【063】少将、出会う
「あんなクソ、わたしの視界に入れるな」
「かしこまりました!」
ガイドリクスの副官からキースの副官に異動になったのは、クローヴィスだけではなく、もう一人いる。第四副官だったイグナーツ・シュテルンという中年男性。
シュテルンとキースはさほど年は変わらず。
他の共通点は結婚歴なしで男性だけ。自分とは全く違うこの男のことを、キースは嫌い――
「あの野郎の、親父もクソだ」
総司令官にあるまじき口調で吐き捨てる。
困り顔のリーツマンの横を通り抜け、コーヒーを運んできた従卒は、何ごともなかったようにコーヒーを置き、静かに去った――本部に長く在籍している従卒は、シュテルンに関しキースの意見に同意なので、むしろ頷きたいのを我慢したほど。
「父親……も……」
――どんな老人なんだろうか?
リーツマンは挨拶にきたシュテルンを見たとき、退役間近の老人だと思った。
書類には「運転手」と書かれてたので、珍しいなとすら思ったほど。
自動車がロスカネフ国内を走り出したのは、この十年ほどで、講習を受け試験に合格して免許を取得する必要がある。
士官学校の必須科目、専科学校の選択科目などになったのもその頃なので、現在のロスカネフ国内で免許取得者はほとんどが若者――なので五十を過ぎた老人の運転手は珍しいな……と。
「お前は運転がメインか。運転手が数名従軍し、人手が足りないから、お前はそっちにつめろ。車の整備はできるな? よし。副官の仕事はしなくていい」
キースはものの二分でシュテルンを追い出した――そして「わたしの視界に入れるな」発言。
キースは好き嫌いが激しいが、人を見る目があるので――
「あの老人、切れやすいんですか」
嫌いな人間をあの口調で遠ざける場合、対象の性格がよろしくないこと、逆恨みするタイプだということを、リーツマンは身を以て経験している。
「老人か。常々、自分は老人だと思っているが、言われると、結構堪えるものだな」
キースがなにを言っているのか? と不思議に思ったリーツマンに、
「わたしとあいつは同年代だ。確実にヴェルナーよりは年下の筈だ」
見た目だけなら、シュテルンより二十五歳以上若く見えるキースの言葉に、
「いやいや、とても同年代には見えません! 世辞ではなく! ヴェルナー中佐のほうが年上ですか? どうみても、ヴェルナー中佐の父親みたいな見た目です。ああ、ヴェルナー中佐のお父さまのほうが若く見えます! ポスターでしか知りませんが」
否定しつつも、阿諛追従が嫌いなキースにそっちも否定する。
ヴェルナーもキースも、若作りではないのだが、とても若々しく見える。外見が若いだけでは、軽く見られるが、二人とも内面が年相応ということもあり、浮ついた感じを受けることはない。
「あいつは老けてるというよりは、本人の薄汚さが外見に表れているだけだ」
「…………」
リーツマンは”ひでぇ”と思ったが、キースがそう言うのなら、そうなのだろう――後日、中央司令部で仲良くなった人たちから情報を仕入れ「父親のコネ」「暴力事件を起こしたことがある」「見合い相手に暴力を振るった」「水虫」「見た目が汚い」「飯の食い方が汚い」「性病臭い」……等、シュテルンの評判は散々だった。
ちなみに年齢が分からなかったのは、書類に年齢が書かれていなかったため――「クローヴィスの履歴書」が正式採用されるまでは、司令官が目を通す書類でも、そんなものだった。
シュテルンの挨拶が済んでから三十分後、
「本日付けでキース少将閣下の第一副官の任を拝命いたしました、イヴ・クローヴィス中尉であります」
二十三歳の若さで中尉に昇進した、リーツマンより上の立場になるクローヴィスがキースの元へとやってきた。
司令官に挨拶するのに相応しい、クリーニングしたてで糊の利いた軍服。階級章は教本通り。軍靴も磨かれ――間近で見るクローヴィスにリーツマンは、言葉を失った。
**********
リーツマンが入室を許可し――
執務室のドアを開け現れたクローヴィスを見たキースは、
「本日付けでキース少将閣下の第一副官の任を拝命いたしました、イヴ・クローヴィス中尉であります」
「…………」
リーツマンと同じく言葉を失う。
美しいとは聞いていたので、驚かないように心構えをしていたキースだが、驚かざるを得なかった。
――動く美青年彫刻とは、随分と過小評価じゃねえか、フェル
自他共に認める、かなり面倒で捻くれた性格のキースだが、クローヴィスの美しさに関しては、抵抗できずに驚いた自分に気付いても、腹を立てる気すら起こらなかった。
「イヴ・クローヴィス中尉か」
「はい。そうであります!」
一般的な男性の声のトーンを持つリーツマンよりも、クローヴィスの声は低い。女性の声ではないが、期待に添うものだった。
「その額の傷は」
「お見苦しくて、申し訳ございません」
「名誉の負傷を見苦しいというほど、狭量ではない」
「失礼いたしました。目に付くようでしたら、ガーゼで隠します」
――縫い跡が残る額の大きな傷すら、趣味の良い装飾品に見えてくる
縫い跡や治りかけの傷を数え切れないほどキースは見てきたので、クローヴィスの額の跡が、普通の人間と同じ跡なのは分かるのだが、違うものにしか見えない。
――傷があってもなくても、完璧な容姿だ。容姿に対しての形容ではないが、これは凄まじいの一言につきる。男にしか見えないのが、幸いしたな。女で完璧な女の容姿だったら、もうどこかに連れ去られていただろう
「必要ないのであれば、隠さずともよい。……触れないと逆におかしいから言っておく。素晴らしい容姿だな。評判を聞いてはいたが、想像の遙か上を越えてきた。わたしは、これまでの人生において上司や部下の容姿を褒めたことはないが、お前の容姿を触れないで済ますのは不自然だ。本当に完璧だな」
容姿は仕事に関係ないので話題にすることのないキースだが、クローヴィスの容姿に触れないのは不自然。
キースは配属された部下の容姿に初めて触れた――この後、容姿について触れた部下は一人もいない。
キースの信条を唯一乱した部下クローヴィス――後々キース直属の部下でありながら、国外作戦行動の指揮を執ることになるのだが、最初からキースの方針を狂わせていた。クローヴィスは知らず、キースは言うような性分ではないので――
「閣下をご不快にする容姿ではないようで、安堵いたしました」
側にいたリーツマンは、この辺りで驚きから立ち直り、
「歓迎はしないが、上の指示だ。わたしも従うさ」
「…………はい」
キースがいつものキースなことに、いつになく感動した。
そのくらいリーツマンにとって、クローヴィスの美しさは衝撃だった――ちなみに彼は、間近で見たクローヴィスに驚いて、ろれつが回らなくなり、自分の口で自己紹介できたのは翌日だった。
リーツマンはシュテルンだけではなく、クローヴィスの評判も聞いて回った――
「なんで男じゃないのか謎」
「強い」
「本当に女性なのか調べてくれ」
「強い」
「非常に真面目」
「強い」
「花のような良い香りがする。香水調べて」
「強い」
「天使だと疑っている」
「強い」
「羽が生えていないか探って欲しい」
「強い」
……等、評判は概ね良かった。
もちろん人間なので、悪い評判もあり――
「女のくせに強い」
「男の立つ瀬を無くするほど強い」
「女とは思えないほど強い」
「男の自信を砕く強さ」
「か弱さがなくて可愛げがない」
……上官のキースに伝えたら「弱いお前等が悪いんだろう」で終わるタイプのものばかり。
――ラーネリード少尉が言った通り、強いのは確かなんだろうなあ
後日、リーツマンは興味本位で、組み手の練習相手になって欲しいと頼むと快諾され、延々と「気付くと空を見ている」状態になった――組んだ瞬間にひっくり返され、優しく地面に置かれているので衝撃もなく、
――勝てる気がしない……どころじゃない。練習にならないヤツ!
「痛くありませんか? 大卒採用の人とやり合うの初めてで、勝手が分からなくて」
「大丈夫です、中尉。キース閣下に、容赦なく吹っ飛ばされておりますので」
クローヴィスは笑い、続けたが、やはり叩きつけたりはしなかった。
そんなクローヴィスだが、キースとの手合わせはかなり本気。キースはキースで「負けたら栄転」とはっきり言い、クローヴィスは「更迭はいやです!」と――そういう理由でクローヴィスが更迭されることはなかった。
避けて通れない、容姿に関しての評判だが、
「知らないヤツに一生懸命喋っても、美しさが一ミリも伝わらない容姿」
ということで、意見が一致している。
これに関し、リーツマンは完全同意だった。