【066】室長、初めて情報分析に失敗する
監視しやすい間取りの食堂――キースもクローヴィスも、どこかに諜報員がいるのだろうと思うも、見つけることはできなかったが、二人の想像通り、その食堂には諜報員はいた。
キースをうかがうことができる、少し離れた位置にリドホルム男爵。そして通路をはさみ、クローヴィスの表情や仕草、
――声も聞こえる。この位なら、聞き漏らしはないな
あちらこちらから聞こえる話し声の中から、会話を拾い上げることができる場所に、アルドバルド子爵が陣取っていた。
”変身”と恐れられ”本人より本人に見える”と賞されるその技術で。
――さすがにこの年で、二十代後半の軍人は辛いんだけど……違和感は持たれてないみたいだね
アルドバルド子爵は職業軍人だが、戦場に立つことを極力控えている。
その最大の理由は、聴覚を保つため。戦場ほど轟音が響くところはなく、大砲の爆発の音と衝撃は聴覚を傷つける。
聴覚の劣化を極力さけるために、戦場はできる限り回避していた。
「閣下のような恋人と辛い別れをし、それから一切恋人を作らず二十年近く独り身で過ごしている男性の口説き方を知りたいのです!」
「は?」
ウォッカを嗜みながら、耳を澄ませていると、クローヴィスから想像もしていない言葉が飛び出してきた。
話相手のキースも、聞き耳を立てているアルドバルド子爵も呆気に取られる一言。
「相手なんて、誰だっていいじゃないですか」
「良くないだろう」
「相談に乗ってくださるんですか? 乗ってくださらないのでしたら」
「解決策を提示出来る自信はないが、相談には乗ろう。相手のことは聞かん。それで、中尉は相手のどこに惹かれたのだ?」
そのままクローヴィスの話は続く。
――うーん。本当のことを語っているっぽいなあ。アーダルベルト君を騙すのは無理だから、本心を語ったってとこなんだろうけど……えー困るー
優秀な部下に身辺調査をさせ「好意を抱いている男性はいない」と、アルドバルド子爵は結果報告を受けていた。
人の感情の問題なので、見つけられず、間違った報告が届いたことは仕方が無いとすぐに割り切る。
とくにクローヴィスは手紙に特定の男性の名が出てきたこともなければ、隠喩を使って暈かすような文章を送ったりもしない。手紙は平民らしく、分かり易く、過剰な装飾や比喩を一切使わない。
また日記はつけておらず――クローヴィスが知ったら「え゛え゛ぇ゛」と、おかしな悲鳴を上げるだろうが、クローヴィスの近辺を探るべく、メッツァスタヤはあらゆる所から情報を入手していた。
「モテる閣下には分からないでしょうが、モテない女代表のわたしなんかは、ドレスを着せてもらったりすると、すぐになびくんですよ」
――なにそれー聞いてないー。ドレスねえ……皇妃の父方の実家は、仕立て屋だから探り辛いんだよねえ
既製服のサイズが全く合わないクローヴィスは、祖父や伯父、従兄弟に服を仕立ててもらっていた。
裕福な中産階級の娘なので、ドレスを仕立ててもらったことは、何度もある。
――従兄弟? 従兄弟なの? 人間性が極めて素晴らしい、出来た青年だとは聞いてるけど、彼は既婚だよね。皇妃は不倫するタイプじゃないから、違うだろうな。働いている又従兄弟?
「着用した中尉を褒めたのであろう?」
「それはまあ、貴族ですから褒めますよね」
――えええー。貴族ぅ?
クローヴィスは士官学校を出ているので、貴族の知り合いはいるが、
「貴族で中尉より相当年上で、ドレスを仕立てて贈ることができる財力もある紳士なあ……」
その中でドレスを仕立てて送ることができるような男性は、数えるほどしかいない。
――裕福な庶民の息子はいるけど、裕福な貴族の息子で知り合いなのはジークフリート君くらいだよねえ
クローヴィスとキースの会話を聞けば聞く程、アルドバルド子爵は「誰それ」という気持ちが強くなってゆく。
「そうですか。小官の憧れる人も、身長を気にしないと言ってくれそうな人なのです。この身長を気にしないと言ってくれる男性って、希有なんですよ。分かってくださいますか?」
「身長を気にする男か……否定はできないな。それで中尉の思う相手は、身長など気にしないと」
「おそらく」
「中尉の容姿は整っているのだ、身長を気にしないような男ならば、告白してもいいだろう」
――ちょっと、止めて、アーダルベルト君。皇妃に告白させるの止めて! ”俺が責任取る”的な感じで背中を押すの止めて! 女性に告白するよう勧めるとか、本当に開明的だよね君
この時代、女性部下に「告白しろ」とアドバイスする上官は珍しい。そんな開明的なキースと共にクローヴィスは店を出た。
アルドバルド子爵も遅れて店を出て――ガス灯の明かりの下、二人が並んで歩き遠ざかる後姿を見送った。
――足が長いから、速いなあ
二人の後を距離を取りついてゆくヤンネを確認し、店から出てきたリドホルム男爵をちらりと見てから、アルドバルド子爵は歩き出す。
――皇妃が言っていた男性って誰だろう
アルドバルド子爵には、全く心辺りがなかった。
もちろんリリエンタールがドレス一式を整えて、アディフィンの首都を案内して、レストランで食事を取ったという話は聞いてはいたが――アルドバルド子爵にとって、リリエンタールは貴族ではないので、最初から物の数に入っていない。
実際彼は貴族ではなく王族。
リリエンタールのことを知っている人は、貴族に分類することはないのだが――クローヴィスはリリエンタールのことを、あまりよく知らなかったので「王族って言っていいのかなー」と曖昧だったため、貴族ですと告げた。
――皇妃はパロマキのこともあるから……貴族との繋がりがないと言い切れないんだよねえ
更に登場人物に肩入れし、攻略対象関連で言い当てたこともあり、アルドバルド子爵は、
――わたしたちが知らない貴族の可能性が無いとは、言い切れないんだよねえ
裏の無いクローヴィスの言葉の裏を読まざるを得なくなった――存在しない裏なので、どこをどう読んでも間違いでしかないのだが。
――リヒャルトに報告しようかなあ。したら、面倒なことになりそうだけど…………なんだろう、楽しい? もしかしたら楽しいのかも!
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「ほぉ……貴族な」
アルドバルド子爵はまっすぐリリエンタールの元へと向かい、二人の会話を報告した。
側で聞いていた家令のスパーダ、フリオやヘラクレス、アイヒベルク伯爵に執事、ヒューバートの全員、室内のあらぬ方向を眺める。
アルドバルド子爵の話を聞いた彼らも、クローヴィスが語った相手がリリエンタールだとは、露も思わなかった。
報告を受けた当人、リリエンタールも――悲しいという感情もなければ、自分が貴族という認識もないので、仕方ないことなのだが。
唯一近いのは「婚約者と死に別れた」だが、それも婚約者が死にたがっていたので、リリエンタールには希望を叶えてやったという感覚しかない。
「うん。それでさ、アーダルベルト君は”相手を言いたくないということは、俺も知っている相手ということか”って言ったら、クローヴィス少尉は”相手なんて、誰だっていいじゃないですか”って返したんだけど、あれは完全に図星だったね。というわけで、アーダルベルト君が知っている貴族ってことになるんだけど」
「国内貴族ならば、すべて知っているであろうな」
キースは貴族嫌いだが、将校の責務として、司令官の常識として、ロスカネフ王国の主要貴族はほぼ覚えている――残念ながらフロゲッセル男爵は、主要ではないので、北方司令部の司令官を務めていたが、会うことはなかった。
「うん。でもさ、彼って連合軍でリヒャルトの筆頭副官を務めたとき、かなりの数の外国貴族と顔を合わせたよね」
仲の善し悪し、交流の有無はともかく、キースは正式な数よりも多くの国家の人々が集った連合軍で、総司令官だったリリエンタールの筆頭副官を務めていた。
とくにその時リリエンタールは、一切の直答を許さず、キースを通したこともあり――連合軍に在籍していた、王侯貴族や政府高官のほぼ全てとキースは接触していた。
「あれは頭の良い男だから、全て覚えているだろうな……だが、あの娘は連合軍時代のキースについては、知らぬであろう?」
リリエンタールがそう言うと、アルドバルド子爵は楽しそうに人差し指を振り、
「アーダルベルト君に関しては、彼のファンが脅威の情報収集能力を発揮しているから、下手したらアーダルベルト君ですら覚えていない相手のことまで、掴んでいる可能性があるんだよ」
女性の情報収集能力を甘く見てはいけないよと、軽く諭す。
「…………」
「クローヴィス少尉の同期は、ほぼ全員がアーダルベルト君のファンだ。特に仲が良いラハテーンマキ少尉なんて、アーダルベルト君に憧れて士官の道に進んだくらいで、未だに彼について数少ない年上の女性士官に聞いて回ってるんだ」
情報源が近くにあるということは、聞いている可能性がある……そこまでは、リリエンタールも納得した。
「連合軍時代の貴族どもか……それらと娘がどうやって知り合うのだ?」
「分かんない。けれど可能性としては排除できないでしょ?」
「まあな」
「ちょっと想像してごらんよ、リヒャルト。君がロスカネフに居ないとき、遊びに来ていたアウグスト君とかヴィルヘルム君が”連合軍時代、キースと知り合いなんだぜ”って声を掛けていたら。彼らなら遊び半分でドレス一式くらい用意しちゃうじゃない。あと異様に口も上手い」
「殺す」
「分かり易く想像してもらうために、具体的な名前を出しただけだからね。あの二人は婚約者を共産連邦に殺害されてないよ。でもそういう可能性はあるじゃないか」
若い頃のクローヴィスについて、誰も注意を払っていなかったので、あり得ないことではない。
「…………そうだな。なにせあの娘は、美しいから、貴族共が声を掛ける可能性がある」
クローヴィスが目立たない平凡な容姿の娘ならばまだしも、あれほど目立つのであれば――
「うん。……というわけで、どうやって捜す?」
リリエンタールは白い手袋を嵌めた手を軽く動かし――
「キースが取り次いだ貴族は思い出した」
リリエンタールは十七年前のことを思い出した。記憶の正確さについては、誰も疑ってはいない。
「だがその中に、婚約者を共産連邦の手の者に殺害されたのは、居なかった筈だ……だが、詳しく調べてみなければ、分からないが」
婚約者の変更は珍しいことではなく、婚約変更の理由は曖昧なことも多い。ましてや共産連邦に殺害された「らしい」ともなれば、家のほうで隠している可能性が高い。
「名前さえ書いてくれたら、それはわたしとフリオが調べますよ」
執事の申し出に、リリエンタールは頷き、
「キースが取り次がなかった貴族の可能性もある……クレマンティーヌならば覚えているであろう」
連合軍で第二副官を務めていたクレマンティーヌ総督の名を挙げた。クレマンティーヌは学歴こそないが、貧民街を腕力だけではなく頭脳も駆使して生きてきただけあって、怖ろしく賢い。
とくに文字を覚える機会がなかったので、記憶力が抜群によい。
「たしかにクレマンティーヌは、手下にキースを見張らせていましたから」
リリエンタールに心酔しているクレマンティーヌは、リリエンタールを嫌うキースを嫌うと同時に、おかしな動きをしないかどうか? 部下を使って見張っていた……ことを、アイヒベルク伯爵は覚えていた。
「クレマンティーヌに聞く。ベルナルド、リリエンタールのレターセットの用意を」
王侯貴族は専用の封筒や便箋、封蝋を作らせる。それらは一種類ではなく、相手の格に合わせたものを、幾種類か用意している。
リリエンタールも専用のものを作っており、その中でもっとも格の高いのが百合の谷のレターセット。
「はい。じゃあ祐筆に文面を喋ってる間に、リストを書いてください」
リリエンタールは自分で手紙を認めることは、ほとんどない。
「いや、わたしが書く」
「直筆?!」
「娘に関わることだ。わたしが直接問う」
執事は消されてしまう名も知らぬ貴族に向けて、前もって聖印を切り――レターセット一式をリリエンタールに差し出した。
上質な紙に透かし入り。記入する面の反対側は、双頭の鷲が箔押しされ、素人には非常に書き辛い便箋だが、リリエンタールは苦もなく認めた。
「あんた馬鹿!」
のぞき込んだ執事がシャルルに戻り――アルドバルド子爵ものぞき込むと、クレマンティーヌ宛なので、彼の第一言語であるノーセロート語で書かれているのはいいのだが、文面が完全にノーセロート宮廷語で、様式は王族私信――王が王太子宛に送る手紙といった様相。もっと言えば、長いノーセロート王国の歴史上、祐筆を使わないでこのレベルの装飾が成された手紙を書けた王はいないだろうし、祐筆が翻訳しなければ王太子も理解できないだろう……という代物ができあがった。
「クレマンティーヌ君は、下町ノーセロート語しか使えないよね」
アルドバルド子爵は読めるが、これに見合った返事を書けと言われたら、無理だと降参する。
「娘について聞くのだ。正式な文章を認めて当然だ」
「読めないって言ってるの! クレマンティーヌは読めなくても、あんたから手紙が来たってだけで喜ぶけど!」
「分かっている。ヒューバート、手紙を届けて代読し、情報をまとめて戻ってこい」
いきなり振られたハクスリーは、
「は、はい。いや、御意」
相当驚いた。
そして手紙が読めるかどうか――名門貴族の当主だが、当主であれば祐筆を抱えているので、複雑過ぎる装飾過多の手紙を読めなくても問題はない。
むろん読めた方が良いが。
「わたしが平易な文にしたメモを付けてやるから」
「ありがとうございます、シャルル殿下」
「準備をしてきなさい。あとベルナルドだ」
「は……ああ!」
執事とハクスリーが話をしている脇で、吸取器でインクが渇いたことを確認したリリエンタールは、自ら便箋を折り封筒に入れ、小指から歴史有る印章を外す――その印章が最後に封蝋印として使われたのは五九八年前。
「ちょっと待て! さすがにその印章使用は控えろ!」
印章は古東帝国の皇帝が、異教徒との戦いで負けるのを覚悟し、教皇に送った。その箱の中に同封された手紙の封に――以来使われていない。
「あんたが本気なのは分かる。だがさすがに!」
ハクスリーの声で気付いた執事が、リリエンタールを羽交い締めにするが、ものともせずに封蝋を溶かしにかかる。
「その印章は、お嫁さんに出す手紙に使いなよ」
「……」
「五九八年振りに使う相手に相応しいのは、クローヴィス少尉じゃないか?」
アルドバルド子爵に言われ、封蝋の印はリリエンタールの正式印に落ち着いた――それでも、教皇に出す手紙にしか使われないものだが。
ハクスリーはその手紙を持ち、大急ぎでアバローブ大陸のクレマンティーヌのもとへと向かった。
その手紙が届く前に、クローヴィスが言ったのが誰なのか、判明したのだが、遠く離れ過ぎていたのでハクスリーには連絡が届かず――返事とともにクレマンティーヌが持っていって欲しいという、象牙を二十本ほど持って急ぎ帰国した。