【058】室長、尋問する
「クローヴィスの悪役令嬢」ことシーグリッドは、
「尋問とは、もっと厳しいものだと思っておりました」
彼女の十七年ほどの人生において、経験がないほど「ゆるい」会話をしていた。相手はクローヴィスではなく、
「えー、そう? 結構厳しく聞いてるつもりなんだけどなあ」
無害な微笑を絶やさないアルドバルド子爵。
「普段はもっと穏やかでいらっしゃるのですか?」
尋問場所は人目につかない室内で行われているのだが、部屋はシーグリッドの実家のどの部屋よりも華やか。
この城には幾つもある応接室の一つで、ピアノの応接室と呼ばれている。
その名の通り室内には、フレスコ画で飾られた大屋根の内側が美しい、装飾品としても見事な作りの、グランドピアノが置かれていた。
この部屋を使用するときのみ、グランドピアノの大屋根や鍵盤蓋が開けられる。
室内の調度品はこのグランドピアノの装飾と統一され――飾られている絵画の額縁、丸テーブルの縁や椅子の背もたれなども、すべて同じ系統の装飾が施されている。
もっともテーブルの縁は、清潔な水色のテーブルクロスで隠れてしまい分からない。
そのテーブルにアイスティーと、皿に盛りつけられたカヌレが乗せられていた。
「そうだと思うよ。君のお父さんから聞いたこと……ないか。宰相とはそんなに話たりしなかったからねえ」
あまりにも場違いな菓子とお茶に、最初は毒殺でもされるのかと警戒したシーグリッドだったが、なんら意図はなかった――緊張を解すという効果は確かにあったが。
「父とはそういった話……いいえ、話はほとんどしませんでしたので」
シーグリッドの父親と彼女が顔を合わせることはあまりなく、婿になるはずだったロルバスのほうが、むしろよく話をしていた……と、シーグリッドは感じている。
「そっか。貴族って、そういうものだったねえ。とくに父親と娘なんてのは、そういうもの……なんだろうね。わたしには娘がいないから、分からないけれど」
「子爵閣下のお子さんは、ご子息だけでしたね」
「うん。一人くらい娘も欲しかったけど、こればかりは仕方ない」
シーグリッドがアルドバルド子爵について知っているのは「何とも無害な貴族」という評価――そのくらいは、宰相の娘として知っていた。
もう一つ知っているのは、運が良いこと。
没落する貴族が大半を占める現在でも、のんびり昔ながらの有爵貴族生活を続けていられるのは、偶然アルドバルド子爵が買った、外国の会社の株が当たり、その配当金で、いままでと変わらぬ生活を送ることができている……というもの。
「なにかわたしに聞きたいことある? なんでも聞いて」
アルドバルド子爵の語り口も声も穏やかで、とても軍人には思えない。それがシーグリッドの素直な気持ちだった。
たしかにシーグリッドの直感は当たっている。
アルドバルド子爵は職業軍人の地位にあるが、軍人ではない。
「あの少尉さん……クローヴィス少尉のことですが」
「うん、うん。なにかな」
「あの……綺麗ですよね」
「うん。好き嫌いはあるだろうけれど、あの容姿を認めない人はいないだろうね」
「はい。外見もとても美しく……その……とても優しく……女性士官といえば気が強いものとばかり思っていたので、驚いてしまいました」
高位貴族令嬢だったシーグリッドが小耳に挟む「女性士官」は、どれも気が強く、怒り気味というものばかり。
「気が弱い女性士官なんて、いないだろうねえ」
「ではクローヴィス少尉も、気は強いのですか?」
「おそらくね。まあ怒ったところとか、見たことないけどね」
シーグリッドはクローヴィスに捕まり、腕を捻りあげられたのだが、彼女自身思い返してみれば、クローヴィスの行動は軍人としては当然で、動きを止めただけ。
むしろあの場面では、殴られるどころか、撃たれたり、切られたりしても、仕方のない場面だったのだと――いまのシーグリッドなら分かる。
「そうですか」
シーグリッドは、クローヴィスがいつ頃からアルドバルド子爵の元にいるのか知らないので――この二人がクローヴィスと知り合ったのは、ほぼ同じ日。
「根が優しいのもあるけれど、少尉自身、腕に自信があるから、余裕もあるんだろうね」
「腕に自信?」
「強いってこと。王弟殿下の四人いる副官の一人なんだけど、唯一の護衛を兼ねた副官だったくらいだからね」
「……他の三人は殿方だと伺いましたが」
「その三人の男性よりも、遙かに強いし、戦闘における判断力も高い。その強さを買われて、実戦未経験ながら、王弟殿下の護衛を兼ねた副官に抜擢されたくらいだからねえ。貴族令嬢の君には、ちょっと分からないか」
「あ、はい……でも、分かる気がします」
シーグリッドは学習院に通いながら、士官学校の試験を受けていた同級生ヒルシュフェルトとクローヴィスを比較すると、何から何まで違う気がした。
「学習院に士官学校を目指していた男子生徒がいたのですが……」
アルドバルド子爵はシーグリッドが語るヒルシュフェルトについて、耳を傾ける。
「……なるほどねえ。貴重な情報、ありがとう」
そこに一般的な目新しい情報はなかったが、王家の影としては役立つ情報がいくつかあった。
――皇妃が言う通り、パロマキは問題のある彼らをよく見てるし、覚えている。いい貴族夫人になっただろうねえ……それはそうと、どうして皇妃は、それに気付いたのかなあ? うちの犬は、パロマキのことは全く…………あんまり、諜報に関して優秀って感じしないけど、優秀なんだろうなあ皇妃
「情報なんて、立派なものではありませんが」
シーグリッドはミントの葉が浮いている、アイスティーを飲む。
「貴重な情報のお返しにならないだろうけれど、わたしはとっても弱いんだ。多分、君と戦っても負けちゃうくらい」
そう言って、アルドバルド子爵は切り分けたカヌレを、口へと運ぶ。
アイスティーを飲み終えたシーグリッドは、
「やだ。わたくし、そんなに強くありませんわ」
「もちろん知ってるよ。でもわたしは更に弱いだけ」
「ご冗談がお上手で」
「えー。本当に弱いんだよ」
令嬢の嗜みとしてそのように返した――ただ「本当に弱そう」とは思った。
アルドバルド子爵が言う通り、自分でもテーブルの水差しを持って殴り掛かれば、勝てるような気もしたが――もちろん戦うつもりも、それほど弱いのならば隙を突いて逃げてみようなどとは思わなかった。
シーグリッドはあくまでも普通の貴族令嬢だから、当然のこと。
**********
「お久しぶり、元宰相」
午前中にシーグリッドの尋問をしたアルドバルド子爵は、午後は城を出て暴力紛いの尋問を受けているシーグリッドの父親であるモーデュソンの元へ足を運んだ。
彼らが所属している王家の影の長の登場に、尋問に当たっていた四名は、手を止めて頭を下げる。
アルドバルド子爵と共にやってきたリドホルム男爵は、ドアを開け放ったまま廊下で待機している。
「アルドバルド……」
「君、随分と老けたねえ。たかがこの程度の暴力を短時間受けただけで、そんな老け込まないで欲しいなあ」
アルドバルド子爵は彼の娘に向けたものと同じ、無害な笑顔のまま。
モーデュソンは接収されることが決まった持ち家の浴室で、水に何度も顔を突っ込まれては、頭を押す手の力を緩め……を繰り返されていた。
モーデュソンからの取れる情報は、ほぼ抜き取った。
「なんで、おま……」
「だってわたし、情報局局長エーリッキ・アホカイネンだもん」
「な……」
中肉中背、特段特徴のない顔だち、目立たない髪型、不快感はないが、聞き惚れるような美声でもない。ありふれた色彩、埋没する造詣――宰相を務めていたモーデュソンだが、王家の影について知っていることは「王家の影の当主は、情報局局長エーリッキ・アホカイネンと名乗っている」ということだけ。他は役職についていない貴族たちと、なんら変わらない。
「うそ……と……」
「ふふ。君がどう思おうが勝手。あれ? もしかして、本物の情報局局長はノシュテット子爵だって思ってた?」
ノシュテット子爵。それはアルドバルド子爵が用意した、セイクリッド用の罠。偽りの王家の影。
「誰から聞いたのかなー。ガルデオ? それともヒルシュフェルト、もしかしてクルンペンハウエル? まあ誰から聞いてもいいんだけど。えーとね、お知らせです。シーグリッド嬢の疑念を消し去ることができなかったので、君も失脚となります」
「あの娘は! わたしの娘ではない!」
モーデュソンの叫びに、
「ダニエル・パロマキに責任を取らせろと?」
その発言が出るのが分かっていたので、返事を用意していましたとでも言うかのように、アルドバルド子爵は滑らかに問いかける。
「ひゅっ……」
「君の子じゃないから、自分たちは罪に問わないでください? ってことでいいのかな?」
アルドバルド子爵が全てを知っていることを突きつけられた、驚き吸い込んだ息を、しばらく吐き出すことができなかった。
「…………」
モーデュソンはまさか妻の浮気相手、シーグリッドの血のつながった父親の名前まで知られているとは思わなかった。
「何驚いてるの? 王家の影だよ。高位貴族のスキャンダルは、全て押さえておくのは大事な仕事なんだから……ま、さよなら」
「おい、待て、どういう……」
両手足を縛られ転がされたモーデュソンが、必死に頭を上げ、アルドバルド子爵をみつめる。
そんな彼を穏やかに見下ろす王家の影。
「君も宰相を務めた男なら、どうなるか分かるよね。助けてもよかったんだよ。自分の身はどうなってもいいから、娘だけは助けて欲しいって懇願したり、娘の出生を語らなかったら。でもお前、娘を切り捨てようとしたからなあ」
「助けてくれ! 悪かった! 二度とそれについては、口外しない!」
モーデュソンは大声をあげる。
「そんな大声を出せる体力が残っているのなら、もう少し尋問出来るね」
アルドバルド子爵は入って来たときと変わらぬ微笑みを浮かべ、床に転がっているモーデュソンに近づき、膝を折って顔を近づけた。
そして鳴り響く銃声――
尋問に当たっていた一人の男が自分の肩に手を当て、モーデュソンの体に硬いものが当たった。それは男が取り落とした拳銃で、アルドバルド子爵は何ごともなかったかのように銃を拾い上げる。
「ねえねえ、ニクラス。この至近距離なら、さすがのわたしでも、当てられると思わない?」
アルドバルド子爵が振り返る。
そこにニクラスと呼んだリドホルム男爵の他にもう一人、銃口を彼らに向けたままのヒースコートが立っていた。
「そう言って接射して、何回失敗してるんですか。まあ殺すつもりはないから、やってみても構いませんが」
室内にいた者たちは、ヒースコートの気配を感じ取ることができなかった。
いつもは、騒がしいほどに己の存在を隠さない男だが、戦いとなれば野生の捕食動物のようにその気配を完全に消し――気配に聡いはずの諜報員ですら、簡単に出し抜く。
「ちっ!」
肩を撃たれた男は、自分が裏切り者だとバレていたことに気付き、拷問に掛けられる前に! と、奥歯に仕込んだ毒を噛む――口内に広がる、味わったことのないそれ。
膝をついた男の顔をのぞき込むのはアルドバルド子爵。
「ねえ、その毒はどこで手に入れたんだい? まさか王家の影の備品? ええ! わたしを信じちゃったのー。反旗を翻してるのに信じちゃうとか、可愛いなあ」
敵に捕まったとき、拷問を受けるまえに死ぬために用意された猛毒……と言われていた毒を噛んだ男は、それが偽物だったことに気付いたが、
「即死する猛毒って、本物かどうか、試しようないもんねえ。うんうん、分かる。持ち出して、他の人に飲ませた時は死んだんでしょ。分かる。君ってそういうタイプだから、するのは分かってたんだ。娼婦で試したんでしょ? 元締めの犯罪集団から苦情がきて困っちゃったよ。ふふ、ありがとう、元宰相。君たち、起こしてあげなさい…………ほら、わたしこれでも、王家の影のトップじゃないか。トップが下っ端の尋問に足を運ぶって、おかしいだろう? 君のような有爵貴族で大臣クラスで共産連邦絡みなら、わたしが足を運んでも不自然さはないから。ほんと、ありがとうね。君はこのしびれ薬で動けなくなった彼に感謝してね。彼が動かなかったら、君は殺されていたから。あ、レイモンド君もありがとう」
――なぜ長を出し抜けると思ったのか……
まさに気付いた時にはもう手遅れだった。