【075】執事、成功を祈る
夜でも人通りが多い九番街の道路を、似つかわしくない馬車が通ったが、聖誕祭前なので貴人が施しのために、通りかかったのだろうと――ヤンネとサーシャの仕事は完璧で、指示通りのポイントで車軸が折れた振動が、車中に響いた。
サーシャが予定通りに、玄関灯がついているクローヴィスの実家へと向かい、ドアをノックする。
「どちら様でしょうか」
ドアの向こうから若いメイドの声――車軸が折れたので、少しの間休ませて欲しいことを告げる。
玄関前を見ることが出来る部屋のカーテンが動く。
室内が見えないよう、明かりは消したまま――もう一人のメイド・ローズが玄関前にいるサーシャを確認した。
――メイドの連携が取れてるなあ
「少々お待ちください」
夜の見知らぬ来客など、けんもほろろに追い払って当たり前なのだが、
――エーデルワイスの意見を聞きに行ったんだろう
サーシャが軍仕様のコートを着ているのを見て、追い払って後でクローヴィスに迷惑が掛かってはいけないと――こういう細かなところで、人に恨まれたり、評価が下がったりすることを、メイドの二人は知っているので、大事なお嬢さまの人事査定になにかあってはいけないとばかりに、クローヴィスに訪問者のことを告げた。
ベッドに横になり本を読んでいたクローヴィスは、マリエットの話を聞き「強盗か?」と疑い、ベッド脇に置いているはき慣れた紐靴軍靴を素早く履き、鏡台の引き出しからナイフを取り出して、見えないよう背中側のベルトにはさみ、階段を降りた。
軍人だと聞いていたので――マリエットに少し離れるよう指示し、自分の名前と階級と所属を名乗った。
サーシャはそれを聞き、同じように名乗り――玄関のドアはやっと開いた。サーシャの姿を確認したクローヴィスが「あ、ほんものだ」と思っているのは、薄暗い明かりの下でも、透き通るようでありながら色濃い緑の瞳を見れば、明らか。
「馬車の車軸が折れたと聞きましたが」
クローヴィスは左腕を後に回し、ナイフの柄を掴んでいた。クローヴィスの力量があれば、そんなに分かり易い体勢など取らなくても、すぐに反撃できるのだが、少し離れた所にいる、不安げなマリエットに見せるため、あえてはっきりと掴んでいた。
「そうだ。新しい馬車がやってくるまで、閣下をこちらで休ませて欲しい」
サーシャに対しては、露骨ではないが、戦闘経験がある人からすると、
――左右前後、上下どこにでもすぐに動けるような軸の置き方だ……
手足の長さから、どうやっても攻撃を当てることができない、逃げるのがやっとだと思わせる体勢。
「閣下ですか……」
体は臨戦態勢なのだが”なぜ、閣下が九番街に……まさか、わざわざ……”内心は、随分と揺れているのがはっきりと分かる。
クローヴィスは少しだけ考え、メイドに下がるよう指示し――リリエンタールを自宅へと通すことにした。
サーシャは急いで呼びに戻り――馬車から降りたリリエンタールはクローヴィスの実家外観を、写真で見ていたが、直接見たのは初めて。
そのまままっすぐ玄関へと向かい、クローヴィス邸に入る前にコートを脱ぐ。
出迎える形となったクローヴィスは、アディフィン王国へ向かった時と同じく、豊かで艶やかなプラチナブロンドを降ろしていた。キラキラとしているその髪を軽くかき上げ――微かな困惑と照れが入り交じった微笑は、リリエンタールに息を飲むほどに美しいということが、本当にあるのだと実感させる。
「応接室へどうぞ」
通された応接室は冷えていたが、手入れが行き届いているのが、はっきりと分かった。
リリエンタールはソファーに腰を降ろし――黄色く鮮やかな小花の刺繍が、左裾に施されている青いロングフレアスカートに、ハイネックフリルの白いブラウス。
裾や袖が優雅に揺れるのは、夜会でいつも見ていたが、それにリリエンタールが心を躍らせたことはなかったが――それたちの恰好よりも、遙かにシンプルで、控え目なのだが、冷たい空気の中、クローヴィスのスカートの裾が、袖が揺れるたびに、リリエンタールの心も揺れる。
自分自身でもつかみ所のないような揺らめき。
「中尉」
リリエンタールにしては随分と不作法に立ち上がり、顔を近づける。
「なんでしょう、閣……」
喋っている唇を軽く塞ぐよう、唇を重ねた。
驚いたクローヴィスが逃げようとするので、腰に手を回すと、先ほど案内された時にも見ていたが、一突でリリエンタールの心臓を串刺しにできるようなナイフの柄が触れた。
――これで反撃されないということは……少しは楽観視してもいいか
逃れられないよう手を回し――手袋越しでも滑らかさを感じられる髪を、そっと撫でる。
ほんの少しの時間で、名残惜しいとリリエンタールは思ったが、これ以上居ては駄目だなと――明日、自宅を訪ねるよう告げて、クローヴィス邸をあとにする。
――驚き動きが緩慢になっているイヴも可愛いものだな……イヴ、ああイヴだな
サーシャに見張りを交代したヤンネが手綱を握り、リリエンタールは自宅へと戻った。
リリエンタールの自宅では、執事がずっと礼拝堂で祈りを捧げていた。執事は死刑判決を受け、難攻不落とされていた要塞に収監された時に祈り――リリエンタールに助け出されたこともあり、祈りを信じている方だった。
主に「成功しますように」と祈りを捧げていた執事は、リリエンタールの帰宅を聞き、急いで玄関へと向かい、ホールに響く大声で成果を尋ねる。
「どうでした!」
「イヴに明日来るように告げた」
「そうですか。では明日、お迎えにあがりますね! 車体はコバルトブルーので、馬はコバルトブルーに金糸で刺繍したサーコートを着せた、ハクニーにしますね。本当は八頭立てにしたいところですけれど、さすがに目立つので、四頭立てでいきましょう。花を一輪飾りますけれど、なにか希望はありますか?」
執事の話を聞き、リリエンタールの動きが止まった。
「…………」
リリエンタールが下手に庶民に急接近しては、怪しまれるので、迎えの馬車も自宅ではなく、クローヴィスの自宅から少し離れた邸に招き、そこで顔見知りのサーシャを馭者にした馬車に乗ってもらい、自宅へと来てもらう予定だった。
「なに、この沈黙。どうした?」
「イヴに迎えの馬車について、話し忘れた」
「は……ぁ?」
裕福だが庶民が住む九番街と貴族街――階級社会において、階級が違う者たちは離れて住むのが当たり前。よって二人の自宅の間には、かなりの距離がある。
「招いておきながら、馬車も出さないって! 妃殿下はご自宅に馬車がないから、馬車を回すことは、思いつかないでしょうけれど…………妃殿下が実費を支払いタクシー馬車で? わたし、妃殿下にタクシー代を、渡さなくちゃならないんですか?」
「まあ、そうなる……な」
「情けない! お招きしておきながら、迎えを出すことを伝え忘れるとか。わざわざ足を運んでいただくというのに。プロポーズしたいからって呼ぶのに、迎えを忘れるなんて」
庶民の自宅前に連絡もなしに「妃殿下に相応しい馬車」を横付けは目立つ。かといって、これから馬車に乗って欲しいという手紙を、自宅の郵便受けに入れても怪しい。
「あんたのことを、王族だとご存じなかった妃殿下は、あんたの封蝋も箔押し封筒も便箋も知らないだろうから……怪しまれて終わりだな」
名のある王侯貴族ならば、受け取った時にひれ伏すリリエンタールの家紋入りの書状も、知らない庶民にしてみれば「なんか、すげーのが紛れ込んでるよ」にしか過ぎない――下手をしたら、「誤配です」と警察に届けられてしまいかねない。
かといってシンプルな手紙を、すぐさま開けてくれるとも――ましてや明日、リリエンタールに呼ばれた形となったクローヴィスが、何の変哲も無い手紙を、出かける前に開封し目を通す可能性は低い。
そんなシンプルな封筒にリリエンタールの署名は、不審物のなにものでもない。
「もうね……プロポーズ、成功させてくださいよ。いや、成功するとは思いますけれどね」
「プロポーズは成功する。イヴを逃すつもりはないからな」
「そうだね。それは信じていますよ」
彼らの予想に反し、クローヴィスは彼女自身としては「歩いて」、他人からすると「走っているかのよう」な速さで――徒歩で邸の裏口へとやってきた。
「それはそうだよね! 正門からお願いしますって、言うわけないよなあ!」




