【043】至尊の座を狙ったものたち・06
執事に「頭が痛くなるほど賢くて、無限の馬鹿」と言われるリトミシュル辺境伯とフォルクヴァルツ選帝侯は、ボナヴェントゥーラ枢機卿を見送ったあと、
【面白く、好き勝手にやろうぜ】
大国の閣僚として、また大貴族の当主としてあるまじき誓いをかわしたのだが、
”いつもそうじゃないですか”
側で聞いていた家令のグレッグは内心、そう呟いた。
そんな二人のことを結構知っているグレッグの元に、
【裏口にゼーテ公爵夫人ですか……お通ししなさい】
ゼーテ公爵夫人こと、アディフィン王妃が身分を隠して訪れたとの連絡が届くも、驚きはしなかった。
リリエンタールは自分の居城に人を招くことがないので、正面から訪問することができない――リトミシュル辺境伯やフォルクヴァルツ選帝侯は別として、節度があり権威を重んじ、また一門に連なる自覚がある者は、裏門からひっそりと訪問するしかない。たとえそこに主がいなくとも、そしてそれはこの国の王妃であろうとも変わらず。
【どうぞ。御案内いたします】
グレッグは、本当に僅かな人数しか連れてこなかった王妃を案内する。
供は、一目で老婆と分かる女官一人と護衛二人だけ。
護衛は若すぎずそれなりの経験を積んでいるのが感じられ、老齢の女官は後日「妊娠しました」という偽りを阻止するため――リリエンタールほどではないが、リトミシュル辺境伯やフォルクヴァルツ選帝侯もそれをされるのだ。
もちろん二人とも顔色一つ変えずに殺して終わりなのだが――
グレッグは王妃を、庭でビールを飲み、炭火で肉を焼いている二人の元へと案内したのは、昼過ぎ頃。
【ゼーテ公爵夫人がお話ししたいことがあると】
いきなりの王妃の登場だが、二人は立ち上がりもせず軽く挨拶をするだけ――失礼な態度ではあるが、王妃も王妃としてではなく、貴族としてやってきたので――貴族としての序列となると、独立有爵男性当主であるこの二人のほうが格上。
【なんだ? 公爵夫人】
【弟への手紙の返事を伝えにやってきました】
王妃は女官と護衛に下がれと命じ、彼女自身は二人に近づく。
【離婚するつもりはないと、伝えてください】
王妃はそう告げた。
二人は「弟」こと神聖皇帝が認めた手紙を見てはいないが――それほど重要な内容だとは思っていなかったので――王妃の返答で察しがついた。
【グレゴール三世か。王国最後の王として名を刻むのか】
神聖皇帝は実姉に離婚を持ちかけたのだ――アディフィン王国の正統な血筋は王妃の方で、国王コンラート二世は王妃と結婚していることで、王として名乗りを上げることができる。
王妃と離婚するとコンラート二世は王の座を、自動的に失う。
もちろん失脚ではなく、その場合は息子の王太子ルートヴィヒに禅譲するのだが、本人にとっては望まぬ退位になるのだから失脚といえば失脚と言えよう。
【うちの皇帝、道連れを作るつもりだ】
神聖皇帝の実姉がアディフィン王位継承権を有しているということは、実弟ケッセルリングも権利を有している。それどころか、男児なので序列は王妃よりも高い。
ただどれほど序列が高くとも、王位継承のごたごたがあった時代に生まれていなければ意味がない――アディフィン王国の先代王が跡取りを得られぬまま死去し、跡取り問題が発生した頃、ケッセルリングはまだ生まれていなかった。
もしもケッセルリングが生まれていたら、彼が選ばれる可能性はあった。
そして現在――立太子されているルートヴィヒとケッセルリングは、競うことができる。それもケッセルリング優位で。
神聖皇帝の息子と列強皇女の間に生まれたケッセルリングと、神聖皇帝の女孫と邦領君主の間に生まれた王太子では、逆転可能なほど血筋に差がある――立太子した正統な王子の立場を奪えるほどの血筋を持っていながら、王冠をいだけない。それがケッセルリングの不満の根源で、それほどの血筋でなければ、もう少し生きやすかっただろうと、家令のグレッグは思うのだが、その高貴な血筋はどうすることもできないので、結局ケッセルリングは争うしかできない。
【聞きたいのですが、弟がこの提案を持ちかけてきたということは、末弟が、また当主になにかを仕掛けたのですか?】
王妃と両親を同じくする兄弟の末がケッセルリング。
もっとも王妃はケッセルリングと過ごしたことなどない。
皇室の生まれで男女という違いがあるので、年齢が近くとも一緒に過ごすことはなかっただろうが、彼が誕生した頃には、王妃としてアディフィン王国に嫁いでいた。
【また当主になるのだと、暗殺未遂をな】
【そろそろ羽虫に纏わりつかれるのも鬱陶しいと、神聖帝国に警告が飛びましてね。大急ぎで監禁したのですが……数少ない男児ということで、殺したくないってわけです】
神聖皇帝が実姉に離婚を求めたのは、大事にしないため。
実姉が離婚しておらずとも、序列が高いと申し出て争うことはできる――逆に言うとさすがに争うことになる。
だが前述の通り神聖皇帝にとって甥にあたる王太子なら、ケッセルリングのほうが優位に立てるので、そこまで大事にはならない。
【あの当主を鬱陶しがらせるほどの逸材だったとは。わが弟ながら、殺意が鎌首をもたげる】
王妃はもちろん、ケッセルリングよりも後に生まれたリリエンタールとも過ごしたことはないが、数少ない接触と人々の称賛から、ケッセルリングとは違い、感情とは遠いところにいる皇帝であることを知っていた。
【たしかにアディフィン王位に就けば、あの欲求も少しは落ち着くだろうな】
【出戻りのマリーチェの婿として迎えるって手も】
【マリーチェは面食いだぞ】
【それは知ってる。アントンの部下で一番の美形にうつつ抜かして、子供も産まずに帰ってきたわけだからな】
”母親の前で、そういうこと喋るの止めて……”
【あの娘は修道院に送ります】
二人の物言いに胃が痛くなる普通の感性の持ち主であるグレッグだが、王妃自身さほど気にしていなかった。
【修道院は面倒事を封印する場所ではありませんよ?】
フォルクヴァルツ選帝侯がにやりと笑う。
【修道院を作るのか?】
リトミシュル辺境伯は女性が院長を務めることができる、国内の大きな修道院を思い浮かべ、どこの院長の座も空いていないぞと――修道院といえども俗世との柵はあり、高位の貴族が修道院に入る場合、院長、もしくはそれに準ずる地位、院長を引き継ぐ地位に就くのが慣習となっている。
リトミシュル辺境伯の記憶では、どの修道院もそれなりの高位貴族で席が埋まっており、どの院長もマリーチェよりも優れているので退けるのは難しい。
寄付を積めばなんとかなるが――
ちなみに王女や王子は、人里離れた修道院などに入ることはない。
理由は簡単で誘拐される恐れがあるから――世に還俗という言葉がある通り、修道院にいようが王族は王族。
よからぬ輩が誘拐し……ということがあるので、ひっそりと修道士……などとはいかないのだ。
【相応しい席が空くまでは、王宮で修道女の真似事をさせておくつもりです】
【早く空くといいな】
【そうだな。ああ、陛下には伝えておきますので】
家令が王妃たちを案内し、馬車を見送る。
”ルートヴィヒは無能じゃないけど、血筋をひっくり返せるほどじゃないからなあ……伯爵ほど優秀ならケッセルリングも諦め……諦めないか……”
アディフィン王国の王太子は人間性はケッセルリングより遙かに良く、まあまあ優秀なのだが、血統重視の王家においては、それを黙らせるほどの才能ではない。
もっともほとんどの人がその才能にひれ伏すリリエンタール相手でも、自分のほうが当主に相応しいと児戯のような暗殺を仕掛けるのだから、王太子に才能があったところで……というところもある。
”一介の家令が考えたところで仕方ない”
【お見送りしてきました】
王妃が帰ったことを告げに庭に戻ると、二人はいつになく真剣な表情で考え事をしていた。
グレッグは薪を足し、肉を炙る。
【グレッグ】
【はい。何でしょうか? 辺境伯爵閣下】
【グレゴール三世ってどうだ?】
【正直に申して、嫌です】
【そうか。ちなみにグレゴール一世は?】
アディフィン国王ならば三世だが、神聖皇帝ならばグレゴールは一世になる――家令ともなれば、そのくらいの系譜は押さえているので、
【そっちは直接関係ないので、特には】
滑らかに受け答えすることができる。
【まあそうだよな。とりあえず、どうするんだ? アウグスト】
グレッグは焼き上がった肉をリトミシュル辺境伯の皿に乗せ、再び肉を焼く――本当は二人の話を聞きたくないのだが、客人を持てなすためには給仕が控えている必要がある。
この離宮には給仕を務められるのはグレッグしかおらず、なによりこの二人の会話を下働きに聞かせるわけにいかないので――かといって聞きたくはないので、グレッグは出来るだけ肉が焼ける音に集中する。
【新帝国を統一したグレゴール大帝とか、面白いよな】
【半年後には、世界の半分が群雄割拠するな。とりあえずアントンは、殺せとは言わなかったんだよな】
【幽閉のみだ。幽閉に失敗して死んだりしたら、罪に問われるかもしれない】
リリエンタールはケッセルリングを幽閉しろと命じた――殺していいとは言っていない。貴族の生殺与奪は一族の当主が握っているので、ケッセルリングを生かすも殺すもリリエンタールの気分次第。
そのリリエンタールが「幽閉しろ」と命じたということは、殺してはいけないし、死なせてもいけない。非常に厄介な命令でもあった。
【たしかに死んだらまずいかもな。コンスタンティンがアディフィン王にしたがったのも分かる。こっちとしては困るが、昔と違って立憲君主制だから、グレゴールが王に立っても死ぬほど困るってわけでもない】
神聖帝国内で死なれては困るので――アディフィン王国に押しつけようと考えた。
再びケッセルリングが騒ぎを起こすことを許さなかったが、神聖皇帝がケッセルリングをアディフィン王位に就けることは禁じられてはいない。
【面倒は押しつけるに限るよな】
【押しつけられる方は困るが】
【アントンから指示が飛ぶ前に、グレゴール三世を暗殺してしまえばいい】
【アディフィン王を辺境伯が殺す分には、アントンも何も言わないだろうが……いや、待てヴィルヘルム。もしかして予備、あるいは完全なる焦土を作るために、生かしておけと命じたのかも知れないぞ】
【アブスブルゴルか? まあ、あそこは焼くだろうが……グレゴールまで使うとなると、随分と念入りに焼く算段だな】
【難民が面倒なことになるか、それとも……】
【難民すら出ないほどの攻撃になるか】
【……あ……】
【その後始末を兼ねた遠征軍か!】
二人の声が重なり――
”この人たち、真面目な話すると怖いんだよなあ”
グレッグは焼いた肉を食べながら、早くリリエンタールが幸せな結婚をしてくれることを願った――その為には国が一つは消えるらしいが、家令のグレッグに出来ることはなにもない。ただ平和を祈るだけ。