【078】執事、背を押して向かわせる
語らっていると、時の流れは速く――滞在時間は二時間ほど。もっと話をしていたかったのだが、自宅で待つ両親が気が気では無いだろうということで、残念ながら楽しい時間を終わらせることに。
「呼び出しておきながら、迎えを出さなくて悪かった」
「いいえ。全く」
「だが明日は迎えを出す。馭者は帰りの馬車で手綱を握っている者だ」
「分かりました」
玄関へと案内し、待っていた執事がクローヴィスのコートを受け取り着せる。クローヴィスはいきなりのことで驚いたが、礼を言い、
「ありがとうございます」
慣れないながら着させてもらっていた。
その後にリリエンタールも、いつも通りにコートに袖を通し、正面玄関先に待機している馬車へ。
杖を持ったリリエンタールが手を引きエスコートをして。クローヴィスは慣れないので、手の置き方がぎこちなく、動きにも緊張が漂い、それがとても初々しく、リリエンタールの頬が思わず緩む。
もちろん自分の頬が緩んでいることなど、リリエンタールは気付かないし、馬車のドアを開け待っている――向かい側で表情を見ることが出来たリドホルム男爵からすると、口の端が少し上がっている「冷笑」のお手本にして、完成形のような口元にしか見えないが、それは確かに柔らかな感情の発露だった。
人間の仕草を観察し、それを再現することで、他者に成りすますことを仕事としているリドホルム男爵の観察眼を持ってしても、結婚を承諾してもらえて嬉しい男がする表情には、全く見えなかったが。
――一切感情なく皆殺しを命じる時の表情……が一番近いか?……アレでもこんな表情は、作れないだろうな……これがリリエンタールに成りすますのは、無理だということか……
幸いなことにクローヴィスは、そう受け取らなかったので問題はなかったが。
「うわ……」
外見は街中を走っていても、それほど目立たないが、内装は凝りに凝ったもので、エスコートされ乗り込んだクローヴィスが思わず声を上げるほど。
馬車と思えないほど乗り心地のよい座面の感触に、再び驚いていると、
「本来でしたら、わたしが荷物を持って同乗するのですが、二人きりのほうがよろしいでしょうか?」
蒸気機関車の図面入りの筒とチョコレートが入った箱を持ち、執事が尋ねる。
「そうだな」
クローヴィスは慌てていたが、リリエンタールは「勿論」と――執事は品物をリリエンタールの隣に置き、ドアを閉めて馭者に合図を出す。
滑らかに走り出した馬車を、正面の門を出るまで執事は見送る。
「…………よし! 主よ、感謝いたします!」
そして馬車が見えなくなってから叫び、通常の夜会くらいならば開くことができる、広々とした玄関ホールで膝をついて神に祈りを捧げた。
執事が死刑判決を受け、執行までの刻よりも真剣に祈っている頃――クローヴィスとリリエンタールは、
「どの馬もすっごく健康状態がいいですね!」
城の正門を出てすぐのところで停車させ、馬車から降りて馬を撫でていた。
「ああ。中尉は馬が好きなのか?」
「はい! でも、貴族の方の好きとは違います」
「競馬は嗜まぬのか」
「お供をしたことは何度かありますが、小官は自分が乗る方が好きです」
――なんで小官なんですか、皇妃
御者台から降り、馬の手綱を握っている偽ヒューバートは思ったが、もちろん表情にも、そして手綱を握る指先にもそんなことは微塵も感じさせない。
そして何故、クローヴィスが自分のことを小官と名乗っているのかだが、第三者の目があって恥ずかしいので、一人称を「小官」と名乗っている。
「中尉は、馬術が得意だったな」
リリエンタールは恥ずかしくはないのだが、ここで「イヴ」と呼ぶと恥ずかしがって、話が続かなくなること、すぐに帰りたがってしまうことが伝わってきたので――クローヴィス相手には全く動かなかった「相手の思考が読める」と畏怖される能力が、やっと動きだし、上手く会話を進められていた。
「得意といいますか」
「馬術大会で賞を、根こそぎ奪っているそうではないか」
「馬と相性が良くて、息がよく合ったので」
「それは希有な才能だな」
四頭の馬を撫でてから馬車へと戻り、再び走り出す。
しばらくは馬について語らっていたが、話題が移り――
「王弟殿下を?」
明日、リリエンタールがフォルズベーグ王国に向けて発ち、ガイドリクスを援護することを教える――この情報の開示に関しては、昨晩キースからしっかりと、承諾を得ていた。
それを聞いたクローヴィスは笑顔になる。
――ガイドリクスのことを心配しているのか……全く、羨ましい限りだ
その笑顔をリリエンタールはそのように受け取った。
それ自体は間違いではないのだが、リリエンタールが考えるような単純な理由ではなかった。クローヴィスはガイドリクスが攻略対象なため、現実では起こりえないイベントが発生するのではないか? 特にガイドリクスは、ヒロインとの好感度が低いため、脱落した形になっている――ゲーム内でもその後は、曖昧な感じなので、クローヴィスが心配するのも無理はなかった。
「これでも戦争は得意なのでな。ガイドリクスの安全は確約しよう」
ガイドリクスは後方にいるので、それほど心配はない。強いて言うならば、実戦で指揮を執ったことがないのが不安材料だが、ガイドリクスは愚かな司令官ではないので、全面的に信頼を置くに相応しい経験豊富な指揮官・ヴェルナーを重用し、彼の意見を受け入れることが出来るので、間違いが起こる可能性は低い。
実際指揮しているヴェルナーだが、全てにおいて隙が無く、フォルズベーグ王国の指揮官の経歴、軍人の練度などから見て、負ける要素は全くなかった。
それでも戦争は「万が一」があるので――リリエンタールが向かう前に、問題が起きぬよう、アーリンゲを送り、実演を伴う兵器の商談を行う名目で、リトミシュル辺境伯爵も配置した。
ガイドリクスの守りは、ほぼ完璧だった――リトミシュル辺境伯爵は、やや怪しいが。
「軍人として閣下に同行できないのは、残念であります」
クローヴィスもリリエンタールの名声の一角は知っているので、素直な気持ちを笑顔で告げた。
「息が止まった」
クローヴィスを送り届けて帰ってきたリリエンタールは、笑顔の美しさに息が止まったと、執事に語る。
「まあ、あのお美しさなら、然もありなん……なんですが、あなたがそんな反応をするなんて、思ってもみませんでした」
いままで何を見ても無感動だった男が、人並みな反応をしたことに執事は感心した――主にクローヴィスの美しさに関してだが。
「イヴは明日も来るのだが……はぁ……フォルズベーグに行きたくない」
クローヴィスには明日向かうと予定を告げたのだが、しばらく顔を見ることができなくなることを不服に思い、そんなことを言い出す。
「今までも、そんなに会っておりませんでしたが」
本当は”そんなに”以下だが、そこは執事として言葉を柔らかに、包み込んだ。
「イヴが一緒にフォルズベーグに行けなくて、残念だと言ってくれた」
「そうですか」
戦争についていけなくて残念――この台詞を執事は何度も配下から聞いているが、まさか妃となるクローヴィスからも聞かされるとは思ってもみなかったが、彼女が軍人であることを思い出し、当然なのかなと思い直す。
執事は従軍司祭として戦場に赴いたことはあり、天才の側で前線指揮を見たこともあるが、兵士を動かすタイミングが全く分からず。どうしてそのタイミングで動かすのだろう? と尋ねたこともあるが、ほぼ全員が「動きがそうだった・あのタイミングしかないだろう・どう考えてもそこ」としか返ってこず――自分には才能がないのだと。それに関し悲観したことはない。
「イヴは軍人なのだから、連れていってもいいのではないかと」
戦争が上手すぎて、望まれながら畏怖され忌避されたリリエンタール。
戦争にクローヴィスを連れていくことができたなら、更に惚れ直されるかもしれないが、
「あの司令官代理が許すとでもお思いで? 前戦にはいかなる女も絶対送らないって、公言してる男ですよ?」
クローヴィスはあくまでも、ロスカネフ王国陸軍所属。リリエンタールは出向命令を出せるが、
「…………無理か」
全権を握っているキースが、許す筈がないのは、執事でも分かった。
「無理だと思いますよ」
執事は言外に「お前が分からないはずないだろう」と。
「では行きたくないな。わたしが行かずとも、勝ちは揺るがぬし」
「あんた、昨晩キースに”ガイドリクスのことは、心配するな。わたしが直々に出向くのだからな”って言い切ったじゃないか。それを聞いたキース、心底腹立たしそうだったけど、納得してくれたじゃないか」
「だがな……」
「いいか。妃殿下との仲を深めるためには、協力者が必要だ。アーダルベルト・キースは絶対必要」
「……」
「貴族の血を引いていない、裕福な中産階級で職業軍人で、ロスカネフ人。あの妃殿下の美貌にも惑わされない、政治軍事、更には恋愛にも優秀で誠実な男。うちに居ないから! あんたの直属にいないから! ちょっと頑固で癖が強いけど、死ぬほど嫌いなあんたに対しても、不満と不服と殺意を飲み込んで、しっかりと向き合える男。絶対必要だから!」
「シャルル」
「なんだよ」
「キースはちょっと頑固ではない。あれが少しならば、世の中の人間は、ほとんどが意志薄弱だ」
その後しばらくリリエンタールは行きたくないと言っていたが、
「お前が行けば、妃殿下も安心できるから!」
「……」
「やることやってきなさい。時間短縮すればいいじゃないですか。あんたなら、交戦時間を短縮して、完全勝利も可能だろ?」
執事の提案に、口元に手を軽く乗せ――
「そうだな。三十分で終わらせるか。どうした?」
朝の身支度にかかる時間以下で、終わらせると言い出した。
「自分で提案しておきながらなんだけど……あんた、本当に天才だな」
さすがに三十分は無理だろうと執事は思うが、かといって出来ないとは決して言い切れないのがリリエンタール。
ましてやそこには、アーリンゲとリトミシュル辺境伯爵もいる。前者はともかく、後者は持ちかけられたら乗るのは確実。
「天才かどうかは知らぬが、本気で時間短縮を図ってみる。一応時間は計測しておく、楽しみにしているがいい、シャルル」
「うん……ま、妃殿下のことは、わたしとサーシャとイェルハルドに任せておいて。わたしは隠れ家で穴蔵生活だけど」
こうして執事はリリエンタールを無事、戦場へと送り出した――キースの協力を取り付けるために必要な、前線指揮だった。