【097】中将、裁判を急ぐ
異端審問官が大挙してやってきたことについて、リリエンタールに確認を取ったキースは、再び証拠品が並べられているホールへと戻った。
「ここまででいい。仕事に戻れ」
マルムグレーン大佐のフリをしてついてきたリドホルム男爵にそう告げ、彼は入り口で頭を下げて、ホールには入らず、もとの仕事へ。
「レコ・タイナ中佐! 来い!」
ホールに足を踏み入れると同時に、キースが大声で、証拠検分を担当している、キースとは不仲な中佐を呼んだ――検分の場に、キースと派閥が違う人間が入っているのは「キースが自分に不利な証拠を隠したに違いない」という証言を防ぐため。
もちろん偽装した証拠を混入されないよう、キース側の人間とセットになっている。
ただ不仲であろうが、派閥が違おうが、中将が内定している少将の呼び出しを、中佐は拒否できないので、キースの元へと駆けつけ、姿勢を正して敬礼する。
「レコ・タイナ中佐であります」
「イグナーツ・シュテルンの証拠品の検分を行う。立ち会え!」
「御意!」
軍は厳しい階級社会。ましてやキースは、軍の総司令官がほぼ確定している――この場にいる軍人たちは、内心どうであれ、誰一人逆らうことはできない。
「この指示書は、あとで殿下に全て確認していただくから、まとめておけ」
側にいた別の兵士に声をかけ、指令書をまとめさせる。
クローヴィスがつい最近までガイドリクスの部下だったことは、タイナ中佐も知っているので、異論はなかった。
証拠の中では、まともな部類なので、殿下に依頼しても、失礼には当たらないだろうとも。
「とりあえず、イグナーツ・シュテルンの証拠を整理する。それと、こいつを最初に裁判にかける。できれば二週間以内に裁判を執り行いたいと考えている」
「早すぎでは」
軽微な犯罪ならばまだしも、軍の一部の暴走――クーデター未遂の一味なので、もっと時間を掛けて準備するのが普通なのだが、
「わたしはクローヴィスを、ブリタニアスの駐在武官付き補佐武官に推薦した。面接の日時は、お前も分かっているな? タイナ」
ホールにキースの声がよく響く――シュテルンとの関わりを片付けないことには、面談もなければ、出国も認められない。
「はい」
あれほど若いのだから、この機会を逃してもいいのでは? と、タイナ中佐は思ったが、次の総司令官に内定したキースが推薦したのだから、通るのは確実――要するに、なんとしてでも、訳の分からぬ疑惑を晴らして、面接へと進まなくてはならないことも分かった。
タイナ中佐の判断は概ね正しいが、この面接は、ただの面接ではない。リリエンタールとクローヴィスの両親の初顔合わせ。
――顔合わせを延ばすことはできん
もっと違うタイミングで顔合わせしていて欲しかった――そう思う反面、公職についていない、貴族でもないクローヴィスの両親と、リリエンタールを上手く引き合わせる方法が他にあるかと問われると、キースには思い浮かばなかった。
――ツェサレーヴィチだけなら、幾らでも方法はあるんだろうが
とくに現時点では、クローヴィスとリリエンタールの関係は秘密。更には、国の上層部も話を聞き、全面的に賛成していることを、両親に伝えるために、ガイドリクスやキースとしても、一度は顔を合わせたい。
キースのほうは、他にも機会は作れるが、これから即位するガイドリクスは、この先は余計に難しい。婚約が公表されたあとならば、問題なく会えるが、それ以前に会って話しておきたいとガイドリクスは希望している。
となれば、この面接以上の好機はない。
――相変わらず、腹立たしいほど完璧だ
「閣下。指令書の箱詰め、終わりました」
脇で黙々と仕事をしていた兵士が報告する。
もう一人の兵士が箱の蓋とハンマーを手にし――
「タイナ、紙とペン」
「はい」
キースはタイナからB5サイズに近い紙を受け取り、
「背中」
「はい」
タイナ中佐の背中を机代わりにして、大きく自分のフルネームをサインし、
「蓋を被せろ」
置かれた蓋の上に、サインした紙を置き、ハンマーを手に釘を打ちつけ、封が解かれたのが一目で分かるように細工し、再びタイナ中佐から紙を受け取り、簡単に事情を書き、部下に急ぎ届けさせた。
「ヘルツェンバイン中佐に直接渡せ。そしてこの紙に、ヘルツェンバイン中佐のサインをもらってこい。わたしも書いたが、ヘルツェンバインにはフルネームを書けと言え」
「御意!」
「タイナ、紙!」
「はい!」
最後にキースは指令書――部下たちの氏名と階級、瞳の色などを記し、通行許可や公用車の使用等の許可を認め持たせた。
兵士二人が指令書を胸ポケットに入れ、箱を担ぎ大急ぎでホールを出ていき、
「一体なにを考えて、こんなことをしやがったんだ」
キースは膝をついて証拠の検分を再開すると、すぐに入り口にいる兵士がやってきて、少し離れたところで、直立不動で敬礼し、
「キース閣下。ヴェルナー中佐が、入室許可を求めております」
「通せ」
「御意! 武器はいかがなさいますか」
「携帯を許可する」
「御意!」
許可を受け取り引き返す。
許可が出たヴェルナーは、銃を携帯したままキースの元へとやってきた――ちなみに、室内にいる検分を担当している兵士たちは、証拠品の武器の故意、過失どちらの紛失をも防ぐために、武器の携帯は許可されていない。
「殿下も電話してくるわけだ」
証拠品を見たヴェルナーは、吐き捨てるように言う。
「殿下もご自身の部下だった頃の出来事も含まれているので、お心を痛めたのであろう」
キースは自分も含まれているように言っているが、証拠の95%以上はガイドリクスの副官時代のもの。
だがガイドリクスに責任を取らせるわけにはいかないので、これに関してはキースが被ることになる。
「そうだろうな。……これが、件の戦闘服か」
ヴェルナーが人差し指と中指だけで全体を持ち上げ、右袖を手に取る。
「ああ、サイズもそうだが、クローヴィスので間違いないな。この袖口の解れと裂けに、覚えがある」
「一年も前の一レンジャーの戦闘服の解れなんぞ、よく覚えているな、ヴェルナー」
「他のヤツなら覚えていないが、クローヴィスのそれは、オオヤマネコを秒殺した結果だ」
レンジャー研修は、武器もろくに持たず、大自然の中で行われる。研修中に野生動物に襲われるのは、珍しいことではない。
その場合は、武器を携帯している監視員たちが撃ち、動物を遠ざけるのだが、
「こっちが気付く前に、オオヤマネコにパンチを食らわせ、オオヤマネコのほうも、勝てないと悟ったらしく、すぐに背を向けて消えた。もちろんクローヴィスも、ただの警告としてのパンチだったが。その時にオオヤマネコの爪に袖が引っかかった……そうだ。動きが速すぎて見えなかったこともあるが、山の中でネコ科動物の気配を、あそこまで簡単に察知するヤツは、見たことがなかった」
クローヴィスの動きはそれよりも、遙かに素早かった。そもそも、監視員は気付いてすらいなかった。
「大したもんだ」
研修終了後に「ヤマネコとの格闘の証」と、仲間に語っていたクローヴィスの頭を、ヴェルナーは軽く叩き「オオヤマネコだ。それと一撃くらってるんじゃねえよ」と。
「そりゃな。そうでなけりゃ、レンジャー研修を受けさせはしねえし、お前や殿下の、護衛を兼ねた副官に選んだりしねえよ」
「それもそうだな。……その戦闘服が、クローヴィスのものだと、完全に証明されたのか。おい、タイナ、そこにある汚れたシルクをこっちへ」
ヴェルナーと話ながらも、証拠品を一つ一つ目視で確認していたキースは、やたらと薄汚れているシルクに違和感を覚えた。
名を呼ばれたタイナは、指差されたシルクを手に取り――
「使用方法は、その戦闘服とほぼ同じかと」
シルクについているシミと悪臭に、そう答えるしかできず――タイナ中佐がなにかをしたわけではないのだが、怖ろしくてキースのほうを見ることができなかった。
「おい、タイナ中佐。それを明かりにかざせ」
その薄汚れたシルクを眺めていたヴェルナーは、ふとおかしな汚れがあることに気付いた。
「分かった」
ヴェルナーに言われてかざしてみると、
「顔?」
「女、それも娼婦の顔だろうな」
顔と分かるものが浮かび上がった。そのシルクを検分してみたところ、枕カバーではなく袋で、内側には白粉やアイライン、アイシャドウや口紅がついていた。
「被せたのか」
タイナ中佐は「これ以上、キースを怒らせるなよ」と思っていたが――キースは、出だしからこれ以上ないほど怒っている。
ただそれを他者に、気取らせていないだけのこと。
「被せただけで、そこまでくっきりと顔の跡が残るとは、考え辛いな。押しつけた……と考えたほうがいいだろう」
「ヴェルナー。お前はそんなに俺に、シュテルンの野郎を殴り殺させたいのか」
「殴り殺すなら、乗るぞ」
「止めろヴェルナー。袋の内側の化粧跡だが、一般女性がするような化粧ではないな」
「見るからに娼婦の化粧だ」
娼婦は一目で娼婦と分かる化粧をしている。
袋の内側を覗いたキースは、
「素行を隈無く調査する関係上、この野郎の馴染みの娼館や、お気に入りの娼婦まで調べるが、普通は使われない……が、クローヴィスの無関係を証明するためには、行為についても詳細に調べ、裁判で詳らかにしなくてはならないようだな」
戦闘服を見た時点で、大まかに決めていた方針を、はっきりと固めた。
「裁判記録に、こいつの性癖の詳細が記載されて、永久に残されるのか」
クーデター未遂事件を起こしたシュテルンの裁判記録は、資料として永久に残されることが決まっている。
――クローヴィスの詳細は、載せないほうがいいか。だが……調整が面倒くせえ
クローヴィスがリリエンタールの婚約者だからではなく、ただの部下であっても同じ配慮をした。
その後も腹立たしいシュテルンの証拠品を調べ――
「キース閣下。これを」
出入り口の見張りが、今度はカードを持ってきた。
立派な作りのカードを開くと「ちょっと一緒に来てください シャルル・ド・パレ」という文章。
「ヴェルナー、あとは任せた」
「ああ」
文面を見せられたヴェルナーも頷き、キースはホールから廊下へ。
そこにはサーシャと一緒にいる、正装したシャルル。彼らと共に、キースはクローヴィスのいる部屋へと向かった。