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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
65/208

【064】イヴ・クローヴィス・10

「娘が帰ってしまった……」


 リリエンタールがそう呟いた日――そんなことなど、まったく知らないクローヴィスは出張用の鞄の他に、執事から渡されたお土産が入った大きなキャンバス地のトートバッグを肩にかけ寮へと戻った。

 クローヴィスは実家から職場へ通うこともできるが、卒業以来、女性士官寮で生活していた。


「お帰り、イヴ」

「お城どうだった」

「ただいま! ご飯美味しかった!!」


 クローヴィスの同期は全員独身で、ラハテーンマキ(サンドラ)以外は全員、首都の軍施設に配属されている。

 中央司令部に配属されているのはクローヴィス一人だが。


「傷跡、だいぶ良くなったね」

「うん。痒くてしかたない」

「傷が治る時は、しゃーない」


 同期に出迎えられ、先輩たちに挨拶をしながら鞄を部屋に置き食堂へ。

 食べ慣れているメニュー、キノコのクリームソースが掛かったミートボールと黒パンにピクルスが入った器をトレイに乗せ、テーブルに座る。

 女性士官が少ないので――現在三十八名で、うち五名は国外赴任。他は国内の司令部や施設に配属されているので、もっとも女性士官が多い首都の女性士官寮でも、十人ほどしかいない。

 その中で同期の四人が揃っているクローヴィスたちは最大勢力――だからといって、何があるわけでもないが。


 食堂の丸テーブルに各自料理を載せ、


「お城どうだった?」


 クレーモラ(テレジア)が職務には触れず、リリエンタールの城について尋ねる。

 

「事情があって使用人棟じゃなくて、本邸の隅っこに泊まったんだけど豪華だった。凄かった。大きな声で言いづらいけど、王宮より凄い」


 クローヴィスは最後の方、本当に声を潜める。


「やっぱりそうなんだ。噂では聞いたことあるんだよね。王宮よりベルバリアス宮殿。ベルバリアス宮殿よりリリエンタール閣下の本邸って」


 ベルバリアス宮殿に配属されているペララ(エルヴィーラ)が頷く。


「どんな感じで凄かったの?」


 スイティアラ(ユスティーナ)に聞かれたクローヴィスは、回廊に歴史有る宝飾品が飾られ、巨匠たちの絵画が所狭しと飾られていたことを語る。


「執事さんが、画廊に案内してくれたんだけど、そこに超有名作家の連作があってさ。名門貴族が所有していた絵画なんだけど、没落したので売りに出されることになったんだって。連作を切り売りするのも味気ないだろうということで、四十二枚全てを買い取ったんだって」


 クローヴィスが絵画の作者と連作のタイトルを告げると、


「うちの国にあったのか」

「それ、すごい有名なヤツだよね」


 食堂にいる全員の気持ちが一つになった。


「絵描きが見たいですって来るらしい。もちろん、どこかの貴族の推薦状みたいなのを持ってだけど」


 皇帝からの推薦状でも、城に入れてもらえるかどうかは分からないが。


「へー」

「いいもの見られたね」

「うん! 絵画の他にも、信じられないような彫刻がゴロゴロと」


 リリエンタールの城の礼拝堂には、クローヴィスが「一番有名なミケランジェロのピエタ」として記憶している彫刻まであった。


「ごろごろ」

「ごろごろ」

「もうね、無造作に飾られてるの。聞けばやっぱり、超有名な人」

「あー」


 クローヴィスが名前を語ると、有爵貴族の娘だが、実家が貧乏なので、名のある彫刻や絵画などは家に一つもなかったクレーモラ(テレジア)スイティアラ(ユスティーナ)でも知っている、まさしくビッグネームだった。


「教皇庁の大聖堂の装飾の総指揮を任された、歴史に残る偉大な彫刻家よね」


 ペララ(エルヴィーラ)の問いに、ミートボールを食べながらクローヴィスが頷く。


「他にもさ、小ホール毎に楽団員が居て音楽を奏でてた」

「小ホール毎」


 貧乏ながら領地で、先祖代々受け継がれてきた邸で生活していたスイティアラ(ユスティーナ)が――ほとんど殺風景で無駄な空間にしか思えないけれど、そういうことに使うんだ……と。


「うん、それも誰もいないの」

「…………」

「リリエンタール閣下が通った時に、聞こえるように……みたいな感じらしい」

「へ、へえ……」


 音楽に関しては執事がついた嘘である――普段、リリエンタールが抱える楽団員は、誰もいない小ホールで音楽を奏でるようなことはしない。

 ”もしかしたら、妃殿下は音楽が好きかもしれない”ということで、執事が用意し、楽団員たちにも説明無しに奏でさせた。

 もちろん時間を決めて、その時間に合わせてアルドバルド子爵に案内させて――楽団員もクローヴィスも意図は分からぬまま。


 駆り出されたアルドバルド子爵は、クローヴィスの僅かな仕草の変化などを観察し「音楽は嫌いじゃないみたいだよ。でも不思議な感じを受けた」と報告した。

 アルドバルド子爵が感じた不思議は、クローヴィスの前世の記憶部分だが――さしもの彼でも、そこにはたどり着くことができない。


 食事を終え――クローヴィスが部屋に一度戻り、


「お土産としてもらった」


 びっしりとフィナンシェが詰まっている箱を持って、食堂に戻ってきた。

 彼女たちはコーヒーを淹れ、食堂にいた他の二人も加わる。


「お土産までもらえるの?」

「廃棄しちゃうんだって」

「ん? どうみても、捨てるほど古くないよ?」


 クローヴィスには「廃棄するのでどうぞ」と渡したのだが――もちろんそれは口実にしか過ぎない。


「お客さん用に用意されてるけど、来ないとね」

「そういうの、使用人に配られるんじゃなかったっけ?」

「使用人も余したヤツだって」


 一人三つづつフィナンシェを皿に取り、あとは食堂の壁際に置かれている「ご自由にどうぞ」スペースに箱を置く。


「こーんな分厚い、シャトーブリアン食べさせてもらった。全てが極上だった。なんでもさ、リリエンタール閣下用の熟成シャトーブリアンなんだけど、最高に美味しい日、この日を逃すとあとは腐るだけ……なその日、リリエンタール閣下、違う料理を所望したらしくてさ」


 ”こーんな”と言いながら指で厚みを作ってみせたクローヴィス――その厚さは完璧だったが、再現した本人すら、それが完璧だとは気付かず。


「へー」

「へええ」

「ほぇー」


 クローヴィスも聞いている同期も先輩たちも、リリエンタールのことを詳しく知らないので「そういうことも有るんだろうな」貴族にはよくあるエピソードと流したが――リリエンタールが自分から料理を希望することはない。


 キースが聞けば「ツェサレーヴィチが?」と、さぞや不審に思ったことだろう。


「お城では、トナカイ肉はほぼ食べられないらしい」

「無駄な知識が増えたわ」

「トナカイ肉が食べたければ、リリエンタール閣下の城の外で?」


 リリエンタールは何を食べてもどうでもいい男なので、トナカイ肉が出されても黙って食べるが、ジャン=マリーが出さないので食べないし、希望することもない。


「生まれて初めて鳩食ったよ。美味しかった……何を食べても美味しかったけどね」

「鳩って不味くない?」

「火の通し方を失敗すると、駄目なんだって。使用人の料理を作る人でも、ホテルのシェフより上手いらしい」

「さすが」


 クローヴィスが食べる肉を焼いていたのは、世界の美食家を唸らせる料理人だが、執事が「ホテルのシェフよりは上手ですよ」としか言わなかった。


「あと酒も飲んだ。職務中だけど、異国の酒でロスカネフでは売ってないと言われると、この機会を逃したくない! って思っちゃって」


 輸入ルートがないためロスカネフ王国の酒屋では見かけない、カシャッサやテキーラなど新大陸の酒。

 現地では庶民価格だが、運送費を合算すると、ロスカネフ王国に届いた時には、既に庶民価格ではなくなっている。


「分かる」

「分かる分かる」


 クローヴィスが「珍しいお酒!」と喜んでいたので、二三本お土産として渡したかったのだが、この手の酒は簡単に悪くなるものではない。


「ここ、男所帯で、酒は幾らあってもいいのですが、焼き菓子は好むのが少なくて」


 執事はこう(・・)言ってフィナンシェの詰め合わせを渡したので、酒を持たせることはできなかった。

 リリエンタールは最高級ワインの代名詞レオミュールを土産にしたかったが、扱いが面倒だから止めろと諭され――


「あとね、あそこのお城、温泉まであった」

「すげえ」

「古帝国を模した、古くさいものですけれどって言われたけど、全然。むしろ、一周回って新しい」

「広かった?」

「広いね。この食堂の倍くらいは、余裕であった」


 女性士官寮の食堂は大きくはないが、三十人くらいは余裕をもって食事を取れる広さはある。


「大きくて、動きやすそう」

「住みやすそうだね」


 士官学校卒の士官たちは、皆背が高いので、貴族の邸に住んでいた者でもない限り、自宅で数え切れないほど頭をぶつけている。


「どこもかしこも、天井が高くて。さすが貴族のお城」

「寮は天井高いから、過ごしやすいよね」

「広くて高くていいよね」


 家族と仲がよいクローヴィスだが、寮のどこにいても、気を付けなくても頭をぶつけない空間がちょっと手放せなかった。

 頭をぶつけても実家は好きだが――


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