前編
自分に違和感を覚えたのは3歳のある夏のことだった。
その日は私の弟か妹がそろそろ生まれそうだと、広い邸内が慌ただしく動く使用人達の気配にさざめいていた。
夏の日差しがきついので私は庭に出ることを許されず、おとなしく乳母のミーシャと二人で自室で過ごしていた。しかし、本を読んでも、人形をかわいがっても、新しい家族と母の事が気になって気が散ってしまい、部屋の外がとても気になっていた。
乳母のミーシャが笑みを浮かべながら私の藍色の髪を優しく撫で、
「今日は新しいご家族様が生まれそうなので、皆さんお忙しいのです。ディルキャローナ様はここでお利口にまっていて、お母様を応援しましょうね。」
と言った。私はミーシャにうなずき、新しい弟か妹がうまれる喜びが胸に溢れると同時に、ふと気づいた。
昨日までの私なら、自分だけがこのイベントにのけ者にされるのは我慢ならず、何が何でも見てみたいとばあやのミーシャの隙をついて覗きに行こうとするのだが、今は全くそんな気になれなかった。おそらく現在の『現場』は大戦争だろう。大量のお湯やら清潔な布やらを用意し、ともすれば血まみれの現場に幼女が一人のこのこと乱入して使用人や母の気をそらしてもいけないし、万が一事故などが起こって産後の肥立ちが悪く母が亡くなったり、まだ見ぬか弱い弟か妹が亡くなったら、悔やんでも悔やみきれない。
・・・はて、?自分はここまで先が読めるような人間だっただろうか。
疑問を持ちながらも自室でお気に入りの絵本を読んだりおやつを食べたりしている間に夜も更け、珍しく食堂ではなく自室に夕飯が運ばれてきた。前回の自室夕飯の刑は家の花瓶を7個も割ったとき以来だったが、特に悪いことをしていない一人夕食にも文句もつけずに大人しく食べると、いつになく大人しい私にミーシャもほっとしているようだった。そのままいつもの時間に就寝をし、朝起きると再び邸内の気配がさざめき立っていた。どことなく部屋の前を通る使用人の印象や気配が端々に喜びに溢れていることから、新しい赤ちゃんは無事に生まれ、母も無事だったのだろうと気づいた。朝に弱い私を毎朝起こし着替えさせてくれる使用人がいつもの時間に来ないようなので、自分で着替えを始めている時に気が付いた。
「いくらなんでも3歳児としては異常だし、異常だと思うことも異常だ」と。
昨日までの私なら間違いなく使用人を呼ぶベルを連打し、お母様の無事と赤ちゃんの性別を食い入るように確かめ、現場に突撃、一人夕飯の寂しさにお父様にギャン泣きで訴えを・・・・・どれだけお転婆だったのか私は―――してただろうが、今日は向こうのトラブルでおそらく「私が起きるまでは別の仕事を優先しているであろう」使用人を慮っている。そして、おそらくお嬢様が起きると面倒くさいから今日くらいはギリギリまで寝かせておこうという相手側の算段も気づいている。(犯人は何時も私のお転婆ぶりに頭痛を進呈される執事だろう)
私は・・・?
『家族を失くしたくない』
ふと、胸の内に言葉が湧き上がってきた。と、同時に訪れる、ひどく切ない気持ち。
『もう、ひとりぼっちになりたくない』
ポタリ、と雨粒が落ちたような音がした。雨漏り?って思ったけど今日は晴れてるし、未だかつてこの豪華な邸内で雨漏りしているのを見たことがない。―――私のなみだ?
『置いていかないで』
『私さえ居なければ』
『家族に恨まれても仕方ない』
次々に溢れ出る、私のものではない未知なる『私の気持ち』と一緒に、気づけば涙がたくさん零れ落ちていた。苦しく、切ない、締め付けられるような想い。愛しさと、虚無感。そうだ『私』は―――――
――――前世で家族をすべて失ったのだ。
※
前世の『私』は、地球という世界の日本という国に生まれ、普通の家庭で育ち、17歳の夏に父、母、弟全てを帰省中の車の事故で失った。高校受験の勉強のために家に残っていた私だけが家族の中で生き残った。
どうしたらいいのかわからなかった。電話で訃報を聞いて、ずっと玄関先で座り込んでたらしい。
父の妹であるおばさんが、私の様子を見に自宅に駆けつけてくれて抱きしめてくれた。その後、気づけば葬式が終わっており、手続きも何もかも終わっていた。私は大人しくおばさんの言うことを聞いてぼ~っと座っていたらしい。その時の私の精神状態は大分おかしかったのだと思う。鈍いモヤがかかった様な記憶の中で、事故の状況をおばさんが説明してくれたのをぼんやりと所々不明瞭に覚えている。出会いがしらの事故で―――運転していた父に過失はなく―――避けられなかった――――相手はひどく酔っており逃げた――――遺体は損傷が激しく家族は見ない方がいいと―――など本当に部分的にしか覚えていなかった。
自分の罪だと思った。私があの時、家族が出かける前に拗ねて、お土産をねだったりしなければ、少し出発が遅れてしまったから、家族を殺してしまったのだと。自分を責めるというより、酷く質の悪い事実として受け止めてしまったように思う。
不明瞭な虫食いの記憶の後―――おそらく、葬式後しばらく経ってから、その先は全く覚えていない。あんな精神状態であったなら『家族のそばに行かなきゃ』と気軽に自殺を図っても不思議じゃないとも思うし、私をかわいがってくれていた叔母さんが、そんなヤバい精神状態の私を一人で置いておくとは思えないので頻繁に家に様子を見に来るか自宅に連れて帰った可能性もある。もしくは狂って病院に入れられたのかもしれない。何はともあれ覚えていない事はどうしようもない。
前世のヘヴィーな記憶を思い出した私ことディルキャローナは再び狂う―――ということはなかったが、メンタルに重大な欠陥と言ってもいい大きな変化を及ぼした。天下のお転婆姫ディルキャローナ嬢(使用人にもそう呼ばれてた)だった私が、急に大人しくなったのだ。目を離しても脱走する事なく自室で大人しく過ごし、食事を一人でも暴れずにとり、家庭教師のカツラをむしる事もなく静かに席に着いて勉強し、庭から塀を乗り越えようともせず、全く使用人の手を煩わせない。
うちの使用人(特に執事)はもろ手を挙げて最初は喜んだ。この時誕生したのが待望の跡取り息子だったので、そちらのお披露目や王城への申請、貴族や出入り商人などへのお礼返し、神殿への奉納、厄除け、敵対勢力への対策もろもろで一家総出で忙しく、父母にも使用人達にも1年くらい最低限の興味しか持たれてなかったと思う。乳母のミーシャだけが、、毎日少し申し訳なさそうに私を見て、「お嬢様はとても良い子になりすぎましたね」と時々優しく抱きしめてくれた。
ようやく諸々の行事が終わり、弟が無事誕生から一年を過ごして名前が正式にローランドに決定した。日本とは異なり、この国では死にやすい赤ちゃんには1歳まで名前を付けず、10歳から正式に戸籍に登録されるらしい。弟の名前などの登録、お誕生日のお披露目会などすべて終了し一息ついたあたりで、父が「そういえばディルキャローナはどうしている」と執事に尋ねたそうだ。
当時4歳になっていた私は以前の私と比べて大変大人しく過ごしていたため、自身のお誕生日も、3歳の貴族的お披露目も(これは5歳までにやればいいそうだが以前の私はすぐやりたい!と大騒ぎしていた)完全に忘れ去られていた。これまでは自己主張が激しすぎたので、いくら多少大人しくなったとは言え我慢できなければ本人が言うだろう、ディルキャローナが大人しいうちに雑事は済ませてしまおう。みたいな暗黙の了解が父母にも使用人達にもあったと思う。父母に呼び出され、私の近況を聞かれたミーシャが「お嬢様はここ1年間おひとりで毎日食事をなさり、あれから無茶なこともおいたも何もせず、勉学にもはげんでらっしゃいました。ほめて差し上げてください。でも、あまりにいい子になりすぎておしまいになられ・・・最近はあまり笑われなくなってしまって、お嬢様の気持ちを思いますと・・・」と涙ながらに報告したらしい。父母は私の様子にも1年間全く会っていなかった事実にも大変なショックを受けたそうだ。お互いどちらかが偶に娘と会っているだろうと思いこんでいたらしい。この時代の貴族からすればそう珍しい事でもないが、どちらかと言えば家庭的な父母にはショックだったらしい。
慌てて次の日の晩餐に呼ばれた私は、すでに1年前とはまるで別人と化していたと後に執事は言った。
「お久しぶりです、お父様、お母様。」
喜怒哀楽激しい我がまま令嬢天下のお転婆姫ディルキャローナと思っていた娘が、ニコリとも笑わず礼儀も完璧にこなし淑女の礼をした事に両親と執事は驚愕の表情を浮かべていた。
前世の記憶のおかげですっかり自分の行動への恐怖感を覚えてしまった私は、失敗することを過度に恐れる子供になってしまった。結果、使用人が困るようなことはせず、本で知識を詰め込み、大変大人しい喜怒哀楽表現が乏しい人間になっていた。
「キャロ、どこか具合でも悪いの?」
「どうした、キャロ。しばらく忙しくて相手にしてあげられなかったが拗ねているのか?」
など次々とお父様とお母様が質問を飛ばしてくるが、『前世がよみがえってこういう人間になりました』などとぶっちゃける事はできないため、困って曖昧に笑い小首を傾げるしかできなかった。あと、こちらの人は早口で、私が考えている間にもう次の質問が飛んでくる事が多い。結果、沈黙の令嬢になってしまうのだ。
「いえ、わたくしももう姉になったので、しっかりしないといけないとおもったのです。」
辛うじてそれだけはちゃんと言えた。だが、父母はとても困惑している様子だった。
そのうち反応がいまいちな私に質問が飛んでくる事はなくなり、他人行儀に感じたのだろうか、それとも1年前のディルキャローナと違いすぎて取り換え子の様に不気味に思ったのだろうか?。晩餐は案の定盛り上がらず、次から週1回で義務的に晩餐に呼ばれるようになったものの、時々頑張って話しかけてくる父母に広がりのある回答ができず、毎回盛り上がらずお通夜晩餐が形成されることになった。両親には大変申し訳がない。
※
数年が経ち、弟のローランドが晩餐の間に来れるようになったので、一度「わたくしがいない方が団欒ができるのでは」と父に提案したら物凄く怒られた。怒られて少し嬉しかったのは内緒だ。
またある時、ローランドが3歳、私が6歳の時の頃、定例晩餐会の時にローランドがやらかしてしまった。「ねー何で、魔女と一緒にご飯食べるの~?」と無邪気に父母に聞いて怒られていた。正直ちょっとショックだったが、無表情だったので動揺は隠せたと思う。・・・どうやら近年私の不気味さを感じ取ってきた使用人から、私は「取り換え子」「魔女」など影口を叩かれている様だ。魔女なんて単語、幼児からすぐ出てくるわけないので、必然的に誰かのうわさを耳に挟んで覚えちゃったのだろう。意味もちゃんと分かってないだろうに、怒られるローランドが可哀想だった。
あの晩餐以来、父は私の教育に厳しくなった。正直前世の記憶がなかったら挫折していると思う。これも後継ぎのローランドがいるので、他家に嫁に行く可能性が高い私の価値を高めるために必要な事、と納得している。その合間を縫って嫁以外の選択を得るために、武術や魔法の家庭教師も追加でお願いし、父に了承してもらうことが大変だった。ローランドの誕生日以来、他にわがままを言わない私が唯一希望したことなので最終的に認められたが、「デビュタントまでの私のお誕生日会は無し」という条件で折り合いがついた。どちらかといえば「お誕生日会はなし」といえばさすがに諦めるだろうと父は思ったようだが、私はお誕生日会など客寄せパンダの様なことは望んでいなかったので嬉々としてその条件でお願いした。私の完全勝利と言える。
母は私に対してあたりが厳しくなった。「どうして、思っていることを言わないの?」「以前はお菓子をあげたらとても喜んでたでしょう?」「わたくしがそんなに許せないの?」などと事あるごとに責められる。特になにもお母様に対して思ってる事はなかったのだが、偶に優しく抱きしめてくれないかな~?くらいであったが、怒っている時にそれも言いづらい。お母様なりに焦りもあったのだと思う。だって、17の時に私を生んでまだ23歳でしょう?娘が急に4歳になったら笑わなくなったら困惑するわな・・・。前の私が生きてたらほぼ同級生?今の自分が娘がいて教育するとかホント無理。お母様はすごいって思うよ。
そしてある時決定的な出来事が起こった。ローランドと遊んでいたときに、ローランドが積み木を自分で崩してしまい泣き出した時に、泣き声を聞いて近くでお茶をしていた母が飛んできて私を平手でぶった。あまりの出来事に動揺したローランドの乳母が「ち、違うのです奥様・・・」と言っている間に私はカテーシーをきめて「大変申し訳ございません、退室させていただきます」と許可もとらず部屋から下がった。お茶会に何人かお母様の友達もきていたし、私のぶたれた姿を見せるわけにはいかない。私が許可を得ずに退出する泥をかぶったほうが丸く収まると思ったからだ。それ以来、母は虐げることはしないが、あまり話しかけてこなくなった。迷うような瞳で時々見つめられてることもあるが、目が合ったことに気づくと目を逸らしていなくなってしまわれるのだ。至らない娘で思うことがあるのだろうか。だからといって、子供らしく甘えることもできず、世間に合わすこともできない私は母に何を言っていいかわからず、結果的に没交渉になった。
ローランドとは彼が5歳になるくらいまでは関係が上手くいっていた。「魔女とごはんたべるの?」事件以来、姉という存在に気付いたローランドは私に興味をもったらしい。あまり笑わない私によく懐いてくれて、色々成長を見せてくれて大変かわいらしかった。わたしが本を読んでいたら、絵本を読んでとせがんでくる。庭を散歩していたら、採れたてのミミズを見せに来るなど日々できることが増えていった。3歳以前の私なら張り合ったり両親をとられたと嫉妬したりしていただろう。しかし、今の私とは精神年齢が離れすぎていて親戚の子供を見るような感覚だったし、前世の弟を思い出して時々夜にこっそり泣いた。前世の弟の彼とは喧嘩ばかりしたけど、仲の良い姉弟だったから。そして、ローランドは今度こそ守ろうと心に誓った。
5歳になるころ、ローランドも世間との付き合いが生まれてくる。当時、8歳にして「かわいげのない」「氷の令嬢」や「毒婦」など言われたい放題だった私である。ローランドがお友達に嫌がらせでも受けたのだろうか?私を避けるようになった。「ねぇさんのせいで、大恥かいたんだ!大嫌い」と泣きながら言われた日以来会うのをやめた。「ごめんね」としか言えなかった。本当にこんな姉で申し訳ない・・・
※
振り返ると私酷い。ホント酷い。
ディルキャローナは記憶を思い出さなければもっと家族に負担をかけることなく上手く生きていただろう。とんでもないお転婆だけど。こんな中途半端に思い出して『私辛いんです』アッピルみたいでほんと辛いし恥ずかしい。でも、表情筋があまり仕事をしない。
こちらの人々は日本からすると喜怒哀楽がはっきりしていることを好むと思う。周りに異文化・異言語を使う人々がいるので、意思疎通に有効な手段だからだ。貴族の駆け引きならばともかくも、家族や友人、恋人には表情やボディーランゲージが欠かせない。正直元日本人としては劇をやってるような気分になってきて少し恥ずかしい。
かつ、この国の人々は割とせっかちな部類だとおもう。うちの家族だけではなくて、どの方と話しても私が1の事に返事を出す前にもう次の話や下手すれば次の次の話に飛んでいて、ついていけないのだ。3歳までの私は確かにそのせっかちを押しのけてさらにせっかちな暴走幼女だっただけに、穴に埋まりたい気持ちと、どうしてこうなった感がぬぐえない。
結果、「こちらが話しかけても何も返さない」「無表情」「面白味もない」ならまだいいほうで、「信用できない」「バカにしている」「お高く留まってる」「高慢浪費女」と評価が下落していく。最後、それ妄想じゃない?という私に対する周りの評価が形成されていった。
そんな私は4歳から11歳までの間に淑女教育から主要3か国語(特に食糧関係の用語には自信があります!)自国と近隣3か国法規、政治、領土問題、歴史、経済、流通、経営、紋章学、果てには音楽、美術、服飾、装飾、宝石学、彫金学などありとあらゆる分野を叩き込まれ正直大学受験よりずっと勉強した。
12歳の時に剣の師匠である我が国の騎士団長ラステッド=メルベク伯爵のご子息第一子リュケイオン=メルベク様と婚約した。イケメン金髪碧眼の王子様より王子様らしい。ついでに傑物であるという。と、私ですら噂を聞いたことのある人物である。
正直、違和感がいまだかつてないほどの仕事をした。侯爵家の鼻つまみ者の私といくら格下であるとは言えイケメン王子然とした将来騎士の重要ポストを約束されたキャラと婚約・・・?確かに前の私より、今の私は美人だと思うし、スタイルもいい。おっぱい大きいし腰はくびれているし、全然いいとは思うけどそれだけだよね・・・・?騎士の嫁ならまだ社交は少ないと思うけど、第二王子の側近という話もある。側近の嫁が社交出来ないとかないよね?現在の私って多分コミュ障に相当するよ?それとも、ラノベ的な悪役令嬢フラグなのか?当て馬なのか?
だが、初顔合わせであいさつが終わり、私の父が席を外した途端「こんな悪人顔の不気味な女とは婚約したくない」とお相手のメルベク様に早速言わしめるほど、私ディルキャローナの地に落ちた評判はストップ安にまで突入していたらしい。生ぬるい視線を送る私の前でラステッド師匠が息子である婚約者メルベク様にヒールホールドなる技をキメて、婚約者殿は白目をむいていた。・・・・婚約破棄されればいいけど、うちの家侯爵家だからなぁあ・・・メルベク様の家は伯爵家だから婚約の打診断れないよな・・・メルベク様にはホントすまんかったって思う。これはもう出奔するしか相手に申し訳ないコースなのだろうか。
そして15まで勉強・剣と魔法の鍛錬、食事、まれに社交という変わらぬサイクルの生活をしてきた。剣と魔法が使える嫁ってよく考えたら騎士くらいしか許されないか。いや、騎士の家じゃなくても許されないような。まぁいっか。いざとなったら私も騎士にでもなるかな。
※
15になって気づいたが、どうやら王立学院というところに貴族の婦女子は3~5年間入らなければならないらしい。結婚したら退学などもよくあるし、スキップなどもあるので通学期間は一定しない。なんかラノベみたいな設定だなぁと思いながらも、その話を聞いたのが入寮前日だったので、それどころではなかった。
家族の誰も私が学院そのものを知らないと思ってなかったのだろう。週一晩餐の時に父に「ディルキャローナは明日から学院だが準備は終わったか?」と聞かれ、素で「学院とはなんですか?」と返して母が珍しくスプーンを取り落とし、ローランドにいたっては目玉が落ちそうになってた。15になって使用人からも不気味だと距離を置かれていたので必要最低限の事しか声をかけられないし、乳母のミーシャが居ればこんなことにはならなかったんだろうけど彼女は私が10歳の時に腰痛で暇乞いしてしまった。父母は育児放棄の気がなくても豹変した私をどう扱っていいのか分からないようで、まともな話をお互いしたことがない。その結果、今更本などには載っていない常識的な事が欠けている令嬢になってしまった。情報面で軽くネグレクト気味だな?とは思ってたんだが、致命的な伝達不足があったようだ。大慌てで使用人が招集されて準備が行われ、何故か制服は寮の部屋の方に既に送られていた。解せぬ。
出発する前に父から「貴族社会に自分から関わろうとしないからだ」とお小言をもらった。誕生日会の準備やお茶会など行ってれば誰でも知ってる知識だったらしい。どうやら、自分のコミュ力のなさが悪かったようである。
ともあれ、なんとか私は学園に入寮した。
※
そして、季節が廻り、私が学園の第3学年17歳になる始業式の前の休みの時。そろそろ、春が来るという陽気の頃だった。
といっても、この国は日本程四季がはっきりしていない。過ごしやすい分、桜や紅葉、雪や夏の日差しを思い出して寂しく感じるが。それでも、この国では春が近づき、今まで荒れ地の様に見えた地面に沢山の芝の様な草が生えてきた頃、春を感じる日差しを浴びながら、春休みで実家に帰ってきていた私は書斎でひとり本を読んでいた。もちろんここ2年間は学園でボッチであったことを記録しておこう。大事なことだからもう一度言おう。安定のボッチである。
すると静かな邸内が突如騒がしくなった。
階下で聞こえる使用人達の走り回る音、数人の叫び声・・・事故でもあったのかしら。急いで上着をはおり、走らないように注意しながら玄関へ向かう。
「・・・は、まだか!」
「・・・の連絡が!・・・・急いで向かわせています!」
「・・・の支度・・・急いで!」
「誰か・・・・、安全を・・・!」
状況はかなりひっ迫してるらしい。玄関ホールにたどり着くと、お父様と4人の学生服を着た男性、あと制服を着た女性が一人。そして、玄関ホールではありえない使用人に抱えられ力なく横たわっている方が一人、金髪の男性で・・・あれはまさか、ローランド?
2階から落ちないように震えそうな手を叱咤する気持ちで手すりにつかまって階段を降りようとしたとき、とんでもない言葉が聞こえてきた。
「これは、もう助からないかもしれない。」
「「旦那様!」」「侯爵殿!!」
目の前が真っ白になった。
ドク、ドクと心臓の音が聞こえ、周囲の喧騒が遠くなる。
『――――ちゃん、今警察からお兄ちゃん達が事故にあったって――――』
『お兄さんたち全員亡くなったって―――――』
『―――あの子一人になっちゃって、可哀想―――』
気づけば階段にへたり込んでいた。貧血を起こしかけたのだ。危ない、手すりにつかまってなければ落ちていた。ひどく、寒い。耳の後ろが、なにかグワングワンとしていて視界がゆがみ、どこが上で下だかもよくわからない。ただ、いつもと変わらない、お父様のしっかりとした声が聞こえてきた。
「これは、ラブサスの呪い毒であろう。おう吐・発疹・脈拍の低下に呼吸器不全。そして何より全身を縛る黒い蔦。呪いを媒介にして毒を流し込む特徴がよく表れている。通常は同じ毒から解毒剤を複製し同時に魔術も解除しなければいけない、複雑な術だ。だが、つい先日医療院の保管庫から毒と解毒剤の盗難が発覚し、これから毒の収集を行うところであった。急いで向かわせても、ラブサスの黒い蔦の自生地であるグロウベンダ山脈はここから片道1週間はかかる。探索にも数日かかるだろう。この様子だとローランドは持って3日。・・・到底間に合わない。」
務めて冷静に在ろうとするお父様の声の中に少し震えが混じっていることに気づき、今更ながら現実感を伴ってきた。ローランドが、死ぬ?あの可愛い金髪の、太陽の陽だまりの様な笑顔の、あの子が?あの子だけは幸せになるべきなのに?
「・・・お嬢様!!!」
階段の途中でへたり込んで手すりに縋り付いているコアラ令嬢状態の私に驚いたのだろう、後ろからきた使用人の悲鳴でホールにいた方たちが初めて私に気づき振り返る。その中に婚約者のメルベク様が居ることに今更気づいた。
「・・・ディルキャローナ」
お父様の悲痛な声に胸を掻きむしられる想いがする。
ローランドが死んだらば、お母様も大変悲しむだろう。そして、この家はすべてが死んだようになってしまうだろう。かつての前世の、あの日のあの家の様に。
お父様とお母様に、あの苦しみを与えるの?
そんなの、絶対に嫌だ。許容できない。
気づけば涙がこぼれていた。同時にどこかに失われていた血が急速に戻るのを感じる。指先にまでしっかり血が戻る。
・・・絶対に、絶対にローランドを助ける!必ず、まだ間に合う!まだ私にもできることがある!あの時は違うんだから、しっかりして、私!
急速に頭が回転をし始めるのを知覚する。さっきお父様はなんておっしゃってた?ラブサスの呪い毒?それならば・・・しなければいけない事と段取りを急速に組み立てながら、私は書斎に向かって走り出した。
「お嬢様!?」
「ディルキャローナ!」
「ディルキャローナさん!どうしてこんなことを・・・!?」
「逃げるのか!?」
後ろで皆さんが何かを叫んでる様だったが、一刻を争うので、広い廊下を全力疾走した為すぐに聞こえなくなった。すれ違う使用人、使用人みんな目が落ちそうなくらい驚愕の表情を浮かべている。こんな時に、『今の私』になって初めてこの廊下を走ったことに気づき、泣きながらフフッと笑みがもれた。なんだかすごくおかしかった。
まず、ラブサスの呪い毒を確認しなくては。
あの草はたしか、蔓科の黒い植物で、土の気が溢れる山岳地帯で生息するものだけど、ごくまれに水の聖別を受けたダンジョン奥深くに近年発見例があったはず・・・。ここから最も近い、水の聖別があるダンジョン・・・時間的にギリギリで間に合うのではないかしら?
※
王都から片道徒歩で7時間のところを馬に休みを与えず45分全力疾走させ、実家の馬を乗りつぶす勢いでシュルームダンジョンに到着した。ギルド管轄のダンジョンなのでギルドにシュルームダンジョン攻略申請書を叩きつけ、普段使ったこともない権力で時短の為にごり押しをし、シュルームダンジョンの詳細な情報を金の力で買い上げ、ありったけの魔力回復薬とHP回復薬をもってきたのだ。明日は魔力回復薬とHP回復薬は町で売ってないかもしれない。冒険者のみなさんごめんなさい。そして・・・
「ごめんね」
そう一言あやまって、実家から乗ってきた白目をむいて今にも泡を吹きそうな馬は、そのまま入口に置いてきた。長年可愛がってた私の葦毛の馬だったけど、いつか家を出るかもしれないので名前をつけなかった。最後になるかもしれないのに、可哀想なことをしてしまったが私は弟を選んだ。世話をしてあげる余裕もなかったので、つながず置いてきた。うまく馬自身が魔物に見つからずに安全地帯と水を見つけて休めれば、生き残ってくれるかもしれない。
どちらにしても、帰りのことは自分を含め全く考えていない。お父様の部屋に転移スポットを設定したので、採取してダンジョンから脱出できれば、あらかじめ組んでおいた魔法ロールで現物を転送するだけ。
私はここで死ぬかもしれない。死にたいわけでもないけれど、生きたいわけでもないし、何より自分の算段を残すことに変な抵抗感を感じたのだ。きっとこれで上手くいかなかったら、自分は生きていても一生後悔するから。だから、先は何も考えないで、今に全力を尽くす。間違ってると思うけれども、前世持ちの傷持ちの私にはこれがきっと最善だから。
「さて、攻略してやりましょう。シュルームダンジョン」
女の細腕でも扱えるとして選んで鍛えてきたレイピアと、革の装備、低容量マジックバックの中身、送るための魔法スクロール、その他食糧や薬、光源などをもう一度確認する。一人で生きていくことを考えて磨いた剣技と魔法がこんなところで役に立つとは思わなかった。過信しているわけではないが、シュルームダンジョンはレベル的には多分私の格下だと思う。ただ、それは『複数人PT』だった場合。前衛・アタッカー・罠職・ヒーラーの4人は最低でもほしいところであるが、今回はアタッカー兼ヒーラーの私ひとりだけ。完全に消耗戦の構えだ。タイムアタックの現在、極力戦闘回数を減らし、最下層までたどり着くには罠職のほうが向いているんだろうけれど、ないものをねだっても仕方ない。
踏み込んだ薄暗いダンジョンの中は、思った以上に暗く、予備の明かりや迷った時の余剰食糧がないことが頭をよぎり、今更ながら変な笑いが出る。どこまで自分が可愛いのかと。あんなにローランドを助けると決心しても、まだ洞窟の入り口で簡単に心が折れるほど私は脆い―――。
そして―――
バシュッ
斜め後ろから襲ってきた飛行する何かの蝙蝠?の魔物を、ふりむきざま袈裟切りにしながら、思った以上に魔物が多いと思った。
ギルドの情報ではこのダンジョンは現在15階構成。地下1階から2階に進むまでには初級冒険者の4人PTで1時間程度の広さ。エンカウント率は5匹程度と聞いていたが、すでに5分足らずで3匹は殺している。
「魔物災害?パンデミック?・・・違うな。大暴走?」
ダンジョンは時々暴走をし、あらん限りの力をもって魔物を吐き出すことがあるという。そのため、定期的に騎士が見回り、魔物を狩るのだ。万が一災害の予兆だとしたら・・・?困った。弟を助けなければいけないのに、そもそも王都が魔物災害の危機かもしれないなんて。駆除を優先して弟を助けられないのは論外だし、弟だけ助けてもこのまま駆除せずモンスターがダンジョンから溢れたら王都の多くの人が亡くなるかもしれない。場合によっては戦場に出る可能性が高いお父様も・・・。
先を急ぎつつ、出した結論は「なるべく早く最下層にたどり着き、お父様にこの情報を伝える」しかなかった。お父様もここのダンジョンの存在には気づいているだろう。おそらく非正規ルート可能性の一つとして、すでにうちのものを向かわせている可能性は高い。ならば、情報を渡すだけでいいのだ。帰りに誰か信頼する者に会えれば、僥倖といったところか。
潜る事しばし、モンスターが途切れたところを見計らい、簡易休憩をとることにした。水分や薬、携帯固形食事をとりつつラブサス草を包むための袋に、墨でお父様宛にダンジョンの現状と調査依頼の要請をしたため魔法で固着させておく。帰りに字を書ける状況かわからないし。10分ほどの休憩をはさんだのち、先に進むことにする。現在地下7階。すでに不安定な地面の長時間戦闘で足首の疲労感がやばい。準備に時間を使ったので、ダンジョンにつくまでに4時間弱、現在夜中であるがダンジョンに入って6時間ほど。やはり戦闘に多く時間をとられている。たぶん興奮状態なので眠気を感じないが、このまま疲労が蓄積すると事故が起こりそうな気がする。最下層の聖別された空間には魔物が出ないので、3時間ほど休憩して帰り・・・なんとかなるかなぁ?と思いながら右からきた鳥型の魔物の首を下から刎ねた勢いで、取って返し左側の猪型の魔物の目にレイピアを深々と突き刺す。こと切れた魔物たちを見ながら、こういう時は鍛錬をつんだ腕とかではなくて下半身に疲れが出てくるんだなぁ、ってまだ考えられるくらいの余裕はあるのが救いだった。
8階層から急にダンジョンの難易度が上がった気がする。上層よりも広い階層面積、魔物の強さも上がったし、感知の力も優れているのかこちらに寄ってくる魔物の数がさらに増える。ただ一ついい事といえば、魔物の数が多すぎて勝手にダンジョン罠にかかり、道が安全になったことだ。毒、天井罠、床罠、壁罠、物理系はすべて引っかかってくれるので、あとは相手の攻撃を受けずに屠るだけ。魔物の返り血を浴びることも避けられなくなってきた私だが、なんとか気力をかき集め、魔物にただ剣を当てる作業に入る。回復魔法を使わなければいけないので、最終的にたどり着いた結論は魔法剣を使い、一撃必殺で相手にダメージを受けずに最速で倒す。ただこれだけ。素材はぎの時間はもちろんないので、通り道は死屍累々だ。本当は放置はアンデットや魔物を増やすからやっちゃいけないんだけど、今は仕方ない。ただ、帰りが心配だ・・・。
最下層15階についたことは正直覚えていない。爽やかな水の音と木の葉の擦れる音、そして柔らかな土の感触で目が覚めたことに気づいた。否。自分が気絶していたことに気付いた。14層のミノタウルスに極似しているボス的存在をギルドで買った情報を元に角を切り飛ばして辛うじて倒したことは覚えているのだが、そのまま転がり落ちるように15層にたどり着いたんだろう。ボス戦で張ったシールドが辛うじてもったから生きてるのだろう。危なかった。これはいけないと、動き出そうとしたが指先が辛うじて動くくらいで体があまり動かない。ものすごく重いし、頭がガンガンする。緩慢な動作でやっとのことHP回復薬と魔力回復薬を摂取し、あおむけになって5分程度で漸くゆるゆるとだが起き上がれるようになってきた。
「私はどれだけ気絶してたの・・・・?」
こんな時間がない時に、いくら時間を浪費してしまったんだろうかと血の気が引く思いがしたが、明かり玉の残量から精々3時間程度ではないかなと気づいてホッっとする。
少し余裕が出て15層に目をむけた。ダンジョンなのに不思議に柔らかい日差し?ダンジョン差し?に包まれており、どこからか小鳥の声が聞こえるのにびっくりした。そして風も吹いているらしい。爽やかな葉がすれる音。どうなっているのだろう?まるで巨大な温室の中にいるような雰囲気だった。
「ここ、ずっといたいなぁ・・・」
柔らかく、包んでくれる静かな楽園。さぞ居心地がいいだろう。小屋を建てて毎日静かに暮らすのは。
何より清浄な空気が体に染み渡る。大変癒されるのだ。心なし魔力の回復も早い気がする。
「いけない・・・ラブサスの蔓探さなきゃ」
ここのどこかにラブサス草があるかもしれないのだ。少し歩いていくと、地面だけではなく打ち捨てられたタイルの様な床がところどころ混じっているのに気づく。ここに住んでいた人が居たのだろうか?ギルドの情報には「15層は森ダンジョンであり水に聖別されているため魔物の存在は今日まで確認されず。貴重な薬草が自生している場合もある。」程度しか書かれていなかった。6年ほど前にラブサスの蔓も目撃されていたらしいけれども、その時は冒険者が採取しつくしてしまったらしいので、現在はラブサス草があるのかがわからない。
ラブサス草は他の植物との生存競争に勝てない程弱い植物だが一方で、大地の毒と魔力を一身に吸い上げ岩壁などの他の生物が生えられない場所で生きる、別の意味で強い蔦だ。その毒は強力な毒になる一方で、含有魔力が高く、錬金術などでは貴重な材料となる。与える指向性によって大きく化けるのだ。決して呪い蔦の呪法なんかだけで使っちゃいけないすごい草なのだ。毒性を弱め、麻痺薬程度に変質させてあげ、魔力を回復方向にしてあげれば治療が難しい内臓疾患系にも有効な薬になる可能性もあるのに・・・呪い蔦なんていう最悪な外法使うクソ野郎に怒りを覚えつつ、ダンジョンの壁を丁寧に、でも急いでさがしていく。
ほぅ・・・と思わず息が漏れる。
15層最奥近く、ダンジョンの10メートル程の土壁に果たして蔦はあった。黒くて一見不気味な蔦が、天からの贈り物の様に感じて視界がにじむ。含有魔力の高さもあってこの草で間違いないと思うけれど、もしかしたら似た別のものの可能性もありうる。丁寧に数葉採取させてもらい、近くの別の株からも数枚ずつそれぞれいただくと、枝葉の蔓を何本か。なるべく少ない枚数で、でもローランドを救うのに困らないギリギリの枚数。それらに、丁寧に保存の魔術をかけ、簡易で疑似的に時を止める。丁寧に魔法スクロールに封印し、あとはこれを地上に出てお父様に送るだけとなった。
帰りの行程を思うと、この満身創痍の状態では身がすくむ思いなのだけれども、ここで回復を待っていたらローランドが死ぬかもしれない。それに、行きに魔物を駆逐したので数が少ない今のほうが切り抜けられるかもしれない。弱る心を叱咤しながら、14層に向かった。
※
まずい、失敗した。
15層で体が動かないことが既に異変の前兆だったのだ。ミノタウルスっぽいボスの体液に毒が含まれていたのかもしれない。何かの毒に侵されてると気づいたのは死線を潜り抜けた11層だった。行きで大量に屠った猪型魔物の死体を食いに来た犬系魔物10匹程度に同時に襲われたのだ。余裕がなく、ありったけの魔力をばらまいて気づいたのだ。魔力の巡りのおかしさと、異常な発熱が疲労からだけではないということに。
残りわずかとなった魔力回復薬をとり、なんとか10層まで戻ってきたけれども、すでに目が霞み、自分の荒い息が耳につく。HP回復薬はすでに尽きている。遠くで獣型モンスターの声が聞こえる。次襲われたら、助からないかもしれない。食べられるのはいいにしても、ここまでもってきたラブラス草が魔物にダメにされるのだけは我慢がならない。お父様を信じて、ここはモンスターが入り込まない、しかし必ず誰かが通るであろう9層のボス部屋まではと目標を切り替えて重い体を引きずる。
魔物に見つかりませんように、と必死で神に祈りながら壁で体を支えながら前に進む。視界が白くにじむ。悔しい。魔物の声がする。悔しい。体がバランスを崩し、前に倒れた。
すぐに起き上がらなければと、力を入れる。自然界では自分で立てない者は必ず捕食される定めなのだ。けれど、毒が回ったこの体はひどく寒く、痙攣し、力が上手く入らず、視界もダンジョンにいるはずなのにひどく白かった。魔物の声も近くに聞こえた気がするのに、ざぁざぁと音が聞こえたような聞こえていないような。
私はもうすぐ魔物に食われるのだろうか?
「・・・いやだ」
もう一度、顔をあげて腕で前に進もうとするが上手くいかない。それでも力を籠める。力は上手くはいらないくせに、涙だけは勝手にあとからあとからこぼれてくる。このまま私がここで食われたら、誰がこの荷物を届けるのか。
「・・・悔しい」
私はまた家族を失くすのだろうか?
「ローランド」
私のだいじな家族なの。
「ろーらんど」
もう誰も失くしたくないの。
「間に合わない、やだ」
涙がこぼれる。ないてる暇なんてないのに。
ただ、ひたすらにこわい。
「誰か。おねがい」
かみさま、おねがいします。
「ろーらんどを、たすけて」
私のこのいのちと引き換えなら、たすけてくださいますか?
「いのち、あげるから」
だからだれか、おねがいします。
「ろーらんどを・・・」
ふと、体が軽くなった。
まぶしい白い世界に、金色の光がきめく。
さらさらとしているその金色は髪なのだろうか。
まぶしくて、近くに人がいるということしかわからない。
とうとう、おむかえが来たのだろうか。
小さいローランドを思い出し、また涙がこぼれる。
きんいろの、かわいい、あのこ。えがお。
これが本当にさいごの希望だった。
てんしさま、おねがいです。
わたしをさしあげますので、ろーらんどをたすけてください。
おねがいします。たったひとりの、おとうとなの。
そんな様なことを一生懸命言おうとしたけれど、ちゃんと言葉にできていたかもわからない。
でも、天使様はわかってくれたようだった。
かすかにうなずいてくれたようにおもう。そして声をかけてくれた。
「あとは俺が何とかしておくから。もう、休め。」
その低いこえを聴いて、とても安らいだ。
――――― ああ、―――――
久しぶりに、心から笑えたと思う。
「うれし―――」
ありがとうございます、という前に私の意識はは深い安らぎの暖かい闇へと落ちていった。
ラブサス蔓。
完全に創作ですが現実に似たような植物のイメージは松でしょうか。
塩気に強く、他の木々が生きられないところで繁殖できる。
虫や火の気で全滅する割に、種は独特で火災が繁殖条件の品種まである。
その割に挿し木はし辛く、菌と共生関係にある。
弱いのに強い。