【047】少将、代理として仕事を始める
ヴィクトリアとの昼餐を終えたキースは「義務は果たした」と、すぐに王宮を離れた。もちろんヴィクトリアからの、執拗な引き留めはあったが「臨時代行としての務めを果たします」と振り切った。
再び馬車に乗り込むと、一緒に乗り込んだ若い副官と護衛隊長が「お疲れ様です」と、何とも言えない表情を浮かべていたので――軽く二人の頭を叩く。
叩かれた二人は「申し訳ございません」と謝罪したが、叩かれたことに関して、不満はなかった。
この程度ならば慣れているどころか、叩かれたうちに入らないし、なによりアレで溜まったストレスを、少しでも発散できるのならば、もう二発くらい叩かれても良いかな……。
彼らがそう思ってしまうような、昼餐らしからぬ空気が充満していた。それを醸し出していたのがヴィクトリアだけで、自分たちの上官がいつもと全く変わらず、素っ気ない態度なのが、なんともいたたまれなかった。
馬車内の空気は重いというよりは硬い――
「何故かわたしのことを、気に入っているらしい。気に入られている自分が言うのもなんだが、陛下のご趣味はあまり……なあ」
若手二人が苦しさを必死に我慢している姿に、頬杖をついていたキースは、少し表情を緩めて雑談のような、愚痴のような言葉を漏らす。
「閣下は女性に人気がありますから」
リーツマンがキースの副官になってから二年。
その二年間の間、異常なほど異性に好かれる上官の、大変な日常を垣間見ることがある。副官として側に控えているのに、垣間見る程度で済んでいるのは「独身男性が女性嫌いになっては困るから」と、既婚士官たちが大方のことを片付けてくれるため。
とくにニールセン少佐には世話になっていた。
だがそれでも、キースが女性にこの上なく好かれることは知っている。その好かれ方は過激で、羨ましいと思わないほどに――全てを知らない副官でもそう思うほどに。
「女性に好かれるのは男としていいのだが、守ってあげたいと言われるのは不本意だ」
「ぶほっ……申し訳ございません」
周囲に注意を払っていたラーネリード少尉は、護衛対象の言葉に、気付けば吹き出していた。
”分かる、分かりますよ、ラーネリード少尉”――副官のヘイゼルの瞳からは同意の気持ちが、溢れ出していた。
「ラーネリードが吹き出したくなるのもわかる。なぜわたしを守りたくなるのか、さっぱり分からん」
キースは腕を組み、やや俯き加減に微笑を浮かべる。その笑みはヒースコートと同じく、獲物を狩る捕食者のそれで、男でもその魅力に息を飲み、自分でも浮かべてみたいと思う――のだが、女性には儚げな笑みに感じられると、車中の二名の青年は女性から聞いたことがある。
女性たちのキース語りは、キースを知る男性が聞くと、全く別人にしか聞こえない。キースを知らない男性が話だけを聞くと「サナトリウムで療養しているヤツ?」と勘違いするような――
実際は背が高く、足も長く、肩幅もありがっしりとし、手も軍人らしく厳つく、雰囲気といい表情といい柔弱さは欠片もなく、十五歳ちかく若い護衛と組み手をしても、易々と勝てるほど。
若々しいが、決して軽薄な若さではなく、地位ある人間の落ち着きと威厳を兼ね備えた――儚さとは無縁、正反対に位置するような男。
「本当に……」
男と女のわかり合えない部分なのだろうなと、ラーネリード少尉は士官学校の食堂で、女性士官候補生たちの会話を思い出していた。
「あ、閣下」
雑談をしながらも、書類に目を通していた副官のリーツマンは、ガイドリクスに関わる人事異動についてキースに伝える。
「どうした、リーツマン」
「殿下の副官の扱いですが、第三副官のクローヴィス少尉だけは扱いが違い、任務から戻り次第、拘禁ではなく憲兵の監視を付けての、自宅待機となるそうです」
拘禁とそれに伴う急な人事異動、更にそれ以前に行われた国体変更により、各所は仕事が山積みになっており――最終判断を下せる人物が定まると聞いた各所の職員の中で、伝手がある者などは、書類の束を持って王宮にまでやってきた。
この伝手は副官のリーツマン少尉――昼餐の途中、副官は伝言を聞き、席を外して報告書の束を受け取ると知り合いは、まだ仕事が山積みなんだ……と風のように王宮から去っていった。
副官が受け取った封筒は分厚く、公用封蝋で封がされていた。もちろん持ち出し禁止の重要書類などではなく、最近起こったことをまとめたもので、知っていたほうが業務が滞りなく進むだろうというもの。
「クローヴィス……以前お前が話していた、ラーネリードの同期、イヴ・クローヴィスだな?」
「はい」
「女性士官ならば自宅待機で正解だな。ちなみに自宅は?」
「独身寮です」
「そうか。それなら、身の安全は確保できるな。身柄が拘束されているから、何をしても良いと勘違いする男は必ずいるからな。こっちも不慣れな中央司令本部で、そこまで目を光らせるのは難しい」
過去の様々な経験から、キースはそれが最良だろうと――辺りに注意を払いながらも聞いていたラーネリード少尉は「イヴはあの顔で、ふんわりのんびり屋だから、危なっかしい……わけでもないのが……俺より強いけどさー。でも、拘禁はされないほうがいい」士官学校時代一度も実科で勝てなかった同期が、よからぬ犯罪に巻き込まれないよう配慮されていることに安堵した。
「クローヴィスの任務については、何か記載があるか?」
「それはありません。ただ任務とだけ」
「持ち出し可能書類に記載できる程度の仕事ではない、ということか」
「そのようです。出頭命令を出しますか?」
キースの立場ならば「事情を聞きたい」という理由で、クローヴィスを呼び出すことは簡単なこと。
副官の提案に、キースは軽く首を横に振り、
「今回はいい」
”今回”と限定してだが、出頭命令を用意せずともよいと命じた。
国境沿いへと向かったクローヴィスと憲兵の一隊。その後を追ってきたサーシャ――現時点でキースの中では、クローヴィスは完全な囮の位置にいるので、そこまで深く追求するつもりはなかった。
”今後のクローヴィスの出方次第だが”
中央司令本部入りしたキースは、執務室で簡単な仕事を捌くよう指示を出し、ラーネリード少尉は各部署へと足を運び――女性の悲鳴と共に本部内を見て回った。
本部は建物も大きいが、敷地はもっと広く、半日程度では見て回るのは無理。
夜になり、予定していた晩餐会――中央司令本部内にある、貴族が士官を占めていた時代の名残としか表現のしようがない、豪奢な作りの食堂で副官を一名伴った、各部署の長とともに食事を取りながら、報告を兼ねた近況を語り合った。
「代理期間は半年くらいですか?」
席に付いている責任者たちは、全員キースより年上。
以前ならば二十代の貴族将校もいたが、最近はすっかりと数を減らした。もちろん居なくなったわけではない。ロスカネフ王国海軍には二十代の中将はいるが、それは海軍長官の息子。親の七光りで……と悪目立ちしているが、会ったことのあるキースとしては、普通に才能ある若造だと感じていた。
むしろ親の無理強いのせいで、才能を潰されている感すらあった。
「分からんが、そのくらいが目安だろうな」
席に付いている責任者たちは一人を除いて、ヴィクトリアが退位することを知らない。知っている一人はアルドバルド子爵。
そのアルドバルド子爵は、いつもながら無害そうな笑みを浮かべて、前菜を口へと運んでいる。
他の者たちは、キースが中央司令部の司令官に、今すぐ正式就任するとは思っていない。いずれは就任する可能性はあると思ってはいるが、その可能性も高いとは思っていない――彼が庶民で独身で、係累がいないため。
「キース少将。リリエンタール閣下が大物と秘密裏に会っているようなのですが、探りますか?」
表向き諜報部トップが、戻ってきたリリエンタールが何者かと会っているらしいと――更なる調査をするのには、キースの命令が必要になる。
「それは調査しなくていい。あれ……ではなく、リリエンタール閣下御本人は、大物に会っているつもりなどない可能性が高い。いや、確実に会っているつもりはない」
「……」
「御本人に”フォルクヴァルツ選帝侯やリトミシュル辺境伯爵など、大物に会っていますね”と話し掛けたら”あいつらが大物?”と、馬鹿を見る眼差しと共に、軽蔑のお言葉を頂けるぞ」
食堂にいた者たちは、キースが喋っていることをすぐに理解した。
「リリエンタールにとって、大物ってこの世にいないと思うよ。精々、教皇猊下くらいかなあ。それすらも大物というより、幼少期世話になったからな……くらいのもの。キース少将が言う通り、その大臣たちに関しては大物扱いしないだろうねえ」
この場でもっともリリエンタールと付き合いの長いアルドバルド子爵が、頷きながら意見に同意する。
「リリエンタール閣下がひれ伏す相手なんて、いないだろう」
「心当たりはないねえ。悪いことに、挙げたその二人はリリエンタールの友人だから、会いに来てもおかしくはないし」
「リリエンタール閣下御本人は、絶対に友人と認めないだろうが。まあ外国人と接触があったら、連絡をしろ。わたしが直接聞きに行く」
会いたくはないがな――司令官の仕事は、各所とのやり取りがメインなので、キースが引き受けるべき仕事ではあるのだが、
”自分で言っておきながら、気が重い”
リリエンタールに会いたくもなければ、会って話をしても、必要な情報を聞き出すのは難しく――できれば他の人に替わって欲しいが、替わることができそうなのは、
「白ワイン、もう一杯欲しいなあ、カミラ君」
「はい、分かりました」
この場でのんびりと、本当にお食事会を楽しんでいるようにしか見えない、アルドバルド子爵だけ。
”この男を間に挟むくらいなら、自分で聞きに行ったほうがいい”
司令官の仕事は他人に任せられない部分も多々ある――それを、臨時代行就任直後から、身を以て味わった。
その後、リリエンタールは異国人とは会っていないと諜報部から連絡が来ていたが、
「そっちから、連絡がくるとは……なにを企んでいるのかは知らんが……気づけはしないのだが」
リリエンタールの側近から「明日、ブリタニアス君主国の諜報主任ロイド・チャーチが閣下のお時間をいただくことになっている。時間は…………会いたければベルバリアス宮殿に来るといいと、閣下が仰っていました」罠と見紛うようなお誘いの手紙が届くようになった。
せっかく誘いがあったロイド・チャーチとの面会だが、キースは会いにはいかなかった。時間があれば会って話をしたかったのだが、臨時代行を拝命した時にはいたヴィクトリア周辺のメッツァスタヤの精鋭たちが、軒並み姿を消していることに気付き、更にイヴ・クローヴィスがアルドバルド子爵の元に異動になったと聞き――