2周目 2 譲れないもの
大変遅くなりました(´Д⊂ヽ
おかあさんが死んで、それからは驚くほど変化はなかった。
お父さんはギャンブルもやらず、毎日同じ様に仕事に行く。
お兄ちゃんは家の事をやってくれる。勿論私も手伝う。
ゼノは体調が悪い時も多かったが、前よりも負担が無かったのか比較的前よりは元気そうだ。
でも、思う。
うちは平和になった。
でも、白の団はどうなるのだろう?
やはり、魔物が大量発生して大好きだったオジサンたちは死んでしまうんだろうか?
お父さんは今の所頑張って仕事に行ってくれている。
時折寂しそうにするけれど、私やゼノがちょこちょこ動くのをみて幸せそうにしてくれる。
きっと、おかあさんを思い出してくれているのだろう。
お兄ちゃんが白の団に見初められれば、お兄ちゃんに情報を流して魔物を見つけるのは話は早いのだけれども、きっと、お父さんはお兄ちゃんの白の団入りには反対するだろう。それに、私だってお兄ちゃんに死んでほしくはない。
でもだからといって、白の団の人に死んでほしくもないのだ。
そして、この村も魔物の大量発生で壊滅したはずだ。
結局の所、あの出来事を未然に防ぐには魔物の死体を誰かが見つけるしかない?
それはとても恐ろしい事だ。
以前の私なら、偶然を装って見つけることはできるが、今は唯のか弱い幼女。
魔物が大発生したのは、私が10歳の時の事のはず。
今の私はたった5歳。
過去が変わってしまったから多少前後があるかもしれないが、学園でも腐れ貴族のせいで魔力がありながら魔法がとんと学べなかった。
激しくあの貴族に憎悪が湧く。
でも、だからといって、ここで諦めてなるものかと思う。
多分、自衛できる手段は魔法が一番だ。
そして、平民でも実践的な魔法が学べるところは、神殿しか私は知らなかった。
「ダメだ。」
お父さんに相談したところ一蹴された。
魔法を学ぶために、神殿に行きたいとお願いしたところ、全力で拒否されている。
お父さんの気持ちは分かる。私でも反対する。
「お願い、お父さん・・・。」
涙目になって、上目遣いでお願いする。
「うっ・・・ダメなものは駄目だ。俺の稼ぎだけじゃ少ねぇのは知ってる。だけど神殿何かに行っちまったら満足に結婚できるかもわからねぇ。お前の魔力が大きい事は爺さんから聞いてるが、それとこれとは話が別だ。あそこは貴族の巣窟だ。貴族に自分の娘が好き勝手にされてたまるか。」
そう、お父さんが啖呵を切る。
お父さんにそこまで大事に思ってもらっているのかと思うと、とてもうれしい。
でも・・・
「あのね、私夢をずっと見るの。」
「夢?」
「お母さんが死ぬ前もね、私夢を見てた。お父さんが飲んだくれて、おかあさんを娼館に売ったって嘘をついて、お爺ちゃんの所にお母さんを養生に出して、お父さんがいなくなっちゃう夢。」
お父さんが絶句する。
少なくとも、そういう可能性もあったことに気づいたのかもしれない。
もしくは、本当にその計画を立てていて、おかあさんに止められたのかも。
「だからね、私頑張ったの。お父さんとおかあさんが幸せになれるように。そしたら、残念だけどおかあさんの病気本当になっちゃった。でも、おかあさんとお父さんが愛してくれているの分かったから、私とても幸せだった。お父さんも、おかあさんが愛してくれてるって知ったから幸せでしょ?」
そう言う私に耐え切れなくなったのか、何を言ったらいいのか分からないからなのか、お父さんはぎゅっと私を抱きしめる。
「最近ね、五年後の夢を見るの。」
「五年後・・・?」
お父さんが落ち着いたころ合いを見て、声をかける。
「五年後に人がいっぱい死ぬの。」
「おまえ・・・!」
「魔物が大発生してね、この村もね、なくなっちゃうの。お兄ちゃんもゼノもお父さんもいなくなるの。私そんなのやだ。」
本当はゼノは病気でいなくなるんだけどね、少なくとも今のところお兄ちゃんとお父さんが居るおかげで病気は安定している。このままいってほしい。
「私はそれを止めたい。だから、本当は行きたくないの。ずっとお父さんとお兄ちゃんとゼノと仲良くここに住みたい。でも、みんなを守りたい。今いくしかない。」
お父さんは何て言ったらいいのか分からないのだろう。
お母さんが死んだ時みたいな顔をして、私を見ている。
「お兄ちゃんもお父さんがいなくなって、白の団に入って死んでしまったの。もう嫌なの。でも、その原因を今なら取り除けるかもしれない。だから―――」
ギュッっとお父さんが私を強く抱きしめる。お父さんの温もりがあたたかくて、何故だか涙が出そうになる。
「わからねぇよ。・・・お前が何言ってるか全然わからねぇ。お前はタダの俺の娘だろ?そんな聖女みたいなこと言い出しやがって。ばかじゃねぇのか!?お前はただの鍛冶屋の娘で、たまたま母さんが綺麗だったから美人なんだ。調子に乗るな!お母さんに感謝して今まで通りに生きていればいいんだ。そうしたら俺が・・・」
「お父さん。」
弱いお父さん。
家族を大好きなお父さん。不器用なお父さん。
昔は嫌いだったお父さん。
でも本当のお父さんを私は見ていなかった。
どのお父さんも、今では大好きだ。
「大好き。」
お父さんは泣いていた。
「お願い、今度は私に皆を守らせて。」
そう、耳元でささやくとますます号泣する。
「お兄ちゃんも、魔力が多い。私も魔力が多かった。お母さんにはないから、お父さんの血ね。」
そう言うと、お父さんがさらに強く泣く。お爺ちゃんには魔力はあるけれど、おかあさんには遺伝しなかった。でも、お父さんは魔力が結構多い。
「お父さん、私ね、嬉しいの。」
「嬉しい?」
そう、不思議そうにお父さんが顔を上げる。
「だって、おかあさんの事は力が無くて守れなかった。力があっても私がお医者さんでも守れなかったかも。でも今度は、お父さんとお兄ちゃんとゼノを守れるかもしれない。可能性があるなら、私頑張ってみたいの。」
お父さんの涙がこぼれる。キラキラ光ってとても綺麗だ。
「私がみんなを守る。だから、お父さんはお兄ちゃんとゼノと、私の心を守って?だから私を神殿に行かせてほしいの。お願い。」
――――――――――――
その日、神殿にちょっとした騒動が持ち上がる。
年端も行かぬ幼い娘が、大神官ウルヘンテ=フォルトゥーナ卿に会わせてほしいと面会申請をしてきたのだ。
フォルトゥーナ卿は第一王子派の穏健派であり、市政でも善行を施しており、比較的市民に親しまれている。
ただの、ちょっと変わった熱烈なファンであるとその時は大した事もなく受け止められた。
当然面会は却下されたが。
しかし、そこからが異常だった。
幼い娘は面会の却下を予想していたのだろう。
花の様に綻んで笑うと、「それでは、神がフォルトゥーナ卿に会わせてくださるまで、ここでお待ちしておりますね。」
そう言うと、神殿に居座ったのである。
そこからが大変だった。
幼い娘は、テコでも動かない。
神殿の入り口でひたすら礼拝をしながら、祈りを捧げている。
建前上祈りをささげているので、神殿も排除できない。
信者の目もあり、稚い熱心な信者の幼女を強制排除するのも外聞が悪い。
そして、驚いたことにこの娘は三日三晩何も口にせず、まだ春の口で肌寒い中、冷たい神殿で大人でも音を上げる様な祈りを捧げ続けた。
こうした行は確かに神殿の中にもある。
だがそれは、体調が万全な成人男性が行っても体調を崩すようなもので、まだ5歳かそこらの幼女が行う様なものではない。明らかに命がけである。
神殿の者は戦慄する。
ここで祈りをささげる者に死者が出るなど不味いにもほどがある。
さりとて、こんな方法を取る事で大神官に気軽に会わせたとなれば、そういう無茶をするものが今後、後を絶たなくなる。
だが、何より娘の姿が鬼気迫っていた。
あまりに不気味過ぎるほどに。
とても五歳程の幼女には見えない。
何がそこまでこの幼女を駆り立てるのか。
意味が分からぬその気迫に、神殿関係者誰もが生きた心地がしなかった。
「そのような事をしたところで、フォルトゥーナ卿には会わせられん。」
結局、フォルトゥーナ卿の子飼いの部下であるフルミエリ卿が娘の説得にあたる事になる。
信者に聞かれると体裁が悪いこともあるので、幼女には”別室に通す”と言うと大人しくついてきた。
この娘の話の分かり具合も気味が悪いのだが。
「存じております。」
「では、何故そのような暴挙にでるのか。」
これではまるで神殿を脅すようなものではないかと、直接的に娘を責める。
気付いてはいないが、フルミエリ卿はすでにこの娘を成人女性かの様に問いただしていた。
「今しか時間がないのです。」
しかし娘は臆する事なく答える。
「会えなくともよかったのです。私の声が届くなら、この命潰えてもよかったのです。」
「なにがそこまで・・・。」
「5年後の2の月、7日です。」
「はっ?」
「夢を見るのです。王都で魔物が大発生をし、多くの人が亡くなります。特に白の団や近隣の貧しい村は壊滅的な被害を受けます。私はそれを止めたいのです。」
こうして、私が未来を変えるために行動しているので多少前後があるやもしれませんが・・・と娘が語る。
「私が実際フォルトゥーナ卿に会えずとも、今の話は確実に卿に届くでしょう。ですから、私は自分の命を懸けたのです。嘘か誠か、きっと卿は五年後に確かめてくださるでしょう。それなら、きっと亡くなる方々が減るでしょう。それだけで私の命を懸ける価値があるのです。」
「そんな妄言など・・・。」
「私は、三つの時に母がいなくなる夢を見ました。そして、今年、母は病で亡くなりました。」
「・・・」
フルミエリ卿はそんなバカなと口の中ではつぶやくが、その後が続かない。
そんなのは、そんな言葉はまるでおとぎ話の”聖女”の様ではないか。
「妄言ならどんなに良かったことでしょう。ですが、当たれば間違いなく五年後は父も兄も弟もみな死ぬでしょう。ですから、私は未来を変えたいのです。」
「ならば、汝自身は何を望んでいるのか。」
その声は突然した。部屋にはいなかったはずの、もう一人の男が居る。
きっと魔法でずっとこの場にいたのだろう。そんな魔法の存在を聞いたことがあった。
「はじめまして、フォルトゥーナ卿。私はただのラヴィ-シャ。以後お見知りおきを。」
思わず、学園で習ったカテーシーで挨拶をしてしまい、脱水を起こしかけていた体が傾く。
側にいたフルミエリ卿が慌てて体を支えてくれる。ツンツンしているが紳士的な方だ。悪役には向いていない、とラヴィーシャは評価を下す。
「・・・そんなになるまで命をかけるとは、ただの酔狂かと思ったがどうやら本気の様だ。して、もう一度聞くぞ。汝は何を望む?」
それを見ていたフォルトゥーナ卿はそう再び問いかける。希望などはじめから誰も死なない事であるが、卿が言っていることはそういう事なのではないのだろう。ラヴィ-シャ自身の扱いについてか、と算段をつける。
「教育を。」
何も考えずに言葉が出た。
「教育?」
「私は魔力が強いです。今まで直接神様が救ってくれた事なんて一度もなかったです。・・・いえ、一度だけあったかも。それに、ただ滅びを待つのも私の性にあいません。私は自分にできることがあるんだから、神の助けを待つ前に、まず自分で王都を救いたい。」
「傲慢よな。」
面白そうに大神官は笑う。
こちらを見て試しているのだろう。それとも5歳向けの対応なのだろうか。少なくとも貴族よりはずっとわかりやすい。
「それに死地に他人に行けなんて言えません。」
「おぬし本当に5歳かの?」
「夢で15まで過ごしたので、精神年齢はもっと上です。」
なるほどな、と大神官様は頷かれる。
「5年後、このままだと王都に1万以上の魔物が大発生をし、ものすごい数の人が死ぬんです。私はそれを止めたいただそれだけ。教育を施してくれなくてもいいです。でもどうか。」
首をたれる。こんな政治の大物が、たった5歳の平民の話を聞いてくれる、今がチャンスだ。
「穏健派であり、第一王子派の貴方様が第一王子の治世を揺るがすような可能性の芽は放っておくはずがございません。」
「おぬし、第一王子にお会いしたことがあるのかな?」
「第一王子はお会いしたことがございません。第二王子には夢の中の学園でお会いしました。・・・変わった方でしたが、割と、好きです。」
割と好きとな。と、フォルトゥーナ卿が笑う。
タダの平民の小娘が、第二王子を捕まえて割と好きなど不遜にもほどがある。
「良いだろう。だが、条件がある。」
「条件?」
「主が見た夢を余さず我に教えよ。」
「喜んで、猊下。」
今度こそ、文句のつけようのないカテーシーをキメることができた。
・・・この幼女服だとカエル足が丸見えではあるが。
そこから空腹と脱水で倒れてしまい、ラヴィ-シャは3日神殿で寝込んだ。
そして起きた頃には、神から神託を受けた聖女という扱いになっていた。
確かに一般の人と同じ扱いにすることはできないだろう。あくまで、『神殿側が選んで認めた特別な人間』というラベルが必要なのだろう。
そして、そのラベルは自分にも好都合だ。
これから努力次第で人々がついてきてくれたらば、5年後魔物の死体を探すときに非常にいいアドバンテージを取れる。
そして、フォルトゥーナ卿はそこまで考えてくださっているのだと思う。
本当はラヴィ-シャは聖女なんて大層なものになる気はさらさらなかった。ただ、根性が認められて神殿に弟子入り出来て巫女になれればラッキーかな?くらいだった。そして、努力し自力で魔物を探せるほどの魔法を身に付けようと思っていた。まさか神輿の一番上に担ぎ上げられるとは思わなかった。大した根拠もない話なのに、フォルトゥーナ卿は思い切りのいい人物だ。・・・いや、ラヴィ-シャが及第点に達しなければ、適度な功績を作り出し、聖女は神に愛されたので夭逝したと言えばいいだけか。実に貴族らしい考えだと心の中で笑いが漏れる。
「聖女と認定されたからには、おぬしはもう家には戻れぬぞ。」
お見舞いと称して部屋に来た猊下が、おかしそうに笑う。まるでこちらの覚悟を試しているかのように。
いや、実際試しているのだろう。
試したいなら試せばよい。
ラヴィ-シャの心は不思議と凪いでいた。
心をよぎったのは、ベッドの上の母の笑顔だ。
笑って亡くなった母が、何よりもラヴィ-シャに勇気をくれるのが不思議だった。
・・・ああ、おかあさんは死んでも私を守ってくれるのか。
「死に分かれるよりはマシです。夢では家族全員と死に別れましたので。」
なんて事がない様に言う。
それに―――
「私はブーバリス子爵令息にいいように脅され、大事な方を傷つけてしまいました。あんなゲス貴族の手先になるくらいなら、建前だけでも美しい神殿の手先になったほうがまだましです。」
今度こそ、フォルトゥーナ卿は爆笑した。
「あの強欲なブーバリス家に目を付けられるとは、夢とはいえ平民としては運がなかった事よの!」
何が卿の琴線に触ったかはわからないが、信じてくれている様でありがたい。
それとも、卿もブーバリス家には辛酸をなめさせられたのだろうか・・・。
「わたくしは、力が欲しい。そのための魔法の勉強を学園に行く前に平民が学ぶとしたら、神殿しか知りませんでした。神殿が私に教育を施してくださる以上、お約束通り全て夢の話をお伝えさせていただきます。」
そうラヴィ-シャが言うと、穏やかな猊下の瞳が、怪しく光る。
この方も貴族、伏魔殿の一員である。
だがしかし、ラヴィーシャには他に最善手が思いつかないのだ。
どうか、願わくば猊下が自分の利益だけではなく、他者の命を尊重する心をお持ちであられます様に――――。
そう、ラヴィ-シャは願わずにはいられなかった。
※
そこから、ラヴィ-シャは大変だった。
見た事もやったこともない謎の修行を一通りさせられ、毎日精神が擦り切れる思いだった。
特に所作は厳しく求められ、学園で大人しくしていた平民用の仕草は根本から否定される。
聖女が目立たず他者に迎合する様な仕草などあってはならない。
立つべきは貴族ですら時に威圧する様な、それは美しく目立つ所作であった。
幸いにして、『悪女』としての経験が大いに助けることになる。皮肉なものである。
だが辛い日々の中でも充足感はあった。
そして、焦燥感も。
『これで間に合うのだろうか。』
『正しい道に進んでいるのだろうか。』
何度も何度も心の中で問い返すが、明確な答えなど運命の日にしか分からないわけで。
その気持ちを押し流すために、辛い修行や勉強はいい材料となった。
やりすぎて何度か倒れたほどだ。
そんな、ラヴィ-シャの姿勢をみて、当初は聖女に対して不信の眼差しであった神殿関係者も、いつの間にか、また一人、また一人とラヴィ-シャに絆されていった。が、当の本人は全く気付いてもいなかった。興味がなかったと言ってもいい。
ただ次第に馴染んできて居心地がよくなってきたな、と思っただけだ。
ラヴィ-シャが驚くことに、神殿から身づくろい料と称してお小遣いがもらえた。貴族の感覚から言えば清貧といった大した金額ではないのだが、平民の感覚からするとそう安い金額ではなかった。ラヴィ-シャはその半分を実家に使い、残りの半分は身づくろいの最低の費用を除き、いざやという時の為に貯めておく。
一度、猊下に「そんなにアナグマの様に金子を貯めてどうするのか。」と笑いながら聞かれたので、
「運命の日にもし冒険者が必要になった場合、ひとりでもこの金子で多く雇えれば助かるなどあるかもしれません。」
と、答えたら珍しく猊下は黙った。
心配性が過ぎると呆れられたのかもしれないが、万が一の可能性があると思うと、手を尽くさずにはいられなかった。
実家には、猊下を介して時折金子や手紙などを運んでもらった。もちろん周囲には秘密である。
実家からのお返しは受け取れない。
おそらく、父は字が読めないだろうから兄が必死になって覚えるだろう。
前世、学園に猛勉強をして入ったラヴィ-シャは隠していたが、5歳ですでに読み書きも勉学も完璧であった。・・・学園に入学してからは勉強ができなかったが。
「5歳でここまで理解してるととはの。疑ってはなかったが、誠15歳なのだな。」
と、猊下が呟いたのも印象的だった。
こうして、魔法・・・神殿では神に願った魔法は神力となるので、聖法師となるが、ラヴィ-シャは幸いにもこの才能に大きく目覚めた。まず、神殿の中でもっとも評価の高い治癒術に大きな適性を示した。ラヴィ-シャは何でもかんでも癒すのである。
神殿にどんなに酷いけが人が運ばれてきても、稚い幼女が臆する事もなく、率先して血で穢れたけが人に寄り添い、安心させ、たちどころに治す。腕がちぎれかけていようが、はらわたが飛び出ていようが、顔色一つ変えず、笑顔で癒しの術を施すのだ。
これには内心フォルトゥーナ卿も舌を巻いた。いくらなんでも精神が15歳だとしても、肝が据わりすぎている。そして、何故肝が据わっているのかを考え、戦慄する。今まで彼女の話を、話半分の可能性として聞いてきた。だが、少なくともこれから災害が起ころうとも起こらずとも、彼女自身は既に一度本当の地獄をみてきたという事実に気づいたのだ。彼女の様な平民の女が、手足の欠損や大量の血を見ても顔色一つ変えず慣れる様な地獄がこの地に迫っている。この時、フォルトゥーナ卿にとって初めて、彼女の言葉の重みに実感が伴う。この時より、卿は魔法回復薬の備蓄増加を決定する。万が一でも、たとえ被害が10分の1に抑えられたとしても、ラヴィ-シャの言葉が事実ならとんでもない被害になると気づいたからである。資金は幸いにも連日のラヴィ-シャの奉仕活動のおかげで布施がたくさん集まり、その備蓄の増加分を賄いきれるだけあった。
そしてラヴィ-シャ自身も気づいてはいなかったが、白の団にいた時の経験がラヴィ-シャの治癒術に大層役に立っていた。酷いけが人を見慣れていた事と、けが人を落ち着かせなければショックでケガの傷より先に死ぬ事がある事、そして治療の適切な優先順位。命の儚さと尊さ。どれもこれも、白の団のおば様たちに交じって手伝った、あの地獄の様な3日間と、その後の後処理で身についた物だった。あの時零れて救えなかった命が、今ここで救えることが嬉しくて、自然と彼女の笑顔がこぼれる。
その笑顔が、彼女の評判をより聖女へと押し上げていった。
なお、やはり本人は知らぬ話である。
『最近私、聖女の仕事も板についてきたな、やふー!』程度に思っていた。
もとより彼女は職業と手段への意識が強すぎるので、本人にとってはその程度であった。
彼女にとって完璧に癒すのは”当たり前の事”というだけなのだ。自身が女であり、かつ現在は稚い幼女であることを完全に失念しており、他人からどう見えるかなど気にしてもいなかった。
そして、患者が感謝してくれるのも、ただの様式美だと思っていた節もある。
治癒術以外の事もラヴィ-シャは率先して学んだ。
通常の魔法に学園の入試ではなかった語学、貴族的常識や紋章学から魔物の生態学など神殿で学べるものはありとあらゆるものをねだった。何より無料という事が決め手だった。タダのうちに学べるだけ学んでしまおう。それがラヴィ-シャに染み付いた感性だった。所謂貧乏性である。
やらなかったのは房中術くらいだと思うのだが(もちろん神殿に房中術は無かったと思うが)、これはブーバリス子爵令息のおかげであらかた仕込まれている。この人生で使う事はないだろうけれども・・・。大体の学びを終え、少しまともに役に立てる!とラヴィ-シャが自信を持つ頃には、約束の日の2か月前へと迫っていた。ラヴィ-シャは10歳になっていた。
この頃になるとラヴィ-シャは地図とにらめっこをしていることが多かった。
国防の為、通常、精密な地図は一般の入手ルートがない。
しかし、神殿の重鎮であるフォルトゥーナ卿が手を回してくれ簡単に手に入った。もちろん悪用などはしないが、惜しげもなく高価な紙にああでもない、こうでもないと記憶の中の被害を書き留め、地図をシュミレーションし、情報を残すわけにもいかないのでその紙を暖炉にくべるという事をし続けている。
ここにきて、魔法以外はこれまでいくら学んだとしても実地が完全に足りておらず、兵法も、そして魔物学も、実際はどう動くのかとなると教科書以上の事は見当がつかない。ラヴィ-シャには魔物がどう発生するのか、魔物の餌がどんなものなのかも、また、どう兵士を配置したら効率的か、兵站は?金子は?責任は?そういった細かい事が皆目見当がつかない。
やはりこのままでは駄目だ、と思いフォルトゥーナ卿に率直に相談しようと決める。その決めた矢先、件のフォルトゥーナ卿から先に呼び出しがかかった。
何の用かと慌てて卿の部屋に向かうと、部屋の中には卿だけではなく一人の巨躯の男が立っている。見慣れない男だ――――いや、どこかで?
遠い遠いどこかで、彼に似た人を見た事がある。厳つい体とは裏腹に、その見事な黄金の鬣の様な髪。白の団のおじ様たちの噂―――
「リュケイオン=メルベク様・・・・いえ、ラステッド=メルベク様であらせられますね。」
ふわり、と思わずラヴィ-シャは微笑む。
白の団員の憧れの的だった。最後まで殿をつとめ王都を守り切った、男の中の漢―――。
国の中で誰よりも信用できると言わしめた貴族だ。
その、王者の如き風格とは裏腹に、愛嬌のある瞳が驚きで見開かれている。名を言い当てたからだろう。
「驚いた・・・。私はそんなに有名じゃない。ましてや息子と年端も変わらぬ娘に、あんな貧弱な息子と間違えられるとは思わなかった。」
「似ておられますよ。まだ私はご子息とはお会いした事はございませんが―――。初めまして、私はただのラヴィ-シャ。神殿では過分な評価ながら『聖女』の号を賜っております。メルベク卿におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。」
そのラヴィ-シャの不思議な問答に眉を顰めるラステッド。
素直なその様子に思わず父を思い出しラヴィ-シャは軽く笑ってしまう。そんなところは、あの腹黒金髪男とは全く似ていない。もうラヴィ-シャの体感で8年も前の事だが、今ではとても懐かしく思える。
「大変失礼を―――。」
なおも眉を寄せているラステッドに思わず吹き出してしまう。この親子は外見は似てない様で似ているのに、内面は似ている様で似ていないのではないか!まるでアベコベさにラヴィ-シャはどうしても我慢が出来なかった。必死に我慢すればするほど笑いが漏れてしまう。
「ラヴィ-シャ、失礼だぞ。」
さすがのフォルトゥーナ卿もたしなめにかかる。10歳の娘がすることとはいえ、通常の貴族であれば命がなくなっていてもおかしくはない所だ。
「はい、私の不徳いたすところです。卿とご子息があまりに似ていて似ていないので、つい―――。大変失礼存じました。」
深々と頭を下げる。
「・・・私は大概女子供には怯えられる。このように笑われたのは初めてで、どうしていいか分からない。」
怒ってはいないが、大層困惑している様でメルベク卿が愛らしかった。
「お優しい心遣い、誠にありがとうございます。」
綺麗な言葉で、卿の心遣いにし、事実を丸め込むことにする。
特にそれで不服が無いようで、一息つくと鷹揚にメルベク卿は頷く。
事態はひと段落したとみて、フォルトゥーナ卿がメルベク卿と、そしてラヴィ-シャに席を勧める。
フォルトゥーナがメルベクを呼んだ意図など2か月後のアレしかないだろうが、ラヴィ-シャには正直意外だった。フォルトゥーナ卿ならば自分の利益として赤の団か青の団を動かすと思っていたからだ。そこまで考え、自分は大災害を止める事ばかり考え、止めたならば白の団の・・・特に後に英雄と言わしめられたメルベク卿の大きなダメージになるのではないかと考え申し訳なく思う。あの戦いでの最大の功労者が最大に報われなくなる。これほど悲しい事はないのだが・・・人命にはかえられず、やはりその道をラヴィ-シャは選ぶだろう。そして、その手伝いをメルベク卿にさせるのか。なんとも心苦しい。だがやるしかあるまい。そう思う。
「ここにメルベク卿に来てもらったのはほかでもない。この娘、ラヴィ-シャについてである。」
そう、フォルトゥーナが話し始める。
「噂の聖女殿とお会いできて光栄ですが、一体この無頼漢に何をさせようというのです?」
そう、メルベク卿が切り込んでくる。貴族にしてはあまりに率直過ぎる。いくら武人という事を差し引いても、だ。そんなメルベク卿に慣れているのだろう。フォルトゥーナは大して動じた気配もみせず、淡々と言葉を紡ぐ。
「この聖女はいささか『特殊』でしてな。時折予言をしてみせるのです。先ほど失礼をしたのもおそらくその予言のせいでしょう。」
「予言・・・。」
ピンと来てなさそうなメルベク卿である。
「今までその予言は全て的中したとお伝えしておきましょう。それを回避した予言もあります。そして、今度はいささかまずい予言をいたしましてな。我々だけではどうにもならず、卿の力添えを願えないかと思い、ここまで来ていただいた次第なのです。」
「そうは言われましても・・・。」
メルベク卿は困惑したようにラヴィ-シャを見つめている。
それは困るだろう。予言や聖女を信じていないものからすれば、大の大人が子供の妄言に振り回されている様にも見える。
だからと言って、こんな有力者から真面目に言われたとなれば、無下にも断りづらい。
そんな、メルベク卿の気持ちがラヴィ-シャには手に取るように分かる。
きっと、この後、フォルトゥーナ卿はメルベク卿が断れない展開にし、無理やり有無を言わさず承諾をさせ、事実の中で少しずつ信じていけば問題がない。そう思っているのだろう。
万が一、そういった災害の兆候がなくても、回避のために動いていたから起こらなかったで済むだろう。
・・・だがそれで本当にいいのだろうか。
フォルトゥーナ卿はなおも言葉を紡ぐ。ラヴィ-シャはそれを話半分に聞きながら、メルベク卿の顔をただ、じっと見ていた。
・・・本当にそれでいいのだろうか。
走り去ったあの日の彼女が思い出される。目の前のメルベク卿の困惑顔。そして、あの日のリュケイオン=メルベクの様子・・・。
私はまた間違えてはいないだろうか?
そう思ったら、席を意図せず立ち上がっていた。
「ラヴィ-シャ!?」
話の途中で無作法にも立ち上がったラヴィ-シャに、フォルトゥーナ卿から叱責の声が飛ぶ。
メルベク卿は困惑している様だ。
そして、ラヴィ-シャは床に額づく。神殿で最大級の敬意を表す礼の作法だった。思わず絶句するフォルトゥーナ卿とメルベク卿。その礼は神や王族にしか示さない礼だからだ。
「貴方様に最大限の敬意を。」
ラヴィ-シャの心は前の人生の、兄がこの世を去ったと聞いたあの日と同じ時に戻っていた。
すべてが無くなったと思った、あの日。
あなたは、私の兄が守りたかったものを全て守ってくださったのです。
どんなに感謝してもし足りない。
その未来はこれから消してしまうのかもしれないけど。だからこそ私だけは、決してそれを忘れてしまってはならないのだ。
そのことを漸くラヴィ-シャは思い出す。
この目の前の人は、貰うばかりで何も返せない人なのだ。なのに、再び貰わなければならない。
その不条理さ。
「私は貴方様を心より尊敬しております。あなたがどんな方かも、おそらく存じ上げております。しかしながら、私は貴方様に不利益を与えかねないお願いをこれからしなければなりません。それが大変心苦しい。―――ですが、この国の民草を救う為なのです。どうか、ここは飲んで・・・伏して伏してお願い申し上げます。私に協力してくださいませ。」
最後は涙が交じっていた。
前の自分は涙の武器をよく使ったのに、メルベク卿にだけは。彼にだけには使いたくなかったのに、勝手に涙がこぼれてしまう。
――――なんと申し訳ない。
ただ、ただその気持ちがラヴィ-シャの心を占める。
メルベク卿とは直接会った事はなかったけれど、前のあの人生において、ただ一つの救いと思えたのは彼だった。ラヴィ-シャの中に残る、前の黒い人生の中で、ただ一つ小さく光る星のような思い出。
苦しい人生だったけれど、何の見返りもなく、ラヴィ-シャの愛したものを守ってくれたのは彼だった。彼だけだったのだ。
不意に両脇に手を入れられ、子供の様に立たされた。見るとメルベク卿だった。10歳のラヴィ-シャに視線を合わせ、こちらを見つめている。
「簡単に人に頭を下げてはいけない。」
「簡単ではございません。貴方様だからです。」
止めたい涙が、いつまでも止まらない。
小さな声で、申し訳ございませんと言い、ラヴィ-シャには唇を噛むのが精いっぱいだった。
「予言とはなんだ?」
そうメルベク卿が、端的にラヴィ-シャの目を見て聞いてくる。
ラヴィ-シャもまた真っすぐに答える。
「私は、かつて夢の中でこれからの未来を全て体験しました。その事です。」
「俺に協力してほしい事とは?」
「2月に魔物災害が起きます。」
思わず絶句をするメルベク卿。
「私は5歳の頃から、その大災害を止めるために準備をしてまいりました。もしかしたら起きないかもしれない。だけど起きるかもしれない。でも完全に止めるのには私の力だけでは足りないのです。―――どうか!」
そんなラヴィ-シャから目を離し、フォルトゥーナ卿を凪いだ目でみるメルベク卿。
「卿はこのことを信じるのか?」
「信じたくはないが、信じたほうが整合性が取れることが幾つもある。万が一にも大災害が起これば、被害は甚大だ。ラヴィ-シャによると、発生する魔物は1万以上。白の団の人的損耗率は3日で50%に上り、近隣の村はいくつも全滅したという。予想死者数は2万人を超えるだろう。」
被害の酷さに絶句するメルベク卿。だが声を絞り出し、続きを問うてくる。
「俺の不利益とは?」
黙ってラヴィ-シャを見るフォルトゥーナ卿の目線を追い、ラヴィ-シャを見つめるメルベク卿。
「・・・。件の大災害は白の団によっておさめられます。その中で最も功績を上げたのが貴方様、メルベク卿です。貴方様は最後までしんがりを務め、かつ生還された。その功績をたたえられ『英雄』と称され、その後、王国の総団長を務められることになります。」
「まぁ、もし今大災害が本当に起これば当然白の団が当たるだろうな。」
俺の生死は分からぬが、と明るく答えるメルベク卿。
「・・・そんな!」
「戦場では常に綱渡りだ。生きていたなど偶々にすぎん。同じことが起こっても再び生き残れる保証などどこにもない。」
そう、平然と言うメルベク卿。
たとえ大災害が起きなかったとしても、万が一にでもこの恩人が亡くなってしまったら、そんな事が許されていいはずがないのに。
だけど、メルベク卿が言っている事の方が正しいと、ラヴィ-シャには肌で分かる。
・・・本当にこの世はなんて、なんて苦しみに満ちているのだ。
その事実が自分の体に隅々まで染み渡っていくのをラヴィ-シャは感じる。
そして、可笑しくてたまらなくなる。
次第に笑いの波は大きくなり、クスクスと漏れてしまう。
そんなラヴィ-シャの様子に何と言えば良いのか分からないのだろう。とても変な顔になるメルベク卿についに耐え切れなくなって、吹き出すラヴィ-シャ。
「ラヴィ-シャ。」
形上、一応たしなめるフォルトゥーナ卿。
「だって、おかしい。」
笑いながら、涙が止まらなかった。
そうだ。なぜ忘れていたのだろう。ラヴィ-シャはたまたま過去に戻っただけで、前と全く同じ世界とは限らないじゃないか。同じ事をしたとしても、同じ未来になるとは限らない。ラヴィ-シャがここで何もしなくても、魔物が大発生をしてメルベク卿が死ぬかもしれないのだ。未来を知っている気になって、全能だと思い込もうとしていたのか。気づかぬ間に再び傲慢になっていたのだろう。
メルベク卿に言われて目が覚めた。
この世は本当に苦しみで満ちている。
でも――――
「未来など、知っていても実際どうなるかは分らぬもの。卿に言われて目が覚めました。ですが回避できる可能性がある以上、私は全力を尽くしたい。どうかお願いです、メルベク卿。私に力を貸してくださいませ。」
もう、誰も死なさぬように。
もう、誰も傷つけないように。
たとえ不可能だと知っていても、出来る限り頑張ってみたいのだ。
「俺はそんなつもりで言ったのではないのだが・・・」
「私には同じことです。」
これだから、頭のいい女は・・・とブツブツ言いだした卿の姿が、別れた父の拗ねた姿と重なり、また吹き出してしまう。
「『大規模な魔物災害の恐れがある』、ただそれだけで良いのです。どうか、メルベク卿のお力を私にお貸しくださいませ。」
今度こそ、綺麗に頭を下げられた。普通の淑女のカテーシーだ。
「たまわろう。」
何の迷いもなく、そうメルベク卿は応えてくれた。
現代でも、恐らく国によっては精密な地図を入手できない国があるでしょう。
アッチのあの国とかあそこの国とかですね(自主規制




