【096】少佐、作戦を阻止する
イヴに出会ってからよく起こる「リヒャルト・フォン・リリエンタール人生最大の失敗」にうち拉がれるも、
「イグナーツ・シュテルンの身辺を、総ざらいしろ、フランシス」
「やらせているよ」
リリエンタールは自らの得意分野に着手した――決して気を紛らわすためではない。
この邸のもとの主が書斎として使っていた、壁が円を描いている部屋で向かい合い――法に則るが、シュテルンを二度と刑務所から出られぬようにするために。
幸いながらロスカネフ王国は、罪を可算する方式をとっているので、死んでも刑務所から出られないようにすることは出来る。
「人手は足りているか」
「うちは、慢性人手不足だよ。知ってるでしょ」
「知っている。だから貸してやる」
「君のところの蛇たちを?」
「そうだ」
ちょっとした貴族や、それなりの企業には、国家ほどではないが、情報収集に長けているものを雇っていたり、その筋に依頼する伝手を持っている。
リリエンタールは個人で、情報収集専門部隊を所有しているが、その全容はほぼ誰も知らない。
そう、テサジーク侯爵ですら――唯一テサジーク侯爵が知っているのは、リリエンタールが所有する諜報員の数が、小国の諜報部をも凌ぐのは確実ということだけ。
それほどの諜報員をどうやって養っているのか? それは前述の後者――その筋からの依頼を請け負って、報酬を得ている。
もっとも報酬を受け取っている者たちは、自分たちがリリエンタールの諜報員という自覚はほぼない。
「いつの間に、そんなにロスカネフ王国に入国させたのかな?」
リリエンタールが呼んだ……ということは、自分がリリエンタールの部下であることを知っている、諜報部でもトップクラスの者たち。
彼らの実力については、テサジーク侯爵も知っている。
「入国はさせていない。国境付近に待機させているだけだ。待機しているのは隣国だ」
「良かった。大量に入国されていましたなんて、アーダルベルト君に報告を上げたら、殺されちゃう」
個々の実力は優れているが、テサジーク侯爵には及ばない――だが数は多い。いわゆる、人海戦術で情報を取りに行くのが、リリエンタール所有の諜報集団の手法。
「どうだ、フランシス。補充人員として百人単位でくれてやるぞ。どれも、ロスカネフ語は堪能だ。希望があるならば、人種もいえ。諜報活動をしたい国で目立たぬ人種、年齢、性別、全て取りそろえよう。もちろん実力も備えているが……お前には物足りないかもな、フランシス」
「相変わらず、とんでもないよね、君って」
「数は多いが、お前ほどの諜報員は一人もいない。それこそ、実働の精鋭たちが百人集まっても、お前の足下にも及ばぬ」
「お褒めに与って光栄だけど…………屑をあまり余所の諜報部に見せたくないから、うちだけでやっても、いいかな」
今回の一件を隠しきれるなどとは、テサジーク侯爵は考えていない。
ただ、総司令官のことを考えると、受けるわけにはいかない。
「それは良かった。わたしの部下を動かせば、キースが黙っていないからな」
「わたしの部下が動き回るのも、いい顔しないけどね」
「致し方あるまい? お前たちは渋い顔をしつつ、我慢するが、わたしの蛇たちは、見つけ次第、殴り殺しかねんからな。なにせこの国で諜報活動をさせようと思ったら、女は使えん。となれば男だが、そうなれば容赦しないからな」
もっともスパイなら、女性でも容赦しないことは、彼らも知っている――キースは、外敵を攻撃することに躊躇いがない。
「彼ならそうするだろうね」
「無駄にキースの怒りは買いたくはないので、お前の部下に偽装しようとしたのだが」
「うーん。バレるんじゃないかな。きっとバレると思うよ。で、国内で活動できないであろう彼らを、国境付近まで連れてきてどうするつもり? 共産連邦に送ったりするの?」
「そのつもりだ」
「イェルハルドが苦労したルートを通って?」
共産連邦の書記長室に、手紙を置くという大任を果たしたリドホルム男爵は、道中なかなかに苦労した。
もちろん苦労についてなどは、報告しなかったが、道中の難所などについては、傾斜角度など、数値を付けて提出し――テサジーク侯爵も認める「難所」が所々にあった。
「その方法で入国させるのならば、わざわざ待機などさせぬ」
「それもそうか。じゃあ、どうするの?」
「近々やってくる、共産連邦の特務大使に付けてやる」
「何しにくるの? その大使」
「表向きの理由は、スパイの返還を求めに」
「ほっとけばいいのにー。処刑するだけでしょ? わざわざ手間暇とお金かけるなんて、そんなに処刑したいの? 彼ら」
それこそ唸るほどいる共産連邦のスパイなど、テサジーク侯爵が言う通り、助けにくる必要などない――
「マルチェミヤーノフはお前より小心者で、リヴィンスキーは、わたしからの手紙が欲しい。ヤンヴァリョフはこの機会に、わたしの狗に調査してくるよう命じるであろう。あとは証拠の回収だな。フォルズベーグを攻め、その勢いでロスカネフの首都まで到達する予定だったはずだ」
リリエンタールが居なくなるという、ほぼ確実な想定の下、立てた計画だったが、思わぬところで破綻し――そこから、リリエンタールの動きが読めぬまま、居なくなることを願って待機したものの、動く気配は全く無く。当初の計画を破棄し、新たな計画へと移行させるために一度撤収する……と、リリエンタールは読んでいた。
「元帥とか書記長の動きを、君が読み間違うことはないから、それは信用するよ。でも、わざわざこのタイミングで送らなくてもいいよね? 君なら、もう送り込んでいても、おかしくないんだけど」
国が混乱しているので、待機させるのは難しいことではないが、動かしたほうが目立たないのも事実。とくに人目を気にする諜報部員にとって、国境沿いで待機は、できれば避けたい任務――リリエンタールがそれを知らない筈がない。
「さすがフランシス、鋭いな」
「うわぁぁ。これほど嫌味にしか聞こえない、お褒めの言葉って、ある意味凄い」
「本心で褒めてやったのだが。国境付近に置いたのは、共産連邦が攻めてきた場合、対応させるためだ。一か八かで攻めてくる可能性も考慮していた」
実際、共産連邦の若い将校たちは、リリエンタールがいても攻めようとしていたが――トップたちが一度は様子見をする……ということで、今回は見送らせた。
だが次は、押さえるのが難しく、約一年後に、彼らはこの時の鬱憤も含めて攻め込んでくるが――
「一体、何人国境沿いに配置したの?」
「蛇たちは五十名ほどだ。これに列車砲と、その新兵器を守るために武装した兵士たちと共に移動しているヘラクレス。あとはヴィルヘルムの部下が一隊いれば、三、四万程度の足止めは簡単だ」
「わたし、ベルナルド君と同じく、戦争については、全く分からないんだけど、それでも聞いてるだけで、負けないんだろうなって信じられる」
「お前に信じられてもな」
「うわ、酷い。まあ、攻めてはこなかったから、次の作戦に移行するってことなんだね」
「そうだ」
「ロスカネフは一度諦めたけど、また来るの?」
「来る」
「共産連邦に足を伸ばしたついでに、イェルハルドが情報を集めてきたんだけど、次の狙いはアブスブルゴル帝国ってほんと?」
テサジーク侯爵の言葉に、リリエンタールはいつも通り無表情で頷く。
「へえ……」
「あそこも多民族国家だ。属領では独立の気運が高まっている。共産連邦の助けを借りて、独立しようと考える、過激派がいてもおかしくはない」
独立の気運が高まるよう、新聞で世論を動かしていた当人だが、全く悪びれることはない。
「独立しようとしているやつらに、武器を流している?」
「しているだろうな」
「でも、攻め込むの、結構大変だよね?」
「国を内乱状態にすればいいだけだからな。武器を流している相手は、王政廃止を声高に叫ぶ過激派」
王や貴族を許さない共産連邦と、王政廃止の過激派は相性がよかった――どちらも、王族の排除を掲げているので。
「分かる気がする。でもさ、王族は人気が全くないわけじゃないよね? なにより王族を、全員一気に殺害するのは無理だしさ」
王侯貴族は血が途絶えるのを、回避するために、全員が一同に介することは稀。
「まあな。お前の目の前にいる男は、アブスブルゴル帝国皇位継承順位、影の第一位だからな」
「そうだった。すっかり忘れてた」
「王族をほぼ殺害するのは、そう難しいことでもない。レオポルトの誕生日に、首都で大爆発を起こせば良い」
「君は、簡単に言うけどさ」
「マルチェミヤーノフは、きっとやってのける。できる能力を持った男だと、わたしは信じている。なんなら、影ながら手助けしてやってもよい」
戦争には疎いテサジーク侯爵だが、ここまで聞けばわかった。
「あー。止めないんだ」
「止める必要などないからな。もしかしたら、ヤンヴァリョフが止めに入るかも知れぬが。その時まで両者が生きておれば良いが」
クローヴィスのことで、関係が最悪になることが決まっている、アブスブルゴル帝国への、先制攻撃――だったのだが、
【マルチェミヤーノフにしてやられるのは腹立たしく、更に言えばヤンヴァリョフに市民を助けようとしたという名声を与えるのも癪です。マリエンブルク一門はともかく、アブスブルゴル皇族は好きではありませんが、アブスブルゴルの民に今のところ恨みはありませんので、できる事ならば救出したいです】
リリエンタールの策は、女性庶民士官によって、潰されることになる――