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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
81/208

【080】異国の地に眠る友人よ

 見覚えのある後姿――

 軍の礼装姿で墓碑を見下ろしている。墓碑は新しく、花で埋もれている。これほど花が溢れかえるのは、葬儀のとき。

 見覚えのある金髪の男は、ここに埋葬された人物の葬儀に参列したのだろう。

 その姿(・・・)を、普通ではあり得ない高さから見下ろしている。


フェル……フェルディナント・ヴェルナー


 後姿に声を掛けたが、振り返ることはなかった。


「閣下」


 一人の士官がフェルに駆け寄ってきた。

 金髪で背の高い……誰だ……知らないはずだ。

 その墓碑の下に眠っている()は、その年若い士官を知らないはず――


**********


――ひでぇ墓碑銘だ。先に死んだほうが負けとはいっても、あの墓碑銘はねえだろ……フェル……


 キースはそんなことを考え――意識が浮上し目を開けた。

 冷たい外気が頬を撫でる。風が流れてきた方向に顔を向けると、窓から外を眺めているクローヴィスの姿があった。

 換気のために窓を開け、夜空のオーロラを眺めているクローヴィスの姿は、とても美しい。

 キースに完全に背を向けた形になっているので、その横顔を見ることはできないが。


――さっき、見たヤツだ……誰だ。名前を知っている筈なんだが


 熱に浮かされているキースは、咄嗟にクローヴィスの名前が出て来ず、


「ん……だれ……だ」


 その後姿に声をかけた。

 夢現の中でヴェルナーに声を掛けた時は、届かなかったが、


「閣下!」


 今度は声が届き、クローヴィスが振り返る。

 セットされていない金髪が風に揺れた。オーロラを背にしたクローヴィスは、美しいと表現するのは不適切。


――天使? 幻覚……


 熱に浮かされているキースは、近づいてくるクローヴィスを黙って眺めていた。

 クローヴィスは目覚めたキースの元へ足早に近づき、体を起こし、用意していた経口補水液を入れた薬呑器を、キースの口元へ運ぶ。


「できるだけ、飲んでください」


 キースの背中に片腕を回ししっかりと支える。

 水分が喉を通ったとき、キースは自分が随分と喉が渇いていたことに気付き――クローヴィスが用意していた、薬呑器三個分をほぼ飲み干した。

 キースが飲みやすいようにと、体を近づけて固定していたクローヴィスの金髪が、キースの頬に触れ――その肌触りの良さに、自分は夢を見ているのではないかと、再び思い、


「寝る」


 そう告げ――クローヴィスは手早くキースを寝かせ、安定した寝息が聞こえてきたことで胸をなで下ろし、空になった薬呑器を手にキッチンへと向かった。

 前世の記憶で衛生観念が極めて高いクローヴィスは、薬呑器をしっかりと洗い、冷蔵庫――外の雪や氷を上部に詰め込んで冷やすタイプ――に入れていた経口補水液を補給し、寝室へと引き返しキースの状態を確認する。

 サイドテーブルに薬呑器を置き、再びキッチンへと戻り、自分の食事を取りながら、氷嚢に使うための雪を袋に詰め再び急いでキースの寝室へと戻った。

 意識のないキースの熱を計り、


「三十九度か。だいぶ下がったな。四十度越えてる時は、どうしようかと思ったけど」


 ちらりと医者が処方した熱冷まし薬を見たが、使わないで看病すると決意し――氷嚢の水を窓から捨て、雪を詰め直して、頭や鼠蹊部などを冷やす。


「早く、よくなってくださいね」


 雪を触り冷えている手を、キースの額に乗せ――家族が体調を崩した時にするように、流れるように、額にキスをしかけたクローヴィスだが、


「つい、うっかり! キース閣下は間違ってもしちゃだめだ。はー焦った」


 ギリギリのところで止めた――もちろん、クローヴィスに「熱が出ている時にするキス」以外の他意はない。


「…………ん?」


 キースが再び目を覚ましたのは、それから五時間後。

 先ほどとは違い、はっきりと意識が覚醒し、


「い……てぇ……」


 自分の力で体を起こす。


「キース閣下、お目覚めですか」

「…………クローヴィス? か」

「はい」


 クローヴィスが水分補給のために、薬呑器を差し出したのだが、


「普通のコップで飲ませろ」

「わかりました」


 そんなもので、少しずつ吸うのは嫌だと――クローヴィスはコップに移して差し出した。

 受け取ったキースはコップを手に取り、一気に飲み干す。


「これは?」


 水分補給を終えたキースは、自分が着ているパジャマが、汗で濡れているのに気付くとともに「こんなパジャマあったか?」と。

 いまキースが着ているのは、丸首のネグリジェ――時代的に男がネグリジェを着ていても、おかしくはないので、キースはそれ自体は気にしなかったが、キースの私物にネグリジェはない。


「作りました!」

「…………作った?」

「はい。パジャマが足りないと分かったので、作りました」

「どうやって?」

「布や糸をツケで購入し、この家にあったミシンで」


 クローヴィスは仕立て屋の孫ということもあるが、体型が最近流行の既製服にはなく――シンプルなシャツやスカートくらいなら、裁断を含めて一着、二時間もかからずに作り上げる。

 ネグリジェも――キースの寸法は分からないが「わたしが着られるサイズなら着せられる!」と、作り慣れた自分のサイズで仕立てたのだ。

 もともと足踏みミシンがあったのは、キースの寝室から随分と離れた場所――家主の寝室と、作業場が離れているのは当然。だがクローヴィスはキースの看病がメインなので、足踏みミシンを一人で担ぎ、寝室近くの部屋へと移動させた。


「大したもんだ」


 前途有望な士官の頼りになる力強さと、思わぬ家庭的な面にキースはかなり驚いた――よく見れば、シーツや枕カバーなども見たことのないものに変わっている。


「換えが足りなくなったので」


 大きなピンク色の花柄模様の枕カバーに、典型的な北欧柄のシーツは、殺風景なキースの寝室で浮いていた。


「これ、このまま使っていいのか?」

「使っていただけたら幸いです」


 クローヴィスが仕立てたネグリジェに再び着替え――シーツが取り換えられたベッドに腰を降ろす。

 クローヴィスはリンゴを四分の一ほどすり下ろし、レモン汁と塩を軽く振り掛けてスプーンをさして差し出してきた。


「一口でもいいので、食べてください」


 キースはそれを食べ終えて、再び横になり――次に目覚めた時には、オートミール粥が出てきた。

 オートミール粥の味も分かるほど回復したキースは、器も見たことがないことに気付く。


「安心して入院できない色男なんですから、最低限の家財道具は用意しておいてください」


 食器類が全く無いと思っていなかったクローヴィスは、ニールセン少佐に頼まなかった――食器類だけではなく、日常生活に必要なものがほとんどなかった。

 そこでクローヴィスは、往診にきた医師に滞在してもらい、車を走らせて買い出しに向かった。


「店なんて、開いてないだろう」


 聖誕祭期間は、ほとんどの店が閉まる。


「幼馴染みの商会に頼みました」

 

 幼馴染みの商会とはブルーノの家こと――サデニエミ商会は、運良く日常品を多く扱っていたので、食器も布も全て賄うことができた。


「ツケで?」

「はい」


 ブルーノは色々なことを言いたかったのだが――キースをインフルエンザだと、勝手ながら正確な診断を下したクローヴィスは、消毒用アルコールで手を洗い、口と鼻を布で覆い隠して、筆談で距離を取って依頼した。

 ”上官の酷い風邪(インフルエンザ)がうつると困るから”と書かれたメモと、顔半分しか見えないが、見間違うことのないクローヴィスの目元。

 ブルーノは頼まれた品をかき集め(・・・・)て「料金はいつでもいい」とメモを残し――クローヴィスがメモに「急いでいる」と記したこともあり、ブルーノは言われた品を急ぎ用意したが、柄やデザインは考慮しなかった。

 その結果、ピンク色のボタニカル柄のカフェオレボウルだとか、カナリアイエローのマグカップ、水色が主体のノルディック柄の皿など、色鮮やかな普段使いの食器類が並ぶことに。


 もともとブルーノの実家、サデニエミ商会の日常品は、女性をターゲットにしている――クローヴィスは急いでいたので、これらの食器や布を代理とはいえ、総司令官に使うとは一言も告げなかったため、ブルーノは知らないまま……ではいられない。


「休暇中に無理を言ったのか」


 家族や親族が集まっている中……と聞かされたキースは、かなり迷惑をかけてしまったなと。


「はい。こんど軍で何か買う際は、サデニエミ商会をご贔屓に」


 クローヴィスが笑顔で冗談を言った……つもりだったのだが、


「分かった。今度軍で食器を購入するとき、指定してやる」


 少量のオートミール粥を、やっと七割ほど食べたキースが頷いた。


「ええ?!」


 キースはそう言い――女性独身寮の食器を新調する際、サデニエミ商会に発注した。


**********


 クーデター関連の処理をまず終わらせ――戦死者関連の式典を墓地で終えてから、キースはヴェルナーと墓地の一角を歩く。

 キースは覚えのあるポイントで足を止め――そこにはまだ墓碑はなかった。


「なあ、フェル。俺がいま(・・)死んだら、墓碑になんて刻む」

「そうだな……」


 ヴェルナーが笑いながら告げた墓碑銘は、


「ひでぇな」


 キースが夢現で見たものだったが――


「嫌なら、長生きしろよ」

「お前が先に死んだら、そう刻むぞ」

「望むところだ。うちは、親兄弟が歌劇の一節を刻みそうだからな。それに比べたらマシだ」

「そりゃ、最悪だな」


 もう刻まれることはないのだろうと、キースは初夏の空を仰いだ。


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