【071】
リリエンタールをからかったヒースコートが首都を離れ――執事が命じられていた品々を、銀製トレイに載せ、従僕たちに運ばせやってきた。
「入りますよ」
入室を告げ、許可も得ずに重厚な扉を開けさせ――居る場所が玉座の間になると言われるリリエンタールは、その評判通りの姿を見せた。
リリエンタールは彼らしく、一人掛けのソファーに腰を降ろし、肘掛けに腕を乗せ目を閉じていた。
見るからに不機嫌。漏れ出す雰囲気も不機嫌――従僕たちは少し怯んだが、執事は気にせず室内に入る。
執事は純白の手袋を嵌めた手を叩き、荷物を置くように指示を出す。
打ち合わせ通り、分厚い天鵞絨製のクッションを運んできた別の従僕たちが、リリエンタールの前にそれを置き、それにトレイを載せてから、全員膝を折り頭を深く下げる。
室内の空気が止まり――リリエンタールは目を開けて、肘掛けに乗せていた手を軽く振る。
「下がりなさい」
執事の言葉を受けて従僕たちは去り――
「なんだこれは?」
「あなたが作れと命じた、妃殿下への贈り物の数々ですよ」
深みのある赤色のクッションの上に置かれた、磨き込まれた銀のトレイ。縁には蔦の透かし彫り装飾がなされ、宝石が散りばめられている。
その豪奢なトレイの上にあるのは「布」「手袋」「懐中時計と革のケースと紐」「ロング手袋」――布とロング手袋はラベンダー色で、生地がカシミアなのはリリエンタールにもすぐに分かった。
軍用手袋は、かなり大きめ。
懐中時計はつや消しで蓋がなく、素っ気ない文字盤。懐中時計ケースの革も飾り気がまったくない。
「……」
「完成してしまったんですよ。あなたが直々に命じた品々だから。みんな、何を差し置いてもまず完成させないと! ってことで、あんたが全くお近付きになれてないのに……」
たしかにリリエンタールは娘ことクローヴィスへの贈り物として、カシミアのショールと手袋、仕事でも使える軍用手袋の特注品、そしてクローヴィスが語っていた輝かない宝飾品として懐中時計を作ることを命じた。
「贈る機会を作らねば」
「ガイドリクスと違って、キースは厳しいよ」
アディフィン王国から帰る車内で、ネグリジェという甚だ不適切な贈り物をしたが、最終的に当時の上官ガイドリクスは許した――ネグリジェを贈った経緯は、クローヴィスが寝間着を所持していなかったので、同じ部屋にいるリリエンタールにとって目の毒だったこともあり、同行していた執事も許した。
当初通り、別室にすれば良かったのでは……というのは言わなかった。
「分かっている」
「今日、キースに書類を読ませるんでしょ。その時に打ち明けちゃえば?」
「問答無用、容赦手加減一切なしで殴られるだろうが」
「避けられるだろう?」
「キースは動きやすい恰好をしているが、わたしは燕尾服で動き辛いからな」
「軍服着ていったら、おかしいもんね。とりあえず、妃殿下への贈り物第一弾は出来上がったよ。懐中時計と軍用手袋はレイモンドに確認させた。あれですら”わたしが欲しいくらいです”って本気で言う品にはなった。ショールと手袋のクオリティはわたしが確認した。あんたが妃に贈るのに相応しい品質だ…………今年無理でも、来年があるからな」
執事の哀れみに近い優しい眼差しを受け、リリエンタールは眼を閉じて額に手を当て、
「難しいな」
深いため息をついた。
「まあ、今日からサーシャが探ってくれるから。結果が出るまで、我慢ですよ」
「……ああ」
作らせたはいいが、贈る手段がないまま――リリエンタールはキースとクローヴィスが並んで歩いている所へ馬車を乗り付け、
「キース、副官共々乗れ」
拠点の一つへと連れていき、キースに北方での出来事に関する書類を読ませた。
クローヴィスは下げ――食堂へ向かう途中で声を掛けることは決まっていたので、食事も用意して。
――娘の口に合ったであろうか……
そんなことを思いながら――
**********
「オルフハード少佐な」
「はい、オルフハード少佐」
「ところで中尉。以前調査した時、中尉には浮ついた話はなかったはずなのだが」
クローヴィスが好意を持っている貴族を探り出す……という大役を命じられたサーシャは、美味しい食事を終えた直後という、わりと気が緩んでいる隙を狙って声を掛けた。
「…………」
クローヴィスを独身寮に送り届けたサーシャは、やり取りを思い出し、寒さ以外で体を震わせた。
クローヴィスの言動から、どうも相手は自分も知っているらしいと――
事前の情報ではキースとリリエンタール、両者が知る貴族だと聞かされてきたのだが、そこに自分まで加わる。
サーシャは連合軍と共産連邦の戦い、今だ休戦中でしかない三月戦争の中期の後半から、リリエンタール陣営にいたが――クローヴィスがそのことを知っている筈はない。
――その全部の条件に当てはまるのは……リリエンタール閣下?
ドレスを贈り、女性扱いし、キースも自分も知っていることを「クローヴィスが知っている」貴種。
――そういえば、エーデルワイスは閣下のことを偉い外国貴族だと思っている節が……あった
リリエンタールは積極的に自分が皇族であると名乗るわけでもなければ、大公だ皇王だ、古帝国の正統後継者だと自慢するわけでもない。
――あまり貴族に詳しくな……そうだ、ロスカネフにはエフェルク以上に格の高い家はなかった……
ロスカネフ王国には「王よりも格上」の血筋は存在しない。
――もしかしたら、リリエンタール閣下のことを……皆さんを納得させる証拠がないと無理だよな。俺の勘違いって線もある。とりあえず誰かに相談…………シャルル殿下に相談してみよう
クローヴィスの想い人がリリエンタールではないか? と、正答を弾きだしたサーシャだが、さすがに自信がなかったので、近いうちにシャルルに相談しようと考え、タクシー馬車を拾い、急ぎ帰途についた。
**********
昨晩クローヴィスを見ることができたリリエンタールは、極めて機嫌が良かった――その機嫌の良さを周囲の人間は全く感じることはできないが。
――娘の口に合ったようだ。また娘と共にテーブルを囲み、一緒に食事を取りたいものだ。その際の話題は……戦の話は喜んでもらえるだろうか。あの娘は華やかな容姿だが、兵站などを好みそうだ。戦争論などはどうであろう。シャルルには叱られるであろうが……
国体変更に伴う混乱――を見事に抑えながら、政治経済を回しているリリエンタールの脳内は、クローヴィスのことばかり。
そんな彼の執務室のドアが開き――面会予定はなかったはずだが……と思いながら、書類を読み進める。
「リリエンタール。用事があってきた」
「ないのに来られても困るが」
アルドバルド子爵が自分のことを、リリエンタールと呼んでいるのが気になったが、視線をあげることなく話せと促す。
「わたしの用事の前に、中尉からの話があるよ、リリエンタール」
「中尉?」
どこの中尉だ? と顔を上げると、昨晩見たPコートを腕に持ったクローヴィスがそこにいた。
「どうした? 中尉」
キースに用事を言いつけられたのだろうな……と思いながら、リリエンタールは頬が緩んだ――本人の気持ちだけで、永久凍土と揶揄される顔面は一切動かず。
「あの秘書官に止められていて、困っていたよ。あの秘書官毎回こういうことするんだから、さっさと更迭したらどうだい? リリエンタール」
アルドバルド子爵が語る秘書官が誰なのか、リリエンタールにとっては全く興味のないこと。
――言い出したフランシスに処分させるか
「そうか。それは後回しだ。して中尉、何用だ?」
リリエンタールが声を掛けると、クローヴィスは室内を見回して、
「あの……耳打ちしてもよろしいでしょうか?」
困ったように頼みごとをしてくる。
「耳打ち? 余人に聞かれたくないことか?」
「はい」
「よかろう」
リリエンタールはこの時、好きな相手から耳元で囁かれるということは、どういうことなのか? 全く理解していなかった。
むしろ「娘の声を聞き漏らさなくていい」とすら思っていた――後に破壊力があることに気付くのだが、初めての耳打ちはそれらを全て吹っ飛ばした。
「では身体検査を」
「身体検査は要らん、下がれ。それで、なんだ? 中尉」
衛兵の存在意義を奪い、逸る気持ちを抑え、視界の片隅にいる、にやついているアルドバルド子爵を完全無視し、近づいてきたクローヴィスはとても良い香りがした。そこに僅かに含まれる消毒液の匂い。
ぞくりと列車での血の海と消毒液が混ざった時のことを思い出し――
「閣下。キース少将からの伝言とは嘘です。イヴ・クローヴィスはリリエンタール閣下のことを愛しております。それを伝えたく……お忙しいところを申し訳ございません。失礼いたします」
クローヴィスが去るのを黙って見送った――ように、室内にいる人々には見えた。
「どうしたの? リヒャルト」
クローヴィスに執着していることを知っているアルドバルド子爵が、さらににやつきながら近づくが、リリエンタールは動きを止めたまま。
「リヒャルト?」
「リヒャルト?」
アルドバルド子爵が名前を呼ぶも、それはわたしの名前なのか? とばかりに問い返される。
「君、リヒャルトだよ。アントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティン。全名は笑えるほど長いけど」
【なんのことだ?】
【君の名前が長いこと】
【パウロ?】
【誰だい、パウロって】
【誰だ?】
【それはわたしが言いたいんだけど】
アルドバルド子爵とのその会話を最後に、リリエンタールは目を閉じ、全く動かなくなった。