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Eはここにある  作者: 剣崎月
第一章
43/208

【042】室長、宿を提供する

 リリエンタールはオペラハウスにいた――オペラを観るのが目的なのではなく、そこで行われる社交が目的。国体変更にガイドリクスの不在、新たな議会についてなど、国政を担うものたちは、挙って社交の場に出て情報を集める。

 リリエンタールは全ての情報を握っているので、彼らに情報を開示し安心させてやるためにこの場にいる。もちろん彼自身が話すのではなく、付き人がそれとなく――


「リヒャルト、久しぶり」


 身分が低い者が高い者に声を掛けてはいけないという決まりは、どこの国の上流階級にも存在するが、


「どこをほっつき歩いていたのだ、フランシス」


 身分の高い者が返答している時点で、余人が口を挟むべきことではない。


「別荘でゆったり読書生活。無駄な雑学知識が増えたよ」

「そうか」


 会話をしている二人から少し離れたところにいるアルドバルド子爵夫人。子爵夫人は独身の頃から放埒な噂が付きまとっているが、さすがにリリエンタールの前を無断で辞することなく大人しい――人々が見ているその子爵夫人は、子爵夫人ではない。

 そこに居るのは子爵夫人に成りすましたカミラ・ベックマン。


”相変わらず、視線が怖ろしいお方ですこと”


 リリエンタールはアルドバルド子爵の連れが、本物ではないことだけではなく、誰なのかすぐに見破り、そのことを隠しもしない。


「君のボックスで観劇してもいい? あ、ソフィア(子爵夫人)も一緒で」

「好きにしろ」


 そんなやり取りをして、三人でボックス席につきオペラを眺め――本日の演目は短め。見終えてから、三人で食事をしながら今後について話し合う予定だったのだが、クローヴィスの弟が異変(・・)に気付き、それを急ぎサーシャに知らせるべく「逃げた」と連絡を入れ――


「あの娘が逃走? 捕らえた? 嘘であろう? あの娘を捕らえられるのはレイモンドくらいのものであろう……この場合、会ってもいいとは思わぬか? サーシャ」


 それはすぐに見破ったが、連絡の内容から、急ぎサーシャに会いたがっていることは分かった。


「はい」


 すぐにリリエンタールに取り次がれるのだが、せっかくクローヴィスがやってくるのであれば会いたいという気持ちを隠さず――


「わたしも一緒にいっていい?」


 アルドバルド子爵も同じく隠さなかった。


「お前でなければ構わぬ」

「分かった。どこにでもいる、召使いになるね。君はここで待っててね、ソフィア(カミラ)

「なんでわたくしが、あなたを待たなくてはいけないのかしら? フランシス」

「うん、そうだね、ソフィア」


 子爵夫人らしい返事を返したカミラを残し、サーシャを含めた三人はオペラハウスの休憩室に入り、クローヴィスがやってくるのを待った。


「ところでさ、いきなり攻撃してきたらどうするの? 強いんだよね、君のお嫁さん」


 アルドバルド子爵はまだ(・・)クローヴィスのことを信頼していない――裏を読むことに長けている彼にとって、クローヴィスのように裏が読み易すぎるタイプは苦手とする相手。


「……お嫁さん?」

「うん、お嫁さん。庶民は嫁というんだよ。君も部下が妻のことを語ったとき聞いたこと……ああ、君の知り合いで奥さんいる人、ほとんど”后”だったね」


 未だクローヴィスが訪れていないので、アルドバルド子爵はアルドバルド子爵のまま。


「ふむ、嫁か。そうか嫁なあ……」

「嫁に食いついてるところ悪いんだけど、お嫁さんがいきなり発砲してきたらどうするの? ホーコンが言うには”俺じゃあ相手になりません。俺の本気の奇襲でも、からかわれてる? くらいで躱せるような人です”だったよ。わたしホーコンより、遙かに弱いんだけど」

「では気配を消せばよかろう。わたしとサーシャは一応は反応できる」

「下手に気配を消したら、逆に気付かれる。君のお嫁さんはそういう人」

「お前、気配を消すの上手かろう?」

「わたしがどれほど上手に気配を消しても、すぐに気付く君に言われても、説得力ないなあ」


 そんなやり取りをしていると、室内の電話が鳴り、裏口にクローヴィスたち一行がやってきたという内線が入った。

 軍曹一人に伴われ、やってきたクローヴィスは、


「はははー実は嘘なんですー。驚きましたかー少佐」


 悪戯が成功したぞと言わんばかりの微笑みを浮かべながら、分厚いカーテンが下ろされている、毛足の長い高級絨毯が敷かれた部屋に入ってきたものの、室内にいたのがサーシャだけではないと気付くと、すぐに表情を切り替え、リリエンタールにとって見慣れたものになってしまった。

 クローヴィスの顔の作りは隙が無く、世間で言われる可愛いとは全く違うのだが、


”もしかして、先ほどの表情は可愛らしい……なのか? だが、可愛いなど成人女性に言うべき台詞ではない……はず……分からん”


 リリエンタールはもう一度あの笑顔を見たいとは思った。

 アレリード曹長にはドアの外で待つよう指示し、


「少尉」


 だが自分が声を掛けると、表情がより一層引き締まり――それも悪くはない。むしろその横顔の美しさは賛美の言葉を紡ごうとすると、唇が畏怖で震えるほどだが、


”この美しい顔だけで満足できないとは、わたしも強欲だな”


 先ほどのやや気安い表情が、より一層見たくなる。


「閣下、こちらをご覧ください」


 リリエンタールの内心など知らないクローヴィスは、小脇に抱えていた分厚い本――写真をしおり代わりに挟んで持ってきた線路大百科を開く。


「少尉の弟は、鉄道好きだったな」

「好きなどという表現では済まないほどです、閣下。そしてその弟が申しますには――」


 クローヴィスは弟が指摘した点を伝える。


「閣下……これは」


 サーシャはクローヴィスを追ってここまで足を運んだが、彼の仕事はあくまでもクローヴィスの護衛のため、線路まで注意が回らなかった。

 あれほど急な任務でなければ、サーシャ自身、異変に気付けたのだが――


「クローヴィス少尉」

「はい、閣下」

「この写真と本を預からせてもらう」

「写真はよろしいのですが、本は弟の大事なものなので、ことが終わりましたら返していただけますと」

「分かっている。早急にこれと同じものを用意し返却する」

「ありがとうございます」

「クローヴィス少尉、自宅待機は解除だ。そして期間限定で、史料編纂室室長主任補佐を命ずる」


 室内で給仕に成りすましていたアルドバルド子爵は、晩餐の際にこの話になる予定だったんだろうなと――リリエンタールは許可も取らずに、


「小官はそこで何を調査すればよろしいのでしょうか?」

「人探しをしたいとオルフハードから聞いている」

「あ、はい」

「史料編纂室は閑職、左遷部署と言われているが、実は諜報部の隠れ蓑でな」


 ロスカネフ王国の裏の世界を暴露してゆく。


”娘さんをこっちに引きずり込んでる。容赦ないなあ。でもさ、リヒャルト、その娘さん、君と出会わなくても、わたしたちの存在を知らされる予定だったから、知らせたところで逃げられないってことにはならないよ。優秀な人を引き入れるって、大変だねえ”


 軍の、国の、王家の裏を知らされたクローヴィスだが、ヴィクトリア女王の親衛隊隊長を務める計画があったので、彼女が退位しなければ、早晩クローヴィスはその存在について教えられることになっていた。


「そうでしたか」

「無害な部署、あるいは無駄なことをする部署と浸透しているので、多少おかしなことを調べても誰も気にしない。とくに少尉のように、一時的に史料編纂室に預けられた士官が、訳の分からないことを調べていても、上司からの命にしたがっているのだろうとしか思われぬ。裁判記録なども見放題だ。うまく活用し、結果を出せ」


 サーシャからクローヴィスが人探しをしたいと聞いていたリリエンタールは、願いを叶えるべく、アルドバルド子爵が室長を務める史料編纂室へ異動させようと考えていた――世界がどうなっていようが、クローヴィスの願い事を叶えるのがリリエンタールにとっては最優先。

 聞いていたアルドバルド子爵は「そういう理由か」と理解し――


 手で合図を送り、サーシャがアレリード軍曹を室内へと呼び、その任を解く。


「御意」

「アレリード曹長」

「はっ! 閣下」

「イヴ・クローヴィス少尉の見張りの任を解く」


 これで終わりの筈だったのだが、クローヴィスから自分の写真について聞かれ、手紙と共に城へ向かうよう指示を出した。


「自分の写真が見ず知らずの人間の手元にあるというのは、いい気はしない。わたしとしても経緯は知りたいが、その余裕もないのでな」


 警戒心がないのではなく、リリエンタールに好かれているなど微塵も思っていないクローヴィスはその言葉を全て素直に受け取り、アレリード曹長に別れを告げ、これまた素直にリリエンタールの城へと向かった。


 サーシャは憲兵たちへの命令変更を本部に入れるために一時席を外し、アレリード軍曹も退出し――


「何を言ってるんだい」


 給仕を止めたアルドバルド子爵がソファーに腰を下ろして、呆れた声を上げる。


「何のことだ、フランシス」

「写真のことだよ。君の写真なんて、どこにでもあるじゃないか。そんなの気にしたことないだろう?」


 リリエンタールは自分の写真など気にしない。教科書に写真が載り、各地に銅像が建ち、支配地域では家に肖像画が飾られている。

 それらが、踏みにじられようが焼かれようが、倒されようが砕かれようが、日々祈られようが、称賛されようが――どうでもいい。

 そういう男だと知っているアルドバルド子爵は、なにを企んでいるのかと尋ねた。


「たしかに気にはならぬ。ただ良い機会だと思ってな」

「なんの機会?」

「アナスタシアのことだ。わたしは話さなくても良いと思っていたのだが、早々に説明しなければ、後々大変なことになると、シャルルに力説された」


 リリエンタールは二番目の婚約者だったアナスタシアのことを忘れはしないが、思い出しもしない――執事に指摘されるまで、クローヴィスに言うべき事柄の一つとも捉えていなかった。


「あ……わたしも、根は君と同じだから、説明する必要ないと思っちゃうけど、必要かもね」

「死んでいるから気にならぬであろうと言ったら、死んでいるからこそ気にするのだとシャルルに言われた…………あと、年の差から考えて、わたしとアナスタシアの関係を、全く知らない可能性が極めて高いとも。下手をすると、隠していたと誤解を招きかねないともな」

「あー君たちが婚約した頃、お嫁さんまだ生まれてないもんね」


 リリエンタールがルース皇女アナスタシアと婚約したのは十二歳。入り婿皇帝となる身としては早くもないが――クローヴィスとリリエンタールの年齢差は十六歳。


「しみじみ言うな、フランシス」

「そのくらいの年の差、上流階級ならよくあることだよ。裕福な中産階級もね。でもまぁ、職業婦人はあんまり年が離れていない男性を好むみたいだけど。年寄りは職業婦人に対する偏見を持ってる人が多いからねえ」

「わたしはないが」

「君は究極の無関心からくる平等だからね。男も女も人種も、全く気にならないんだろう?」

「そもそも、なぜ気にする必要がある?」

「何故って言われると、答えられないなあ。強いて言うなら伝統かな」

「伝統か……下らぬ」

「君が言うと重みが違うね」


 そんなやり取りをし、リリエンタールは晩餐をせずに自らの城へと帰っていった。

 アルドバルド子爵は首都でよく利用している、高級と中級の境あたりに位置する定宿のホテルで、用意していた晩餐用の料理を、子爵夫人から使用人になりかわったベックマンと共に取り――普段であればゆったりと夜の時間を過ごすのだが、


「さすがに明日は、遅刻なさらないほうが」

「だよねー。早いけど寝るね。不寝番、よろしくね、カミラ君」

「はい」


 遅刻など一度もしたことのない真面目なクローヴィスを出迎えるべく、早めに床についた。


「閣下」


 アルドバルド子爵は寝入ってすぐに、ベックマンに声を掛けられた。時計を見るまでもなくそのことは分かる――この辺りの体内時計は正確の一言。


「どうしたの、リヒャルト」


 ガウンを羽織って、いきなりやってきたリリエンタールを室内に入れて事情を聞き――


「駄目、面白すぎて、駄目……でもシャルルくんの言い分が分かる。ぶふっ!」


 しばらく笑い、リリエンタールに宿を提供した。


 リリエンタールがアルドバルド子爵の元を訪れた理由は、城に入れなかったから。

 家主はもちろんリリエンタールなのだが、帰ると正門のところで止められ、しばらく待つと執事が、アイヒベルク伯爵に誘導されながら騎馬で駆けつけた。

 リリエンタールが口を開こうとすると、


「なんで帰ってきた! 嫁入り前のお嬢さんに、あらぬ噂が立つから、城に入ってくんな!」


 色々聞こうとしたリリエンタールだが、馬上の執事に怒濤の如く怒鳴られる――


「お前は太平洋のど真ん中にいても、どこぞの王宮でメイドを孕ませたって言われるくらい、あらぬ噂が立つ男なんだぞ! 自覚ある? 自覚ないよな! だから帰ってきたんだよな!」

「嫁にするから噂くらいは……」

「いいか? 傷物にしたという噂を立てて嫁にするなんてことしたら、嫌われるからな! 好かれたいならそういう噂には気を付けろ。あんたはそういうところ、無頓着で駄目だ! 大体、あの娘さん、あんたのことどうとも思ってないんだからな! 恋人同士ですらないんだから! 恋愛初心権力者の片想いっていう、最悪な状況なんだぞ、分かってるか! ……というわけで、去れ。あ、サーシャは休んでいきなさい。明日も仕事でしょ。あんたは遅刻しようがなにしようが、どうでもいいんだから、どこかの邸で寝なさい。いいな」

「分かった」


 話をしていると新しい馬車が正門前にやってきたので乗り替え、サーシャに見送られリリエンタールは街へと引き返し、


「あの娘の顔が見られると思ったのだが」

「だから入れてくれなかったんだろうね、シャルル君」


 事情を知っているアルドバルド子爵に愚痴をこぼした――リリエンタールの性格上、愚痴をこぼすなどということはなかったのだが。


「なにもしないのだが……」

「君は、そういう噂が立つことに事欠かない権力者だからねえ」

「あの娘と朝餐を取りたかった」

「君が朝食を食べたいというだけでも驚きなのに、さらに人と一緒にと希望するとか……本気なんだねえ」

「嘘だと思っていたのか?」

「さっきまではね。オペラハウスでのやり取りで、君の本気は分かった。ところで、お嫁さんが教えてくれた鉄道の軌条の件なんだけど」

「ああ、あれか。……攻めてきたくば攻めてくればよかろう。どうせあの土地の性質上、布陣できるのは十五万が限界だ。そんなもの(兵力十五万)、どうとでもできる。攻めたいのであれば攻めればよかろう。あの一帯くらいなら、一週間以内に獲ってやる」


 ”皇帝が仰るあの一帯とは、どこまでを指すものなの?”――酒を用意し、軽食を並べていたベックマンは聞きたい誘惑にかられたものの、すぐに好奇心をしまう。


「そう? じゃあ、上司になったわたしが、上手く取り計らって一緒に食事出来るようにするからさ」

「…………」

「その為にさ、君の一方的な馴れ初めを教えて」

「軌条の件はもういいいのか?」

「君、勝てるんでしょ? それならいいよ」


 その後、二人は日付が変わるまで話をしていた。


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