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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
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【072】閣下、頼りない確証を得る

 リリエンタールが、クローヴィスに告白されるより少し前――リリエンタールの城の一室で、執事とサーシャがテーブルを挟んで向かい合っていた。

 タペストリーを思わせる黒味が多い鳥の図柄のテーブルクロステーブル。

 至る所に装飾がほどこされたサモワール。

 緑地に銀で装飾されているカップに注がれた紅茶と、数種類の果実の砂糖煮(ヴァレニエ)。普段二人が話をするときは、それだけなのだが、今日は他にクルスタッド・オ・ポム。タルトタタン。シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ。コンヴェルサシオンなどの菓子が乗っていた。


「妃殿下に好かれるのはどれか、味を確かめてください」


 サーシャは切り分けられ皿に乗せられた、タルトタタンにフォークを伸ばす。


「それで、妃殿下について、なにか分かったそうですね」


 サーシャが一通り食べたのを確認してから、執事はこの茶会の議題に触れる。サーシャは頷き、紅茶で喉を潤し、一呼吸置いてから、


「妃殿下が仰っていた好きな貴族ですが……」

「もう分かったのですか?」

「おそらく……という人物が、浮かびました」


 再び一呼吸置いた。


「誰です?」


 執事はやや食い気味に――サーシャは意を決して、自分が感じた通りのことを告げた。


「ああ……あの人のこと貴族と……」


 執事は物心ついた時から、ブリタニアスのグロリア女王に「クリフォード公爵アンソニー」について聞かされていたので、リリエンタールのことを王族としか認識できないが、


「たしかにあの人、列車内で自分のことを王族とは名乗っていなかったから……知らない人は知らないかも知れませんね」


 王族と距離のある生まれ育ちならば、分からないかもしれないと――そう考えるのが当たり前なのだが、幼い頃から王族に囲まれ、王族として教育を受け育ってきた執事にとって、大陸皇統宗主と呼ばれるリリエンタールのことを「貴族」と思う人間がいるなど、思ってもみないことだった。


ロスカネフ(ここ)とフォルズベーグは、閣下と血がつながっていないこともあり、貴族でも不勉強な者は、閣下の血筋の詳細を知らない者が多くいます……学習院で狗崩れ(イーナ)と思しき女に籠絡された貴公子などが」

「なぜそれ(イーナ)が貴族の子弟に手を出したのか分かりませんが、彼らはたしかにあの人のことを、大貴族だと…………妃殿下が知らないのは良いのですけれど、仮にも王族の血を引いているガルデオの息子とか、クルンペンハウエルの息子はどうなんだ」


 執事は王族ということもあり、王族に対して求めるものが高いので、当然彼らに対しての評価は厳しい。


「その国独自の教育がありますが、そこで必須科目に入らないのかと。外交のことを考えれば、何故教育に取り入れないのか謎ですが」


 ロスカネフ王国は伝統的に、それほど外交に力を入れていない。

 理由は簡単――どの国と友誼を結んでも、ルース帝国の脅威を前にしたとき、手助けしてくれるような国がないから。

 頼りにしたところで、ロスカネフ王国が襲われて食い荒らされている時間を使って、自分たちの国の防備を固めるだけ。

 もちろんロスカネフ王国もそれに文句は言わない。彼らも同じことをするから――


「そうですね……王族に近いソレですら知らない可能性があるのなら、妃殿下がご存じないのも無理はない。貴族と勘違いしているということは納得した、サーシャの直感も信じます……要するに、あの人は名前の通りで、いつも通りに神の寵愛を受けまくって大勝利ってこと…………まあ、あれが負ける姿は想像できないから良いんですけど。そんなに物事って上手く進むものなの……あれに限ってはそうか」

「まだ確証を得られていないので……妃殿下御本人に直接伺うつもりです」


 最良の選択で、誰もが分かっていたのだが、出来なかった――サーシャ以外の人間に、その質問は無理だった。


「間違いがなくていいな。サーシャしか頼める人はいないから、お願いしますよ」

「お任せください。ただ少し時間をいただきます。妃殿下は明日から聖誕祭休暇に入るので」

「なるほど」

「ただ、妃殿下の休暇明けと閣下のフォルズベーグ行き日付が近いので、急いで聞く必要があるかも」

「あなたはそれに専念しなさい、サーシャ。……でも、そうだとしたら。嬉しいなあ」


 ”あの人に幸せの奇跡が、起こるかもしれないのですか”――紅顔の美少年だった面影が残っているどころか、いまだそれで通じてしまう執事が綻ぶような笑顔になる。

 その笑顔を見ながら、サーシャはコンヴェルサシオンに手を伸ばした。

 サーシャが菓子を口へと運ぶ音と、幸せな雰囲気に包まれている室内に、


「失礼します」


 従僕が執事に電話だと告げにきた。


「誰からですか?」

「アルドバルド子爵閣下と名乗りました」


 執事とサーシャは顔を見合わせ、二人で一番近い電話室へと向かい、


「ベルバリアスのリヒャルトのところまで、大至急来て欲しいなあ」

「ベルバリアスの、あの人の執務室にですか?」

「うん。急いで来てね。よろしく」


 通話相手は、それだけ言うと電話を切った。

 執事が持っていた受話器に、耳を近づけていたサーシャと視線を交わし――


「なんでしょう。大至急っていうからには大事なんでしょうね」


 執事はリリエンタールが、告白を受けて停止している空間へ向かおうとしたのだが、


「待ってください、シャルルさま」

「なんですか? サーシャ」

「アルドバルド子爵が電話で呼び出すのは、ちょっとおかしい気がします」


 サーシャが引き留めた。

 サーシャのこの疑問は当然――アルドバルド子爵は、本人が「昔の人だからさ」と笑って誤魔化すが、電話を使うことはほとんどない。

 まして王族のシャルルを電話で呼び出すなど、一貴族でしかないアルドバルド子爵は決してしない――押し入ったりはすることもあるが。


「……たしかに、証拠残るのがいやだから使わないんだって、言ってたな。でもわたしを、フランシスの名前で呼び出そうとする人なんて、いるか?」

「リスティラ伯爵夫人ということも」


 リリエンタールから注意を受けた執事と、同席していたサーシャ――


「フランシスらしくない。ということはクリスティーヌ、という線があるわけだ」

「アルドバルド子爵のような変身はできませんが、声色はかなり変えられると聞いたことがあります。男性の声も、苦もなく出せると」


 サーシャと執事はリリエンタールの配下で、アルドバルド子爵側についているので、リスティラ伯爵夫人の実力を目の当たりにしたことはないが、アルドバルド子爵が「出来るよ」と言うのだから、警戒に値する技術なのは容易に推察できる。


「疑わしい時は逃げる! 弱者が周囲に迷惑を掛けない、ただ一つの冴えた方法です! サーシャ、頼みますよ!」

「はい!」


 二人は手はず通りに身を隠すことし、それについてアイヒベルク伯爵に伝えた。


「では念のために、わたしは、ベルバリアス宮殿へ行ってみます」

「なにか危ないことがあったら、すぐに逃げるんですよ」


 執事はリリエンタールが作製した計画書通りに隠れ――こうしてリリエンタールのもとに、この一件ではもっとも役に立たない男が派遣されてしまった。

 既にアルドバルド子爵が、人払いした執務室へとやってきた、アイヒベルク伯爵。


「あー失敗した」


 彼から二人が電話での呼び出しを、リスティラ伯爵夫人ではないかと疑い、身を隠したという報告を受けたアルドバルド子爵は、時間が掛かっても使者を送るべきだったと反省した。


 アイヒベルク伯爵はリリエンタールの様子を見て、その引き金がクローヴィスだと聞き、自分は役立たずだと早々に理解した。


「呼びに行って来るから、その間、リヒャルトをお願いね」


 アイヒベルク伯爵に呼びに行かせると、騙されたのではないかと、二人が疑う可能性が高いので、アルドバルド子爵が自ら向かうことにした。

 アルドバルド子爵が部屋から出たあと、


――わたしは騙されているのではと疑われるが、アルドバルドは騙しにきたとしか思われないような……


 そう考えたが黙った。

 室内は直立不動のアイヒベルク伯爵と、椅子に座ったまま眼を閉じているリリエンタールの二人きり。


 そうしていると短い日が落ち――それでも二人とも動かず、暗い室内で黙って待っていた。護衛を兼ねているアイヒベルク伯爵は、暗がりで敵を捕捉したことは何度もあるので、明かりを必要としなかった。


 アルドバルド子爵が執務室を出てから、かれこれ四時間後――通常勤務は二時間も前に終わった、ベルバリアス宮殿に、


「ちょっと大丈夫! うわっ! 暗い!」


 道中で事情を聞いた執事が、執務室に飛び込んできた。


「部屋の明かりくらい、点けなさいよ!」


 室内に明かりを灯し――


「うわ、本当に固まってる……生きてはいるみたいだけど……」


 執事が触っても、全く反応はなかった。

 ただ寝息などはないので、起きているのは確かだった。


「重傷でしょ」


 アルドバルド子爵が、執事を呼んだ理由は分かった。


「そうだな。妃殿下は、耳元で何か囁いていったんだな?」


 囁かれた側の薄い耳朶を掴んで執事が引っ張るも、リリエンタールは反応せず。


「アーダルベルト君からの伝言で、こんな感じになると思う?」

「ならないとも言えないのが困るところだ。耳元で話されて、浮かれている所に、話が終わってしまって落ち込んでいる……とも取れる」

「たしかにその節もあるなあ」

「お前、口元とか見てなかったのか? 読唇術は得意だろう」

「皇妃はちゃんと、自分の口元を隠して告げてたんだ。声のボリュームも完璧で、聞き取れなかった。できる軍人は違うよ」


 執事は握り拳でリリエンタールの頬をぐりぐりと押しながら、


「おい、妃殿下の好きな人、目星がついたぞ。本人確認はしてないけど、お前みたいだぞ」

「えっ?」


 執事の発言にアルドバルド子爵が、完全に虚を突かれたといった声を上げる。


「サーシャが聞き取りから、そう判断した……」


「聞き間違いでは無かった!」


 ずっと動かなかったリリエンタールがいきなり眼を明け、大声を張り上げた。

 よく咄嗟にこれだけの声が出るな……とアイヒベルク伯爵は感心したが、


「なにが聞き間違いじゃないと?」

「娘がわたしのことを好きだと」


 聞かされた執事とアルドバルド子爵は顔を見合わせて、


――それはないのでは? 


 と思ったが、リリエンタール本人がそうだと言い張るので、彼らはキースに伝言内容を聞くことにした。


「キースに伝言内容を聞くのが近道だけど」

「答えてくれるとは、とても思えないけどね」


 聞けるかどうかは別として。


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