アルラウネー植物系女子ー
【アルラウネ】霖の日
噂が広まる二日前。
オルは一人樹海を進んでいた。
特に目的などはなかったが、滅多に止むことのない雨の音を聴きながら、鬱蒼と生い茂る樹木の合間を縫うように散策するのが彼女の暇潰しの術だった。
樹海でも特に樹齢の長い大樹が群れを成す一部の区域では、大樹の枝葉がドームのような役割を果たしており、止めどなく降り注ぐ大粒の雨も、雨漏り程度に抑えられている。
そのドームの中、漏れ落ちた雫で頭に生える細かな蔦の束をしっとりと濡らし、その日もオルは宛てなくただただ道なき道を歩いていた。
大樹の根があちらこちらで小さな虚を作り、ただでさえ歩き辛い足場を余計に不安定にしている。
ただし、歩き辛いのは人間の様にたった二本の脚で歩く生き物だけであり、四足で大地を蹴る獣達や、胴体部分である幹から生える無数の根で地を這って進むアルラウネにとっては、別段苦にならないことであった。
「乾季は生き苦しいけれど、雨季はとっても退屈……。今日も森はとても平和だし、あと数ヶ月は降り続ける雨のお陰で空腹になることもない」
はぁ、退屈だわ。
そう呟いてオルは、あぁしまった、と思う。
今日も、昨日口にした言葉を繰り返してしまった。
魔区と呼ばれるガナキサの樹海には、多くの魔物が棲んでいる。中には大型になるものもいて、生存競争のピラミッドの二段目以下で、常に生きるか死ぬか。種を残すか絶えるか。ただその為だけに生き続けている。
言わずもがな、ピラミッドの頂点に座しているのがアルラウネ達であり、ガナキサの樹海は別名『アルラウネの庭』と呼ばれているのだった。
基本的に温厚な彼女達は、樹海から外に出ることが殆んどなく、一部の人間達を除いて、アルラウネ達『樹海の者』を狙う者もいない。
樹海は、乾季雨季の自然の厳しさを除けば、概ね平和で生き易い。それが樹海に棲む生物の共通の認識であった。
つまりそれだけ。
他には何も無かった。
意思を持った彼女達には些か退屈が過ぎる。
ただ生きて、ただ種を残す。
それだけで終わる我が身を可哀想と思わない者はいなかった。
「人間でもやって来ないかしら。とびきりもて成してあげるのに」
ぽつりと呟く。
これも、昨日口にした言葉だ。
いいや、この言葉については、種の口癖と言っても過言ではない。
この言葉を口にしないアルラウネはいない程、彼女達は人間に飢えている。
それは捕食対象として。
それは種族繁栄のため。
それは快楽を得るため。
人間の到来を心待ちにしない者は、皆無だった。
そして、待ちわびたその瞬間はその日遂にやって来た。
「……だ、誰か。誰かそこにいるのか」
一瞬、オルは幻聴を聞いたのかと思った。
雨は降り続けている。
ドーム越しに大樹の青葉を叩く雨粒の音が響いている。
辺りを慎重に見回す。
我が幹の奥で、核である魔石がキンキンと騒がしく鳴る。身体が強張る。しっとりと濡れている頭部の蔦が、ザワザワと右に左に揺れている。
臨戦態勢。
両の眼はぎらぎらと、辺り一面に聳える大樹の隙間を射抜く様に視ている。
生き物の影は無い。
小動物でさえ、息を潜めているかのような、生命の音が一つも聞こえない。
ピラミッドの頂点に居る存在から放たれる威圧に、そこに居る生き物全てが緊張を強いられていた。
「誰か……居るの……?」
そして誰より、威圧感を発しているオル自身が味わったことのないプレッシャーを感じていた。それはストレスと言い換えても何も問題がない。
分かりやすく言って、恐怖しているとも。
「……ここだ……頼む……助けて……くれ」
幻聴じゃなかった。
オルは身を低く構え、両手を濡れた大樹の根に這わせる。
束ねていた頭部の蔦がわっと広がり、辺りにずるずると拡がっていく。
蔦の先端で声の出所を探す。
声の主の状態も伝わってくる振動で全て把握する。
いつ攻撃されても迎撃出来るよう、指先から触手を生やし近くの大樹を操作する。太い、大樹の幹がぐぐぐと動いた。大樹の根がぬかるんだ大地からずるりと抜け出て来る。ドームを形成する枝葉を操作し罠を張るのも忘れない。いつでも尖端の鋭い柵状に形成した大木を落とす用意が出来ている。
警戒はやり過ぎて困ることはない。
アルラウネと言えど植物に違いないのだから、焼かれ、燃やされれば死ぬ。
今は雨季で、辺りは全て濡れているが、火や雷を使われたら危ない。
特に飛び道具には細心の注意を払わねばならない。
腕が伐り落とされるくらいならば平気だが、核である魔石を矢や魔法で射貫かれれば一撃で絶命することだってあるだろう。
一寸も油断することは許されない。
現実に、下位の生き物だと高を括って人間に狩られたアルラウネは少なからず存在する。
狡猾なことに、乾季、アルラウネが地中に潜み眠ることで季節をやり過ごす隙を突いてやって来る人間もいる。
人間にとってアルラウネは『高価値の狩猟対象』であり、文字通り『金の成る木』だ。
密猟者。
それが唯一のアルラウネの敵だった。