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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
80/208

【079】廃太子シャルルの憂鬱な誘拐事件・前日譚

「なにかあったに違いない……」


 リリエンタールの執事ベルナルド・デ・フィッツァロッティこと、シャルル・ド・パレは隠れ家で呟いた。


 行きたくないと言っていたリリエンタールの背を押し、フォルズベーグ王国へと向かわせたあと、シャルルは予定通り外観は(・・・)普通の家に身を隠した。

 室内の設備・装飾は外観からは想像できないほど整っており、食料も豊富――コーヒー豆や紅茶の茶葉がふんだんに用意されているだけではなく、それを楽しむ茶器も数十セット揃っている。

 地下の食料庫にはハモンセラーノやプロシュートなど複数種類の生ハム、チーズ同じように取りそろえられ、

 パイナップルなど異国のフルーツのシロップ漬けの他に、真冬ながら新鮮なリンゴも貯蔵されている。

 パンはシャルルの好みではないが、保存性が高い黒パンが大量に。

 さらにはチョコレートや焼き菓子も。

 燃料の備蓄も大量で水道も引かれ、手押しポンプが設置された水をなみなみと湛えた井戸もあれば、大量のワインもセラーに並ぶ。

 着替えは大量に用意されているので、着替えるだけで洗濯の必要はなく、暇を潰せる大量の本に、蓄音機にこの世界の全てのレコードが揃えられ――シャルルだけで見れば、特に問題はない潜伏生活。


 シャルルには問題ないのだが、毎日やってくることになっていたサーシャが、昨日やってこなかった。


 クローヴィスの周辺に警戒を払うよう命じられたサーシャ。

 割ける人員が少ないため、ほぼ毎日クローヴィスに張り付くことに。

 そんなサーシャはクローヴィスの就業時間に、休息を取ることになり、その休息場所がシャルルの隠れ家。

 就業時間はキースと一緒にいるので、大丈夫だろうと。

 その間サーシャはここでシャルルの世話を受けて体を休め、夜の見張りにつく――任務の内容から、一日くらいは来なくてもおかしくはない……と思っていたが、二日目ともなればシャルルも不安になる。


「そう言えば、頭が痛そうだったなあ」


 サーシャは若干寝不足なのと、寒さからですと言っていたが、もしかして……と心配になったシャルルは、


「誰にも見つからずに、サーシャの見張り部屋へ行けるか……」


 悩んだ末、リンゴ二個と切り分けるための果物ナイフ、カットした生ハムとクラッカーにチョコレートとワインを籠につめ、隠れ家から出る。

 シャルルが家を出たのは、当然ながらクローヴィスの退庁時刻を過ぎてからなので、外はすっかり暗くなっていた。


――誰にも会いませんように。誰にも会いませんように……


 そう願いながら、外灯に照らされた人気のない道を、足早に進んだシャルルだったが、


「まさか、こんな所でド・パレと会えるとは」


――誰かは知らないが、非友好的なのは分かる


 シャルルは知らないが、相手は自分のことを「シャルル・ド・パレ」と知っている人物と、遭遇してしまった。

 相手は女性だが、シャルルのことを知っているということは、何らかの訓練を受けている可能性が高く、


――走って振り切れるか……やってみるか


 殴り掛かっても、かわされ足を掛けて転ばされるのが目に見えていたので、シャルルは振り返り走りだそうとしたのだが、


「逃げられるとお思いで? 王子さまは甘い考えだなあ」


 既に背後も取られていた。


――王子と甘い考えは、関係ないだろ……もしかして、こいつらクリスティーヌ側のメッツァスタヤ? …………うわあああああ、まさか、まさか!


 王子という台詞に込められた憎悪の感じから、相手が貧民街出身なのを察し――この類いの感情は、向けられ慣れているので、すぐに分かったところまでは良かったのだが、シャルルの身分を知っている貧民街出身で、訓練を受けている者たちとなれば、リスティラ伯爵夫人の部下と考えるしかない。

 シャルルは籠を抱きしめ、立ち尽くす。

 前後の二人の他に周囲から数名現れ、完全に取り囲まれた。


――一対一だって勝てないのに、五人に……もう一人きた。六人とか、わたしを捕まえるには、過剰戦力。絶対こいつら、どこかへ向かう途中に、ばったりとわたしと遭遇したってとこだろう。こいつらからしたら、良いところにカモが飛び込んできた状態……運がないにもほどがある!


 持っている籠を振り回そうが、籠の中のナイフを手に取ろうが――シャルルにはどうすることもできないことだけは、よく分かる。


「大人しくしていればいい」

「痛い目はみたくないだろう」


――アントワーヌ(リリエンタール)やリーンハルトなら、この程度、すぐにボコボコにできるんだろうけど。くそー……わたしが弱いこと、ありがたく思え!


 肩を小突かれたシャルルは、そんなことを考え……ていると、一番最後に現れた、五人とは一線を画する雰囲気の人物が、


{初めまして、カール(シャルル)殿下}


 胸元に手をあて、頭を下げながら声をかけてきた。


{だ……れだ?}


 帽子の端から落ちる黒髪は艶やか。


{リーパのルカと申します}


――菩提樹(リーパ)? ……いや、ルース帝国国家保安省の隠語だ! こいつは、元ルース帝国の国家保安省に所属していたルカ……ル……レオニード・ピヴォヴァロフ?! それとも、ルカ・セロフって名乗ってるヤツ? どっち? 顔さえ見ることができたら!


 シャルルはピヴォヴァロフ(ルカ・セロフ)について知っているが、実際に会ったことはなかったので、声などは知らない。


カール(シャルル)殿下にお尋ねしますが、ツェサレーヴィチ(リリエンタール)はメッツァスタヤの三人(・・)のうち、どれをお選びで?}


 顔を見せろと思いながら、


{そんなの、フランシスに決まってるだろう}


 アルドバルド子爵と答えた――三人のうちもう一人はリスティラ伯爵夫人だとは分かったが、残りの一人については、全く心当たりはなかったが、答えるのには困らなかった。


{やはり、そうですか!}


 喋り終わるのと同時か、それよりも少し早かったか? シャルルは視界に捕らえることはできなかったが、シャルルの脇腹すれすれを、ルカ(・・)の拳が通り、背後に立っていた男性の腹を抉る。

 崩れ落ち”どさり”と膝をついた男にシャルルが視線を向けたときには、他の四人は血を流し倒れ込んでいた。

 やっと動きが止まったルカ(・・)の顔を、シャルルは外灯の下で見ることができた。

 そこにいたのは、美しく華やかな顔だちに、妖しく艶めかしい色気を持った青年。


――レオニード・ピヴォヴァロフだ!


{失礼}


 ピヴォヴァロフは籠を抱いたままのシャルルに近づき、背中に手を回して乱暴に引き寄せるようにし移動させると、背後で膝を折りうめき声を上げている男の後頭部に、いつの間にか取り出した拳銃をあて、一瞬も躊躇わずに引き金を引いた。

 銃声のあと、男の体は硬直しそして揺れながら道路に崩れ落ち――ひくひくと痙攣している。


カール(シャルル)殿下。どちらへ?}

{あ……}


 気付けばシャルルはピヴォヴァロフに手首をがっちりと握られ、


{物騒ですので、目的地までエスコートいたします}


 楽しそうに話し掛けられる。

 周囲にいまだ痙攣している死体や、血を流し瀕死状態の人間が転がっている時にする表情ではないが――こういう表情をする人間がいることを、シャルルは知っている。


{いや、いい。帰る}


――メッツァスタヤより、レオニードのほうが厄介だ……あの人(リリエンタール)が迷うことなく選んだ狗だもんなあ……


{いえいえ。遠慮なさらないでください}

{わたしは遠慮なんてしませんよ}

{そうですか。あのですねえ……} 


 ピヴォヴァロフは耳元で囁くように、サーシャの居場所を教えて欲しいと――教えなければ、このまま本国へ連れていくとも言われたシャルルだが、


{知りませんよ、居場所なんて}


 知らぬ存ぜぬを突き通すことにした。


{よろしいのですか?}


 くすくすと笑うピヴォヴァロフだが、連れて行くというのは本気。


{良いも悪いも、お前、わたしの言うこと聞かないだろう}

{ええ。わたしは基本、誰の言うことも聞きませんので}


―― ヴィルヘルムやアウグストと、同じタイプだ!


 シャルルは掴まれている腕を必死にふりほどこうと、籠から手を離し、一応の抵抗を見せる。

 落ちた籠からリンゴが転がり――


「えっ?」


 いきなり手首を放されたシャルルは、勢いがついてそのまま後へ。ゆっくりと倒れてゆく自分を感じ――ピヴォヴァロフが吹き飛んでゆく姿を目にした。

 寒さで凍り付いている地面に背中を強かに打ちつけたシャルルは、体を動かせずにオーロラが揺れる夜空を、呆然と見上げ……ていると、


「大丈夫ですか?」


 名前は知らないが顔は知っているヒースコートの部下が、のぞき込んできた。


「おそらく」

「起き上がれますか?」

「手を貸してくれるか?」

「はい」


 金髪で緑色の瞳の、ルース系男性の手を借りてシャルルは起き上がった。


「殿下。意外なところでお会いしますな」

「レイモンド。どうして、ここに?」


 そしてシャルルが目にしたのは、膝をつき腹を押さえたピヴォヴァロフと、彼の首に腕を回して、すぐにでも首を折れる体勢のヒースコート。


――そんなに長時間倒れて……いた? わけないよな


 目の前の状況がまるっきり変わっているのに、頭がついていかないシャルルに、


「今日ここに来たのは、リリエンタール閣下が、この日時にこの道路で、リスティラ伯爵夫人配下のメッツァスタヤと、ルース帝国側の協力者が合流すると仰っていたので。殿下がいらっしゃるとは聞いておりませんでしたが」


 ヒースコートはいつもと変わらず――すこしピヴォヴァロフの首を、強めに絞めたようで、ピヴォヴァロフの美しい顔が少しばかり歪む。


「相変わらず、あの人は……わたし、用事があるから」


 ピヴォヴァロフが捕らえられたので、これでサーシャの元へ行けると、落ちたリンゴを拾い籠につめ、


「ネクルチェンコ、カムスキー、殿下に同行しろ」

「はい」

「はい、閣下。殿下? 荷物は小官が持ちますので」


 一人で急ごうとしたのだが、ヒースコートに当たり前のように同行を付けられた。


 二人を伴い、シャルルは急いでサーシャが見張りの際に使っている場所へ向かう。玄関は施錠されていたが、同行した一人のカムスキーが壁を登り、部屋を確認したところ、床にぴくりとも動かない人が居ると――入り口ドアをネクルチェンコに蹴り飛ばしてもらい、部屋へと乗り込んだ。

 暖炉はすっかりと冷え、室内は室外とほぼ変わらぬ温度。


「サーシャ! すごい熱だ! 医者を呼んで……医者のところに行ったほうが早いか」


 サーシャは高熱で意識を失っていた。


「殿下? ドアの隙間にこのようなメモが」


 ドアを蹴破る際に、ネクルチェンコはメモが挟まれていることに気付き、手に取って目を通した。


「ドアの隙間に?」

「はい」


 メモの内容は数字とアルファベットの羅列で、ネクルチェンコは全く意味が分からなかった。シャルルも同じく読めはしないのだが、これが何なのかは知っていた。


――メッツァスタヤの暗号だ。サーシャとかアントワーヌ(リリエンタール)は読めるけど、わたしは読めないんだよねえ……ピヴォヴァロフ? あー駄目、駄目! サーシャ宛の暗号を、ピヴォヴァロフに読ませるなんて


 シャルルはメモを籠に突っ込んで、まず部屋を暖めようということで、暖炉の火をおこし、医者を手配し――サーシャはかなり危険な状況だったが、なんとか危険な状態を脱することができた。


「メッツァスタヤの暗号なんだけど、読める?」


 シャルルが一息ついて、ピヴォヴァロフを含む六人を片付け、顔を出したヒースコートにメモを差し出す。


「読めますが…………これは」


 目を通したヒースコートの表情が、やや曇る。


「どうした?」

「キースが熱を出して寝込んでいるので、警護としては役に立たないと書かれていますね」

「えええー」

「そう心配なさらなくても、大丈夫ですよ、殿下。クローヴィス中尉は、ピヴォヴァロフとやり合っても、遅れをとらないくらいの腕の持ち主ですので」

「…………そんなに強いのか?」

「強いですね。そうは言っても、警護を付けないというわけにはいきませんので、ネクルチェンコとカムスキーを配置しましょう。掛かった費用は、あとでリリエンタール閣下に請求して宜しいでしょうか?」

「幾らでも使え。じゃあ、後は任せていいか?」

「はい」

「ところで、ピヴォヴァロフは?」

「あれとは取引して、国へ帰しました」

「素直に応じるようには、見えなかったけど……まあ、帰ったならいいや」


 シャルルはピヴォヴァロフが何をしに来たのか? 全く分からず――


「ではわたしは北へ帰りますので」

「そうか」


 ヒースコートはすぐに北方司令部へと引き返し――シャルルがサーシャの世話をしている間に、首都でクーデターが発生した。

 シャルルがそれを知ったのは、全てが終わってから、


「クリスティーヌは幽閉したよ」


 アルドバルド子爵からの報告によって。


「そうか」


 シャルルは一つの案件が無事片付いたことに、安堵した。


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