事を義務付けられている。

 今までが危機という名目で、特別待遇で許されていただけなのだ。


 これまでは良かった。


 人々を救いたい。

 大事な人を守りたいという明確な目標があった。


 だけど、これからは?

 事は既になされてしまった。


 自分のやるべきことは終わった。

 ひとつ気になるのは、これで前世の罪を、少しは(そそ)げただろうか?

 最終的にすべてに道筋をつけてくれたのは、やはりラステッドだった気がしないでもない。

 自分はただ、あの綺麗な魔物を看取っただけだ。


 ふと、窓の外を見る。

 日がまだ高く、冬の低い日差しが、柔らかく中庭に入り込んでいる。

 自分の部屋の景色はこのような様子だったのか、などと今更ながらに思う。

 まだ、魔力が十善に戻らず、ベッドの上で休むことを義務付けられている。

 本を読むような気力もなく、気はそぞろなのに、どこかぼんやりとして集中力に欠ける。

 遠くに、誰かが祈りを上げる声が聞こえる。

 それをボンヤリ聞きながら、ラヴィーシャは思う。



 ・・・・ああ、なんて一日は長いのだろう。



 齢10にして、ラヴィーシャは既に燃え尽きていた。




 ※


 ラヴィーシャは気づけば1つ歳を重ねていた。


 燃え尽きたラヴィーシャは、自分のラベルである『聖女』に違和感を覚えつつ、ただ毎日の業務を淡々と行っていた。

 周囲はあいも変わらず『聖女様、聖女様』と慕ってくれる。いや、魔物災害の危機を回避した事は平民の間でも話題になっており、ラヴィーシャの名声は更に上がっていた。しかし以前には気にならなかったソレが、最近のラヴィーシャには気になるようになっていた。

 自分は別に『聖女』という訳ではない。

 ただ単に、やりたいことをやる為に、聖女という職業に就いたのだ、という様な意識だった。ところが、周囲はそうは見ない。さぞや慈悲深い人物であろうと、胡麻を擂ったり、利用しようとするものも多くあらわれるようになった。今までは魔物災害の事だけ考えていればよかったが、考えることがなくなったせいか、そういった者が鼻につくようになった。


 事件後、白の団員にせめて別れが言いたかったが、その機会もないまま。

 仕方なしに、手紙をしたためていくばくかの菓子折りと一緒に、神殿の使いの者に持って行ってもらった。


 ラステッドが会いに来てくれる、という事も無かった。

 白の団は遺骸によって増えた魔物で忙しくしていたらしい。


 時折運ばれてくる白の団員のケガ人と軽口を叩きながらも、彼らは気さくに白の様子を教えてくれた。

 中には前世で見慣れた仲の良かった団員などもいた。


 彼らが生きている。


 それだけが、ラヴィーシャに自分が生きているという実感をひと時持たせてくれた。



 一見、今まで通りの『聖女様』をやっているつもりだったが、ラヴィーシャが燃え尽きているのはフォルトゥーナ卿にも分かっていたのだろう。

 ある時、卿の部屋に呼び出しを受け、ラヴィーシャはため息をつく。

 今度こそお叱りを受けてしまうかもしれない。自分の態度があまり良くなかったのは分かっている。


 以前の様に熱心に動くわけでもない。


 ただ、生きて聖女の役割を果たすだけの人形の様な自分だったという自覚はある。


 それでも、ダラダラとここまできてしまったのだ。

 むしろ1年も忍耐強く自分を見守ってくれたフォルトゥーナ卿に感謝をするべきだろう。


 謝ろう、とそうラヴィーシャは心に決め、腹をくくり、呼ばれた卿の部屋に向かう。

 使いの者がフォルトゥーナ卿部屋付きの警備の物に話を通しているのを聞きながら、ふと、『以前この部屋に来た時はラステッドが中に居たな』という事を思い出す。


 彼は元気だろうか?

 いや、考えるまでもなく、きっと元気だろう。


 彼の明るさ、快活さ、そして、哀しさ。

 そういった人間らしい感情がとても愛おしく思い出されるが、彼と会って話していた時間は、もう遥か遠くの事の様にラヴィーシャには思えた。それこそ、前の生よりも現実感がなく、あの出来事は本当にあった事なのだろうか?という現実感のなさがつきまとう。


 そんな事を思いながら、卿の部屋に入ると、相変わらずふてぶてしい狐を思わせるフォルトゥーナ卿が、以前のままにそこに居た。


「ご無沙汰しております、フォルトゥーナ様。卿のお召しと伺い馳せ参じましたが、どうなされましたか?」


「ラヴィーシャか。今日はそなたにひとつ頼みがあってな。」


「頼み・・・ですか?」


 おかしい。

 予想していた話題と違う。


「フォルトゥーナ卿が私などに頼みとは、明日槍の雨が降るかもしれませんね。」

 つい、軽口を叩いてしまうが、脳内は忙しくめぐる。

 おかしい。

 いかにダラけて過ごしていたとしても、最低限の耳目は注意を払っていたはずだ。

 ここの所、政変も、神殿の権力構造にも動きはなく、些末な事は多かったが、フォルトゥーナ卿が直接手を出さなければならない様な事はなかった・・・はずだ。


 誰それが怪我をしただの、大病をしただの、などと言った話もない。

 いや、貴族ならば隠すという事はある。

 癒しの依頼ならまだいいが、政治的な事だったらば完全にラヴィーシャは出遅れた事になる。


 顔では笑顔を作りながらも、自分はそこまでだらけていたのかと、内心焦りまくっていた。

 そんなラヴィーシャの心の内を知ってか知らずか、フォルトゥーナ卿はラヴィーシャの戯言など無視して鷹揚に頷き、人払いをした後、「入ってこい」と続きの控えの間へと声をかける。


 卿の呼びかけに応じてガチャリとドアを開け、入ってきたのは一人の青年だった。

 まだ、若く、大人になったばかりの男性だ。

 兄を思わせる髪の色で・・・


 そして顔立ちは、今まで見た事のない程、大人になってしまった兄だった。


「どうして・・・?」


 そう、小さくラヴィーシャが零す。

 どうしてお兄ちゃんがここにいるのだろう?


「この者は魔力も豊富で勤勉であり、市井の出でありながら読み書きもできてのぅ。その才能を認められ、とある騎士の家に養子縁組をしたのだが、その後その家に実子の男児が生まれてのぅ。」

「は?」

 そんな話、一度も聞いたことはなかった。

 いや、兄の才能では分からないわけではないけれども。


「ならば、聖女付きの神殿騎士になりたいと、この者が所望したのだ。」

「は???」

「神殿騎士ならば世俗や跡目争いには巻き込まれぬし、養子先の家の名誉にもなるからの。」

 ふぉっふぉっふぉと、フォルトゥーナ卿が笑う。

 笑い方はいつもと全く同じだが、目は雄弁にものを言う。

 子どもらしくないラヴィーシャが今までにない程、驚き慌てふためいているのを見て、完全にしてやった!と思っている。

 卿は存外子供っぽく性格が悪い!

 そう、ラヴィーシャの中では卿の評価を下方修正する。


「聖女に命を助けられたのだそうだ。」


「私は・・・」


 何もしていない、という言葉が後には続かなかった。


 兄には何も言わず、家を出た。

 きっと反対されるだろうと思ったから、だまし討ちの様な形になった。

 怨まれていると思っていた。

 それでも、優しい兄はきっと小さなゼノを守り、家を、父を守って生きてくれるだろうと信じていた。

 あとは、自分が誰に知られなくたって、家族の命さえ守れれば。


 命さえ守れれば、きっと強く逞しく、生きてくれるだろうと。

 そう信じて、ここまできて。


「その恩義に報いたいという。なかなか有望な若者だ。お前に預けるから、目をかけてやってくれ。」

「でも・・・。」

「そして、わしは急ぎの仕事があってな。悪いがそう・・・10分ほど調べ物をせねばならぬ。悪いが、少々この者の相手をしてやってくれ。」

「卿!」


 笑顔だけはいつもと全く変わらずに浮かべながら、なんていう事は無く自然にフォルトゥーナ卿は続きの間に姿をくらました。

 聖女が騎士とは言え、女性どころか男性と二人きりになるなどあってはならぬ事であるが。


「ラヴィーシャ。」


 そう、名を呼ばれラヴィーシャは震えた。

 兄は何を思って、こんな所に来たんだろう。

 いや、自分がまた兄の人生を歪めてしまったんだろうか。

 どこまでも自分は兄にとって厄介者だったのだろうか。


 そんな事がグルグルと混乱した脳裏をよぎる。


「父さんと、フォルトゥーナ卿に聞いたよ。」

 半ば脅して聞き出したんだけどね、と兄は何てことない様にとんでもない事を言って笑っている。

 今のは自分の聞き間違いだったのだろうか?そう思いながら呆然と兄を見ると、


「漸くここまでこれた。」

 そう言って、感慨深げに兄が言う。

 そして、記憶に残っている兄の声よりも随分と低い気がする。

 背もラヴィーシャよりも、うんと高い。


「フォルトゥーナ卿が、今だけは兄に戻っていいって少し時間をくれたんだ。ラヴィーシャは今まで沢山頑張ってきたって言うからご褒美だって。」


「は?」

 あの卿がそんな可愛げがある事を言うのだろうか?

 いや、これも手練手管の一つだろう。飴と鞭で上手く人を使う、卿ならではの人心掌握術で・・・



「今まで沢山頑張ったね。」

 ふわっと、兄の香りがした。

 ああ、そうだ。兄はこんな香りで、いつも優しくて。

 気付くと兄の手の平が自分の頭の上にあった。

 そうだった。兄の手の平が自分の体温よりいつも少しだけ温かくて。

 時間よりも、日々の忙しさの向こうで薄れてしまった兄の記憶が、不意に色鮮やかに蘇ってくる。

 私の、最後の、味方。


「今まで、一人っきりにしてごめんね。」

 遅れてしまったけど、ラヴィーシャが背負っている物を一緒に背負うから。

 だから、一緒に頑張ろう。

 そう、兄が言った頃には、ラヴィーシャは兄の胸の中に飛び込んでいた。


「お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!!!」


 私は全然一人じゃなかった。

 独りで、全てを守るんだと思っていた。

 メルベク卿も、白の団も、街も、家族も全部。

 でも、いつも一人では手の隙間から零れて、その度に誰かが助けてくれた。

 違ったのだ。


 自分は全然強くなれなかった。


 何も言わないで家を出たのに、兄ですら。

 私を恨まず、思いを寄せてくれていた。


 私は一人だったけど、独りじゃなかった。

 兄はずっと私の事を思ってくれていた。


 私はずっとずっと守られていて、心も守られていたんだ。



 これでいいのだ。



 と、思う。

 一人でも、独りじゃないから。

 寂しくても、自分を想ってくれる誰かのために、生きていける。


 自分が『聖女』であることは、関係がなかった。

 確かに神殿(ここ)は自分らしく生きていける場所ではないけれど、それでもこんな自分でも役に立てることがある。

 誰かを癒し、その人が日常に戻れるのは嬉しい。

 自分が()()()()()ではなく、自分が()()()()()、の方が大切なのではないだろうか。


 『聖女』なんて、本当は自分の柄じゃないけれど、それで自分が損なわれるわけでもない。

 そして、こんな自分でも、こんなに愛してくれる人たちがいる。



 きっと、誰だってそうなのだろう。


 自分にとっては生きるのに不本意な場所だったとしても、皆、その場で精いっぱい生きていくのだ。


 誰かを大切に思いながら。愛しながら。


 谷底に間違って咲いてしまった、野辺の花の様に。

 慎ましく、誰にも見られることなく、でもきっと美しく。


 それだけで、一人で居たとしても、きっと心は独りじゃないのだ。




 あの気高い美しい獣は、誰かを愛していたのだろうか?


 不意にラヴィーシャはそう思う。

 兄の胸に縋って泣きながら、そんな事が気になった。



全然関係ない話ですが、作業用BGMを見つけるのが毎回難しく、大概雨の音を流し続けるとかそんな感じになりがちなのです。


しかし、ラヴィーシャ回は新居昭乃氏メドレーがハマりました。

よく考えたら、氏は転生物の走りである(と私は思っている)ぼく地球(ぼくたま)の曲をを多く手掛けていたなぁと今更ながら思い出したりしました。

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