【064】イヴ・クローヴィス・10
「娘が帰ってしまった……」
リリエンタールがそう呟いた日――そんなことなど、まったく知らないクローヴィスは出張用の鞄の他に、執事から渡されたお土産が入った大きなキャンバス地のトートバッグを肩にかけ寮へと戻った。
クローヴィスは実家から職場へ通うこともできるが、卒業以来、女性士官寮で生活していた。
「お帰り、イヴ」
「お城どうだった」
「ただいま! ご飯美味しかった!!」
クローヴィスの同期は全員独身で、ラハテーンマキ以外は全員、首都の軍施設に配属されている。
中央司令部に配属されているのはクローヴィス一人だが。
「傷跡、だいぶ良くなったね」
「うん。痒くてしかたない」
「傷が治る時は、しゃーない」
同期に出迎えられ、先輩たちに挨拶をしながら鞄を部屋に置き食堂へ。
食べ慣れているメニュー、キノコのクリームソースが掛かったミートボールと黒パンにピクルスが入った器をトレイに乗せ、テーブルに座る。
女性士官が少ないので――現在三十八名で、うち五名は国外赴任。他は国内の司令部や施設に配属されているので、もっとも女性士官が多い首都の女性士官寮でも、十人ほどしかいない。
その中で同期の四人が揃っているクローヴィスたちは最大勢力――だからといって、何があるわけでもないが。
食堂の丸テーブルに各自料理を載せ、
「お城どうだった?」
クレーモラが職務には触れず、リリエンタールの城について尋ねる。
「事情があって使用人棟じゃなくて、本邸の隅っこに泊まったんだけど豪華だった。凄かった。大きな声で言いづらいけど、王宮より凄い」
クローヴィスは最後の方、本当に声を潜める。
「やっぱりそうなんだ。噂では聞いたことあるんだよね。王宮よりベルバリアス宮殿。ベルバリアス宮殿よりリリエンタール閣下の本邸って」
ベルバリアス宮殿に配属されているペララが頷く。
「どんな感じで凄かったの?」
スイティアラに聞かれたクローヴィスは、回廊に歴史有る宝飾品が飾られ、巨匠たちの絵画が所狭しと飾られていたことを語る。
「執事さんが、画廊に案内してくれたんだけど、そこに超有名作家の連作があってさ。名門貴族が所有していた絵画なんだけど、没落したので売りに出されることになったんだって。連作を切り売りするのも味気ないだろうということで、四十二枚全てを買い取ったんだって」
クローヴィスが絵画の作者と連作のタイトルを告げると、
「うちの国にあったのか」
「それ、すごい有名なヤツだよね」
食堂にいる全員の気持ちが一つになった。
「絵描きが見たいですって来るらしい。もちろん、どこかの貴族の推薦状みたいなのを持ってだけど」
皇帝からの推薦状でも、城に入れてもらえるかどうかは分からないが。
「へー」
「いいもの見られたね」
「うん! 絵画の他にも、信じられないような彫刻がゴロゴロと」
リリエンタールの城の礼拝堂には、クローヴィスが「一番有名なミケランジェロのピエタ」として記憶している彫刻まであった。
「ごろごろ」
「ごろごろ」
「もうね、無造作に飾られてるの。聞けばやっぱり、超有名な人」
「あー」
クローヴィスが名前を語ると、有爵貴族の娘だが、実家が貧乏なので、名のある彫刻や絵画などは家に一つもなかったクレーモラとスイティアラでも知っている、まさしくビッグネームだった。
「教皇庁の大聖堂の装飾の総指揮を任された、歴史に残る偉大な彫刻家よね」
ペララの問いに、ミートボールを食べながらクローヴィスが頷く。
「他にもさ、小ホール毎に楽団員が居て音楽を奏でてた」
「小ホール毎」
貧乏ながら領地で、先祖代々受け継がれてきた邸で生活していたスイティアラが――ほとんど殺風景で無駄な空間にしか思えないけれど、そういうことに使うんだ……と。
「うん、それも誰もいないの」
「…………」
「リリエンタール閣下が通った時に、聞こえるように……みたいな感じらしい」
「へ、へえ……」
音楽に関しては執事がついた嘘である――普段、リリエンタールが抱える楽団員は、誰もいない小ホールで音楽を奏でるようなことはしない。
”もしかしたら、妃殿下は音楽が好きかもしれない”ということで、執事が用意し、楽団員たちにも説明無しに奏でさせた。
もちろん時間を決めて、その時間に合わせてアルドバルド子爵に案内させて――楽団員もクローヴィスも意図は分からぬまま。
駆り出されたアルドバルド子爵は、クローヴィスの僅かな仕草の変化などを観察し「音楽は嫌いじゃないみたいだよ。でも不思議な感じを受けた」と報告した。
アルドバルド子爵が感じた不思議は、クローヴィスの前世の記憶部分だが――さしもの彼でも、そこにはたどり着くことができない。
食事を終え――クローヴィスが部屋に一度戻り、
「お土産としてもらった」
びっしりとフィナンシェが詰まっている箱を持って、食堂に戻ってきた。
彼女たちはコーヒーを淹れ、食堂にいた他の二人も加わる。
「お土産までもらえるの?」
「廃棄しちゃうんだって」
「ん? どうみても、捨てるほど古くないよ?」
クローヴィスには「廃棄するのでどうぞ」と渡したのだが――もちろんそれは口実にしか過ぎない。
「お客さん用に用意されてるけど、来ないとね」
「そういうの、使用人に配られるんじゃなかったっけ?」
「使用人も余したヤツだって」
一人三つづつフィナンシェを皿に取り、あとは食堂の壁際に置かれている「ご自由にどうぞ」スペースに箱を置く。
「こーんな分厚い、シャトーブリアン食べさせてもらった。全てが極上だった。なんでもさ、リリエンタール閣下用の熟成シャトーブリアンなんだけど、最高に美味しい日、この日を逃すとあとは腐るだけ……なその日、リリエンタール閣下、違う料理を所望したらしくてさ」
”こーんな”と言いながら指で厚みを作ってみせたクローヴィス――その厚さは完璧だったが、再現した本人すら、それが完璧だとは気付かず。
「へー」
「へええ」
「ほぇー」
クローヴィスも聞いている同期も先輩たちも、リリエンタールのことを詳しく知らないので「そういうことも有るんだろうな」貴族にはよくあるエピソードと流したが――リリエンタールが自分から料理を希望することはない。
キースが聞けば「ツェサレーヴィチが?」と、さぞや不審に思ったことだろう。
「お城では、トナカイ肉はほぼ食べられないらしい」
「無駄な知識が増えたわ」
「トナカイ肉が食べたければ、リリエンタール閣下の城の外で?」
リリエンタールは何を食べてもどうでもいい男なので、トナカイ肉が出されても黙って食べるが、ジャン=マリーが出さないので食べないし、希望することもない。
「生まれて初めて鳩食ったよ。美味しかった……何を食べても美味しかったけどね」
「鳩って不味くない?」
「火の通し方を失敗すると、駄目なんだって。使用人の料理を作る人でも、ホテルのシェフより上手いらしい」
「さすが」
クローヴィスが食べる肉を焼いていたのは、世界の美食家を唸らせる料理人だが、執事が「ホテルのシェフよりは上手ですよ」としか言わなかった。
「あと酒も飲んだ。職務中だけど、異国の酒でロスカネフでは売ってないと言われると、この機会を逃したくない! って思っちゃって」
輸入ルートがないためロスカネフ王国の酒屋では見かけない、カシャッサやテキーラなど新大陸の酒。
現地では庶民価格だが、運送費を合算すると、ロスカネフ王国に届いた時には、既に庶民価格ではなくなっている。
「分かる」
「分かる分かる」
クローヴィスが「珍しいお酒!」と喜んでいたので、二三本お土産として渡したかったのだが、この手の酒は簡単に悪くなるものではない。
「ここ、男所帯で、酒は幾らあってもいいのですが、焼き菓子は好むのが少なくて」
執事はこう言ってフィナンシェの詰め合わせを渡したので、酒を持たせることはできなかった。
リリエンタールは最高級ワインの代名詞レオミュールを土産にしたかったが、扱いが面倒だから止めろと諭され――
「あとね、あそこのお城、温泉まであった」
「すげえ」
「古帝国を模した、古くさいものですけれどって言われたけど、全然。むしろ、一周回って新しい」
「広かった?」
「広いね。この食堂の倍くらいは、余裕であった」
女性士官寮の食堂は大きくはないが、三十人くらいは余裕をもって食事を取れる広さはある。
「大きくて、動きやすそう」
「住みやすそうだね」
士官学校卒の士官たちは、皆背が高いので、貴族の邸に住んでいた者でもない限り、自宅で数え切れないほど頭をぶつけている。
「どこもかしこも、天井が高くて。さすが貴族のお城」
「寮は天井高いから、過ごしやすいよね」
「広くて高くていいよね」
家族と仲がよいクローヴィスだが、寮のどこにいても、気を付けなくても頭をぶつけない空間がちょっと手放せなかった。
頭をぶつけても実家は好きだが――




