【089】少将、事情説明を求める
首都に到着したリリエンタールと、女王と王家の影とその他が起こした、愚行の後片付けに追われているキースの会談が持たれた。
副官の二名はすでに帰宅し、キースは平服のまま公用馬車に乗った。
「無事帰ってきたか」
「帰還は果たしたが、忙しくて死にそうだ」
馭者は、シモン・ノルバリ――
「わたしの部下は、九割強無関係なのに、お前等の後片付けに奔走しているが」
地位のある人が乗るのに相応しい、黒塗りの箱馬車。
馭者台に面した小窓を開けて。
「それは悪いと思っているが、問題を起こした集団に属しているが、まったく預かり知らなかったわたしとしては、後始末から逃れるために、共産連邦の潜入任務に立候補したいくらいだ」
「今更、共産連邦への諜報活動もなにもないだろう。ツェサレーヴィチが、元部下たちで遊ぶだけなのだから」
「そうだな」
会う人は分かっているが、場所は分からぬまま、ノルバリが手綱を握ってる馬車は、上流階級の紳士限定社交クラブがあると、言われている建物に入った。
その建物は昔はたしかに上流階級の紳士限定で、カードゲーム専門のクラブはあったが、いまは主催者が時代の流れについていけず、破産して閉鎖されているのだが、定期的とまでは言わないが、偶に上流階級が乗る馬車が敷地に入っていくので、いまでも「そうなのだろう」と噂されている。
そんな建物の、現在の所有者はグーデリアン――存在しないロスカネフの高級軍人名義。
邸に通されたキースは、濃いめのネイビーのピークドラペルスーツに身を包んだ、サーシャの案内で部屋に通され、家主であるリリエンタールが居る部屋に通された。
いつもの事ながら、一人がけのソファーに腰を降ろし、足を組みステッキをついて座っているリリエンタールは、立ち上がりもせず、キースにちらりと視線を向けるだけ。
「ご無事で何よりです」
入り口で頭を下げ、キースが全く心のこもっていない言葉を吐き出す。
「白々しいな、キース」
「あなたが無事ではない……などということはありえないので、白々しくもなりますよ」
リリエンタールは表情一つかえずに、自分の向かい側に置かれている、同じく一人掛けのソファーを、ステッキで指し示す。
「失礼いたします」
キースはそのソファーに腰を降ろし、二人は向かい合って座る形に。
各々のサイドテーブルに、サーシャが飲み物と軽食を運ぶ――リリエンタールは白ワインにチーズと生ハム、キースにはストレートウィスキーにオイルサーディンとナッツ。
つまみに手が伸びるかどうかは不明だが、両者とも酒が注がれたグラスを手に取り、軽く掲げる。
仕草だけは「帰還を祝って乾杯」だが、二人の間に流れる空気にそういった気配は、まったくない。
キースにとってリリエンタールは、生きて帰ってくることは分かっているし、死ねとは思わないが、生きて帰ってきたところで嬉しい相手でもなく、死んでくれたほうが楽になる――好き嫌いがはっきりしているキースにとって、目の前で当たり年の白ワインを口へと運ぶリリエンタールは、そういう意味でも、厄介な相手だった。
室内には二人の他に給仕を務めるサーシャの他に、光沢あるグレーのファンシータキシード姿のチャーチがいるものの、チャーチについてはリリエンタールが触れないので、キースも無視していた。
もちろんチャーチがブリタニアス君主国の諜報部のトップなのは、キースも知っている。
互いにグラスを空にし――
「キース。総司令官の座に正式に就け」
「それは宜しいのですが、真意を教えていただきたい」
「お前ならば、分かっている筈だ」
「読み違い……ということもありますので」
「読み間違っても、構うまい」
サーシャは二人の間を行き来しながら、グラスに酒を注ぐ。
「……それで、わたしが総司令官になったとして、あなたのご要望は?」
「娘を補佐武官として、ブリタニアスに赴任させる」
要望を聞かされたキースは、カシューナッツを口へと放り込む――事情を一切聞かされないまま、会話を聞かされているチャーチは、リリエンタールが言う「娘」が妃のことを指しているとは、考えもしなかった。
無理もないことだった――この会話からはっきりと分かるのは、「娘」が職業軍人ということだけ。
リリエンタールの妃となる人物が、職業軍人として仕事に従事しているなど、チャーチの常識では考えられない。
「それから、活躍を聞いているでしょう」
「聞いた」
「大尉への昇進は可能です」
「同意した、ということでいいのか?」
「わたしの真意など、聞く必要があるのですか」
両者とも穏やかながら非友好的――グラスに注がれた二杯目の酒を、両者とも口へと運ぶ。
「フィオレンツァにシャール宮殿と、ボルフォーシャ邸の手入れを命じたのだが」
「特命大使ですら、現ブリタニアス皇太子の居城に招待されるのは、不自然極まりないのに、駐在武官補佐が招待されるなどあり得ません。よって却下いたします。唯でさえ、その御方は、居城に人を招かないで有名だというのに」
キースはフィオレンツァが誰かは知らないが、それについては触れず――リリエンタールがなにを言いたいのかは分かっているので、失礼なことだと知りながら、話の腰を折る。
「ロスカネフの赴任先の住居は、かなり貧弱であろう」
自分が惚れた相手には、不自由のない生活をさせたいので、特例を出せと言っているのだが、
「否定はいたしません。なにせ貧乏国家なので。更に言えば、世界の富の半分以上を所有している国の首都は、物価が高くて、予算のやりくりが大変なようです」
それを聞いてやる、キースではない。
「……」
「……」
しばらく沈黙が続き、サーシャが三杯目の酒をグラスに注いでから、
「わたしの親族の娘と、交流を持たせたいのだが」
「あなたの親族は大勢いらっしゃいますし、わたしは全員存じ上げませんので、具体的な名前を挙げてください」
「テーグリヒスベック女子爵ブリュンヒルト・コルネリア・クラーラ・フォン・ビストルアバッハ。現在、バイエラント大公領を統治させている、亡父と愛人の間にできた娘が平民と駆け落ちし、できた子だ」
名前を聞いても、キースは全く見当も付かないが、出自を聞き、庶民のクローヴィスに会わせられそうなのを、捜してきたのは分かったが、
――愛人の娘が平民と駆け落ちってあたりで、ツェサレーヴィチからすりゃあ、庶民と変わらないんだろうが……女子爵ってことは当人が子爵ってことだよな。それも大公領を治めるほどの……
庶民側にいるキースにしてみれば、テーグリヒスベック女子爵は、庶民でもなんでもないし、クローヴィスにとってもまちがいなくそうだが、それを懇切丁寧に、リリエンタールに説明してやる義理もなければ、この先、王侯と顔を会わせるような夜会に出席することになる、クローヴィスの切っ掛けをなくするつもりもない。
――腹立たしいが、階級人選も良いし、人柄は知らんが、ツェサレーヴィチが認識しているということは、良いのだろうし……そういえば、ブリタニアスにはアイヒベルクの母親がいると聞いたことがある。社交界にも出ている名門の端くれとか……厳選した、名門の下っ端ということか。この当主が直々にとは……
「あなたのことです、そちらにも既に、連絡は入れているのでしょう」
リリエンタールは頷き、チャーチのほうを見る。
チャーチはアルドバルド子爵が、ブリタニアスに話を持ってきた際に「アーサー・グリフィスのところへ行け」と命じられ――アルドバルド子爵から渡された手紙も持ち、急ぎ向かっていた。
そのチャーチは、二人の話をここまで聞いて、駐在補佐武官として派遣しようとしている職業軍人が、リリエンタールが妃として正式に迎えようとしている、二十三歳の中産階級の娘なのでは? と、思い始め――心臓が早鐘のように打つ。
「色よい返事をもらっている」
「当主相手に色よい返事を出さないことなど、あるのですか? なにぶん、わたしは天涯孤独なもので、そういうのには疎くて」
「無いのではないか? そうは言っても、わたしも一門の者に対し、許可やら打診などは、今回が初めてなので、今ひとつ言い切れぬが」
「ああ、そうだ。当主の命令に逆らう人もいますね……あなたのように」
「……たしかに、わたしはババアの言うことは聞かぬな」
「それで、テーグリヒスベック女子爵閣下とクローヴィスを、どのような形で近づけるのですか?」
「娘には、大学で技術を学んでもらう……ということで」
「テーグリヒスベック女子爵閣下は、大学に進学なさるのですか?」
「もともと優秀で、大学は卒業しているが、更に学びたいことがあると、連絡がきていた」
「連絡?」
「ヒルデはもうじき三十なので、親が大学で更に学ぶのを許してくれないので、わたしに直接許可を求めてきた」
「ああ、なるほど。優秀な御方で?」
「まあ、優秀だな」
「あなたにバイエラント大公領の代理統治を任せられるくらいですから、愚問でした」
「ヒルデ本人が学びたいのは、鉄道学でな。鉄道関連はブリタニアスが先進国ゆえ、ちょうど良かろう」
「クローヴィスにも、鉄道学を?」
「興味があるものが、あればそれで。なければ、鉄道学か政治経済学を。元は国費留学生として、ブリタニアスに行ってもらおうと考えていたのだが、サーシャからの報告を聞き、大尉に昇進させることも可能だと判断し、補佐武官に切り替えた。こちらのほうが、身分が確約されるので、安全であろう?」
「そうですね」
「というわけで、補佐武官を三名、ブリタニアスに派遣する。それらに関する選考と諸手続は、お前に任せてやろうではないか、キース」
リリエンタールのほうが、格段に仕事を早く終わらせることができるが――
「当然でしょう。軍の総指揮官は、わたしなのですから。配慮はいたしますが、部外者は引っ込んでいただきたい」
「それでこそ、アーダルベルト・キースだ。それでな、キース。頼みがあるのだ」
「なんですか?」
「選考の際の、両親面接のときに、娘の両親に、娘と結婚することを伝えたい。実はまだ、会ったことがなくてな」
キースは持っていた空のウィスキーグラスを、割る勢いでテーブルに叩きつけ、
「はあ? 何言ってやがるんだ、ツェサレーヴィチ! 詳しく説明しろ」
親に話を通していないとは、どういう状況なんだよ……と――キースがこの状態なので、まったく分からないチャーチは、情報をどう整理していいか分からず、ほぼ無心に近い状態になって、立ち尽くすことしかできないでいた。