【055】執事、手配する
執事のベルナルドは、上級使用人に割り当てられている部屋で、使用人から報告を聞いていた。
執事が聞くのは、主に邸内の人の動きについて。
ここの主であるリリエンタールは人を招くことはないが、訪問希望者は大勢で、その中には邸内で話を聞くために入場を許す相手がいる。
その可否を決め、邸内に入れた者とその召使いたちについて報告を受けるのが、執事の雑務の一つ。
護衛などについては、執事は報告を受けることはない。
軍事について苦手だから……ではなく、護衛は護衛の専門家と直接話をしたほうが、無駄がなくて確実だから。
「刺繍ですか」
本来、軍人のクローヴィスに関して執事は関与しないのだが、クローヴィスは軍人ではなく、リリエンタールの妻になる人――クローヴィス本人は、なにも知らない――なので、執事はこうして報告を受けていた。
使用人を下げ、クローヴィスがネーム刺繍をし始めた理由をアルドバルド子爵から聞き、
「自立心が強いお嬢さんだって、レイモンドが言ってましたね」
リリエンタールが勝手に仕立てると言い出した礼服の代金に恐れおののき、少しでも足しになればと刺繍を始めたと教えられた執事は、アディフィン王国からの帰途、車内で、ヒースコートが言っていた言葉を思い出した。
聞いた時、執事は「そうなのか」と言葉は理解していたが、実際どういうものなのか? 理解していなかったことを理解した。
「気軽にプレゼントできないとは思っていましたが、これほどとは」
「わたしが食事に誘った時も、お金持ってないから、外で待ってるって言ってたよ。いきなり会員制の食堂に連れていったから、びっくりさせちゃったみたい」
「それは吃驚するでしょうね。あんな非合法組織経営の食堂なんて連れて行ったら」
「でも料理は美味しいよ」
「それは認めますけど。礼服も、あの人を助けたことで受勲するのだから、礼服代くらいは気にせず受け取って欲しいのですが」
「本人に言わないと」
「ですよね……一応あの人に報告しますか」
執事から報告を受けたリリエンタールは、
「刺繍か」
「はい刺繍です」
「刺繍か」
「ええ、刺繍です」
「…………金を払えば、わたしの持ち物に……」
「残念ながら、あんたの私物は全部刺繍入ってるよ」
「……」
自分のものに刺繍をして欲しいと考えたのだが――必要なものは全て刺繍済み。
「恨むなら、洋服に無頓着だった自分を恨みなさい」
何故わたしの許可なく、刺繍を……といった眼差しを向けられた執事はそう返す。
ぐうの音も出ない正論に、リリエンタールは押し黙ることしかできない。
「…………」
「そんなことより、あんた、妃殿下の礼服、お金取るの?」
「まさか」
「だよね。前もってフリオに”その礼服、仕立て料いくら?”って聞いたから、相場は言えるけど……もちろんプレゼントのつもりなんだよね?」
聞かれたフリオも困り――贈り物として作っていたので、金を取る計算をしておらず、使った生地の長さなどを確認して、雑ながら一応弾きだした。
その金額は、かなりの額だが、クローヴィスが払えないほどではなかった――
「色気はないがな」
「あんたが言うな。でも礼服は良い贈り物だと思いますよ。最初は実用品とか消耗品が良いでしょうからね。いきなり不動産とかもらっても、困る……っていうか、きっと引かれる」
「実用品か。たしかにな。ベルナルド、異国の言葉に”将を射んとする者はまず馬を射よ”という諺がある」
「馬が可哀想だ。最初から将を射殺せよ。巻き込むなよ。馬に乗るなよ」
「お前は動物が好きだからな」
「ええ。でもその馬って、馬そのものじゃなくて、狙う相手の周囲ってこと?」
「そうだ。あの娘の親族に贈り物をして、懐柔して調略の足がかりにしようかと」
「その、なにをしても政治と軍事になっちゃうあんたが、大好きだよ。それで? 誰に何を贈るつもりなの?」
「あの娘の弟が蒸気機関車好きと確信が持てたので、ブリタニアスの最新鋭の蒸気機関車を」
ここでいうリリエンタールの確信とは、クローヴィスが説明のために弟デニスから借りてきた線路大百科。
普段は部下の報告だけで、とくに証拠を求めず命令を下すリリエンタールだが、クローヴィスが大事にしている家族ともなれば、証拠は欲しい――線路大百科は充分な証拠になった。
「蒸気機関車って、もらっただけじゃ駄目だろ? 走らせる場所がないと」
ロスカネフ王国で鉄道会社でも開業し、線路を引くつもりなのだろうか? という気持ちで尋ねた執事に、
「フォルズベーグの鉄道路線を全て弟に」
そんなまどろっこしいことはしない、近場にあるのを――と、侵略者の血筋の頂点に立つ男は事も無げに言う。
「うん、止めろ。あんたが、そのくらいのこと簡単にやれるのは分かるけど、止めろ」
執事の感覚でも隣国フォルズベーグ王国は「近所」だが――
「略奪した線路は駄目か」
「そういうことじゃない。他は?」
デニスへの初の贈り物は、線路大百科を借りたお礼にと、最近ブリタニアス王国で出版された鉄道関連の本を二冊と、ブリタニアス王国で鉄道を引くために行われた議会のやり取りの記録をそえて――原書と訳本の二つセットで。
もちろんデニスは喜んだ。もの凄く喜び、熱くカリナに語り――優しい妹は「はいはい。よかったね、兄ちゃん」と話に付き合った。もちろんその後、カフェで奢ってもらったが。
「あの娘が退役するまでの三十二年間、ロスカネフ軍に弾薬の類いを全て寄付しようと思うのだが」
軍事費が潤沢ではないロスカネフ軍は、かつてルース、現共産連邦軍から、武器弾薬を奪って反撃攻勢に出るのが伝統――乙女ゲームの舞台になる国なので、温厚そうなイメージを持たれそうだが、実際は「隣接超大国には絶対屈しない! この土地は我らロス人のもの!」の合い言葉のもと、四百年ちかく戦いにより独立を保ち続けてきた、気性の荒い小国だ。
「うん、消耗品だし、直接妃殿下に贈らないのはいいかも知れないけど、誰が受け取るんだよ! あんたからの武器提供なんて、誰が受けるんだよ! ”いつか必ず取り返す、我らのブランシュワキ”を忘れたのか! ”将を射んとする者はまず馬を射よ”は捨てろ。最初から将、すなわち妃殿下に狙いを定めろ!」
リリエンタールはルース帝国とは縁はないが、縁が深い。いままでそれで不自由を感じたことなどなかったリリエンタールだが、いまは母親から受け継いだ、ロスカネフ王国の仇敵のトップの血を、この上なく鬱陶しく感じた。
「夜分遅く済みません。リリエンタール閣下がお話したいことがあるので、ご足労願います」
そんなやり取りを経て――執事はクローヴィスを急遽作った、リリエンタールの私室へと案内した。
本当の私室はクローヴィスがいる部屋からは非常に遠いし、なにより本当の私室へ案内してしまうと後々問題になる可能性を考慮し、アルドバルド子爵たちが周囲の目に注意を払い、人目につかないよう細心の注意を払い、
「まだか……」
檻に入れられたばかりの野生動物のように、部屋をひたすら歩き回っているリリエンタールの元へとクローヴィスを連れていった。
「閣下」
執事がドアをノックしたとき、リリエンタールは暖炉の前にいて――マントルピースに乗っていたウィスキーグラスを手に取った。
「閣下。イヴ・クローヴィス少尉をお連れいたしました」
執事はドアを開け――不自然なほど暖炉に近い場所で、グラスを持っているリリエンタールの姿に、彼がどうしていたのかが分かってしまい、頬の内側を噛んで必死に笑いを堪え、部屋を出た。
「失礼いたします!」
廊下で待機していると、小銃を背負ったクローヴィスが無事に部屋から出てきた――ここが一番気を揉んだところだった。
ならば二人きりにしなければ? と思われるかもしれないが、二人きりの時間を作らなければ、進展もなにもない。危険を排除しているだけでは前へは進めない。
「刺繍道具は明日、朝食のテーブルに乗せておきますので」
「はい! ……でも、いいのでしょうか? 小官の刺繍は、本当に実用に特化したものでして」
「リリエンタール閣下は、無駄を好みませんし、実用的なものが好きな方です。なのでクローヴィス少尉の刺繍を気に入ると思いますよ」
「わかりました、頑張ります!」
執事は心の中で「ありがとうございます」と呟いた。