【080】異国の地に眠る友人よ
見覚えのある後姿――
軍の礼装姿で墓碑を見下ろしている。墓碑は新しく、花で埋もれている。これほど花が溢れかえるのは、葬儀のとき。
見覚えのある金髪の男は、ここに埋葬された人物の葬儀に参列したのだろう。
その姿を、普通ではあり得ない高さから見下ろしている。
フェル……フェルディナント・ヴェルナー
後姿に声を掛けたが、振り返ることはなかった。
「閣下」
一人の士官がフェルに駆け寄ってきた。
金髪で背の高い……誰だ……知らないはずだ。
その墓碑の下に眠っている俺は、その年若い士官を知らないはず――
**********
――ひでぇ墓碑銘だ。先に死んだほうが負けとはいっても、あの墓碑銘はねえだろ……フェル……
キースはそんなことを考え――意識が浮上し目を開けた。
冷たい外気が頬を撫でる。風が流れてきた方向に顔を向けると、窓から外を眺めているクローヴィスの姿があった。
換気のために窓を開け、夜空のオーロラを眺めているクローヴィスの姿は、とても美しい。
キースに完全に背を向けた形になっているので、その横顔を見ることはできないが。
――さっき、見たヤツだ……誰だ。名前を知っている筈なんだが
熱に浮かされているキースは、咄嗟にクローヴィスの名前が出て来ず、
「ん……だれ……だ」
その後姿に声をかけた。
夢現の中でヴェルナーに声を掛けた時は、届かなかったが、
「閣下!」
今度は声が届き、クローヴィスが振り返る。
セットされていない金髪が風に揺れた。オーロラを背にしたクローヴィスは、美しいと表現するのは不適切。
――天使? 幻覚……
熱に浮かされているキースは、近づいてくるクローヴィスを黙って眺めていた。
クローヴィスは目覚めたキースの元へ足早に近づき、体を起こし、用意していた経口補水液を入れた薬呑器を、キースの口元へ運ぶ。
「できるだけ、飲んでください」
キースの背中に片腕を回ししっかりと支える。
水分が喉を通ったとき、キースは自分が随分と喉が渇いていたことに気付き――クローヴィスが用意していた、薬呑器三個分をほぼ飲み干した。
キースが飲みやすいようにと、体を近づけて固定していたクローヴィスの金髪が、キースの頬に触れ――その肌触りの良さに、自分は夢を見ているのではないかと、再び思い、
「寝る」
そう告げ――クローヴィスは手早くキースを寝かせ、安定した寝息が聞こえてきたことで胸をなで下ろし、空になった薬呑器を手にキッチンへと向かった。
前世の記憶で衛生観念が極めて高いクローヴィスは、薬呑器をしっかりと洗い、冷蔵庫――外の雪や氷を上部に詰め込んで冷やすタイプ――に入れていた経口補水液を補給し、寝室へと引き返しキースの状態を確認する。
サイドテーブルに薬呑器を置き、再びキッチンへと戻り、自分の食事を取りながら、氷嚢に使うための雪を袋に詰め再び急いでキースの寝室へと戻った。
意識のないキースの熱を計り、
「三十九度か。だいぶ下がったな。四十度越えてる時は、どうしようかと思ったけど」
ちらりと医者が処方した熱冷まし薬を見たが、使わないで看病すると決意し――氷嚢の水を窓から捨て、雪を詰め直して、頭や鼠蹊部などを冷やす。
「早く、よくなってくださいね」
雪を触り冷えている手を、キースの額に乗せ――家族が体調を崩した時にするように、流れるように、額にキスをしかけたクローヴィスだが、
「つい、うっかり! キース閣下は間違ってもしちゃだめだ。はー焦った」
ギリギリのところで止めた――もちろん、クローヴィスに「熱が出ている時にするキス」以外の他意はない。
「…………ん?」
キースが再び目を覚ましたのは、それから五時間後。
先ほどとは違い、はっきりと意識が覚醒し、
「い……てぇ……」
自分の力で体を起こす。
「キース閣下、お目覚めですか」
「…………クローヴィス? か」
「はい」
クローヴィスが水分補給のために、薬呑器を差し出したのだが、
「普通のコップで飲ませろ」
「わかりました」
そんなもので、少しずつ吸うのは嫌だと――クローヴィスはコップに移して差し出した。
受け取ったキースはコップを手に取り、一気に飲み干す。
「これは?」
水分補給を終えたキースは、自分が着ているパジャマが、汗で濡れているのに気付くとともに「こんなパジャマあったか?」と。
いまキースが着ているのは、丸首のネグリジェ――時代的に男がネグリジェを着ていても、おかしくはないので、キースはそれ自体は気にしなかったが、キースの私物にネグリジェはない。
「作りました!」
「…………作った?」
「はい。パジャマが足りないと分かったので、作りました」
「どうやって?」
「布や糸をツケで購入し、この家にあったミシンで」
クローヴィスは仕立て屋の孫ということもあるが、体型が最近流行の既製服にはなく――シンプルなシャツやスカートくらいなら、裁断を含めて一着、二時間もかからずに作り上げる。
ネグリジェも――キースの寸法は分からないが「わたしが着られるサイズなら着せられる!」と、作り慣れた自分のサイズで仕立てたのだ。
もともと足踏みミシンがあったのは、キースの寝室から随分と離れた場所――家主の寝室と、作業場が離れているのは当然。だがクローヴィスはキースの看病がメインなので、足踏みミシンを一人で担ぎ、寝室近くの部屋へと移動させた。
「大したもんだ」
前途有望な士官の頼りになる力強さと、思わぬ家庭的な面にキースはかなり驚いた――よく見れば、シーツや枕カバーなども見たことのないものに変わっている。
「換えが足りなくなったので」
大きなピンク色の花柄模様の枕カバーに、典型的な北欧柄のシーツは、殺風景なキースの寝室で浮いていた。
「これ、このまま使っていいのか?」
「使っていただけたら幸いです」
クローヴィスが仕立てたネグリジェに再び着替え――シーツが取り換えられたベッドに腰を降ろす。
クローヴィスはリンゴを四分の一ほどすり下ろし、レモン汁と塩を軽く振り掛けてスプーンをさして差し出してきた。
「一口でもいいので、食べてください」
キースはそれを食べ終えて、再び横になり――次に目覚めた時には、オートミール粥が出てきた。
オートミール粥の味も分かるほど回復したキースは、器も見たことがないことに気付く。
「安心して入院できない色男なんですから、最低限の家財道具は用意しておいてください」
食器類が全く無いと思っていなかったクローヴィスは、ニールセン少佐に頼まなかった――食器類だけではなく、日常生活に必要なものがほとんどなかった。
そこでクローヴィスは、往診にきた医師に滞在してもらい、車を走らせて買い出しに向かった。
「店なんて、開いてないだろう」
聖誕祭期間は、ほとんどの店が閉まる。
「幼馴染みの商会に頼みました」
幼馴染みの商会とはブルーノの家こと――サデニエミ商会は、運良く日常品を多く扱っていたので、食器も布も全て賄うことができた。
「ツケで?」
「はい」
ブルーノは色々なことを言いたかったのだが――キースをインフルエンザだと、勝手ながら正確な診断を下したクローヴィスは、消毒用アルコールで手を洗い、口と鼻を布で覆い隠して、筆談で距離を取って依頼した。
”上官の酷い風邪がうつると困るから”と書かれたメモと、顔半分しか見えないが、見間違うことのないクローヴィスの目元。
ブルーノは頼まれた品をかき集めて「料金はいつでもいい」とメモを残し――クローヴィスがメモに「急いでいる」と記したこともあり、ブルーノは言われた品を急ぎ用意したが、柄やデザインは考慮しなかった。
その結果、ピンク色のボタニカル柄のカフェオレボウルだとか、カナリアイエローのマグカップ、水色が主体のノルディック柄の皿など、色鮮やかな普段使いの食器類が並ぶことに。
もともとブルーノの実家、サデニエミ商会の日常品は、女性をターゲットにしている――クローヴィスは急いでいたので、これらの食器や布を代理とはいえ、総司令官に使うとは一言も告げなかったため、ブルーノは知らないまま……ではいられない。
「休暇中に無理を言ったのか」
家族や親族が集まっている中……と聞かされたキースは、かなり迷惑をかけてしまったなと。
「はい。こんど軍で何か買う際は、サデニエミ商会をご贔屓に」
クローヴィスが笑顔で冗談を言った……つもりだったのだが、
「分かった。今度軍で食器を購入するとき、指定してやる」
少量のオートミール粥を、やっと七割ほど食べたキースが頷いた。
「ええ?!」
キースはそう言い――女性独身寮の食器を新調する際、サデニエミ商会に発注した。
**********
クーデター関連の処理をまず終わらせ――戦死者関連の式典を墓地で終えてから、キースはヴェルナーと墓地の一角を歩く。
キースは覚えのあるポイントで足を止め――そこにはまだ墓碑はなかった。
「なあ、フェル。俺がいま死んだら、墓碑になんて刻む」
「そうだな……」
ヴェルナーが笑いながら告げた墓碑銘は、
「ひでぇな」
キースが夢現で見たものだったが――
「嫌なら、長生きしろよ」
「お前が先に死んだら、そう刻むぞ」
「望むところだ。うちは、親兄弟が歌劇の一節を刻みそうだからな。それに比べたらマシだ」
「そりゃ、最悪だな」
もう刻まれることはないのだろうと、キースは初夏の空を仰いだ。