【077】イヴ・クローヴィス・11
「それはそうだよね! 正門からお願いしますって、言うわけないよなあ!」
十万の兵士に城を包囲されても、焦ることなく籠城、その後に打って出て族滅まで持って行くことができるリリエンタールだが、
「裏口を使うなど思ってもみなかった」
裏口にやってきたクローヴィスに対しては、なにも対処が思い浮かばなかった。
「あなたは、黙って礼拝堂で待機していなさい。ルッツ、ついていきなさい」
「分かった」
「御意」
対処できるのは自分だけだと、執事が取り仕切る。実際、事情を知っている部下たち――アーリンゲはすでにフォルズベーグ王国へと向けて出発し、フリオは仕立てとリリエンタールが居ない時に起こる、リスティラ伯爵夫人たちとの戦いへ向けての準備に忙しく、アイヒベルク伯爵はこの一件については役に立たないが、シェベクを捕らえる準備に取りかかっている。
サーシャはクローヴィスの警護がメインで、その他、聖職者たちは聖誕祭期間を、敬虔な信徒として過ごすことに余念が無い。
執事も聖職者ではあるのだが――執事やリリエンタールは世俗聖職者という王族特有の聖職者であること、彼らとは全く違う存在だということを、彼らも理解しているので、そこは問題ない。
「イェルハルド。ヒューに成りすまして、裏へお迎えに上がりなさい。もちろん裏から通してはいけませんよ。正面へ回りなさい」
「分かりました」
帰宅するクローヴィスを送る際、馭者に成りすますことになっていたリドホルム男爵。
すでに馭者の恰好をしているので、あとは雰囲気を変えるだけ――彼は急いで裏へと回りクローヴィスを迎えにいった。
「レリフィス、お土産の準備は?」
レリフィスは従卒――リリエンタールが初めて呼び出し、食事を出した時にいた従卒で、アバローブ大陸にあるリリエンタールの領地内で、自治が認められているヌガンダン王国の王太子。
「整っております」
王国としては人質として王太子を差し出しているのだが、リリエンタールにそういう感覚はなかった。
人質がいようがいまいが、滅ぼす時は滅ぼすだけなので。
「図面も…………いや、まあ、あの人のものだと言えば、あの人のものだけどさ」
クローヴィスを明日も呼び出す名目として用意された、蒸気機関車を発明した、ブリタニアス君主国のリシャール・レスコー、彼直筆の初蒸気機関車ランパート号の図面。
もちろん国の宝で、ブリタニアス君主国にあるものなのだが、
「あいつ凄いわ。ほんと、よく盗み出してきたなあ……」
いずれクローヴィスの弟・デニスの気を引く必要があると考え、グロリア女王への説明という名目でアルドバルド子爵を送った際に「これを持ち出せ。ババアへの説明は、こちらのついでだ」とリリエンタールが命じ、アルドバルド子爵は何ごともなかったかのように、持ち帰ってきた。
どう考えても、そんなに簡単に持ち出せるものではないのだが、リリエンタールに言わせれば「ブリタニアスは警備にも伝統を持ち込むゆえ、古くさいので、簡単に裏をかける」で、アルドバルド子爵はといえば「リヒャルトが言う通りだった。あれなら、誰でも盗めると思うよ」と――側で持ち出し計画を聞いていた執事としては、どちらも天才だからなし得たこと……としか言えなかった。
「サーシャも見て喜んでいましたけれど」
このリシャール・レスコー直筆ランパート号の図面は、年が明けてすぐに訪れるロイド・チャーチに持ち帰らせると、リリエンタールは執事に伝えた。
ブリタニアス君主国の諜報部のトップがロスカネフ王国にやってくるという話は、もちろん届いていないが、来るとリリエンタールが言っているのだから、来るのだろうと……それは信頼できた。
「レリフィス、明日の準備に取りかかりなさい」
「はい」
が、クローヴィスへのプロポーズに関しては、全く信頼していない。
リドホルム男爵の馬車で正面から入ってきたクローヴィスを、執事は出迎えた。ロスカネフ王国陸軍尉官の制服を着たクローヴィスは、リリエンタールが住む贅をこらした城にあっても、その存在感は圧倒的だった。
クローヴィス本人にそのことを伝えたとしても「デカイからですね」で終わってしまうが――クローヴィス本人が持つ色彩は、プラチナブロンドに白い肌と、ほとんどが雪景色に溶けてしまいそうなほど淡い。
そんな色彩の中にある、カッティングされた色濃いエメラルドを連想させる瞳は、不思議なほど淡いクローヴィスの色彩を損なわず、似合っている……というよりは、それしかないと思わせる。
とても美しいのだが、世に言われる女性の美しさとは、まるで違う――既存の女性らしい美しさのカテゴリーに、まったく属していない。だが、文句の付けようがないほど美しい。
執事はクローヴィスを案内しながら、リリエンタールのことを好きといってくれた彼の想い人が、この瞬間まで、恋人の一人もおらず、悪辣な暴力をふるわれることが無かったことを、主とクローヴィスの家族、そして友人たち、その他見守ってきた人々に感謝した。
「お連れいたしました。それでは、わたしはここで」
クローヴィスを礼拝堂正面から通した執事は、急いで祭壇側の入り口へと回った――リリエンタールのアレ具合によっては、突撃することも辞さないという決意を持って。
だがそれは、喜ばしいことに杞憂に終わった――
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執事の案内でやってきたクローヴィスを一目見て、迎えを寄越さなかったことを不服に感じている様子がないことに、まずリリエンタールは胸をなで下ろした。
クローヴィスはその程度のことで、不満を感じ苛つくような性格ではないことは、短い付き合いでしかないリリエンタールも分かっているのだが――
「来たか、中尉」
「はい、閣下」
リリエンタールに近づいたクローヴィスは、礼拝堂のステンドグラスの光を浴び、色素の薄い肌と髪がステンドグラスの色に染まる。
数多のぼんやりとした色が散りばめられたクローヴィスの顔。それらの色彩とは一線を画する、強さを持った緑色の瞳。
だがその美しさに見惚れるよりも、昨晩触れた柔らかな唇にリリエンタールは惹かれ、再びキスをする。
いきなりのキスに昨晩同様にクローヴィスは驚き、何度かキスを繰り返す。最初は驚きで固まっていたクローヴィスだが、
「閣下、ここは祭壇前です」
”そういうことする場所じゃないです!”と声を上げる。
「中尉。そちらが告白したのだから、責任を取って欲しい」
嬉しさに不快感、高揚に苛つき――持て余す感情を呼び起こさせた存在、クローヴィス。
「責任……とは?」
言われた当人は、もちろんそんなことは知らないし、好きでもなんでもなければ、そんなことを言われても困るだけだが、幸い二人は互いに好意をいだいているので――同じものかどうかは、まだ分からないが、いままで他人に持ったことのない感情という点では一致しているので――
「中尉とわたしの愛情は同じものだ。だから結婚しよう……返事は?」
いまだ愛情とはなんなのか? はっきりと分からないリリエンタールだが、はっきりと言い切った。それはどちらかと言えば、決して逃さないぞという決意。
「ふ……ふぁ? あ、は、はい?」
言われたクローヴィスはかなり驚いて――一日くらいは考える時間が必要だろうなと思い、明日用の小道具を用意させたのだが、
「小官でよろしければ、喜んで……」
その場で答えをもらうことができた。
――この娘はいつも、わたしが思ってもいなかったことを……
喜びをどう伝えるべきか? よく分からないリリエンタールは、情動のままにストラを投げ捨て唇を重ねた。クローヴィスの手からコートが落ちるが、当人は驚きと混乱、そしてかなりの恥ずかしさからまるで気付いていない。
――そう言えば、どうして娘がコートを手に持っているのだ?
コートなどは執事が受け取り、保管するはずだと……近くの入り口付近に執事の気配を感じ――城内の人員が少ないので、コートを置き場まで持っていけなかったのかと。
執事に随分と信頼されていないな……と思ったが、今までを思えば仕方ないと、唇を離してクローヴィスのコートを拾い、
「座ってゆっくりと話したい。いいか?」
「はい」
クローヴィスを連れて別の部屋へと移動することに。その時、全く意識せずリリエンタールはクローヴィスの手を握った。
手を握られた一瞬驚いたものの、リリエンタールとは違い、幼い頃から両親と手を繋ぎ、弟や妹とも手を繋いできたクローヴィスは、優しく、だがしっかりとリリエンタールの手を握り返した。
手袋越しではあったが、その包み込むような感覚に、リリエンタールは唇に触れた時と同様の幸せを感じ――ぼんやりとだが、守りたいという気持ちがわき上がってきた。
もちろんリリエンタールは、まだそれが「守りたい」という気持ちだとは、理解していないが、いままで「自分のために」クローヴィスをそのまま手に入れたいと考えていたリリエンタールに芽生えた、クローヴィスを守りたいという、ただそれだけの欲求。
リリエンタールが手に力を少し込めると、同じようにぎゅっと握り返し微笑むクローヴィス。
礼拝堂から近いところにある談話室までの距離が、更に短く感じられた――リリエンタールだけではなく、クローヴィスにとっても。