【044】至尊の座を狙ったものたち・07
他人の城の庭でバーベキューをし、好きなだけ肉を食い、ビールを飲んで――フォルクヴァルツ選帝侯は帰途についた。
帰国に関してはアイヒベルク伯爵の進軍に勝るほど。
大勢の軍を率いていないので当然と思われそうだが、貴族の旅行というものは、大人数で移動する上、急ぐことをしないので、軍隊の移動よりもずっと遅い――通常であれば。
フォルクヴァルツ選帝侯は、まるで軍隊を率いているかのような速さで帰国し、まっさきに王宮へと向かい、皇帝へ面会を求め――私室へと通され、
【離婚しないそうです】
二人きりの室内で、王妃からの返事を伝えた。
【そうか】
【陛下も離婚するとは思ってはいなかったのでは?】
【まあな。……で、フォルクヴァルツ。グレゴールを即位させる案をお前はどう思う?】
神聖皇帝は自分の地位を譲れるのであれば、譲ってケッセルリング公爵を大人しくさせた――皇帝の子に男児はいないので、普通の継承を行う国であれば、実弟に譲るのは難しくないのだが、即位方法が特異な神聖帝国では、実弟に譲ることだけはできない。
次の神聖皇帝の座はフォルクヴァルツ選帝侯。
ケッセルリング公爵よりよほど優秀で、神聖帝国の閣僚たちの間でも評価が高い――フォルクヴァルツ選帝侯に言わせると、ケッセルリングの評価が極めて低いだけだが、なんにせよケッセルリングは「養子に迎えて皇帝の座に就いていただきたい」と言われるほどの人物ではない。
【ははは】
フォルクヴァルツ選帝侯の馬鹿にしたような笑いを聞いても、神聖皇帝は怒りはしなかった。
当のフォルクヴァルツ選帝侯は、到底皇帝に向けるものではない笑いを半分くらい収めて、
【ところでケッセルリング公爵は、大人しく幽閉されていらっしゃいますかな?】
神聖帝国が抱えるはめになった、爆弾の現状について尋ねる――
【あれもそれほど察しの悪い男ではないので、当主が幽閉を命じたことに勘づいたらしい】
ケッセルリング公爵の現状について、フォルクヴァルツは既に聞き及んでるのだが、皇帝に直接尋ねることに意味がある。
【あー。生かしておけという命令を逆手にとって、自らの命を危険に晒し、幽閉場所から出ようと?】
ケッセルリング公爵本人は死ぬつもりはないので、怪我を負ったとしても軽いものだが、手当が必要になる。
生かしておけという命令のため、診察や手当は医者が行うことになり、出入りすることになる。幽閉において出入りが頻繁というのは、もっとも避けたいこと。
【そうだ】
【実に面倒くさい男ですな】
【誰に似たのかは知らぬがな】
【ケッセルリング公爵を扱い倦ねていらっしゃるのでしたら、このフォルクヴァルツに任せていただければ】
上手に処理しますよ――
神聖皇帝も言外の含みはすぐに察し、
【当主に許可を】
リリエンタールに使用方法を尋ねるか、廃棄許可を得るかのどちらかをしてこいと返された。
【やはり、そうなりますか】
リリエンタールはケッセルリング公爵を、生かしておいて使うつもり――後々使わなかったら、すぐに殺すのだろうが、現在は火が点きやすい上に、本人自体が火薬庫で、戦争を引き起こせるいい素材ゆえ、殺すつもりはないことは明らかだった。
【わたしとしては、お前と辺境の王の遊び道具にして欲しかったのだが】
リリエンタールはアブスブルゴル帝国を滅ぼす無数の手段を講じているように、この神聖帝国をも滅ぼす手段も次々と打っている――ケッセルリング公爵の死を盾に、神聖帝国に攻め込む準備は既に終わっている。
【壊してもよいと許可を頂けるのでしたら】
国内に居るだけで危険だが、国外で引き取ってくれるところもない。
【それはやはり当主から、許可をいただかねばな……ときにフォルクヴァルツ。グレゴールの影武者を用意できるか?】
早めに殺しておくべきだったと神聖皇帝は思ったが、今更考えても仕方の無いこと
【アントンの目を誤魔化せなくてもよいのでしたら、いくらでも。アントンを誤魔化すのは不可能です】
【……そうか。無理を言った】
フォルクヴァルツ選帝侯は、神聖皇帝の前を辞した。
私室を出ると部下の一人が耳打ちをする――
【ブリタニアスのチャーチが会いたいと】
ブリタニアス君主国の諜報部のトップであるロイド・チャーチ。
【どこでだ?】
【閣下の馬車で】
【ところでお前たち、密入国に気付いたか?】
【なんと閣下。ロイド・チャーチは実名で入国いたしました】
【大事だな】
フォルクヴァルツ選帝侯は、チャーチが面会を求めた理由を理解した――リリエンタールの結婚について、更なる情報を集めたい。
それ以外、彼が実名で入国し、社交の場でそれとなく話し掛けてくるのではなく、直接会いに来る理由などなかった。
もちろん歩みを早めるようなことはせず、いつもと変わらず堂々とゆったりと王宮を進み乗り場へ。
フォルクヴァルツ選帝侯の姿を見た馭者がドアを開けると、膝に分厚い茶封筒を乗せたチャーチが座っていた――チャーチはいかにも諜報員らしい男だ。中肉中背で、表情はぼんやりとし、冴えない雰囲気を作り出せる。
【久しぶりだな、チャーチ卿】
フォルクヴァルツ選帝侯は馬車に乗り込むと、他の者は乗るなと指示を出し――部下はそうなるだろうと分かっていたので、あらかじめ用意していた別の馬車に乗り込んで、後を付いてゆく。
静かに二人が乗った馬車が走り出し、
『会いたくはなかったがな、フォルクヴァルツ侯』
普段であれば腹の探り合いが始まるところだが、
【それで?】
『クリフォード殿下について』
【結婚するのは聞いた】
本日はすんなりと本題までたどり着いた――市街地をぐるりと一周する間に情報交換を終える必要があるので、諧謔に富んだ会話をしている暇はない。
『そうか』
【アントンから直接聞いたわけじゃないがな】
『誰から?』
【イヴァーノ。イヴァーノはアントンに呼び出されて、ロスカネフまで出向いたそうだ】
『枢機卿をなあ……』
【イヴァーノのことだ、おそらく猊下の説得も終わっただろう。卿は誰から聞いたのだ?】
『フランシス・ヴァン・アルドバルドが来た。本当のことを言っているのか、ずっと不安だったが、フォルクヴァルツ侯がそう言うのであれば間違いないのだろう』
【あいつ、そっちに行ってたのか。それで、結婚関連でなにか言っていたか?】
『クリフォード殿下は、戦争を起こすとのことだ』
【起こしはしない。起こるように仕組むだけだ】
『仕組む……やはりもう終わっているのか?』
【分からない。そもそも戦争の規模が大きすぎて、わたしたちの情報網では手に余る】
『規模が大きい?』
【アントンはやろうと思えば、全大陸を巻き込んだ大戦争を引き起こせるからな。いつもならばやらないと言えるが、今回ばかりは言い切れない】
『やはりそうなのか……なにか情報はあるか?』
【ない……訳でもない】
『もらえるか?』
【構わんぞ。その代わり、フランシスとの会話を詳しく教えろ】
『それは書面にまとめた』
チャーチは手袋を脱ぎ、膝の上に乗せていた封筒から書類を取り出して、四方を指でなぞり、書類を数回めくり、毒などは仕込んでいないことを身を以て見せ――フォルクヴァルツ選帝侯はハンカチを手に乗せて、書類を受け取り手袋をはめたまま捲る。
『女王陛下の私室でのやり取りだ』
【ん…………】
ざっと一通り目を通し、通し番号が振られ、それらに抜けがないことを確認してから、フォルクヴァルツ選帝侯は書類を足下に置く。
【まず第一にフォルズベーグはなくなる。第二に、アレクセイ・ヴォローフ・シャフラノフが王政復古を掲げて、アディフィンで動いていた】
『アレクセイ・ヴォローフ・シャフラノフ……ルースの皇子か』
普段は表情から感情を読み取られないようにしているチャーチだが、今は表情を隠さず――あからさまに「なんのつもりだ」と
【アディフィンで騒いでいたらしいが、どうも背後にストラレブスキーがいるようだ】
『まさかストラレブスキーが、ヴォローフを新しい国家の君主に就けようとしていると?』
【ヴォローフはそう考えているようだが】
『ありえんな』
ストラレブスキーはリリエンタールと、ルース皇太子の座を争い敗北している――フォルクヴァルツ選帝侯やリトミシュル辺境伯に言わせると「全く争っていなかった」だが、ストラレブスキーにとっては争って負けたことになっている。
ストラレブスキーは血筋もあるが、皇太子の座を欲しがるくらいには野心家で、今もその野心は消えていない。
【どうもストラレブスキーに、良からぬことを吹き込んだ女がいるようだ】