【098】イヴ・クローヴィス・14
キースとシャルル、そしてサーシャと、シャルルの護衛である異端審問官二名が、クローヴィスとリリエンタールが居る部屋に到着する前に、
「閣下!」
用事を言いつけていたリーツマンが、かけ足でやってきた。
サーシャがシャルルに「キース閣下の副官です」と耳元で囁くと、頷いて少し距離を取る。
内容は分からないが、余所の国の軍内部のことには触れない……それが、シャルルの方針。
サーシャもシャルルと同じく距離を取り、
「急ぎか?」
キースが足を止める。
「急ぎといいますか……いいえ、急ぎです!」
「なんだ」
「クローヴィス中尉が男性ではないか、という噂が」
背が高く、声も低く、強くて、さらにあの顔だち。
もともとそういう噂はあったが、キースを看病した一件で、噂が大きくなった。
「…………本人も、そう言っていたが」
いつまでもクローヴィスは男性疑惑が消えない――将来のことを言えば、クローヴィスは結婚しても、男ではないかと言われ続けるのだが、
「もともとあった噂を、キース閣下が補強してしまったようです」
その根は「ここ」だったのではないかと――リーツマンから「自分を看病した結果」噂が補強されたと聞かされたキース。
「わたしが原因か」
聞くつもりだったサーシャと、そのサーシャに促されて聞くことになったシャルル――二人の表情は強ばったままだが、リーツマンがそれに気付くことはなかった。
「小官が、閣下の看病に当たれれば良かったのですが」
聖誕祭休暇が終わり――首都の情報が届き、急ぎ戻ってきたら、この状況に巻き込まれたような立ち位置のリーツマン。彼は彼で、その時、現場にいられなくて後悔していた。もちろん彼にはなんの落ち度もない。
「過ぎたことを言っても仕方ない」
「はい。ですが噂をこのままにしておくのも」
噂というのはろくでもないものが多いが、これはその中でも性質が悪い。
「わたしがクローヴィスは女だと宣言すれば、別の誤解を生むしな」
このタイミングでキースがそのような発言をするのは、”そういうことがあった”と、取られてしまう。
「はい」
「とりあえず、クローヴィスにはわたしから伝えておく。噂に関してだが…………クソ野郎の裁判で、上手く持っていくしかねえな。今は何もしなくていい。報告ご苦労、仕事に戻れ、リーツマン」
「はい!」
当時、首都にいた兵士たちから無作為に話を聞くという仕事に、リーツマンは戻り、残された彼らは何とも言えない空気に。
「…………」
「…………」
「殿下、この件に関して、このアーダルベルト・キースが、直接リリエンタール閣下にお伝えしたいのですが、お許しいただけるでしょうか」
愚かな噂を立てた彼らを救うべく、キースは動く――以前はともかく、このタイミングで言い出した馬鹿は、リリエンタールに消される可能性がある。
シュテルンに手をだせずに溜まったストレスと、クローヴィスが知らない誰かであり、クローヴィスを侮辱した誰かとなれば――言い出した当人だけで済むかどうか。
「いいですよ。仕方のないことですしね」
「ありがとうございます」
――あの時、わたしが風邪で倒れなければ、キース閣下の看護をわたしが受け持てていたら、こんな噂が立つこともなかったのに
同時期に風邪に倒れ、ともすればキースよりも重篤な状態だったサーシャが視線を逸らす。
「お前も喋るなよ、サーシャ」
「はい」
「それにしても、あなたも大変ですね、キース。馬鹿を守ってばっかりで」
軍のことは聞かないが、クローヴィス絡みのことは、積極的に情報を集めているシャルルは、今回の出来事を大まかながら正しく知っている。
そしてキースの気質も。
「トップの仕事は、そういうのが多いですね……もっとも、馬鹿が目立つだけで、ほとんどは優秀で守り甲斐のある部下たちですが」
「総司令官になるんでしたっけ? 近々お祝い送りますね」
「いや、結構です」
「話の流れだから、気にしないで。まあ、なにかあったら言いなさい。あの人には頼みたくなくても、どうしても上流階級を通さなくてはならないことがあったらね」
「ありがとうございます」
そんな会話をしてから、彼らは二人が居る部屋を訪れ、――事情を一切聞いていないが、部屋を出ろということなのだろうと、リリエンタールはすぐに察し部屋を出て、キースが代わりにクローヴィスにつく。
普段通り元気とは言い難いが、先ほどよりは気分が少しは浮上したクローヴィスに、安堵しながら、自分のせいで男だと更に言われてしまったことを詫びる。
クローヴィスは「そんなことは、気にしなくていいです。いつものことなので」とは言っているが――もともと本人が気にしていること。
有耶無耶にするのも悪いが、あまり拘るのもいけない。
謝罪し、適度なところで話を切り上げ――しばらくすると、ベックマン少尉がやってきて、リリエンタールの居場所をキースに告げる。
「クローヴィス。わたしは用事があるから行く。しばらくはこのカミラ・ベックマンが護衛だ。本当はお前の同期を付けてやりたいところだが、裁判前ということもあり、あまり接触させる訳にいかない。だからこの、アルドバルドの数少ない腹心で我慢してくれ」
「室長に腹心と思われているかどうかは分かりませんが。中尉より遙かに弱いのですけれど、薄汚さと腹黒さ、そして卑怯さでやり込めますので、身辺警護させていただきたく」
護衛を付けられたことを恐縮がっていたクローヴィスを横目に、
――護衛に慣れるようにしたほうがいいな……護衛より先に、敵を排除しそうなのがなあ。あいつが動いたほうが確実だから、やるなとも言えんのが。いずれヒースコートを専任で付けるかもしれないが、軍からも人を出さないわけにはいかないしな……
キースは部屋を出た。廊下には、ひどい顔をしたオースルンドがおり、
「護衛という名目で……報告ですが、シュテルンのヤツ、六ヶ月ほど前に、娼婦を一人殺害しています」
リリエンタールがいる部屋へと向かう途中、いままで分かったことを報告する。
「はぁ?」
「シュテルンは常連で、いつもの行為中だったので、故意ではなく過失だと店主が判断して、届け出なかったそうです」
「娼館の店主は、いつから判決を下せるようになったんだ」
「超法規的措置……というものかと。その時点で逮捕できていたら、今回のことは闇に葬ることができました」
ガイドリクスの部下時代のことなので、今と同じくオースルンドが証拠品などを押収し、ひっそりと裁判にかけて、リドホルム男爵が実刑判決を言い渡し、刑務所に押し込めておくことができた。
その際、今回見つかったクローヴィスの着衣なども発見でき、
「殿下は、クローヴィス中尉に気付かれないよう処分するように、指示されたはず。もっと言えば、横流しも気付けたはずです」
この一件は、クローヴィスを傷つけずに終わらせることができた――言ったところで、もうどうにもならないのだが。
「娼館の店主については、わたしは関知しない」
キースも必要とあれば殺人をもみ消すが、同時に自分の死の真相をもみ消され、あるいは使われて文句は言わない――キースのこれは、責任と覚悟だが、店主はそうではない。
「ありがとうございます。店主の他に裏社会の顔役と、店がある界隈を取り仕切っているボスを呼んでるんで、そこに親父を投入します」
「拷問の果てにバラバラになった死体を、そこら辺に投げ捨てて、善良な市民を驚かせるような真似は止めろよ」
「はい。わかりました」
二人はテサジーク侯爵とリリエンタールがいる部屋へとやってきて――オースルンドが廊下でキースにした説明を再びし、さらにはいつもの行為についての、分かっている範囲内で詳細を伝えた。
「クローヴィス中尉の髪は、触るとシルクのようというのは、有名ですので」
「そうか。それで、フランシス。行くのか」
「うん、行ってくる。ああ、そうだ、キース閣下。今度、裏社会の顔役と会っていただけませんか?」
立ち上がったテサジーク侯爵は、
「分かった。ただし殴る」
「殺さない程度にお願いね。仕立てるの、手間がかかって面倒だからさ」
「もちろんだ。二度も三度も、そんなヤツらと会う時間を作りたくないからな」
「さすが理性的。じゃあね」
笑いながらキースに返事を返し、部屋を出ていった。
「死体が溝に浮かばねばいいがな」
「それは止めるよう、オースルンドに言いつけておきました」
「実際にやるのはオースルンドではなく、アンブロシュの部下であろう? 仕事が丁寧であればいいが」
「それはそれで、気味が悪いのですが」
そんな話をしてから、キースは姿勢をただし、無責任な噂が立っていることを詫びる。
「噂の出所についての調査が必要でしたら」
「わたしにはやらせない、ということか」
「軍内部のことですので」
「そうか。悪意の有無だけ報告すればよい。もっとも無でなければ、報告できぬであろうがな」
「ええ。こちらの方はわたしが片付けますので、クローヴィスのフォローはリリエンタール閣下にお願いいたします」
「言われずとも」
「それと、クローヴィスの隔離場所をこのモーデュソン邸ではなく、ベルバリアス宮殿にお願いしたい。理由は、あの証拠品と一緒に置いておくのは、忍びない」
「…………娘と話をしていいのか?」
「事情を聞く程度でお願いします。それと、手を出さないように。わたしは庶民ですので、結婚前の交渉も否定はしませんが、異国で妊娠が判明したら大変です。なにより、クローヴィスがあなたの子を、ブリタニアスで出産すると厄介なことになるのでしょう?」
「厄介さは、そうでもない。潰してしまえばいいだけだ。だが異国で娘を不安にさせるのは、一時でも避けたいから……分かった、決して触れぬ」
どれほどの大国でも「問題はない。叩けば終わる」と――リリエンタールのそれに関してはキースも疑わないが、クローヴィスに関しては、人並みに年長者として忠告しておくべきだと。
――浮かれているのだろうが、全く浮かれているように見えない……むしろ不機嫌になったようにすら見えるのだが……笑わないで四十年近く生きてくると、こうなるの……いや、コイツが特別だな