【092】イヴ・クローヴィス・13
シェベク隊の仕分けを終えたリリエンタールは、すぐさま彼らのことを忘れ――久々に会うクローヴィスのことだけを考えていた。
「レイモンド」
「はい」
リリエンタールの馬車には、護衛としてヒースコートが同乗している。
「娘との再会に際し、本当に手土産は必要ないのか?」
久しぶりに会うということで、リリエンタールは贈り物を携えてやってくるつもりだったのだが、皆に止められた――唯一止めなかったのは、アイヒベルク伯爵だけだったが、彼は戦争に関しては優秀だが、こと恋愛に関しては役立たずなので、黙っていただけなのは明白。
リリエンタールが再会の手土産にと用意したのは、カメオのブローチと、インタリオのネックレス。どちらもモチーフは百合。
まだクローヴィスとなんら意思の疎通が成されていない段階での発注だったため、デザインを見た執事が「こんなに独占欲が強かったんですね。作っておくのはいいんですけど……」と――幸いながら想いが通じ合ったので、贈っても差し支えはない……と、リリエンタールは考えたのだが、嵌める枠にも財力を投じた結果、
「シンプルなものならば宜しいのですが、あのブローチとペンダントはさすがに豪勢で、現状では時期尚早ですね」
没落していない資産家貴族でも、一生に一度、手に入れられるかどうかの傑作が納品された。
「娘の美貌を考えれば、あれでも地味であろう」
あまり派手なものでは、普段使いしてもらえない……ということは理解していたリリエンタールだが、庶民と皇帝の認識の違いは、この程度の時間で埋まるものではない。
問題の土産になりそびれた宝飾品だが、インタリオはエメラルドで、カメオは緑瑪瑙。
「それに関しては同意いたします。おそらくキースも同意するでしょう。ですが、贈られたクローヴィス中尉がどう受け取るかが大事です」
枠はどちらもプラチナ製で、ブリリアントカットが施された、小さなダイヤモンドが周囲を飾っている。
「…………」
「リリエンタール閣下が控え目に作らせたのは分かりますし、あの美貌ならば付けていても目立ちはしませんが、庶民育ちのクローヴィス中尉が、普段使いと考えることはまずないでしょう」
クローヴィスは貴族が着るような上質な着衣は持っていないが、美貌とスタイルの良さから、カメオとインタリオをもらって身につけても、誰も違和感を覚えないのだが、本人の性格は至って善良で慎ましやか。
「これは大事な席で使おう」とジュエリーケースに保管して、寮に備え付けの洋服ダンスの中にしまい込むのは、明らかだった。
クローヴィスを知るリリエンタール以外の人間なら、ほぼ誰でも想像できるくらい明らかだった。
「枠を飾りのない銅古美にするか」
「それをクローヴィス中尉が身につけましたら、古帝国より伝わる幻の装身具に見えるかと」
「そうだな。あの娘は宝飾品を全く必要とせぬ美貌の持ち主でありながら、宝飾品の格も上げる。まったく困ったものだ」
”困ったものだ”といった時のリリエンタールの表情は、僅かに頬が動き――知らない者が見れば、見たことを後悔するような表情だが、
「楽しいようですな」
それは微笑だった。
「楽しくないはずがなかろう。……キースに言われたのだが、大物は誕生日などの特別な日ならば、受け取ってもらえるだろうと。キースはお前やあれたちではないので、信頼してはいるが、一応聞くぞ。そういうものか? レイモンド」
「はい。もちろん限度はございますよ。いきなり城を渡されたりしたら、困り果てますので」
「城は駄目か」
リリエンタールの手配は完璧なので、城だけ渡すなどということはない。
城まで道路を通し――もしかしたら、線路を敷き、車両基地を完備するかもしれない。
乗馬が得意なクローヴィスのために、厩舎に名馬を揃えるのは確実。
名画や優れた彫刻などで飾り、上質な召使いを揃えて――専制君主時代の公妾ならば、喜んだかもしれないが、クローヴィスはもらっても喜ぶような性格ではない。
「それもいずれは……ですね」
「豪華客船を発注してしまったのだが」
「どの程度の?」
「世界最大級。内装などは、世界でもっとも豪華にする予定だ」
「分かってはおりましたが」
「娘は軍人だから、いずれ巨大戦艦の一つでも贈ろうかと思っているのだが」
「そちらは意外と食いつきが良いかもしれませんな。クローヴィス中尉は、なかなか立派な軍人でいらっしゃいますので」
”娘に贈るのならば、やはり世界で最も美しい戦艦でなくては”などとリリエンタールが考えている間に馬車が停まり、ドアが開く。
各自下車し――
「本当に娘に手土産はなくていいのだな? 嫌われたりはしないな?」
別の馬車から降りたキースに、重ねて尋ねる。
「遊びにいったのであれば、手土産の一つくらいはあったほうがいいでしょうが、あなたは非公式ながら、戦争に赴かれた。クローヴィスもそのことを、知っているのですから、むしろ土産をもらったら混乱するでしょう」
むしろ手土産があったほうがおかしいのでは? と、当たり前の答えをくれるキースに対し、
「戦争をした……というほどでもない。少しばかりヴィルヘルムを、遊ばせたくらいのもので」
戦争に行ったほうは、まったくその自覚はなかった。
「あなたにとっては、そうでしょうがね」
”ツェサレーヴィチにとって戦争とは、どの規模のものを指すのだろう”……少しばかり考えたキースだが、すぐに「どうでもいいな」となり――ガイドリクスたちと合流し、雑務に忙しいクローヴィスを呼び出し、段取り通りに話を進め、
「目くらまし……ですか」
「女王の尊厳喪失に関して。それから目を逸らさせるために英雄を立てた……そう思わせることで、今回の作戦は終了する」
”庶民出の女性士官が、二十三歳で大尉とか不自然すぎるぅぅ!!”
という、クローヴィスの内心の叫びは、室内にいる全員に届いていたが、三十五過ぎの政治と軍事に携わってきた男たちは、気付かないふりをして話を進め――
「英雄役、拝命いたします」
ヴェルナーに軍人の心得をたたき込まれたクローヴィスは、上官からの命令を受け入れた。
そしてリリエンタールが、国外赴任について話そうとしたところで、ドアがノックされ、
「なんだ? マルムグレーン」
サーシャがやってきた。
その表情はかなり強ばっていた。表情については、随分と訓練をし、制御できるようになったサーシャが、任務中にするにはあまりにも不適切だった。
呼びに来たサーシャは概ね事情は理解したので、本当は呼びにきたくはなかったが、シュテルンの押収品は、あまりにもあからさまな上に、クローヴィスは長身なだけではなく、手足がとても長いので――誤魔化すことができなかった。
押収品の数々が並べられているダンスルームで、自分に関する品を見たクローヴィスは、白い顔が更に白くなり、
「クローヴィス中尉。休憩してこい。参謀長官閣下もお下がり下さい。あとは小官が」
キースは二人を遠ざけた。
リリエンタールの補佐なしでは、すぐに倒れてしまいそうなクローヴィスを見送った――若い部下の側に恋人がいて支えていることに安堵するも、それがツェサレーヴィチであることに、どうしても複雑な気持ちになるが、それらを全て振り払い、
「殿下、クローヴィスの一件は、オースルンド准尉に預けてください」
私人としては、今から入院先に乗り込んで、顔面を陥没させるまで殴りたいが、公人としてはシュテルンを裁判まで守らなくてはならない――リリエンタールがサーシャやルッツに、暗殺を命じる可能性を考慮してのこと。
「分かった。オースルンドたちに命じておく。……これが片付くまでは、退役しないほうがいいようだな」
ガイドリクスもキースが言いたいこと、懸念していることをすぐに察し、次期国王としてメッツァスタヤに直接命じることを請け負った。
「では殿下、よろしくお願いいたします」
キースが頭を下げ、ガイドリクスはダンスホールを出て行き、
「おい、サーシャ。殺すんじゃねえぞ」
キースはサーシャの耳元で、囁くとは表現し辛い低い声で命じる。
「命令がなければ、殺しませんよ」
「あっても殺すな。裁判にかけるのを邪魔するな。ロスカネフは法治国家だ。分かったな」
「…………暗殺を命じないとお思いですか?」
「命じると思っているから、こうして話しているんだろうが」
「暗殺ではなく、ご自身が陣頭指揮を執って、襲撃する可能性もあるかと」
サーシャがくすりと笑う。
キースはサーシャの指摘を、否定できなかった。
――むしろ暗殺を命じず、自ら殺しに行き……あれだけ高貴な生まれのくせに、単身襲撃もできるんだから、恐れ入る
「ちっ……すぐにでも、話をつける。まったく、くそ野郎の身柄を守るために、ツェサレーヴィチと交渉しなきゃならない日が来るとは。出世なんて、するもんじゃねえな」
キースは言い捨ててから、他の押収品も見て回った――幸いというか、当たり前のことだが、クローヴィスの戦闘服のような悲惨な押収品は、他にはなかった。